There Is No Spoon

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レッスン3「私は自分の見るどんなもののことも理解していない」

レッスン3です。

テーマは、「I do not understand anything I see.
私は自分の見るどんなもののことも理解していない。」というものです。




初めてワークブックに取り組む際には、指示されたことがよく理解できないために、混乱してしまうことがあると思います。

とくにテキストを抜きにしていきなりワークブックから入ると、この心の混乱はより大きいと思います(といっても、この混乱自体、ワークブックの狙っているところであることも確かですが)。

1日1レッスンの原則を守って、ゆっくり進めていくことで、この混乱もおさまっていくはずです。

できれば、テキストをざっと読んで、基本的概念を押さえ、それから、テキストと同時進行でワークを進めていくのが望ましいように思います。

では、テキストの関連個所を引用しますので、それからレッスンの実習をしてみてください。

「5. You have been wrong about the world because you have misjudged yourself.
あなたは、この世界のことを誤解し続けてきました。なぜなら、あなたは自分自身を誤って判断してしまっていたからです。

From such a twisted reference point, what could you see?
そんなにも歪んだ判断の基準から、あなたに何が見ることができるでしょうか。

All seeing starts with the perceiver, who judges what is true and what is false. 見るということはすべて、何が真実で何が間違いであるのか判断する知覚する者から始まります。

And what he judges false he does not see.
そして、自分が間違いだと判断したもののことを知覚する者は見ようとしません。


You who would judge reality cannot see it, for whenever judgement enters reality has slipped away.
現実を判断しようとするあなたには、現実を見ることができません。なぜなら、価値判断が入りこむたびに、現実はすっと消え去ってしまうからです。

The out of mind is out of sight, because what is denied is there but is not recognised.
心に無いものは視界から外れてしまうのです。なぜなら、否定されたものはそこに存在したとしても、認識されないからです。

Christ is still there, although you know Him not.
たとえあなたがキリストを知らないとしても、キリストは今でもあなたの心の中にいるのです。

His Being does not depend upon your recognition.
キリストが実在することが、あなたの認識に左右されるということはありません。

He lives within you in the quiet present, and waits for you to leave the past behind and enter into the world He holds out to you in love.
キリストは、静かなる現在において、あなたの内に生きています。そして、あなたが過去を後にして、キリストをこめてあなたに差し出している世界の中に、あなたが入ってきてくれるのを待っているのです。」(テキスト 第十三章 VII. Attainment of the Real World 七 真の世界への到達)



Workbook Lesson 3

I do not understand anything I see.
私は自分の見るどんなもののことも理解していない。

I do not understand anything I see in this room [on this street, from this window, in this place].
私は、この部屋の中で(この通りで、この窓から、この場所で)目にするどんなもののことも理解していない。









1. Apply this idea in the same way as the previous ones, without making distinctions of any kind.
 この考えをこれまでのレッスンと同じように、どんな種類の区別もすることなく適用してください。

 Whatever you see becomes a proper subject for applying the idea.
 あなたが目にするどんなものであっても、この考えをあてはめるのに適当な対象とすることができます。

 Be sure that you do not question the suitability of anything for application of the idea.
 いかなるものであっても、この考えを適用するのにふさわしいかどうか疑わないように注意してください。

 These are not exercises in judgment.
 この考えを適用することは、価値判断を行う実習ではないのです。

 Anything is suitable if you see it.
 それがもしあなたの目に触れるものであれば、どんなものであっても、この考えをあてはめるのに適しています。

 Some of the things you see may have emotionally charged meaning for you.
 あなたが見るものの中には、あなたにとって感情的な緊張を惹起する意味合いを持っているものもあるかもしれません。

 Try to lay such feelings aside, and merely use these things exactly as you would anything else.
 そんな気持ちは脇に置くように努めてください。そして、単に、あなたが何かほかの物を用いるときと同じように、それらの物をそのまま、この考えをあてはめるために使ってください。



2. The point of the exercises is to help you clear your mind of all past associations, to see things exactly as they appear to you now, and to realize how little you really understand about them.
 この実習のポイントは、あなたの心から、過去を連想させるものすべてを一掃して、物事を今あなたに見えている姿のまま正確に見ることができるようにして、いかに自分がそれらの物事を本当に理解することがまったくできていないか気づくのを手助けすることにあります。

 It is therefore essential that you keep a perfectly open mind, unhampered by judgment, in selecting the things to which the idea for the day is to be applied.
 したがって、今日の考え方をあてはめる対象物をどれにするか選別する際には、価値判断に邪魔されることなく、あなたが完全に心を開いていることが絶対に欠かせません。

 For this purpose one thing is like another; equally suitable and therefore equally useful.
 この目的のためには、ある物はほかの物と同じで、等しく適当なものであり、それゆえ、同じように役に立つといえます。

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