レッスン213(レッスン193の復習)


Love is happy when it is able to give something.
自分が何かを与えることができるとき、愛は幸せになる。

The ego is happy when it is able to take something.
自分が何かを手に入れるときに、エゴは幸せになる。



OSHO

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私は他人の賞賛や叱責には注意を払わず、ひたすら自分の直観に従うことにしている。



アマデウス・モーツァルト



「『賢者の石』を見つけるのは、簡単なことではない」とイギリス人が言った。「錬金術師は何年もずっと、実験室で金属を純化する火を見て暮したのだ。彼らはあまりに長い時間、火のそばですごしたので、次第次第に世の中の虚飾をあきらめてしまった。彼らは、金属を純化することは自分自身を純化することだと発見したのだよ」
少年はクリスタル商人のことを思った。彼は「おまえにとって、クリスタルをみがくことは、否定的な考えから自分を自由にすることなのだよ」と言った。少年はますます、錬金術は日常の生活の中で学ぶことができると確信した。



Paulo Coelho
パウロ・コエーリョ(「アルケミスト」98ページ)

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レッスン213です。

今日は、レッスン193の復習です。






OSHO


今日は、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の「存在の歌」をご紹介します。



OSHOが天才であることは、その多作ぶりだけでも明らかでしょう。

オーディブルの多くの著作の音声も自身で朗読する精力のかたまりです。

OSHOは、仏教、禅、タントラ、キリスト教、道教、ヨーガ、スーフィズム、あらゆる宗教の垣根を乗り越えて縦横無尽に真理を語ります。

「存在の歌」は、チベット仏教のタントラ(ヒンドゥー教の女性原理シャクティを教義とする)の色彩の強いカギュ派開祖ティロパが弟子ナロパに与えた「マハムドラーの詩」についてのOshoの講話です。

読みやすく、OSHOの本のとっかかりとして最適ですし、どうしてもマインドからのアプローチに終始するコースを学ぶ私たち学習者に欠けがちな野性味を取り戻すにもよい本だと思います。


【序文】

1.これからの復習では、私たちは毎日ひとつの考えだけを取りあげて、その考えをできるだけ頻繁に実践します。

朝と夜に15分以上の時間を捧げるほかに、1日を通して1時間ごとにその日の考えを思い出すだけでなく、それらの合間にもできるかぎり、その考えを用いるようにしてください。

これらの考えのうちの一つひとつだけでも、もしそれを真に学ぶことができたなら、救済のためにはそれで十分です。

あなたと世界をあらゆる形の束縛から解放し、神の記憶が再び訪れるよう招くには、その一つひとつだけで十分です。



2.このことを心に留めながら、私たちは実習を始めます。実習では、私たちは注意深く、聖霊がこれまでの20のレッスンで私たちに与えてくれた考えを復習します。

1日を通してどんな形で出来事が起ころうとも、もし一つひとつの考えを理解して練習して受け入れて適用できるようになれば、一つひとつの考えにカリキュラムの全体が含まれていることがわかるでしょう。

ひとつで十分です。
 
ただし、そのひとつには、いかなる例外も設けないようにしなければなりません。

だから、一つひとつの考えは私たちが学ぶ全体に役立つので、私たちは一つひとつの考えのすべてを用いて、それらをひとつに融合させる必要があります。



3.これからの実習期間は、前回の復習と同じく、ひとつの基本的なテーマを中軸に展開されており、私たちは、そのテーマを各レッスンの初めと終わりに実習します。

そのテーマとは次の通りです。


私は身体ではない。

私は自由だ。    

というのも、私は今もなお神が私を創造したままの状態にあるからだ。


1日を、この考えとともに始め、この考えとともに終えます。

そして、私たちは、1時間が経過するたびに、この考えを繰り返し、その合間の時間に、私たちには自分の見ている世界を超越する役目があることを思い出すようにします。

これ以上に、つまり、その日に自分たちが実習する特別な考えを繰り返す以外には、実習にはいかなる形式も求められません。ただし、心を混乱させて、心に理性や正気や単純な真理に耳を貸せなくさせてしまうような物事をすべて心の底から捨て去ることだけは必要です。



4.私たちは、この復習を実習するうえで、すべての言葉と特別な形を超越するように試みます。

というのも、私たちは今回、神の静穏と平安に至る近道に沿って、これまでよりもペースを速めて、神の静穏と平安に到達することを試みるからです。

私たちは、単に目を閉じて、それから、自分が知っていて理解しているつもりでいたことをすべて忘れ去ります。

というのも、こうすることで、私たちは自分が知らずに理解し損ねていたことすべてから自由になれるからです。



5.このように実習を形式化しないことに関しては、ひとつだけ例外があります。

それは、雑念をひとつも見逃さないようにすることです。

もしあなたがひとつでも雑念に気づいたなら、その想念の支配力を否認し、すぐさま自分の心に、そんな思いなど心が抱くに値しないと確信させてください。

それから、あなたが否認したその雑念をそっと手放して、確信をもって速やかにその日に私たちが実習する考えで置き換えるようにしてください。



6.あなたが誘惑に駆られるときには、次のように言って、速やかに誘惑から自分が解放されたことを明確にしてください。


この思いは私が望むものではない。

その代わりに、私は(    )を選択する。


それから、その日の考えを繰り返して、その日の考えが自分が思ったことに取って代わるようにしてください。

このように毎日の考えを特別に適用すること以外には、私たちは単に、実習の助けになるような形式的な表現や特別な考えをいくらかつけ加えるだけにします。

その代わり、私たちは、このような静かな時間を、静寂のうちに指導し、平安について語り、それがいかなる意味を持つにせよ、私たちの思いを与えてくれる大いなる教師に捧げることにします。



7.私はこの復習をあなたに代わって聖霊に捧げているのです。

私はあなたを聖霊の導きに任せて、あなたが聖霊に助けを求めるたびに、あなたが聖霊から、何をして何を言い、何を思うべきか教えてもらえるようにします。

あなたが聖霊に自分を助けてくれるようにと呼びかけるたびに、聖霊があなたを助け損ねることはないでしょう。

私たちがこれから始める復習の全体を私たちで聖霊に捧げましょう。そして、私たちが日々実習するに際して、復習する考えを聖霊に捧げていることを忘れないようにして、私たちのために聖霊が定めてくれた目標に向かって前進します。その際には、聖霊に私たちにどのように進むべきか教えてもらい、各実習期間がこの世界の解放という素晴らしい贈り物となるための最善の道であることについて、聖霊を完全に信頼するようにしましょう。



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Lesson 213

I am not a body. I am free.
私は、身体ではない。私は自由だ。

For I am still as God created me.
というのも、私は今もなお神が私を創造したままの状態にあるからだ。



1. [193] All things are lessons God would have me learn.
 すべての物事は、神が私に学ばせようとするレッスンなのだ。



 A lesson is a miracle which God offers to me, in place of thoughts I made that hurt me.
 レッスンは、私が作り出した自分を傷つける思いに代えて、神が私に差し延べてくれる奇跡だ。

 What I learn of Him becomes the way I am set free.
 私が神から学ぶことは、私を解放する道となる。

 And so I choose to learn His lessons and forget my own.
 だから、私は神のレッスンを学び、自分自身で学んだことを忘れることを選択する。


I am not a body. I am free.
私は、身体ではない。私は自由だ。

For I am still as God created me.
というのも、私は今もなお神が私を創造したままの状態にあるからだ。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。







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