レッスン199「私は身体ではない。私は自由だ」


The moment I have realized God sitting in the temple of every human body, the moment I stand in reverence before every human being and see God in him - that moment I am free from bondage, everything that binds vanishes, and I am free.
一人ひとりの人間の身体という寺院に神が鎮座していることに私が気づいた瞬間、私がすべての人間を前にして深い崇敬の念を抱いて彼の内に神を見た瞬間、その瞬間、私は束縛から自由になり、私を縛りつけていたすべてのものが消え去り、私は自由になる。

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Swami Vivekananda
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ




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レッスン199です。

「私は身体ではない。私は自由だ」が今日のテーマです。


身体という制約

自分は身体だと思うことによって自分がさまざまな制約を受けていることは、私たちにもよくわかります。

もし私たちが身体なら、行動範囲は身体の所在する時空間に制限され、できることも身体の能力に制限され、活動できる時間も身体が持つ寿命によって制限されます。


したがって、身体にアイデンティティーを置く私たちが正直に実感するところから帰結される結論は、間違いなく「私が身体だとすれば、私は不自由だ」と、今日のテーマとは逆の内容になります。

たしかに、私たちは自分は身体だと思って生きています。




唯物論を信奉しようが霊魂を信じようが、分離幻想に縛られたまま

素朴に唯物論的な基盤に立って、心は身体の一部である脳の生理作用で生じている現象でしかないと考えることが科学的だと信じるなら、私たちは自分は身体だという考えを本気で信じていることになります。

また、身体に宿ってはいるが、自分の本質は霊魂だと信じている人は、自分は身体だという思いから自由であると思うかもしれませんが、一なる霊から魂への細分化と魂の乗り物としての身体はワンセットであり、分離幻想の呪縛を免れていないので、依然として自分を身体と同一視していると言ってよいでしょう。物質的な身体であれ、霊的な幽体であれ、本来の一なる霊とは別の分離した個別の存在が自分だと信じる点で身体が自分だと信じるのと大差ないからです。

奇跡のコースを学ぶことで、私たちは、身体が自分だという感覚が錯覚であることを少なくとも情報として認識する程度には学んでいます。

心の力というものが、本来、いかなる制約も受けない無限のものであることは、人間の無限の想像力が生み出すさまざまな産物を見ればよくわかります。

私たちも、身体へのアイデンティティーによって毒されてはいますが、自分の人生で、心に翼を与えて羽ばたかせるような体験を誰もがしたことがあるはずです。

「2. The mind that serves the Holy Spirit is unlimited forever, in all ways, beyond the laws of time and space, unbound by any preconceptions, and with strength and power to do whatever it is asked.
 聖霊に奉仕する心は、あらゆる面で、永遠に制限を受けることなく、時間と空間の法則を超越し、いかなる先入観にも縛られず、何を求められようとも、それをなす強さと力が備わっています。」


エゴ・身体はアバター(化身)

身体というのは、ゲーム世界の中を動き回るためのアバター、物語の主人公、パソコンやワープロのカーソル、ゲーム盤の駒でしかなく、それを動かす力は心が持っています。

ゲームプレイヤーや物語の読者たちは、ゲームや物語世界内の場所や時間やルールにまったく束縛されてはおらず、自由にゲームプレイや読書、視聴を中断して日常生活に舞い戻り、気が向いたらまたゲームや物語世界に来るということができます。

これがアバターや主人公への感情移入の度が過ぎて、自分がアバター・主人公だと信じ込むようになると、ゲームプレイヤーや物語の読者たちは、自由を失って、物語世界に(自分から進んで)幽閉されることになります。


私たちも、このゲームプレイヤーたちと同じように、ゲームのキャラへののめり込みの度合いが行き過ぎて、誰にも強制されていないのに、勝手に自分でがんじがらめになっているということです。


この状態から元に戻ってくるには、強制的にゲーム世界や物語世界から現実に引きずり戻すことではなく、実は自分は、本気で自分だと思い込んでいる身体というアバターではない、という仕組みの理解、さらに、本当の自分が何者なのかについての正確な理解をすることが必要なのは、考えてみれば当然のことです。



