There Is No Spoon

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T28-1 現在の記憶

今回はテキスト第二十八章から「現在記憶」という一節をご紹介します。







テキスト第二十八章

I. The Present Memory
一 現在記憶


1. The miracle does nothing.
 奇跡は何もしません。

 All it does is to undo.
 奇跡がなすのは、ただ取り消すことだけです。

 And thus it cancels out the interference to what has been done.
 こうして、奇跡は、すでに完了していることを妨げている障害を無効にするのです。

 It does not add, but merely takes away.
 奇跡は、付け加えるのではなく、単に取り除くだけです。

 And what it takes away is long since gone, but being kept in memory appears to have immediate effects.
 そして、奇跡が取り除くものは、すでに去ってからずっと経っているのに、記憶には保たれているせいで、今、目の前で結果が生じているように見えています。

 This world was over long ago.
 この世界はとっくの昔に終わっているのです。

 The thoughts that made it are no longer in the mind that thought of them and loved them for a little while.
 この世界を作った思いは、それらの想念を思いつき、しばくの間それらに愛着した心の中にはもうありません。

 The miracle but shows the past is gone, and what has truly gone has no effects.
 奇跡はただ、過去は去ったこと、そして、本当に過ぎ去ってしまったものには何の結果もないことを示すだけです。

 Remembering a cause can but produce illusions of its presence, not effects.
 ある原因を思い出すことで、その原因が目の前にあるような錯覚を生み出すことはできても、結果を生み出すことはできません。




2. All the effects of guilt are here no more.
 もはやここには、罪悪感の及ぼすどんな結果もありません。

 For guilt is over.
 というのは、罪悪感は去ってしまっているからです。

 In its passing went its consequences, left without a cause.
 罪悪感が過ぎ去ったとき、原因がなくなってしまったので、罪悪感の結果も去ったのです。

 Why would you cling to it in memory if you did not desire its effects?
 もしあなたが罪悪感の及ぼす結果を望んでいないなら、どうしてあなたは記憶の中の罪悪感にしがみつこうとするのでしょうか。

 Remembering is as selective as perception, being its past tense.
 思い出すことは、過去時制での知覚であり、知覚することと同様に選択的なものです。

 It is perception of the past as if it were occurring now, and still were there to see.
 思い出すことは、過去のことを、まるで今起こっていて、依然としてそこに見えるものとして存在するかのように知覚することです。

 Memory, like perception, is a skill made up by you to take the place of what God gave in your creation.
 記憶力は、知覚力と同様、神があなたを創造した際に授けてくれたものに置き換えようとして、あなたが作り出した能力のひとつです。

 And like all the things you made, it can be used to serve another purpose, and to be the means for something else.
 だから、あなたが作り上げたすべてのものと同じように、記憶力は、別の目的に役立てられるし、何か別のものの手段にもなりえます。

 It can be used to heal and not to hurt, if you so wish it be.
 記憶力は、もしあなたがそう望むなら、傷つけるためではなく、癒すために使うこともできるのです。

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3. Nothing employed for healing represents an effort to do anything at all.
 癒しのために用いられる手段はどれもすべて、何かをするために努力を払うことをまったく意味しません。

 It is a recognition that you have no needs which mean that something must be done.
 それは、何かがなされなければならないという意味での必要性が、あなたには何もないと認識することです。

 It is an unselective memory, that is not used to interfere with truth.
 それは真理を妨げるために用いられることのない無差別な記憶です。

 All things the Holy Spirit can employ for healing have been given Him, without the content and the purposes for which they have been made.
 聖霊が癒すために用いることのできるあらゆる物事は、その内容とそれらが作られた目的を取り除いて、聖霊に与えられています。

 They are but skills without an application.
 それらは単に使われていない技能でしかありません。

 They await their use.
 それらはただ使ってもらうのを待っています。

 They have no dedication and no aim.
 そうした能力には決まった用途はないし、何の目的もありません。




4. The Holy Spirit can indeed make use of memory, for God Himself is there.
 聖霊は本当に記憶を役立てることができます。なぜなら、記憶の中には神自身がいるからです。

 Yet this is not a memory of past events, but only of a present state.
 ただし、この記憶は、過去の出来事の思い出ではなくて、単に現在の状態だけを思い出すことです。

