レッスン271「今日私が使うのはキリストのヴィジョンだ」
レッスン271です。
今日のテーマは「今日私が使うのはキリストのヴィジョンだ」です。

まず、キリストってなに?をご覧ください。
世界とは、神の創造、光の拡張が、神の子が抱く錯覚である罪という障壁に遮られて影を投じて映し出された投影像です。
世界は、神の子が闇の中で、実在しないちっぽけな生き物になりきって、その生き物が持つ肉眼でありもしないものが見えていると想像する夢であり幻想です。
本来、神の子は神と同質の純粋な光であり、光源である神から外に向かって光を無限に拡張します。
それが、神の子が自分が神から分離しているという幻想を抱き、さらに自分が神であると考える権威問題を持つことによって、自分こそが神を生み出す光源であると思い違いをすることで、光源からの光の拡張を堰き止めることになります。
そうなると、光源から依然として光は届いているままなのに、神の子は自分の承継する光を拒絶して、自分を光源から遮断し、闇の中に閉じこもることになります。
本来、神の光をそのまま反映し拡大する透き通るレンズのようであった神の子の霊の純粋さは失われ、レンズは粉々にひび割れて濁り、わずかながらに透過する光はさまざまに色づき歪んだ形の影を投じ、本来はレンズを通して拡張し続ける美しい光をレンズとともに拡張しながら永遠に映し出していた大いなる心には、無数の魂に分裂したレンズが映し出すジグソーパズルのように多様に断片化した小さな心が映し出されるようになり、それ以上奥行きのないスクリーンとなって、光の拡張を完全にシャットアウトします。
本来の状態では、神の子は自らの霊を通して拡張した光を大いなる心に映し出した光景を見るので、自分自身として光源である神の反映を見る状態にあります。
それが、分離後は、ひび割れしたレンズを通して多様に歪曲され罪と恐怖に塗れた投影像が映し出された光景しか知覚できなくなり、この歪んだ投影像が自己像となります。この光景が世界であり、歪んだ自己像がエゴ・身体です。
キリストのヴィジョンとは、錯覚であるひび割れが解消された元通りのレンズを通して大いなる心に映し出される神と神の子の姿の光景です。
レンズの微小な断片を通して見えていた世界は、凍った氷のレンズに入っていた無数のひびが氷が溶けて綺麗な元通りの純粋な透明のレンズに戻ることで、神の創造と合流し、世界と創造がひとつになるにつれてすべての知覚は消え去ります。
Lesson 271
Christ's is the vision I will use today.
今日私が使うのはキリストのヴィジョンだ。
1. Each day, each hour, every instant, I am choosing what I want to look upon, the sounds I want to hear, the witnesses to what I want to be the truth for me.
一日ごとに、一時間ごとに、一瞬ごとに、私は自分が見たいもの、自分が聞きたい音、自分にとって真理であってほしいことを証明してくれるものを選択している。
Today I choose to look upon what Christ would have me see, to listen to God's Voice, and seek the witnesses to what is true in God's creation.
今日、私は、神の大いなる声を聞き、神が真に創造したものの証拠を見出すために、キリストが私に見せようとするものを見ることを選ぶ。
In Christ's sight, the world and God's creation meet, and as they come together all perception disappears.
キリストの視覚の中で、世界と神の創造とが合流し、そして、世界と創造が一緒になるにつれて、あらゆる知覚が消え去る。
His kindly sight redeems the world from death, for nothing that He looks on but must live, remembering the Father and the Son; Creator and creation unified.
キリストの優しい眼差しがこの世界を死から救い出す。というのも、キリストが目を向けるものはみな、父と子、つまり創造主と創造物がひとつに結ばれていることを思い出して必ず生きることになるからだ。
2. Father, Christ's vision is the way to You.
父よ、キリストのヴィジョンこそ、あなたへの道です。
What He beholds invites Your memory to be restored to me.
キリストの見るものが、あなたの記憶を呼び戻して、私に回復させてくれます。
And this I choose, to be what I would look upon today.
だから、今日、私は、キリストの見るものを見ることを私は選択します。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

