There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

M27 死とは何か(神は、愛の神なのか死神なのか)

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今回は、教師のためのマニュアルからについての一節をご紹介します。






奇跡のコースは、は存在しないと言います。

「invulnerable」(傷つくことのない)という言葉がよく出てきますが、この言葉には「不身」という意味もあります。

私たちが傷つくことがない理由は、が無いものだからということです。

そして、私たちにが無いというのは、私たちが犯したと思い込んでいる「」は、原初の分離も含めて、自分で投影した幻想を知覚しているにすぎないからでした。

そして、私たちは、この幻想の世界の中にばらばらに分離して隔絶した身体をまとって生きているように思い込んでいるけれど、本来の自分は大いなる自己であるひとりのの子だけであるということでした。

このの子は永遠の存在なので、当然、投影しているこの幻想の世界の中での幻の身体のによって影響を受けるはずもなく、ぬこともありえないということになります。

「8. You are invulnerable because you are guiltless.
 あなたにははないので、あなたが傷つけられることはありません。

 You can hold on to the past only through guilt.
 あなたは、罪悪感を通してしか、過去にしがみつくことができません。

 For guilt establishes that you will be punished for what you have done, and thus depends on one-dimensional time, proceeding from past to future.
 なぜなら、罪悪感は、あなたがなしたことに対して罰を受けるであろうことを確かなものにし、そうすることで、過去から未来へと進む一次元的な時間に依存することになるからです。

 No one who believes this can understand what ' always ' means, and therefore guilt must deprive you of the appreciation of eternity.
 このようなことを信じていたのでは誰も、「つねに」とは何を意味するのか、理解することができません。その結果、罪悪感はあなたが永遠を正しく認識できないようにしてしまうに違いありません。

 You are immortal because you are eternal, and ' always ' must be now.
 あなたは永遠なるものなので、不身です。そして、「つねに」とは今に違いありません。

 Guilt, then, is a way of holding past and future in your mind to ensure the ego's continuity.
 このように、罪悪感は、エゴの継続性を確保するために、あなたの心の中に過去と未来を留めておく方法ということになります。

 For if what has been will be punished, the ego's continuity is guaranteed.
 というのは、もしこれまで存在してきたものが未来に罰せられるようになるとすれば、エゴの継続が保証されることになるからです。

 Yet the guarantee of your continuity is God's, not the ego's.
 しかし、あなたの継続性を保証するのはであって、エゴではないのです。

 And immortality is the opposite of time, for time passes away, while immortality is constant.
 そして、不滅性は時間とは対極にあるものです。なぜなら、時間は過ぎ去るのに対して、不滅性は変ることなく持続するものだからです。」(テキスト 第十三章 I. Guiltlessness and Invulnerability 一 無性と不滅性)


この一節では、の概念と関連させてについて論じています。

この世界の中に生きているかぎりは、が存在することは確かなものであり、「んだ」と宣言することは論理的なことですらあるともいえるかもしれません。

そうして、この世界でのの属性は、「」のそれを指すようになります。

これに対しては、とは、誤った知覚によって幻想の世界へと運び込まれた幻にすぎないということを一つひとつ丁寧に説明し、は死神などではなく、愛に溢れる神であることをじっくり説明してくれています。

ぜひ、ゆっくりと読んでいただければと思います。




Section 27
第27節

What Is Death?
死とは何なのでしょうか

1. Death is the central dream from which all illusions stem.
 死とは、そこからあらゆる幻想が派生してくる夢の中枢のことです。

 Is it not madness to think of life as being born, aging, losing vitality, and dying in the end?
 生命のことを、生まれ、年を取り、活力を失い、そして、最後には死んでしまうものとして考えることは狂気の沙汰ではないでしょうか。

 We have asked this question before, but now we need to consider it more carefully.
 私たちはこの質問を以前にしたことがありました。しかし、今、私たちには、より注意深くこの質問について検討する必要があります。

 It is the one fixed, unchangeable belief of the world that all things in it are born only to die.
 この世界の中の万物は、ただ死ぬためにだけ生まれてくるというのは、この世界が抱くただ一つの変わることのない固定した確信であるといえます。

 This is regarded as "the way of nature," not to be raised to question, but to be accepted as the "natural" law of life.
 この死ぬためだけに生まれてくるという確信は、「自然の摂理」とみなされて、疑問を呈するどころか、生命の「自然な」法則として受け入れられています。

 The cyclical, the changing and unsure; the undependable and the unsteady, waxing and waning in a certain way upon a certain path,--all this is taken as the Will of God.
 変化し不安定な信頼することができず一定しない、決まりきった通り道の上を決まりきった方法で満ちては欠けてゆく繰り返し、こんなことのすべてが神の大いなる意志だと受け止められているのです。