 You are so long accustomed to believe that memory holds only what is past, that it is hard for you to realize it is a skill that can remember now.
 あなたはあまりにも長い間、記憶というのは過ぎ去ったことだけを保つものだと信じることに慣れきってきたので、あなたにとって、記憶が今のことを思い出すことのできる能力だと理解するのは難しいことです。

 The limitations on remembering the world imposes on it are as vast as those you let the world impose on you.
 この世界が記憶力に課している制限は、この世界があなたに対して課すことをあなたが容認している制限と同じくらい甚大なものです。

 There is no link of memory to the past.
 記憶には、過去に通じる連結は存在しません。

 If you would have it there, then there it is.
 もしあなたが過去につながる記憶を持ちたいと思えば、そのとき、連結はそこに生じます。

 But only your desire made the link, and only you have held it to a part of time where guilt appears to linger still.
 しかし、それはただ、あなたの願望がその過去との連結を作っただけのことです。そして、ただあなただけが、罪悪感がいつまでも残っているように見える時間の一部分に過去につながる記憶を留めているのです。

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5. The Holy Spirit's use of memory is quite apart from time.
 聖霊の記憶の使い方は、時間にまったく縛られることがありません。

 He does not seek to use it as a means to keep the past, but rather as a way to let it go.
 聖霊は、過去を保存する手段として記憶を使おうとするのではなく、むしろ過去を手放すための手段として記憶を使おうとします。

 Memory holds the message it receives, and does what it is given it to do.
 記憶は自ら受け取る伝言を保ち、自らがなすようにと与えられた任務を遂行します。

 It does not write the message, nor appoint what it is for.
 記憶が伝言そのものを書くことはしないし、記憶がその伝言が何のためのものなのか決めることもありません。

 Like to the body, it is purposeless within itself.
 身体と同じで、記憶それ自体には目的はありません。

 And if it seems to serve to cherish ancient hate, and gives you pictures of injustices and hurts that you were saving, this is what you asked its message be and that it is.
 そして、もしその記憶が古の憎しみを心に抱かせることに奉仕するように見えて、あなたが保存していた不当な仕打ちを受けたときや傷つけられたときの光景をあなたに見せるとすれば、それは、あなたが残したいと記憶に求めた伝言がその通りに再生されたものなのです。

 Committed to its vaults, the history of all the body's past is hidden there.
 身体の過去の来歴はすべてその記憶の貯蔵庫に収容され、そこに隠されています。

 All of the strange associations made to keep the past alive, the present dead, are stored within it, waiting your command that they be brought to you, and lived again.
 過去を生かし続け、現在を死んだものとして保っておくために奇妙な連想をしたことが全部その貯蔵庫の中に収蔵されており、あなたからの命令を受けて、自分たちがあなたの許へと呼び出されて再び生き返るのを待ち受けています。

 And thus do their effects appear to be increased by time, which took away their cause.
 こうして、連想したことの及ぼした結果は、それらの原因を奪い去った時間によって増したかのように見えます。




6. Yet time is but another phase of what does nothing.
 しかし、時間は、単に何もしないことの別の様相にすぎないのです。

 It works hand in hand with all the other attributes with which you seek to keep concealed the truth about yourself.
 時間は、あなたが自分自身についての真実を隠し通そうとして用いるほかのすべての属性と一致協力して働きます。

 Time neither takes away nor can restore.
 時間は、奪い去ることもなければ、戻すこともできません。

 And yet you make strange use of it, as if the past had caused the present, which is but a consequence in which no change can be made possible because its cause has gone.
 それでも、あなたは、まるで過去が現在を生み出したかのように、変な時間の使い方をしています。その現在はといえば、原因とされる過去が去ってしまっているがために何らの変化も起こる可能性のない単なる結果でしかなくなります。

 Yet change must have a cause that will endure, or else it will not last.
 しかし、変化するには持続する原因が必要です。そうでなければ、変化は続かないでしょう。

 No change can be made in the present if its cause is past.
 もし現在の原因が過去であるとすれば、現在においては、いかなる変化も起こることが不可能になってしまいます。

