FC2ブログ

There Is No Spoon

ARTICLE PAGE

レッスン196「私が磔にするのは自分自身でしかありえない」

レッスン196です。

今日のテーマは「私が磔にするのは自分自身でしかありえない」です。




エゴの生存戦略は、争い事やトラブルや不幸といったマイナスの出来事による混乱ぶりをアピールして注目を集めようとする、いわゆる「炎上商法」です。

エゴは観客となる神の子の分裂した魂たちが、エゴの上演する劇の主人公に感情移入して同一化してくれることで、偽りの生命を得て存続しています。

この世界は神の子を幽閉するための牢獄です。

ですが、脱出できないよう強制的に閉じ込めるという方法で神の子を幽閉することはできません。

というのも、実在するのは神の子のほうであり、牢獄である世界は単なる幻想であり、幻想が実在するものを強制して従わせることなどできないからです。

従って、神の子が世界に幽閉する仕組みは強制的に閉じ込めるというものではなく、世界の誘惑に神の子をハマらせて神の子が自ら進んで檻の中に留まって抜け出せなくなるようにするという方法だということになります。

つまり、神の子が自分からすき好んで世界に居座るようにするということです。

このような観点で見ると、この世界は一度足を踏み入れたが最後、二度と脱出できなくなるような誘惑の雲の巣だと言えます。


究極的には、神の子は神のひとり子であり、分裂していません。

意識が統一された一なる神の子が統一された意識のまま何者かになりきる夢を見ているだけだとすれば、自分を取り戻すのはそう難しいことではなかったかもしれません。


しかし、ゲーム世界の中のアバターや劇中の登場人物として、いろんな仮面をつけていくつもの覗き窓から世界を覗き込んで、別の仮面をつけている自分を他人だと思い込む体験を繰り返すと、個々のキャラへの没入感が強まり、それに比例して、他のキャラとの分離感も強まります。

そして、分裂が進むほど、多様な個性のアバターが生み出され、神の子の本質は一なる霊であるのに、アバターに閉じ込められる体験によって無数の分霊である魂が実在するかのような状態に至ります。

そして、ゲーム世界たるこの世界と控え室のような心霊世界との間を魂たちは行ったり来たりするようになるわけです。

霊を水のようにイメージするとして、一なる霊としての意識が保たれていた状態では、霊が幻想世界のアバターに入り込んでも、ひとつの袋に閉じ込められた状態(もののけ姫のダイダラボッチのようなイメージ)から袋を破って簡単に解放されることができるけれど、たくさんの袋にバラバラに閉じ込められたような状態になると、ひとつの袋を破っても他の部分は閉じ込められたままで、一挙に元に戻るということができなくなってしまいます。

と言っても、袋の素材が破りやすいビニール袋もあれば、硬い皮袋もあれば、硬い鉄器の容器もあればというふうに難易度が高い袋もあるように見えてどれだけ袋の数が無数にあろうとも、実は、この状態は現実ではなく錯覚であり、錯覚、幻想であるがゆえに、一挙に解消することが可能だというのがコースの基盤です。






Lesson 196



It can be but myself I crucify.
私が磔にするのは自分自身でしかありえない。



1. When this is firmly understood and kept in full awareness, you will not attempt to harm yourself, nor make your body slave to vengeance.
 このことをしっかり理解して十分に自覚し続けるなら、あなたは自分自身に害を与えようとはしなくなるし、自分の身体を復讐の奴隷にしようとは思わなくなるでしょう。

 You will not attack yourself, and you will realize that to attack another is but to attack yourself.
 あなたは自分自身を攻撃することはなくなり、他者を攻撃することは自分自身を攻撃することにほかならないと気づくでしょう。

 You will be free of the insane belief that to attack a brother saves yourself.
 あなたは、兄弟を攻撃することで自分自身が救われるという狂気の信念に囚われなくなるでしょう。

 And you will understand his safety is your own, and in his healing you are healed.
 そして、あなたは、兄弟が安全になることで自分自身が安全になり、兄弟が癒されることで自分も癒されるのだと理解するでしょう。



2. Perhaps at first you will not understand how mercy, limitless and with all things held in its sure protection, can be found in the idea we practice for today.
 もしかしたら、初めのうちは、今日私たちが実習する考えの中に、すべての物事をその確固たる守護の中に包みこむ無限の慈悲をどのようにすれば見出せるのか、あなたには理解できないかもしれません。

 It may, in fact, appear to be a sign that punishment can never be escaped because the ego, under what it sees as threat, is quick to cite the truth to save its lies.
 それどころか、エゴが脅威としてみなしている状況の下では、エゴは自分の嘘を取り繕うために、すぐに真理を引き合いに出してくるので、今日の考えは、処罰を逃れることは絶対にできないという印のように思えてしまうかもしれません。
 
 Yet must it fail to understand the truth it uses thus.
 それでも、エゴは、自らがそのように利用する真理を理解し損ねているに違いありません。

 But you can learn to see these foolish applications, and deny the meaning they appear to have.
 しかし、あなたは、このようなばかげた真理の適用の仕方について理解することを学んで、そのような真理の使い方が具備するかのように思える意味を否認することを学ぶことができます。