今日のテーマは「今日私が使うのはキリストのヴィジョンだ」です。

まず、キリストってなに?をご覧ください。
世界とは、神の創造、光の拡張が、神の子が抱く錯覚である罪という障壁に遮られて影を投じて映し出された投影像です。
世界は、神の子が闇の中で、実在しないちっぽけな生き物になりきって、その生き物が持つ肉眼でありもしないものが見えていると想像する夢であり幻想です。
本来、神の子は神と同質の純粋な光であり、光源である神から外に向かって光を無限に拡張します。
それが、神の子が自分が神から分離しているという幻想を抱き、さらに自分が神であると考える権威問題を持つことによって、自分こそが神を生み出す光源であると思い違いをすることで、光源からの光の拡張を堰き止めることになります。
そうなると、光源から依然として光は届いているままなのに、神の子は自分の承継する光を拒絶して、自分を光源から遮断し、闇の中に閉じこもることになります。
本来、神の光をそのまま反映し拡大する透き通るレンズのようであった神の子の霊の純粋さは失われ、レンズは粉々にひび割れて濁り、わずかながらに透過する光はさまざまに色づき歪んだ形の影を投じ、本来はレンズを通して拡張し続ける美しい光をレンズとともに拡張しながら永遠に映し出していた大いなる心には、無数の魂に分裂したレンズが映し出すジグソーパズルのように多様に断片化した小さな心が映し出されるようになり、それ以上奥行きのないスクリーンとなって、光の拡張を完全にシャットアウトします。
本来の状態では、神の子は自らの霊を通して拡張した光を大いなる心に映し出した光景を見るので、自分自身として光源である神の反映を見る状態にあります。
それが、分離後は、ひび割れしたレンズを通して多様に歪曲され罪と恐怖に塗れた投影像が映し出された光景しか知覚できなくなり、この歪んだ投影像が自己像となります。この光景が世界であり、歪んだ自己像がエゴ・身体です。
キリストのヴィジョンとは、錯覚であるひび割れが解消された元通りのレンズを通して大いなる心に映し出される神と神の子の姿の光景です。
レンズの微小な断片を通して見えていた世界は、凍った氷のレンズに入っていた無数のひびが氷が溶けて綺麗な元通りの純粋な透明のレンズに戻ることで、神の創造と合流し、世界と創造がひとつになるにつれてすべての知覚は消え去ります。
Lesson 271
Christ's is the vision I will use today.
今日私が使うのはキリストのヴィジョンだ。
1. Each day, each hour, every instant, I am choosing what I want to look upon, the sounds I want to hear, the witnesses to what I want to be the truth for me.
一日ごとに、一時間ごとに、一瞬ごとに、私は自分が見たいもの、自分が聞きたい音、自分にとって真理であってほしいことを証明してくれるものを選択している。
Today I choose to look upon what Christ would have me see, to listen to God's Voice, and seek the witnesses to what is true in God's creation.
今日、私は、神の大いなる声を聞き、神が真に創造したものの証拠を見出すために、キリストが私に見せようとするものを見ることを選ぶ。
In Christ's sight, the world and God's creation meet, and as they come together all perception disappears.
キリストの視覚の中で、世界と神の創造とが合流し、そして、世界と創造が一緒になるにつれて、あらゆる知覚が消え去る。
His kindly sight redeems the world from death, for nothing that He looks on but must live, remembering the Father and the Son; Creator and creation unified.
キリストの優しい眼差しがこの世界を死から救い出す。というのも、キリストが目を向けるものはみな、父と子、つまり創造主と創造物がひとつに結ばれていることを思い出して必ず生きることになるからだ。
2. Father, Christ's vision is the way to You.
父よ、キリストのヴィジョンこそ、あなたへの道です。
What He beholds invites Your memory to be restored to me.
キリストの見るものが、あなたの記憶を呼び戻して、私に回復させてくれます。
And this I choose, to be what I would look upon today.
だから、今日、私は、キリストの見るものを見ることを私は選択します。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

- 関連記事
-
-
レッスン280「私が神の子にどんな制限を課しうるというのだろう」
-
レッスン279「創造物の自由が私自身の自由を約束している」
-
レッスン278「もし私が束縛されているなら、私の父は自由ではないことになる」
-
レッスン277「私が自分で作り出した法則によってあなたの子を束縛しませんように」
-
レッスン276「私が語るために、神の大いなる言葉が私に与えられる」
-
レッスン275「今日、神の癒しの声があらゆるものを守ってくれる」
-
レッスン274「今日は愛に守られている。私が恐れませんように」
-
レッスン273「神の平安の静けさは私のものだ」
-
レッスン272「どうして幻が神の子を満足させられるだろうか」
-
レッスン271「今日私が使うのはキリストのヴィジョンだ」
-