 Only the past is held in memory as you make use of it, and so it is a way to hold the past against the now.
 そうなると、あなたが記憶を使うに際して、記憶には、ただ過去だけが保たれることになります。そうして、記憶は今に逆らって過去のことを保っておくための方法となります。

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7. Remember nothing that you taught yourself, for you were badly taught.
 あなたが自分自身に教えたことなど、何ひとつ思い出さないことです。というのも、あなたはひどく間違って教わってきたからです。

 And who would keep a senseless lesson in his mind, when he can learn and can preserve a better one?
 自分がよりよい教えを学ぶことができて、その学びを保ち続けられるというのに、いったい誰が無意味な教えを自分の心に保っておこうとするでしょう。

 When ancient memories of hate appear, remember that their cause is gone.
 憎しみを抱いた昔の記憶が浮かんでくるときには、その原因は去っていることを思い出してください。

 And so you cannot understand what they are for.
 そうすると、あなたにはそうした記憶が何のためにあるのか理解できなくなるはずです。

 Let not the cause that you would give them now be what it was that made them what they were, or seemed to be.
 あなたが今その記憶に与えようと思いついた原因を、その記憶をそのようなものにしていた原因、あるいは、そのように見せていた以前の原因だということにしてはなりません。

 Be glad that it is gone, for this is what you would be pardoned from.
 そんな原因が去ってしまっていることを喜びなさい。というのも、そんな原因こそが、あなたがそれから放免されたいと望むものだからです。

 And see, instead, the new effects of cause accepted now, with consequences here.
 その代わりに、今、受け入れられた原因の新しい結果をその帰結とともにここで見てください。

 They will surprise you with their loveliness.
 その新しい結果と帰結の素晴らしさに、あなたは驚嘆することでしょう。

 The ancient new ideas they bring will be the happy consequences of a Cause so ancient that It far exceeds the span of memory which your perception sees.
 その新しい結果と帰結がもたらす古くからの新しい想念は、あまりに古くからその原因があるために、あなたの知覚で見渡せる記憶の全範囲をはるかに越えている大いなる原因の幸せな帰結なのです。




8. This is the Cause the Holy Spirit has remembered for you, when you would forget.
 これこそ、聖霊があなたが忘れてしまったときのために、あなたに代わって覚えておいてくれた大いなる原因です。

 It is not past because He let It not be unremembered.
 聖霊がこの大いなる原因を思い出せないままにさせることはないので、それは過ぎ去ってなどいません。

 It has never changed, because there never was a time in which He did not keep It safely in your mind.
 大いなる原因は、一度も変わっていません。なぜなら、聖霊があなたの心の中に大いなる原因を安全に保っておかなかったことなど決してなかったからです。

 Its consequences will indeed seem new, because you thought that you remembered not their Cause.
 大いなる原因の結果は、まったく新しいものに見えるはずです。なぜなら、あなたはそれらの結果の真の原因を覚えていないと思っていたからです。

 Yet was It never absent from your mind, for it was not your Father's Will that He be unremembered by His Son.
 ところが、大いなる原因があなたの心から去ったことは一度もなかったのです。というのは、わが子に忘れられることが父の意志であったことはなかったからです。


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9. What you remember never was.
 あなたの覚えていることは、一度も存在したことはありません。

 It came from causelessness which you confused with cause.
 あなたの記憶は、あなたが原因であると混同してしまった原因のない状態から生じたものです。

 It can deserve but laughter, when you learn you have remembered consequences that were causeless and could never be effects.
 あなたが、原因がないので、その結果として生じることが決してありえない帰結を自分が思い出していたのだとわかったら、ただそれは笑うしかないようなことでしょう。

 The miracle reminds you of a Cause forever present, perfectly untouched by time and interference.
 永遠に現在し、時間や妨害による影響を完全に免れている大いなる原因のことを、奇跡があなたに思い出させてくれます。

 Never changed from what It is.
 その大いなる原因は本来の姿から一度も変わっていません。

 And you are Its Effect, as changeless and as perfect as Itself.
 そして、あなたはその大いなる原因の偉大な結果なのであり、大いなる原因それ自体と同様に、変わることのない完璧な存在なのです。

 Its memory does not lie in the past, nor waits the future.
 その大いなる原因の記憶は過去にあるわけでもなければ、未来に待ち受けているわけでもありません。

