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レッスン285「私の神聖さが今日、鮮明にはっきりと輝く」

レッスン285です。

今日のテーマは「私の神聖さが今日、鮮明にはっきりと輝く」です。




まず、聖霊とは何かをご覧ください。


神聖さとは、神々しく、清らかで汚れなく尊くて侵しがたい状態を指し、世俗的であることの反対です。

キリスト教では、「聖別」という概念があります。

神に奉仕したり捧げる人や物、礼拝に用いる器具などを世俗的な利用から切り離して儀礼的に清めて神聖な用途のために用いるものとして区別することです。


コースは、私たちの本質は、神の現実である天国において神とともにいる神の子であり、この世界は、神の子が罪を信じて作り出した幻想だと語ります。

したがって、私たちは狂っているために、自分が罪にまみれて世界の中で苦悶している人間だと思い込んでいますが、正気を取り戻せば、自分はこの世界にいないし、この世界の中にいる人間という生き物でもなく、神という光の拡張である神に等しい神の子だということを思い出します。

つまり、本質的に私たちは神聖なのであって、この世界と同じ次元にある遠い天国へと苦心してたどり着くために、自分から罪や世俗性を絞り出して削ぎ落として神聖な存在に近づくのではないということです。

清純な神の子という光は、この世界を旅することによって色がついたり濁ったり弱くなったりしたわけではなく、電球の表面に煤や汚れがついて色がついたり光が弱まったように見えていても、きれいに拭き取りさえすれば、元どおり輝かしい強い光が戻るように、神に創造されたまま何も変わっていないということです。


Lesson 285


My holiness shines bright and clear today.
私の神聖さが今日、鮮明にはっきりと輝く。



1. Today I wake with joy, expecting but the happy things of God to come to me.
 今日、私は、神から幸福な物事だけが私の許へともたらされることを期待しながら、喜びとともに目覚める。

 I ask but them to come, and realize my invitation will be answered by the thoughts to which it has been sent by me.
 私はただ幸福な物事だけが訪れることを求めて、私の招待が自分の送った思いによって応えられることになると理解する。

 And I will ask for only joyous things the instant I accept my holiness.
 だから、私は、自分の神聖さを受け入れた瞬間に、ただ喜ばしい物事のみを求めるようになる。

 For what would be the use of pain to me, what purpose would my suffering fulfill, and how would grief and loss avail me if insanity departs from me today, and I accept my holiness instead?
 というのも、もし今日、狂気が私から去り、私が狂気の代わりに自分の神聖さを受け入れるなら、苦痛は私にとって無用のものとなり、私の苦悩は何の目的も果たすことはなく、悲嘆喪失は私には何の役にも立たなくなるからだ。



2. Father, my holiness is Yours.
 父よ、私の神聖さはあなたのものです。

 Let me rejoice in it, and through forgiveness be restored to sanity.
 私が自らの神聖さの中で喜びに満ち、赦しを通して正気を取り戻せますように。

 Your Son is still as You created him.
 あなたの子は、今なお、あなたに創造されたままです。

 My holiness is part of me, and also part of You.
 私の神聖さは、私の一部であり、あなたの一部でもあります。

 And what can alter Holiness Itself?
 とすれば、いったい何が神聖さそのものを変えてしまうことができるでしょうか。


それでは、ブリトニーさんのレッスンです。



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