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Lesson 199

I am not a body. I am free.
私は身体ではない。私は自由だ。



1. Freedom must be impossible as long as you perceive a body as yourself.
 自分は身体だとあなたが知覚しているかぎり、絶対に自由にはなれません。

 The body is a limit.
 身体とは制限だからです。

 Who would seek for freedom in a body looks for it where it can not be found.
 身体の中に自由を求めようとする者は、自由が見つからない場所に自由を探すことになります。

 The mind can be made free when it no longer sees itself as in a body, firmly tied to it and sheltered by its presence.
 その心がもうそれ以上、自分自身のことを身体の中にあり、しっかりと身体に縛りつけられ、身体の存在によって危害から守られているとみなさなくなったとき、その心は自由になることができます。

 If this were the truth, the mind were vulnerable indeed!
 もし心が身体の中にあることが真実だとしたら、心は本当に傷つきうるものだということになります。



2. The mind that serves the Holy Spirit is unlimited forever, in all ways, beyond the laws of time and space, unbound by any preconceptions, and with strength and power to do whatever it is asked.
 聖霊に奉仕する心は、あらゆる面で、永遠に制限を受けることなく、時間と空間の法則を超越し、いかなる先入観にも縛られず、何を求められようとも、それをなす強さと力が備わっています。

 Attack thoughts cannot enter such a mind, because it has been given to the Source of love, and fear can never enter in a mind that has attached itself to love.
 そのような心には、攻撃するという思いが入りこむことはできません。なぜなら、その心は愛の大いなる源に捧げられており、自分自身を愛に帰属させた心の中には決して恐れが入りこむことができないからです。

 It rests in God.
 その心は神の内に安らいでいます。

 And who can be afraid who lives in Innocence, and only loves?
 それに、大いなる潔白さの中に生き、ただ愛するだけの者が恐れることなどできるでしょうか。



3. It is essential for your progress in this course that you accept today's idea, and hold it very dear.
 あなたがこのコースの学びを前進させるためには、あなたが「私は身体ではない。私は自由だ」という今日の考えを受け入れて、今日の考えを本当に大切に心にとどめておくことが不可欠です。

 Be not concerned that to the ego it is quite insane.
 エゴにとっては今日の考えが紛れもなく狂気の沙汰であることは、気にする必要はありません。

 The ego holds the body dear because it dwells in it, and lives united with the home that it has made.
 エゴは身体の中に住み、自分が作り出したその家と結合して生きているので、エゴは身体を大事にします。

 It is a part of the illusion that has sheltered it from being found illusory itself.
 身体は、エゴ自体が幻想であることが露呈しないようにエゴを匿まってきた幻想の一部だからでです。



4. Here does it hide, and here it can be seen as what it is.
 エゴは身体の中に隠れているので、身体を見れば、エゴの正体がわかります。

 Declare your innocence and you are free.
 自分が潔白であると宣言してください。そうすれば、あなたは自由になります。

 The body disappears, because you have no need of it except the need the Holy Spirit sees.
 そうすれば、身体は消え去ります。なぜなら、聖霊が見ている必要性以外には、あなたは身体をまったく必要としなくなるからです。

 For this, the body will appear as useful form for what the mind must do.
 この聖霊の必要性を果たすために、身体は、その心がなすべきことに役立つ形をとるようになります。

 It thus becomes a vehicle which helps forgiveness be extended to the all-inclusive goal that it must reach, according to God's plan.
 こうして、身体は、赦しが神の計画に従って到達しなければならない包括的な目標にまで拡張するのを助ける乗り物となります。



5. Cherish today's idea, and practice it today and every day.
 今日の考えを大切にして、今日、そして、毎日、それを実践してください。

 Make it a part of every practice period you take.
 あなたのこれからの実習期間のすべてにおいて、今日の考えを実践することを、その一部として組み込んでください。

