レッスン245「父よ、あなたの平安が私とともにあるので、私は安全です」


Thou hast created us for Thyself, and our heart is not quiet until it rests in Thee.
神よ、あなたはご自身のために私たちを創造されたのですから、私たちの心があなたの中に安らぐまでは、私たちの心が静まることはないでしょう。



St. Augustine
聖アウグスティヌス




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レッスン245です。

「父よ、あなたの平安が私とともにあるので、私は安全です」が今日のテーマです。


まず、世界とは何かをご覧ください。





神の子は天国で神とともにあるままだとすれば、人の子は架空世界の中を旅するためのアバターという位置づけになる

今日のテーマは昨日のレッスン「私は、世界のどこにいようとも危険にさらされることはない」の延長です。

自分の本来の居場所で自分が神とともにいるという自覚は、この世界に生きる私たち人間、エゴ・身体を神の子が操縦するアバターとして位置づけることになります。

そうなると、人の子は本当の自分ではなくなり、身体は神の平安を自分と同じように、本当の自分を忘れてアバターが自分だと信じ込んでいる兄弟たち(=自分自身)に運び届けるための乗り物として位置づけられるようになります。


アバターへの同一化から一歩引いた目線を確保できる

ビデオゲーム世界のような架空の空間内を移動するためのキャラクターを安全な自宅のテレビの前でプレイしたり、カメラ付きドローンの進化版の遠隔操作の人型戦闘用ロボットを、安全の確保された自国の操縦席にいながら、危険な敵地の戦場に投入して遠隔操作しているような場合、ゲームプレイヤーやロボットを操縦する兵士にとって、ゲーム内のキャラクターや戦地のロボットというアバターについて、敵との戦闘の最中などにはアバターと強い一体感を抱いて自分自身のように感じはするでしょうが、本当の自分は無事な場所にいるので、そのアバターがゲーム世界や戦地でどんなに危険にさらされたり破壊されたりしても、自分は安全なままだということがわかります。

客観的事実はこの通りだとしても、主観的認識は、アイデンティティー状態によって完全に左右されてしまいます。

VRのように完全没入しきらないMR(複合現実)で、ゲーム世界や戦地には実在しない現実の自分の世界を垣間見る知覚ができたり、VRでも、別ウインドウが開いて、リアル世界を知覚できるような場合であれば、アバターへの自己同一化ののめり込みの度合いを一定程度にとどめることができるでしょう。

ですから、このような場合には、マリオのストックがある場合に、マリオの死を覚悟して思い切った挑戦ができるのと同じように、決死の挑戦をして実際に死んでから改めてログインし直してという具合に、人形を操縦しているという自覚を維持することが可能です。

けれど、私たちには、アバターが現実の自分だというアイデンティティーを揺るがす手立てがほとんどありません。

この意味で、いわゆる一瞥体験のような体験、この世界での人間としての人生体験がゲームプレイヤーにとってマリオをプレイするようなまがい物の体験にすぎないことを自覚させるほど、分離幻想から離れた一体性をとことんリアルなものとして味わう圧倒的な体験には意義があるということになります。

ただし、啓示はイェシュアが間接的に呼び起こして神から一方通行で与えられるものなので(T1-2 啓示と奇跡はどう違うの?時間とはどんな関係にある?、5.)、私たちは能動的に啓示、一瞥体験をできるわけではありません。

私たちにできるのは準備だけです。




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Lesson 245

Your peace is with me, Father. I am safe.
父よ、あなたの平安が私とともにあるので、私は安全です。



1. Your peace surrounds me, Father.
 大いなる父よ、あなたの平安が私を包みこんでいます。

 Where I go, Your peace goes there with me.
 私が行くところには、あなたの平安が私とともに行ってくれます。

 It sheds its light on everyone I meet.
 私の出会う人みんなに、あなたの平安がその光を注いでくれます。

 I bring it to the desolate and lonely and afraid.
 私は、寂しく孤独に怯えている人たちの許にあなたの平安を運びます。

 I give Your peace to those who suffer pain, or grieve for loss, or think they are bereft of hope and happiness.
 私は、苦痛に悩み、喪失を嘆き、自分は希望も幸福も失ったと思いこんでいる人たちに、あなたの平安を捧げます。

 Send them to me, my Father.
 わが父よ、私の許に彼らを送ってください。

 Let me bring Your peace with me.
 私にあなたの平安を届けさせてください。

 For I would save Your Son, as is Your Will, that I may come to recognize my Self.
 というのも、私はあなたの意志の通りに、あなたの子を救いたいからです。そうすれば、私は自分の真の自己に気づけるでしょう。



2. And so we go in peace.
 こうして、私たちは平安のうちに進みます。

 To all the world we give the message that we have received.
 全世界に向けて、私たちは自分たちの受け取ったそのメッセージを届けます。

 And thus we come to hear the Voice for God, Who speaks to us as we relate His Word; Whose Love we recognize because we share the Word that He has given unto us.
 こうして、私たちは、神に代わって語る大いなる声を聞くようになります。神の声は、私たちが神の大いなる言葉を理解するにつれて、私たちに語りかけてくれるようになり、私たちは神が私たちに授けてくれた大いなる言葉を分かち合うので、私たちは神の大いなる愛に気づくようになります。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。







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