 It is not revealed in miracles.
 その大いなる原因は、奇跡の中に顕れることはありません。

 They but remind you that It has not gone.
 奇跡はただ大いなる原因が去ってなどいないことをあなたに思い出させるだけです。

 When you forgive It for your sins, It will no longer be denied.
 あなたが自分の罪について、大いなる原因を赦すとき、もはや大いなる原因が否定されることはなくなるでしょう。




10. You who have sought to lay a judgment on your own Creator cannot understand it is not He Who laid a judgment on His Son.
 自分自身の創造主に審判を下そうとしてきたあなたには、神の子に審判を下したのは神ではないことが理解できません。

 You would deny Him His Effects, yet have They never been denied.
 あなたは神に対して、神の大いなる結果たちを否認しようとしますが、彼らが否定されたことは決してないのです。

 There was no time in which His Son could be condemned for what was causeless and against His Will.
 原因がなく、神の大いなる意志に反することのために、神の子が非難された時など、いまだかつてありません。

 What your remembering would witness to is but the fear of God.
 あなたの記憶していることが証明しようとするのは、神に対する恐れだけです。

 He has not done the thing you fear.
 しかし、神はあなたが恐れるようなことをしてはいません。

 No more have you.
 同じように、あなたもしてはいません。

 And so your innocence has not been lost.
 したがって、あなたの潔白さは失われてなどいないのです。

 You need no healing to be healed.
 あなたは癒されるために、いかなる癒しも必要とはしていないのです。

 In quietness, see in the miracle a lesson in allowing Cause to have Its Own Effects, and doing nothing that would interfere.
 静寂の中、大いなる原因がそれ自体の大いなる結果たちを生じさせることを許し、その邪魔になるようなことを何もしないというレッスンを、奇跡の中に見出してください。

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11. The miracle comes quietly into the mind that stops an instant and is still.
 奇跡は、一瞬止まって静止した心の中に静かに入ってきます。

 It reaches gently from that quiet time, and from the mind it healed in quiet then, to other minds to share its quietness.
 その奇跡は、その静かな時間から、そして、奇跡が静かに癒した心から、その静穏を分かち合うために、他の心へと優しく広がっていきます。

 And they will join in doing nothing to prevent its radiant extension back into the Mind Which caused all minds to be.
 そして、これらの心たちはひとつに結びついて、その奇跡の輝きが拡張しながら、すべての心たちを生じさせる起因となった大いなる心の中へと戻っていくのを妨げるようなことは何もしなくなります。

 Born out of sharing, there can be no pause in time to cause the miracle delay in hastening to all unquiet minds, and bringing them an instant's stillness, when the memory of God returns to them.
 奇跡は分かち合いから生まれたので、すべての静まることのない心に速やかに奇跡が到達して、神の記憶がよみがえる一瞬の静けさをもたらすのを遅らせるような時間の中断が生じることは一切ありえません。

 Their own remembering is quiet now, and what has come to take its place will not be wholly unremembered afterwards.
 それらの心が勝手に思い出していた記憶は今や静まり、それに取って代わるためにやってきた記憶がその後、忘れられてしまうことは完全になくなります。




12. He to Whom time is given offers thanks for every quiet instant given Him.
 時間を渡される聖霊は、静かな一瞬を渡してもらうたびに感謝を捧げます。

 For in that instant is God's memory allowed to offer all its treasures to the Son of God, for whom they have been kept.
 というのは、その一瞬にこそ、神の記憶が神の子のために保っておいた宝物のすべてを当の神の子に差し延べることができるようになるからです。

 How gladly does He offer them unto the one for whom He has been given them!
 自分が彼に与えるために預かってきた宝物を、当の神の子に差し延べることができる聖霊の喜びはいかほどのものでしょう。

 And His Creator shares His thanks, because He would not be deprived of His Effects.
 そして、その聖霊の創造主も、聖霊の感謝の念を分かち合います。なぜなら、創造主は、自らの大いなる結果たちを奪われずに済むことになるからです。

 The instant's silence that His Son accepts gives welcome to eternity and Him, and lets Them enter where They would abide.
 神の子が一瞬の静寂を受け入れることが、永遠と創造主を歓迎することになり、神と子が住むことになる場所に彼らを迎え入れることになります。

