There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

心理療法と宗教

0   0

心理療法における宗教の位置づけ」をご紹介します。


II. The Place of Religion in Psychotherapy
心理療法における宗教の位置づけ


1. To be a teacher of God, it is not necessary to be religious or even to believe in God to any recognizable extent.
 神の教師になるためには、信仰心を持つことや、それとわかる程度に神を信じることすら必要ありません。

 It is necessary, however, to teach forgiveness rather than condemnation.
 しかしながら、非難ではなく赦しを教えることは必要です。

 Even in this, complete consistency is not required, for one who had achieved that point could teach salvation completely, within an instant and without a word.
 赦しを教えるに際してすら、完全な一貫性を保つことは求められません。というのも、赦しを教えようという域に到達した者は、一瞬にして一つの言葉もなくして救済を完全に教えることができるからです。

 Yet he who has learned all things does not need a teacher, and the healed have no need for a therapist.
 もう、あらゆる物事を学んだ者は、教師を必要とはしておらず、癒された者にはセラピストなど必要ありません。

 Relationships are still the temple of the Holy Spirit, and they will be made perfect in time and restored to eternity.
 関係性はなおも聖霊の宿る神殿であり続けますが、それらの関係性は、時間の中で完全なものとされ、永遠へと戻されることになります。





2. Formal religion has no place in psychotherapy, but it also has no real place in religion.
 形式化した宗教には、心理療法において果たす何の役目もなければ、宗教としての真の役目もありません。

 In this world, there is an astonishing tendency to join contradictory words into one term without perceiving the contradiction at all.
 この世界では、驚くべきことに、矛盾をまったく知覚することもなく、矛盾する言葉をひとつの言い方に結びつけてしまいがちです。

 The attempt to formalize religion is so obviously an ego attempt to reconcile the irreconcilable that it hardly requires elaboration here.
 宗教を儀礼化しようとする試みは、調和しようのないものを和解させようとしてエゴが企てることなのはわきめて明白なので、わざわざ説明する必要もないほどです。

 Religion is experience; psychotherapy is experience.
 宗教体験です。心理療法体験です。

 At the highest levels they become one.
 もっとも高いレベルにおいては、宗教心理療法の両者はひとつのものになります。

 Neither is truth itself, but both can lead to truth.
 宗教も心理療法も、ともにそれ自体は真理ではありませんが、いずれも真理へと導くことができます。

 What can be necessary to find truth, which remains perfectly obvious, but to remove the seeming obstacles to true awareness?
 完全に明瞭であり続ける真理を見つけるためには、真に自覚することを妨げている見かけ上の障害を取り除く以外に何が必要となりうるでしょうか。





3. No one who learns to forgive can fail to remember God.
 赦すことを学ぶ者であれば誰でも、神を思い出し損ねることはありえません。

 Forgiveness, then, is all that need be taught, because it is all that need be learned.
 それゆえ、教わる必要があるのは赦すことだけです。なぜなら、学ぶ必要があるのは赦しだけだからです。

 All blocks to the remembrance of God are forms of unforgiveness, and nothing else.
 神を思い出すことを妨げている障壁はすべて、赦さない思いが形を取ったものであり、それ以外の何ものでもありません。

 This is never apparent to the patient, and only rarely so to the therapist.
 このことは患者には決してわからないし、セラピストにもほんの稀にしか見抜けません。

 The world has marshalled all its forces against this one awareness, for in it lies the ending of the world and all it stands for.
 この世界はその全勢力を動員して、このひとつの気づきを阻もうとします。というのも、このひとつの認識の中に、この世界と世界を支持するものすべての終焉が横たわっているからです。





4. Yet it is not the awareness of God that constitutes a reasonable goal for psychotherapy.
 しかし、心理療法の目標として神を自覚することを設定するのは適切ではありません。

 This will come when psychotherapy is complete, for where there is forgiveness truth must come.
 神の自覚は、心理療法が完結したときに訪れるものなのです。というのも、赦しのあるところに真理は訪れるに違いないからです。