 And no one asks if a benign Creator could will this.
 そして、果たして恵み深い創造主がこのようなことを意図することなどできるだろうかとは誰ひとりとして問おうとする者はいません。



2. In this perception of the universe as God created it, it would be impossible to think of Him as loving.
 神がこの宇宙をこのようなものとして創造したと認識するとすれば、神のことを愛に満ち溢れる存在として考えることなど不可能なことでしょう。

 For who has decreed that all things pass away, ending in dust and disappointment and despair, can but be feared.
 なぜなら、あらゆるものが塵に成り果て、落胆と絶望の中で去り行くように運命づけた存在は恐ろしいものとしてしか捉えようがないからです。

 He holds your little life in his hand but by a thread, ready to break it off without regret or care, perhaps today.
 神は、あなたのちっぽけな人生を、一本の糸によって手の中に握っており、何らの後悔も憂いもなく、ひょっとすると今日にでも、その糸を切り離してしまう用意ができています。

 Or if he waits, yet is the ending certain.
 すぐにではなく、もし神が待ってくれることがあったとしても、いつか終わりがやってくることは確実なことです。

 Who loves such a god knows not of love, because he has denied that life is real.
 そのような神のことを愛する者は愛というものを知らないのです。なぜなら、彼は生命こそが実在するということを否認してしまっているからです。

 Death has become life's symbol.
 死が生命を象徴するものになってしまっています。

 His world is now a battleground, where contradiction reigns and opposites make endless war.
 彼の世界は、今や戦場と化し、その場所は矛盾が支配し、対極同士が終わることのない戦いをしています。

 Where there is death is peace impossible.
 死のあるところに平安があることなど不可能です。




3. Death is the symbol of the fear of God.
 死は、神への恐怖の象徴です。

 His Love is blotted out in the idea, which holds it from awareness like a shield held up to obscure the sun.
 恐怖の思いの中で、神の愛は消え去り、恐怖の思いは神の愛のことを、日差しを暗くしようとして盾を掲げて太陽を隠してしまうように自覚できないものにしてしまいます。

 The grimness of the symbol is enough to show it cannot coexist with God.
 その象徴の残忍さは、死が神と共存することができないことを十分に示しています。

 It holds an image of the Son of God in which he is "laid to rest" in devastation's arms, where worms wait to greet him and to last a little while by his destruction.
 神への恐怖の象徴は、神の子の肖像を保持しています。その肖像は、神の子が破滅の腕の中に「葬られ」ています。そこでは、うじ虫たちが彼が朽ち果てるまでの少しの間でも彼を喰らって生き永らえようと彼のことを待ち構えています。

 Yet the worms as well are doomed to be destroyed as certainly.
 しかし、そのようなうじ虫たちも、確実に、同じように滅ぼされることを運命づけられています。

 And so do all things live because of death.
 だから、すべての者たちは死のゆえに生きることになるのです。

 Devouring is nature's "law of life."
 他者をむさぼり喰らうことは自然の「生命の法則」だというわけです。

 God is insane, and fear alone is real.
 神は狂気に陥っており、恐怖だけが本物となります。




4. The curious belief that there is part of dying things that may go on apart from what will die, does not proclaim a loving God nor re-establish any grounds for trust.
 死ぬことを運命づけられたものの一部が死にゆく者から切り離されて存続するという奇妙な信仰は、愛に溢れる神を証明するものではないし、そのように信頼するいかなる根拠も再び確立しもしません。

 If death is real for anything, there is no life.
 もし何ものにであれ、死が本当にあるなら、生命というものはないはずです。

 Death denies life.
 死は生命を否定します。

 But if there is reality in life, death is denied.
 しかし、もし生命が本当であるなら、死は否定されることになるはずです。

 No compromise in this is possible.
 このことについては、一切、妥協の余地はありません。

 There is either a god of fear or One of Love.
 あるとすれば、恐怖の神か愛の神のどちらかだけということになります。

 The world attempts a thousand compromises, and will attempt a thousand more.
 この世界は、無数の妥協を試み、重ねて、さらにたくさんの妥協をしようとします。

 Not one can be acceptable to God's teachers, because not one could be acceptable to God.
 神の教師には、ただの一つとして、そんな妥協を受け入れることはできません。なぜなら、そんな妥協は一つたりとも神にとっては容認できないものだからです。

 He did not make death because He did not make fear.
 神は死を作りはしませんでした。なぜなら、神は恐怖を作っていないからです。