3. Thus do you also teach your mind that you are not an ego.
 こうすることで、あなたは同時に、自分の心に自分はエゴではないと教えることになります。

 For the ways in which the ego would distort the truth will not deceive you longer.
 というのも、エゴが真理を歪めようとする方法では、そう長くはあなたを欺き続けることはできないからです。

 You will not believe you are a body to be crucified.
 あなたは、自分が十字架にかけられる身体であるとは信じなくなるでしょう。

 And you will see within today's idea the light of resurrection, looking past all thoughts of crucifixion and of death, to thoughts of liberation and of life.
 そして、「私が磔にするのは自分自身でしかありえない」という今日の考えの中に、あなたは復活の光を見て、磔刑と死についてのあらゆる思いの向こう側の解放と生命の思いを見通すようになります。



4. Today's idea is one step we take in leading us from bondage to the state of perfect freedom.
 今日の考えは、私たちが束縛から完全なる自由へと到達するために踏み出す一歩です。

 Let us take this step today, that we may quickly go the way salvation shows us, taking every step in its appointed sequence, as the mind relinquishes its burdens one by one.
 今日こそ、この一歩を踏み出しましょう。そうすれば、私たちは、その定められた道のりに沿って一歩ずつ歩むにつれて、心からひとつずつ重荷を降ろして、救済が自分に示してくれる道を速やかに進んで行くことができます。

 It is not time we need for this.
 このために私たちに必要なのは、時間ではありません。

 It is but willingness.
 必要なのは意欲だけです。

 For what would seem to need a thousand years can easily be done in just one instant by the grace of God.
 というのも、千年を必要とするように思えることでも、神の恵みによって、まさに一瞬のうちにたやすく成し遂げられてしまうからです。



5. The dreary, hopeless thought that you can make attacks on others and escape yourself has nailed you to the cross.
 他者に攻撃を仕掛けることで自分自身が助かるという嘆かわしくも絶望的な思いが、あなたを十字架に磔にしてきたのです。

 Perhaps it seemed to be salvation.
 もしかしたら、それは救いのように思えたかもしれません。

 Yet it merely stood for the belief the fear of God is real.
 しかし、それは単に、神への恐れが本物であるとの信念の表れでしかなかったのです。

 And what is that but hell?
 そして、そんなものは地獄以外の何だといえるでしょうか。

 Who could believe his Father is his deadly enemy, separate from him, and waiting to destroy his life and blot him from the universe, without the fear of hell upon his heart?
 いったい誰が、自らの父のことを、自分の命を滅ぼして自分をこの宇宙から消し去ろうと付けねらう自分とは分離した不倶戴天の敵だと信じながら、心の底から地獄の恐怖を味わわずにいられるでしょうか。



6. Such is the form of madness you believe, if you accept the fearful thought you can attack another and be free yourself.
 もしあなたが、自分には他者を攻撃することで自分自身を解放できるなどという恐ろしい思いを受け入れるなら、あなたはこのような形の狂気を信じているのです。

 Until this form is changed, there is no hope.
 この形を変えないかぎり、希望はありません。

 Until you see that this, at least, must be entirely impossible, how could there be escape?
 あなたが少なくとも、そのようなことは完全に不可能だと理解しないかぎり、どうして脱出することなどできるでしょうか。

 The fear of God is real to anyone who thinks this thought is true.
 このような思いが真実であると考える者なら誰にとっても、神への恐れは本物となってしまいます。

 And he will not perceive its foolishness, or even see that it is there, so that it would be possible to question it.
 そうして、その人には、この思いの馬鹿らしさ加減に気づくどころか、そんな思いが存在することすらわからないので、その思いに疑問を抱くことができないままになってしまいます。



7. To question it at all, its form must first be changed at least as much as will permit fear of retaliation to abate, and the responsibility returned to some extent to you.
 自分には他者を攻撃することで自分自身を解放できるという思いに少しでも疑問を抱くには、まず、少なくとも報復されることへの恐怖心が和らいで、報復への恐怖心を自制する力をある程度あなたが取り戻す程度にまで、その思いの形を変えなければなりません。

 From there you can at least consider if you want to go along this painful path.
 そこからなら、あなたには少なくとも、自分がこの苦痛に満ちた道を進みたいのかどうかよく考えられるはずです。

 Until this shift has been accomplished, you can not perceive that it is but your thoughts that bring you fear, and your deliverance depends on you.
 この形の変化が達成されるまでは、あなたは、自分の思考だけが自分に恐怖をもたらしているのだから、自分の解放は自分にかかっていると知覚することができません。



8. Our next steps will be easy, if you take this one today.
 もしあなたがその一歩を今日踏み出すなら、私たちの次の歩みは簡単なものになるでしょう。

 From there we go ahead quite rapidly.
 そこからは、私たちは、きわめて急速に前進します。

 For once you understand it is impossible that you be hurt except by your own thoughts, the fear of God must disappear.
 というのは、いったんあなたが自分自身の思いによってしか自分は傷つくことがありえないと理解したら、神への恐れは消え去ってしまうはずだからです。