 There is no thought that will not gain thereby in power to help the world, and none which will not gain in added gifts to you as well.
 そうすることによって、すべての思いは世界を救う力を得るようになり、あなたの贈り物をより増大する力も得られるようになります。

 We sound the call of freedom round the world with this idea.
 私たちは、今日の考えとともに、世界中に自由の呼び声を轟かせます。

 And would you be exempt from the acceptance of the gifts you give?
 あなたは、自分が与える贈り物を受け取る相手から自分だけは除外するつもりなのでしょうか。



6. The Holy Spirit is the home of minds that seek for freedom.
 聖霊は、自由を求める心たちの家となります。

 In Him they have found what they have sought.
 自由を求める心たちは、自分たちの探し求めてきたものを聖霊の中に見出したのです。

 The body's purpose now is unambiguous.
 身体の目的にはもはや誤解の余地がありません。

 And it becomes perfect in the ability to serve an undivided goal.
 そして、身体は、分裂していないひとつの目標に奉仕する完璧な能力を備えるものとなります。

 In conflict-free and unequivocal response to mind with but the thought of freedom as its goal, the body serves, and serves its purpose well.
 ただ自由の思いだけを自らの目標とする心に、身体は葛藤なく明確に反応して仕え、心の目的にうまく仕えるようになります。

 Without the power to enslave, it is a worthy servant of the freedom which the mind within the Holy Spirit seeks.
 心を虜にする力を失えば、身体は、聖霊の内にある心が求める自由に奉仕するにふさわしいしもべとなります。



7. Be free today.
 今日、自由になりなさい。

 And carry freedom as your gift to those who still believe they are enslaved within a body.
 そして、まだ自分が身体の中で虜になっていると信じこんでいる者たちの許に、あなたから自由を贈り物として運び届けてあげなさい。

 Be you free, so that the Holy Spirit can make use of your escape from bondage, to set free the many who perceive themselves as bound and helpless and afraid.
 自分を自由にしてください。そうすれば、聖霊は、あなたが束縛から解放されたことを、自分自身のことを束縛されて無力で怯えていると知覚している多くの者たちを解放するために、役立てることができるようになります。

 Let love replace their fears through you.
 あなたを通して、愛が彼らの恐れに取って代われるようにしてください。

 Accept salvation now, and give your mind to Him Who calls to you to make this gift to Him.
 今こそ、救済を受け入れて、あなたの心を贈り物として自らに捧げるようにと求めている聖霊に、あなたの心を捧げてください。

 For He would give you perfect freedom, perfect joy, and hope that finds its full accomplishment in God.
 というのも、聖霊は、あなたに完全な自由と完全な喜び、そして、神の中でそれが完全に成就する希望を与えようとしているからです。



8. You are God's Son.
 あなたは神の子です。

 In immortality you live forever.
 永遠の生命の中で、あなたはいつまでも生き続けます。

 Would you not return your mind to this?
 あなたは自分の心をこの永遠の生命へと戻したくはないでしょうか。

 Then practice well the thought the Holy Spirit gives you for today.
 戻したいなら、聖霊が今日あなたに与えてくれている「私は身体ではない。私は自由だ」という考えをしっかりと実習することです。

 Your brothers stand released with you in it; the world is blessed along with you, God's Son will weep no more, and Heaven offers thanks for the increase of joy your practice brings even to it.
 今日の考えを実習することで、あなたの兄弟たちはあなたとともに解放されて、世界はあなたとともに祝福され、神の子はもはや涙を流すことはなくなります。そして、天国は、あなたの実習が増えゆく喜びを天国にまでもたらしてくれることに感謝を差し延べます。

 And God Himself extends His Love and happiness each time you say:
 そして、あなたが次のように言うたびに、神自身がその大いなる愛と幸福を拡張させます。


I am not a body.
私は身体ではない。

I am free.
私は自由だ。

I hear the Voice that God has given me, and it is only this my mind obeys.
私は、神が私に授けてくれた大いなる声を聞く。そして、私の心はただこの聖霊にのみ従う。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。







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