 It would be unfair indeed if belief in God were necessary to psychotherapeutic success.
 もし神を信じることが心理療法の成功のために必要だとすれば、それは実に不公平なことになるでしょう。

 Nor is belief in God a really meaningful concept, for God can be but known.
 しかも、神を信じるということは、実のところ意味をなす概念でもありません。というのも、神はただ知ることしかできないからです。

 Belief implies that unbelief is possible, but knowledge of God has no true opposite.
 信じるということは、信じないことが可能であることを前提とします。しかし、神を知ることには、本当の対極など何もありません。

 Not to know God is to have no knowledge, and it is to this that all unforgiveness leads.
 神を知らないでいることは、知識を持たずにいることです。そして、すべての赦さない思いが導くのはこの知識を持たない状態です。

 And without knowledge one can have only belief.
 そして、知識を持たずにいると、人はただ信じることしかできなくなります。






5. Different teaching aids appeal to different people.
 人が変われば、教材も変わる必要があります。

 Some forms of religion have nothing to do with God, and some forms of psychotherapy have nothing to do with healing.
 宗教がどのような形態を取ろうと、神には何の関わりも持ちません。そして、心理療法がどのような形態を取ろうと、癒しには何の関係もありません。

 Yet if pupil and teacher join in sharing one goal, God will enter into their relationship because He has been invited to come in.
 しかし、もし生徒と教師がひとつの目標を分かち合ってひとつに結びつくなら、神は、入ってきてくれるようにと招かれたがゆえに、彼らの関係の中へと入ってきてくれるでしょう。

 In the same way, a union of purpose between patient and therapist restores the place of God to ascendance, first through Christ's vision and then through the memory of God Himself.
 同じような方法で、患者とセラピストの間の目的がひとつに結びついたら、最初はキリストのヴィジョンを通して、それから、神自身の記憶を通して、神を高みに位置づけ直すことになります。

 The process of psychotherapy is the return to sanity.
 心理療法のプロセスは、正気へと戻ることです。

 Teacher and pupil, therapist and patient, are all insane or they would not be here.
 教師と生徒、セラピストと患者は、みな狂気に陥っています。さもなければ、彼らはこの世界にいなかったはずです。

 Together they can find a pathway out, for no one will find sanity alone.
 一緒になら、彼らは脱出する道を見つけることができます。というのも、誰もひとりきりでは正気を見出すことなどできないからです。






6. If healing is an invitation to God to enter into His Kingdom, what difference does it make how the invitation is written?
 もし癒しが神に神の王国の中へと入ってきてくれるようにと招待することであるなら、その招待状がどのように書かれていようが何の違いがあるというのでしょうか。

 Does the paper matter, or the ink, or the pen?
 招待状がどんな紙やインクやペンで書かれたかが問題になるでしょうか。

 Or is it he who writes that gives the invitation?
 あるいは、その招待状を渡すのが、招待状を書いた人かどうかが問題になるでしょうか。

 God comes to those who would restore His world, for they have found the way to call to Him.
 神は、神の世界を回復しようとする者の許になら誰のところへも訪れてくれます。なぜなら、その者は神に呼びかける方法をすでに見出しているからです。

 If any two are joined, He must be there.
 もしどのような二人であれ、彼らがひとつに結びつくなら、神はそこに在るに違いありません。

 It does not matter what their purpose is, but they must share it wholly to succeed.
 その者たちの目的が何であるかは重要ではありません。しかし、成功するには、彼らは目的を完全に分かち合わなければなりません。

 It is impossible to share a goal not blessed by Christ, for what is unseen through His eyes is too fragmented to be meaningful.
 キリストによって祝福されない目標を分かち合うことは不可能です。というのも、キリストの目を通して見ることのできないものは、断片化しすぎていて意味をなさないからです。