 You cannot then believe that fear is caused without.
 そうなれば、あなたは、恐怖というものが自分の外側で引き起こされるものだとは信じられなくなります。

 And God, Whom you had thought to banish, can be welcomed back within the holy mind He never left.
 そして、神が一度も離れたことなどなかった聖なる心の内に、あなたが追い払ってしまいたいと思っていた神が再び迎え入れられるようになります。



9. Salvation's song can certainly be heard in the idea we practice for today.
 今日、私たちの実習する考えの中に、救いの歌が確かに聞こえます。

 If it can but be you you crucify, you did not hurt the world, and need not fear its vengeance and pursuit.
 もしあなたが十字架にかけることができるのが自分でしかないなら、あなたはこの世界を傷つけたことなどなかったのだから、世界から復讐されたり処罰を求められたりするのを恐れる必要などないはずです。

 Nor need you hide in terror from the deadly fear of God projection hides behind.
 それに、投影が背後に隠している神への甚だしい恐怖に怯えながらあなたが隠れている必要もなくなります。

 The thing you dread the most is your salvation.
 あなたの最も恐れていることは、自分が救われることなのです。

 You are strong, and it is strength you want.
 あなたは力強い存在であって、あなたが望むのは強さです。

 And you are free, and glad of freedom.
 そして、あなたは自由であるので、自由を喜びます。

 You have sought to be both weak and bound, because you feared your strength and freedom.
 あなたは、脆弱な存在となって束縛されることを求めてきました。なぜなら、あなたは自分の力強さ自由を恐れたからです。

 Yet salvation lies in them.
 しかし、あなたの力強さ自由の中にこそ、救済があるのです。



10. There is an instant in which terror seems to grip your mind so wholly that escape appears quite hopeless.
 自分の心が完全に恐怖に鷲掴みにされているように思えて、脱出する望みなどまったくないように思える瞬間があります。

 When you realize, once and for all, that it is you you fear, the mind perceives itself as split.
 自分が恐れているのは自分なのだとあなたがきっぱりと理解するとき、心は自分自身が分裂していることを知覚します。

 And this had been concealed while you believed attack could be directed outward, and returned from outside to within.
 そして、攻撃を外側に向けることができ、外側から内側へと反撃されるものとあなたが信じていた間は、この心の分裂は隠されたままでした。

 It seemed to be an enemy outside you had to fear.
 恐れるべきは、あなたの外側にいる敵であるように見えていました。

 And thus a god outside yourself became your mortal enemy; the source of fear.
 こうして、あなたの外側の小さな神があなたの怨敵となり、恐怖の源となっていたのです。



11. Now, for an instant, is a murderer perceived within you, eager for your death, intent on plotting punishment for you until the time when it can kill at last.
 今、一瞬にして、ひとりの殺人者があなたの内にいるのを知覚できます。その殺人者はあなたの死を熱望し、自分がついにあなたを殺すことができるその時がやってくるまで、あなたを罰する企みに没頭しています。

 Yet in this instant is the time as well in which salvation comes.
 しかし、この同じ瞬間が、救済が訪れる時にもなるのです。

 For fear of God has disappeared.
 というのは、神への恐れが消え去ったからです。

 And you can call on Him to save you from illusions by His Love, calling Him Father and yourself His Son.
 だから、あなたは、神を大いなる父と呼び、自らを神の子と呼ぶことによって、神の大いなるによって自分を幻想から救い出してくれるように神に求めることができます。

 Pray that the instant may be soon,--today.
 その瞬間がすぐに、今日にも訪れるようにと祈りなさい。

 Step back from fear, and make advance to love.
 恐怖から退いて、に向かって進みなさい。



12. There is no Thought of God that does not go with you to help you reach that instant, and to go beyond it quickly, surely and forever.
 あなたがその瞬間に到達し、迅速かつ確実に、そして、永遠に、その瞬間を越えて進むのを助けるために、神の大いなる思いのすべてがあなたとともに進んでくれるのです。

 When the fear of God is gone, there are no obstacles that still remain between you and the holy peace of God.
 神への恐れが去ってしまえば、あなたと神聖な神の平安との間には、もうそれ以上いかなる障害も留まりません。

 How kind and merciful is the idea we practice!
 私たちの実習する考えは、なんと優しく思いやりに溢れていることでしょう。

 Give it welcome, as you should, for it is your release.
 「私が磔にするのは自分自身でしかありえない」という今日の考えを当然のこととして歓迎しなさい。というのも、この考えがあなたを解放するからです。

 It is indeed but you your mind can try to crucify.
 あなたの心が十字架にかけようとすることができるのは、本当にあなただけなのです。

 Yet your redemption, too, will come from you.
 しかし、あなたの救いもまた、あなたから訪れるのです。


名称未設定


名称未設定


それでは、ブリトニーさんのレッスンです。



次

関連記事
恐怖強さ自由報復救い知覚攻撃解放十字架

Comments 0

Leave a reply