There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

病気のプロセス

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心理療法から、病気プロセスについての一節をご紹介します。



IV. The Process of Illness
病気プロセス

1. As all therapy is psychotherapy, so all illness is mental illness.
 すべての治療が心理療法であるように、すべての病気は心理的な病気だということができます。

 It is a judgment on the Son of God, and judgment is a mental activity.
 病気は、神の子に対して価値判断して裁くことであり、そして、価値判断というのは精神作用です。

 Judgment is a decision, made again and again, against creation and its Creator.
 価値判断は、何度も何度も、創造物とその創造主に対して下される一つの決断です。

 It is a decision to perceive the universe as you would have created it.
 病気は、宇宙のことを、あなたがそれを創造したものであるかのように知覚するという決断です。

 It is a decision that truth can lie and must be lies.
 病気は、真理は偽ることができるし、偽りであるに違いないと決断することです。

 What, then, can illness be except an expression of sorrow and of guilt?
 そうだとすれば、病気とは、悲しみと罪悪感の現れ以外の何ものでありうるというのでしょうか。

 And who could weep but for his innocence?
 そして、誰も、自分の潔白さのためにしか泣くことはできません。




2. Once God's Son is seen as guilty, illness becomes inevitable.
 いったん神の子が有罪であるとみなされると、病気は避けられないものとなります。

 It has been asked for and will be received.
 病気は求められたので、受け入れられるようになります。

 And all who ask for illness have now condemned themselves to seek for remedies that cannot help, because their faith is in the illness and not in salvation.
 そうなればもう、病気を求める者たちはみな、自分たちを、助けとなりえない治療法を探すように運命づけたことになります。なぜなら、彼らは救済ではなく、病気のことを信頼しているからです。

 There can be nothing that a change of mind cannot effect, for all external things are only shadows of a decision already made.
 心を変化させることが影響を及ぼすことができないものなど何もありません。というのも、すべての外部的な物事は、単にすでになされた決断の影でしかないからです。

 Change the decision, and how can its shadow be unchanged?
 決断を変えてください。そうすれば、決断の影は変わらざるをえなくなります。

 Illness can be but guilt's shadow, grotesque and ugly since it mimics deformity.
 病気は、罪悪感の影でしかありえません。罪悪感の影は、完全性を損なったものの模造であるので、グロテスクで醜いものです。

 If a deformity is seen as real, what could its shadow be except deformed?
 もし歪んで欠けたものが本物であると見られるなら、その影も歪んだもの以外の何ものにもなりえないでしょう。





3. The descent into hell follows step by step in an inevitable course, once the decision that guilt is real has been made.
 いったん罪悪感は本物だという決断が下されたなら、避けられない道のりとして、地獄への堕落が一歩一歩と続いてゆきます。

 Sickness and death and misery now stalk the earth in unrelenting waves, sometimes together and sometimes in grim succession.
 病気とと悲惨さは、今や、衰えることのない波の中で、ときには、一緒に、ときには、立て続けに容赦なく、地上に蔓延していきます。

 Yet all these things, however real they seem, are but illusions.
 しかし、これらのすべてのことは、いかに本物のように見えるとしても、単なる幻想でしかないのです。

 Who could have faith in them once this is realized?
 このことにひとたび気づいたなら、いったい誰が病気やや悲惨さという幻想のことを信じていられるでしょうか。

 And who could not have faith in them until he realizes this?
 そして、どんなに本物に見えてもすべては幻でしかないと気づかないかぎり、いったい誰が病気やや悲惨さの幻想を信じずにいられるでしょうか。

 Healing is therapy or correction, and we have said already and will say again, all therapy is psychotherapy.
 癒しは、治療であり修正です。そして、すでに述べたし、これからも再び述べるように、すべての治療法は、心理療法なのです。

 To heal the sick is but to bring this realization to them.
 病人を癒すことは、単にどんなに本物に見えてもすべては幻に過ぎないとの気づきを病人にもたらすことでしかありません。





4. The word "cure" has come into disrepute among the more "respectable" therapists of the world, and justly so.
 「治癒」という言葉は、世界のより「まともな」治療者たちの間では、評価されてはいないし、当然ながらその通りになっています。

 For not one of them can cure, and not one of them understands healing.
 というのも、治療者の誰ひとりとして治すことはできないし、彼らのうちの誰ひとりとして、癒しを理解していないからです。

 At worst, they but make the body real in their own minds, and having done so, seek for magic by which to heal the ills with which their minds endow it.
 悪いことには、「治療者たちは、ただ自分たちの心の中で身体を本物としておくばかりで、そうしておきながら、自分たちの心で身体に割り当てた病気を、魔術を用いて癒そうと求めているのです。

 How could such a process cure?
 このようなプロセスで、どうして治療できるでしょうか。

 It is ridiculous from start to finish.
 初めから終わりまで、馬鹿げています。

 Yet having started, it must finish thus.
 しかし、始めたからには、治療はそのようなプロセスを通して終えられるに違いありません。