 Both are equally meaningless to Him.
 死も恐怖も同じように等しく、神にとっては意味を持たないのです。




5. The "reality" of death is firmly rooted in the belief that God's Son is a body.
 死の現実味は、神の子は一個の身体であるとの信仰に固く根ざしています。

 And if God created bodies, death would indeed be real.
 そして、もし神が身体を創造したのなら、死はなるほど実在することになるでしょう。

 But God would not be loving.
 しかし、神は愛に溢れる存在ではないことになってしまうでしょう。

 There is no point at which the contrast between the perception of the real world and that of the world of illusions becomes more sharply evident.
 真の世界での知覚と幻想の世界での知覚との間のコントラストが、これほどはっきりと明白に指し示されることはほかにはありません。

 Death is indeed the death of God, if He is Love.
 もし神が愛であるならば、死とはいかにも神の死にほかならないことになってしまいます。

 And now His Own creation must stand in fear of Him.
 そうなれば、今や、神自身の創造物は、神に対する恐怖の中で立ちすくむしかなくなります。

 He is not Father, but destroyer.
 神は父などではなく、破壊者となります。

 He is not Creator, but avenger.
 神は創造主などではなく、復讐者となってしまいます。

 Terrible His Thoughts and fearful His image.
 神の思いは恐ろしいものであり、神の肖像は恐怖に満ち満ちたものとなります。

 To look on His creations is to die.
 神の創造物を目にすることは死を意味することになります。




6. "And the last to be overcome will be death. "
 「ゆえに、最後に克服されるべきは死である」。

 Of course!
 もちろん、その通りです。

 Without the idea of death there is no world.
 死という観念がなかったら、この世界など存在しないことでしょう。

 All dreams will end with this one.
 すべての夢は、この世界と共に終わりを迎えることでしょう。

 This is salvation's final goal; the end of all illusions.
 これこそが救済の最終目標です。それは、あらゆる幻想の終わりです。

 And in death are all illusions born.
 そして、死の中においてあらゆる幻想は誕生するのです。

 What can be born of death and still have life?
 いったい死から生まれていながら、なおも生命を持つことができるものなどいるでしょうか。

 But what is born of God and still can die?
 反対に、果たして神から生まれていながら、なおも死ぬことのできるものなどいるでしょうか。

 The inconsistencies, the compromises and the rituals the world fosters in its vain attempts to cling to death and yet to think love real are mindless magic, ineffectual and meaningless.
 この世界が死にしがみつこうとする虚しい試みとして、様々な矛盾や妥協や儀式を助長しておきながら、他方では、愛は実在すると考えることは、何の効果もない無意味な心ない魔術であるというほかありません。

 God is, and in Him all created things must be eternal.
 神は在ります。そして、神の中にすべての創造されたものが永遠に実在するに違いないのです。

 Do you not see that otherwise He has an opposite, and fear would be as real as love?
 そうでなかったら、神は対極を持つことになり、恐れは愛と同じく実在することになってしまいます。こんなことが、あなたにはわからないのでしょうか。




7. Teacher of God, your one assignment could be stated thus: Accept no compromise in which death plays a part.
 神の教師よ、あなたの唯一の任務は次のように言うことができるでしょう。それは、折り合いをつける上で死が一枚噛んでいるような妥協は何ひとつ受け入れないということです。

 Do not believe in cruelty, nor let attack conceal the truth from you.
 無慈悲さを信じてはなりません。同じように、決して攻撃があなたから真理を隠し立てすることを容認してはなりません。

 What seems to die has but been misperceived and carried to illusion.
 死ぬように見えるものは、誤って知覚されて、幻想へと運び込まれていただけだったのです。

 Now it becomes your task to let the illusion be carried to the truth.
 今や、幻想が真理へと運ばれるようにすることがあなたの任務となります。

 Be steadfast but in this; be not deceived by the "reality" of any changing form.
 次のことにだけ忠実でありなさい。それは、「現実」がいかなる形に変わろうとも、決して欺かれることのないようにするということです。

 Truth neither moves nor wavers nor sinks down to death and dissolution.
 真理は、動くことも、揺らぐことも、衰えて死へと落ち込んで消滅してしまうこともありません。

 And what is the end of death?
 それでは、死の終わりとは何なのでしょうか。

 Nothing but this; the realization that the Son of God is guiltless now and forever.
 それは、神の子は今もそして、これからも、永遠に罪なき者であると悟ることにほかなりません。

 Nothing but this.
 死の終わりは、これ以外の何ものでもありません。

 But do not let yourself forget it is not less than this.
 しかし、これ以下でもないということを決して自分に忘れさせないようにしてください。
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