 For in that instant does the Son of God do nothing that would make himself afraid.
 というのも、その瞬間、神の子は自分自身を恐れさせるようなことは何もしないからです。

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13. How instantly the memory of God arises in the mind that has no fear to keep the memory away!
 神の記憶を遠ざけてしまう恐れを一切抱くことのない心には、何と一瞬のうちに神の記憶がよみがえることでしょう。

 Its own remembering has gone.
 その心が独自に思い出していたことは消え去りました。

 There is no past to keep its fearful image in the way of glad awakening to present peace.
 現在の平安に喜んで目覚めるのを妨げるその心の抱く恐ろしいイメージを保つ過去は存在しません。

 The trumpets of eternity resound throughout the stillness, yet disturb it not.
 永遠のトランペットの音が静寂の中に響き渡りますが、その静寂を乱すことはありません。

 And what is now remembered is not fear, but rather is the Cause that fear was made to render unremembered and undone.
 そして、今思い出されるのは、恐怖ではなくて、大いなる原因です。恐怖は、この大いなる原因を思い出すことのできない無効なものにしようとして作り出されたのです。

 The stillness speaks in gentle sounds of love the Son of God remembers from before his own remembering came in between the present and the past, to shut them out.
 その静寂は、愛の声を閉め出すために、神の子が独自に作り出した記憶が現在と過去の間に入りこむ以前のところから、神の子が覚えている愛の優しい声で語ります。




14. Now is the Son of God at last aware of present Cause and Its benign Effects.
 今、神の子は、現在の大いなる原因とその優しい結果たちについに気づきます。

 Now does he understand what he has made is causeless, having no effects at all.
 ようやく、神の子にも、まったく何の結果も生み出してはいないのだから、自分が作り出したものは、原因にならないものなのだとわかってきます。

 He has done nothing.
 彼は何もしてはいなかったのです。

 And in seeing this, he understands he never had a need for doing anything, and never did.
 そして、このことがわかってくると、神の子は自分にはまったく何もする必要がなかったし、現にまったく何もしなかったということを理解します。

 His Cause is Its Effects.
 神の子の大いなる原因こそが、その大いなる結果たちなのです。

 There never was a cause beside It that could generate a different past or future.
 この大いなる原因以外には、異なる過去や未来を生み出すことのできる原因など決して存在しなかったのです。

 Its Effects are changelessly eternal, beyond fear, and past the world of sin entirely.
 その大いなる結果たちは不変の永遠なる存在であり、恐れを超越し、罪の世界を完全に通り越しているのです。

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15. What has been lost, to see the causeless not?
 原因にならないものを見ないでいることで、何が失われたでしょうか。

 And where is sacrifice, when memory of God has come to take the place of loss?
 そして、神の記憶がよみがえって喪失したものに置き換わるのなら、どこに犠牲があるというのでしょうか。

 What better way to close the little gap between illusions and reality than to allow the memory of God to flow across it, making it a bridge an instant will suffice to reach beyond?
 幻想と現実の間のわずかな隙間を塞ぐ方法として、そこに神の記憶を流れこませ、その裂け目を一瞬で向こう側に渡ることのできる橋にすること以上によい方法などあるでしょうか。

 For God has closed it with Himself.
 というのは、神が自分自身でその隙間を塞いでくれているからです。

 His memory has not gone by, and left a stranded Son forever on a shore where he can glimpse another shore that he can never reach.
 神の記憶は立ち去ってはおらず、足止めをくった神の子を、向こう岸を垣間見ることはできても、彼に決して渡ることのできない岸辺に永遠に置き去りにしてもいないのです。

 His Father wills that he be lifted up and gently carried over.
 彼の父はわが子を抱き上げて優しく向こう岸へと運ぶことを意図しています。

 He has built the bridge, and it is He Who will transport His Son across it.
 神がその橋を築いたのであり、神の子を連れてその橋を渡ってくれるのは神自身なのです。

 Have no fear that He will fail in what He wills.
 神が自らの意図することに失敗してしまわないだろうかと恐れることはありません。

 Nor that you be excluded from the Will that is for you.
 また、あなたたちのための大いなる意志から、自分は除外されてしまわないだろうかと恐れることもありません。

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