 It is as if God were the devil and must be found in evil.
 それはまるで神が悪魔であって、邪悪さの中に見出されるに違いないというようなものです。

 How could love be there?
 どうしてそこに愛がありうるでしょうか。

 And how could sickness cure?
 そして、どうして病気が治療されうるでしょうか。

 Are not these both one question?
 これらの二つの質問は両方とも、一つの質問ではないでしょうか。





5. At best, and the word is perhaps questionable here, the "healers" of the world may recognize the mind as the source of illness.
 もしかすると、ここでこの言葉は適切でないかもしれませんが、うまくすれば、この世界の「治療者たち」も、心が病気の源であると気づくことがあるかもしれません。

 But their error lies in the belief that it can cure itself.
 しかし、彼らの誤りは、病気の心がそれ自体を治療することができると信じているところにあります。

 This has some merit in a world where "degrees of error" is a meaningful concept.
 心が病気の源であると認識することには、「誤りの程度」が意味のある概念である場所である世界においては、いくらかのメリットはあります。

 Yet must their cures remain temporary, or another illness rise instead, for death has not been overcome until the meaning of love is understood.
 しかし、彼らの治癒は一時的なものにとどまり、また別の病気が代わりに生じてくるに違いありません。というのも、愛の意味が理解されないかぎり、はいまだ克服されてはいないからです。

 And who can understand this without the Word of God, given by Him to the Holy Spirit as His gift to you?
 そして、神からあなたへの贈り物として神によって聖霊に与えられた神の大いなる言葉なくして、いったい誰にこのことが理解できるというのでしょうか。




6. Illness of any kind may be defined as the result of a view of the self as weak, vulnerable, evil and endangered, and thus in need of constant defense.
 どんな種類の病気も、自己を脆弱で傷つきうるもので、不運で危険にさらされていて、それゆえに、つねに防衛を要する存在とみなす観点の結果として定義できるでしょう。

 Yet if such were really the self, defense would be impossible.
 しかし、もしそんなものが本当に自己であるなら、防衛することなど不可能なことでしょう。

 Therefore, the defenses sought for must be magical.
 それゆえ、必要とされる防衛は魔術的にならざるをえません。

 They must overcome all limits perceived in the self, at the same time making a new self-concept into which the old one cannot return.
 彼らは、その小さな自己の中に知覚するすべての制限を克服すると同時に、その中に古い自己が戻ってこられないような新たな自己像を作り出さなければならなくなります。

 In a word, error is accepted as real and dealt with by illusions.
 一言で言えば、誤りが本当のものとして受け入れられ、幻想によって対処されたということです。

 Truth being brought to illusions, reality now becomes a threat and is perceived as evil.
 真理が幻想の下へともたらされるので、現実は今や脅威となり、邪悪なものとして知覚されるようになります。

 Love becomes feared because reality is love.
 現実とは愛のことなので、愛は恐ろしいものとなります。

 Thus is the circle closed against the "inroads" of salvation.
 こうして、救済という「侵略」に対抗するための堂々巡りの円環が閉じられることになります。




7. Illness is therefore a mistake and needs correction.
 それゆえ、病気は間違いであり、修正を必要とするのです。

 And as we have already emphasized, correction cannot be achieved by first establishing the "rightness" of the mistake and then overlooking it.
 そして、すでに、間違いの「正しさ」を先に確立しておいて、それから、その間違いを見過ごそうとする方法では修正を達成できないと強調しておきました。

 If illness is real it cannot be overlooked in truth, for to overlook reality is insanity.
 もし病気が本物であるなら、本当に病気を見越すことなどできません。というのは、現実であるものを無視するのは狂気の沙汰だからです。

 Yet that is magic's purpose; to make illusions true through false perception.
 しかし、それこそが、間違った知覚を通して幻想を本物にしようとする魔術の目的なのです。

 This cannot heal, for it opposes truth.
 魔術が癒すことはできません。というのは、魔術というのは真理の反対だからです。

 Perhaps an illusion of health is substituted for a little while, but not for long.
 もしかすると、しばらくの間は、健康の幻想が代わりをするかもしれませんが、そう長くは続きません。

 Fear cannot long be hidden by illusions, for it is part of them.
 恐れは幻想によって長い間、隠されたままではいられないのです。というのは、恐れは幻想の一部だからです。

 It will escape and take another form, being the source of all illusions.
 恐れはすべての幻想の源なので、恐れは逃げおおせて、別の形をとることになります。






8. Sickness is insanity because all sickness is mental illness, and in it there are no degrees.
 病気は狂気です。なぜなら、すべての病気は精神的な疾患であり、その病にはいかなる程度も存在しないからです。