7. As true religion heals, so must true psychotherapy be religious.
 真の宗教が癒すように、真の心理療法も宗教的なものであるに違いありません。

 But both have many forms, because no good teacher uses one approach to every pupil.
 しかし、宗教も心理療法も数多くの形態を取ります。なぜなら、優れた教師は、すべての生徒にひとつのアプローチの仕方しか用いないということはないからです。

 On the contrary, he listens patiently to each one, and lets him formulate his own curriculum; not the curriculum's goal, but how he can best reach the aim it sets for him.
 反対に、優れた教師は、辛抱づよく、一人ひとりの生徒に耳を傾けて、その生徒が彼自身に合ったカリキュラムを組めるようにしてあげるでしょう。そのカリキュラムは、そのカリキュラム自体の目標にではなくて、どのように生徒が彼のために定められたカリキュラムの目的に最もよく到達できるかという観点で組まれることでしょう。

 Perhaps the teacher does not think of God as part of teaching.
 たぶんその教師は、神のことを、教えることの一部とは考えてはいません。

 Perhaps the psychotherapist does not understand that healing comes from God.
 たぶんそのセラピストは、癒しが神に由来すると理解してはいません。

 They can succeed where many who believe they have found God will fail.
 それでも、自分は神を見出したと信じている多くの者たちが失敗してゆくのを尻目に、彼らは成功できるのです。






8. What must the teacher do to ensure learning?
 学びを確かなものとするために、教師は何をすべきでしょうか。

 What must the therapist do to bring healing about?
 癒しをもたらすために、セラピストは何をしなければならないのでしょうか。

 Only one thing; the same requirement salvation asks of everyone.
 ただひとつのことだけです。それは、救済がみんなに求めるのと同じ条件です。

 Each one must share one goal with someone else, and in so doing, lose all sense of separate interests.
 一人ひとりがほかの誰かとひとつの目標を分かち合い、そうすることで、分離した利害があるというあらゆる感覚を失くさなければなりません。

 Only by doing this is it possible to transcend the narrow boundaries the ego would impose upon the self.
 ただこうすることによってのみ、エゴが小さな自己に押しつけようとする狭い境界線を超越することが可能になるのです。

 Only by doing this can teacher and pupil, therapist and patient, you and I, accept Atonement and learn to give it as it was received.
 ただこうすることによってのみ、教師と生徒、セラピストと患者、あなたと私は、贖罪を受け入れ、それを自分が受け取ったように与えることを学ぶことができます。





9. Communion is impossible alone.
 霊的な交流を持つことは、ひとりきりでは不可能です。

 No one who stands apart can receive Christ's vision.
 分離したままでいる者は誰も、キリストのヴィジョンを受け取ることはできません。

 It is held out to him, but he cannot hold out his hand to receive it.
 キリストのヴィジョンは、その人に差し延べられてはいますが、彼はそれを受け取るために手を伸ばすことができません。

 Let him be still and recognize his brother's need is his own.
 彼を静まらせて、自分の兄弟の必要性は彼自身の必要性なのだと気づかせてあげなさい。

 And let him then meet his brother's need as his and see that they are met as one, for such they are.
 それから、彼が兄弟が必要としていることを自分自身が必要としていることとして満たしてあげられるようにして、その本来の姿の通りに、兄弟が必要としているものと自分が必要としているものがひとつのものとして満たされることがわかるようにさせてあげてください。

 What is religion but an aid in helping him to see that this is so?
 宗教は、これがその通りだと彼が理解するのを助けるために支援することにほかならないのではないでしょうか。

 And what is psychotherapy except a help in just this same direction?
 そして、心理療法も、まさにこの同じ方向に向かう手助けにほかならないのではないでしょうか。

 It is the goal that makes these processes the same, for they are one in purpose and must thus be one in means.
 宗教と心理療法のプロセスを同じものにするのは、その目標なのです。というのも、宗教も心理療法もそのプロセスは目的においてひとつであり、従って、手段においてもひとつであるに違いないからです。
関連記事

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://thereisnospoon.jp/tb.php/498-b9ec6b59
該当の記事は見つかりませんでした。