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There Is No Spoon

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レッスン254「神の声以外のすべての声が私の中で静まりますように」

レッスン254です。

今日のテーマは「神の声以外のすべてのが私の中で静まりますように」です。




まず、罪とは何かをご覧ください。



エゴの思考は、ハイジャックに近く、私たちの諮問に対して助言を与えるようなワンクッションなしに、意識を乗っ取ります。

パソコンで複数のウインドウを開いてマルチタスクで作業をしている途中に、ふとブラウザで見ているサイトをクリックしたり、アプリのアイコンをクリックしたとたん、勝手に動画を再生するウインドウが最大化して元に戻れなくなるようなものです。
場合によっては、ウイルス感染により、日常的に行う特定の動作を行うと、自動的にこの状態が発生するようになることもあります。

このようなわけで、エゴのハイジャック状態は、自分でも気づかずに起こるように思えるので、起こさずにいることも、怒った後に解除することも容易ではないように思えます。

「1. Being afraid seems to be involuntary; something beyond your own control.
 恐れとは、無意識に起こることのように思えます。それは、あなたのコントロールの及ばない何かのようです。

 Yet I have said already that only constructive acts should be involuntary.
 しかし、私がすでに述べたように、無意識に起こるべきなのは、ただ建設的な行動だけです。

 My control can take over everything that does not matter, while my guidance can direct everything that does, if you so choose.
 もしあなたがそうすることを選ぶなら、重要でないものはすべて私のコントロールの下に引き取ったうえで、重要なものはすべて私が指導して導くことができます。

 Fear cannot be controlled by me, but it can be self-controlled.
 あなたの恐れを私が制御することはできません。しかし、あなたの恐れはあなたが自分でコントロールできます。
」(T2-6 恐れと葛藤)

エゴのハイジャックは、私たちが無意識、無自覚に心を見張っていない隙を突いて起こります。

ですので、私たちは、意識的に心を見張る必要があります。

「2. Today we let no ego thoughts direct our words or actions.
 今日、私たちは、自分たちの言葉や行動がエゴの思考の指図を受けないようにします。

 When such thoughts occur, we quietly step back and look at them, and then we let them go.
 エゴの思考が生じたとき、私たちは、静かに一歩退いて、それらの思考を眺め、それから、それらの思いを手放します。」

静かに一歩退いて、観察して放棄する。

このようなメタ認知(「メタ」高次の、とか超越するという意味。自分の認知をさらに客観視して認知すること)によって、エゴの思考がモニターを占拠しようとクリックを誘引しているプロセスに気づいたり、実際にウインドウが開いて平時であれば乗っ取られるプロセスが始まったあとも、ウインドウの最大化を抑えたり、最大化しても自分は画面ではなく、画面を眺めている魂だという意識を持つことによってエゴをコントロールできるようになります。


この点、コースに触れずに生きる大多数の人は、エゴのことを「自分」だと思っているわけですから、すぐ怒るのも性分だし、親もそうだから遺伝で仕方がないといった具合に、エゴの乗っ取りをやむを得ないこととして容認してしまいがちです。

コースが意図的にエゴを自分とは別の意図を持つ存在として描写することで、私たちは、自分の中にエゴという異邦人がいると考えることを不自然だとは感じなくなっています。

ワークブックの日々のレッスンによって、このようにメタ認知によってエゴに対して警戒を払い続けることはかなり身についてきているはずです。


このようなエゴに対する警戒というマイナス状態への対処と併せて、神の声だけに耳を澄まそうというプラス状態に心構えをセットする、つまり、聖霊に従うことも欠かせません。

悪い状態にしない仕組みだけではニュートラルに保つことはできても、そこから先のあるべき状態に達するには、導きが必要だからです。

心の性質上、最高の理想状態のモデルをつねに念頭に置いていれば、心は勝手に理想に近づこうとします。

この方法は単純で、イェシュアが自分の近くで見守ってくれているというイメージを持つだけです。

自分の置かれた状況でイェシュアならどうするだろうと考え、実際に心の中のイェシュアと会話をしながら、聴いてみると良いのです。

神のひとり子と私たちの関係は?
C6 聖霊って何なんだろう?
が参考になると思います。








Lesson 254


Let every voice but God's be still in me.
神の声以外のすべてのが私の中で静まりますように。



1. Father, today I would but hear Your Voice.
 父よ、今日、私はあなたの大いなるだけを聞くつもりです。

 In deepest silence I would come to You, to hear Your Voice and to receive Your Word.
 最も深い静寂の中、あなたの大いなるを聞いてあなたの大いなる言葉を受け取るために、私はあなたの下へと赴くつもりです。

 I have no prayer but this: I come to You to ask You for the truth.
 私が祈るのは次のことだけです。それは、あなたに真理を求めるために私はあなたの下へと向かうということです。

 And truth is but Your Will, which I would share with You today.
 そして、真理とは、ただあなたの大いなる意志にほかならず、私はそれをあなたと今日、分かち合いたいと思います。



2. Today we let no ego thoughts direct our words or actions.
 今日、私たちは、自分たちの言葉や行動がエゴの思考の指図を受けないようにします。

 When such thoughts occur, we quietly step back and look at them, and then we let them go.
 エゴの思考が生じたとき、私たちは、静かに一歩退いて、それらの思考を眺め、それから、それらの思いを手放します。

 We do not want what they would bring with them.
 私たちは、エゴの思考がもたらそうとするものを望んではいません。

 And so we do not choose to keep them.
 だから、私たちは、エゴの思考を保つことを選択しません。

 They are silent now.
 エゴの思考は今、静まっています。

 And in the stillness, hallowed by His Love, God speaks to us and tells us of our will, as we have chosen to remember Him.
 そして、私たちが神を思い出すことを選んだので、神の大いなる愛によって神聖化されたその静寂の中、神は私たちに語りかけ、私たちの意志を教えてくれます。



それでは、ブリトニーさんのレッスンです。



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