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心理療法の限界

心理療法限界」をご紹介します。



I. The Limits on Psychotherapy
心理療法限界


1. Yet the ideal outcome is rarely achieved.
 とはいえ、理想的な成果が得られることは稀なことです。

 Therapy begins with the realization that healing is of the mind, and in psychotherapy those have come together who already believe this.
 治療は、癒しとは個別の心で起こることだと気づくことから始まります。そして、心理療法においては、すでにこのことを信じている者同士が引き合わされることになります。

 It may be they will not get much further, for no one learns beyond his own readiness.
 彼らは、それ以上には多くのことを得ることはないかもしれません。というのは、誰も自分の準備ができている範囲を超えて学ぶことはできないからです。

 Yet levels of readiness change, and when therapist or patient has reached the next one, there will be a relationship held out to them that meets the changing need.
 しかし、準備レベルは変わります。そして、セラピストか患者のどちらかが次のレベルに到達したとき、彼らには、変化した必要性に適した一つの関係性が差し出されることになるでしょう。

 Perhaps they will come together again and advance in the same relationship, making it holier.
 もしかしたら、彼らは再び一緒になり、その関係をより神聖なものにして、同じ関係性の中で前進するかもしれません。

 Or perhaps each of them will enter into another commitment.
 あるいは、もしかすると、彼らはめいめいに、別の関わりの中へと入っていくことになるかもしれません。

 Be assured of this; each will progress.
 次のことを確信してください。それは、各自が進歩するということです。

 Retrogression is temporary.
 後退することがあっても、それは一時的なことです。

 The overall direction is one of progress toward the truth.
 全般的な方向性は、真理へと向かって前進するように方向づけられているのです。




2. Psychotherapy itself cannot be creative.
 心理療法それ自体は、創造的なものではありえません。

 This is one of the errors which the ego fosters; that it is capable of true change, and therefore of true creativity.
 心理療法が創造的になりうるというのは、エゴが抱く誤りの一つです。すなわち、心理療法は本当の変化、したがって、真の創造性を引き出すことができるとエゴは考えるのです。

 When we speak of "the saving illusion" or "the final dream," this is not what we mean, but here is the ego's last defense.
 私たちが「救済の幻想」あるいは「最後の夢」について語るとき、私たちが意味しているのはこのようなことではありません。しかし、ここにこそ、エゴの最後の防衛があります。

 "Resistance" is its way of looking at things; its interpretation of progress and growth.
 「抵抗」は、エゴが物事を眺める見方であり、進歩し成長することだとエゴが解釈することです。

 These interpretations will be wrong of necessity, because they are delusional.
 このような解釈は、必然的に誤ることになります。なぜなら、そのような解釈は妄想だからです。

 The changes the ego seeks to make are not really changes.
 エゴが引き起こそうと求めている変化は、本当は変化などではありません。

 They are but deeper shadows, or perhaps different cloud patterns.
 それらは、単に、陰影がより濃くなっただけであったり、せいぜい陰影の模様が違った形になったものでしかないのです。

 Yet what is made of nothingness cannot be called new or different.
 いずれにせよ、無からできているものが、新しいとか違ったと呼ばれることなどありえないことです。

 Illusions are illusions; truth is truth.
 幻想は錯覚でしかなく、真理こそが本物なのです。




3. Resistance as defined here can be characteristic of a therapist as well as of a patient.
 ここで定義される抵抗は、患者だけでなく、セラピストにも特徴的に起こりえます。

 Either way, it sets a limit on psychotherapy because it restricts its aims.
 患者にであれセラピストにであれ、抵抗が生じると、心理療法の目標を制限するので、心理療法に限界が設けられることになります。

 Nor can the Holy Spirit fight against the intrusions of the ego on the therapeutic process.
 それに、聖霊には、心理療法のプロセスにエゴが介入することに対して戦うことはできません。

 But He will wait, and His patience is infinite.
 それでも、聖霊は待つことになり、そして、聖霊の忍耐力は無限のものです。

 His goal is wholly undivided always.
 聖霊の目標は、つねに分裂することがまったくありません。

 Whatever resolutions patient and therapist reach in connection with their own divergent goals, they cannot become completely reconciled as one until they join with His.
 患者とセラピストがそれぞれの異なる目標についてどのような解決を図ろうとしても、彼らが聖霊の目標と結びつくまでは、ひとつのものとして完全に和解することはできません。

 Only then is all conflict over, for only then can there be certainty.
 そのときにのみ、すべての葛藤が去ります。というのも、そのときにのみ、確信が存在しうるからです。




4. Ideally, psychotherapy is a series of holy encounters in which brothers meet to bless each other and to receive the peace of God.
 理想的には、心理療法は、聖なる出会いの連続となります。その中で、兄弟たちはお互いを祝福し合って神の平安を受け取るために出会うのです。

 And this will one day come to pass for every "patient" on the face of this earth, for who except a patient could possibly have come here?
 そして、この聖なる出会いは、この地球上にいるすべての「患者」のためにいつの日か起こることになります。というのも、患者でなければここに来ることはできなかったはずだからです。

 The therapist is only a somewhat more specialized teacher of God.
 セラピストは、単にいくぶんかより専門化した神の教師でしかありません。

 He learns through teaching, and the more advanced he is the more he teaches and the more he learns.
 セラピストは教えることを通して学びます。そして、彼がより進歩すれば、それだけ、彼はよりいっそう教え、より多く学ぶことになります。

 But whatever stage he is in, there are patients who need him just that way.
 しかし、セラピストがどのような段階にあるにせよ、まさにその段階にいるセラピストを必要とする患者たちがいるのです。

 They cannot take more than he can give for now.
 その患者たちは、そのセラピストが今の段階で与えることができるもの以上には受け取ることはできません。

 Yet both will find sanity at last.
 それでも、両者は最後には正気を見出すことになるのです。


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