 One of the illusions by which sickness is perceived as real is the belief that illness varies in intensity; that the degree of threat differs according to the form it takes.
 それによって病気が本物であると知覚される幻想の一つは、病気がその激しさにおいて変化するので、病気のとる形態によってその脅威の程度も変わるはずだという信念です。

 Herein lies the basis of all errors, for all of them are but attempts to compromise by seeing just a little bit of hell.
 ここにこそ、あらゆる誤りの基盤があります。というのは、それらのすべては、ほんの小さな地獄のかけらを見ることによって、妥協をしようとすることだからです。

 This is a mockery so alien to God that it must be forever inconceivable.
 こんなことは神にとってはあまりに相容れない茶番なので、神には永遠に想像すらできないものです。

 But the insane believe it because they are insane.
 しかし、狂気の者たちは、それを信じてしまいます。なぜなら、彼らは正気を失っているからです。





9. A madman will defend his own illusions because in them he sees his own salvation.
 狂人は、自分が見ている幻覚の中に自らの救いを見ているがゆえに、自分の見る幻覚を守ろうとします。

 Thus, he will attack the one who tries to save him from them, believing that he is attacking him.
 このために、狂人は、幻覚から彼を救い出そうとする人のことを、自分を攻撃しているものと信じて、攻撃することになります。

 This curious circle of attack-defense is one of the most difficult problems with which the psychotherapist must deal.
 この攻撃と防御の奇妙な循環は、心理セラピストが対処しなければならない困難な問題の一つです。

 In fact, this is his central task; the core of psychotherapy.
 事実、これこそ、心理セラピストの主要な仕事であり、心理療法の核ということができます。

 The therapist is seen as one who is attacking the patient's most cherished possession; his picture of himself.
 セラピストは、患者が自分の財産として最も大切にしている自分自身についての自画像を攻撃する存在であるとみなされます。

 And since this picture has become the patient's security as he perceives it, the therapist cannot but be seen as a real source of danger, to be attacked and even killed.
 そして、患者がこの自画像のことを自分を保護するものと知覚している通りに、この自画像は患者の守護者となるので、セラピストは危険の真の源であり、攻撃して、殺されるべきものとすらみなされざるをえないのです。





10. The psychotherapist, then, has a tremendous responsibility.
 したがって、心理セラピストには途方もない責任が伴います。

 He must meet attack without attack, and therefore without defense.
 心理セラピストは、攻撃に対して、反撃することなく、したがって、防御することなく向き合わなければなりません。

 It is his task to demonstrate that defenses are not necessary, and that defenselessness is strength.
 防衛は必要ではなく、防衛しないことこそが力強さなのだと実証することが心理セラピストの務めです。

 This must be his teaching, if his lesson is to be that sanity is safe.
 もし彼のレッスンが正気とは安全であるということを学ぶことであるなら、防衛しないことが強さだと実証することが彼の教えることであるべきです。

 It cannot be too strongly emphasized that the insane believe that sanity is threat.
 狂気の者は、正気は脅威であると信じてしまうということは、本当に強く強調しておかねばなりません。

 This is the corollary of the "original sin"; the belief that guilt is real and fully justified.
 狂気の者が正気を脅威と信じることは、罪悪感を抱くことは本当のことであり、完全に正当化されると信じる「原罪」からの当然の帰結です。

 It is therefore the psychotherapist's function to teach that guilt, being unreal, cannot be justified.
 それゆえ、罪悪感は本物ではなく、正当化されえないと教えることが、心理セラピストの役目となります。

 But neither is it safe.
 とはいえ、本物ではなく、正当化もされないことを教えることはどちらも、罪悪感を無事なままにはしておきません。

 And thus it must remain unwanted as well as unreal.
 このようにして、罪悪感は、本物でないだけでなく、望まれもしないままになるに違いありません。





11. Salvation's single doctrine is the goal of all therapy.
 救済の単一の原理は、すべての治療の目標です。

 Relieve the mind of the insane burden of guilt it carries so wearily, and healing is accomplished.
 へとへとになるまで背負い込んでいる罪悪感という狂気の重荷を降ろして、心を楽にしてください。そうすれば、癒しが達成されます。

 The body is not cured.
 身体は癒されるのではありません。

 It is merely recognized as what it is.
 身体はありのままに認識されるだけです。

 Seen rightly, its purpose can be understood.
 正しく見られることで、身体の目的は理解可能なものとなります。

 What is the need for sickness then?
 そうなったら、病気でいるどんな必要があるでしょうか。

 Given this single shift, all else will follow.
 このたった一つの変化が起これば、他のすべての変化が引き続いて生じます。

 There is no need for complicated change.
 込み入って複雑な変化の必要などありません。

 There is no need for long analyses and wearying discussion and pursuits.
 長ったらしい分析や退屈な議論や研究の必要はないのです。

 The truth is simple, being one for all.
 一なるものがすべてを表しているので、真理とは単純なものなのです。

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