There Is No Spoon

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理想的な患者とセラピストの関係とは?

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今回は、心理療法から「理想的な患者セラピストの関係」をご紹介します。



VII. The Ideal Patient-Therapist Relationship
理想的な患者セラピストの関係



1. Who, then, is the therapist, and who is the patient?
 それでは、いったい誰がセラピストで、誰が患者なのでしょうか。

 In the end, everyone is both.
 最終的には、誰もがセラピストであり患者でもあります。

 He who needs healing must heal.
 癒されることを必要とするその人が癒すに違いありません。

 Physician, heal thyself.
 医師は、彼自身を癒すのです。

 Who else is there to heal?
 自分自身以外に癒すべき誰がいるというのでしょうか。

 And who else is in need of healing?
 そして、他の誰が癒される必要があるでしょうか。

 Each patient who comes to a therapist offers him a chance to heal himself.
 セラピストを訪れるそれぞれの患者は、セラピストセラピスト自身を癒す機会を差し出してくれているのです。

 He is therefore his therapist.
 したがって、患者はそのセラピストのセラピストなのです。

 And every therapist must learn to heal from each patient who comes to him.
 そして、一人ひとりのセラピストは、自分の許を訪れる一人ひとりの患者から癒し方を学ぶに違いありません。

 He thus becomes his patient.
 こうして、そのセラピストは自分の患者の患者になります。

 God does not know of separation.
 分離など知りません。

 What He knows is only that He has one Son.
 が知しっているのは、ただ自分にはひとり子があるということだけです。

 His knowledge is reflected in the ideal patient-therapist relationship.
 神の知識は、理想的な患者とセラピストの関係に反映されます。

 God comes to him who calls, and in Him he recognizes Himself.
 は、呼びかける者の許を訪れます。そして、の中において、を呼んだ者は、神そのものに気づきます。




2. Think carefully, teacher and therapist, for whom you pray, and who is in need of healing.
 教師でありセラピストである者よ、自分が誰のために祈るのか、そして、誰が癒される必要があるのか、注意深く考えてください。

 For therapy is prayer, and healing is its aim and its result.
 というのも、心理療法とは祈りであり、癒しは祈りの目的であり、その結果だからです。

 What is prayer except the joining of minds in a relationship which Christ can enter?
 キリストが入ってゆくことのできる関係の中で、個々の心が一つに結びつくようにとの祈り以外に、いかなる祈りがあるでしょうか。

 This is His home, into which psychotherapy invites Him.
 この祈りこそ、心理療法がキリストを招き入れるキリストの家なのです。

 What is symptom cure, when another is always there to choose?
 つねに別の症状を選択できるとしたら、症状が治癒したところで何になるでしょうか。

 But once Christ enters in, what choice is there except to have Him stay?
 しかし、ひとたびキリストが入ってきたら、キリストに留まってもらう以外にいかなる選択肢があるというのでしょうか。

 There is no need for more than this, for it is everything.
 入ってきてくれたキリストに留まってもらう以上のことをする必要はありません。というのも、それがすべてだからです。

 Healing is here, and happiness and peace.
 ここに、癒しと幸せ、そして、平安があります。

 These are the "symptoms" of the ideal patient-therapist relationship, replacing those with which the patient came to ask for help.
 このようなものが、患者が助けを求めてやってきた際の患者とセラピストの関係に置き換わる、理想的な患者とセラピストの関係の「徴候」です。





3. The process that takes place in this relationship is actually one in which the therapist in his heart tells the patient that all his sins have been forgiven him, along with his own.
 この理想的な患者とセラピストの関係において起こるプロセスは、実際のところ、一つのことです。その一つのプロセスの中で、セラピストは心から患者に、患者のすべての罪はセラピスト自身の罪と一緒にすでに赦されていると伝えることになります。

 What could be the difference between healing and forgiveness?
 癒しと赦しの間にどのような違いがありうるでしょうか。

 Only Christ forgives, knowing His sinlessness.
 自らの罪の無さを知っているので、ただキリストだけが赦します。

 His vision heals perception and sickness disappears.
 キリストのヴィジョンは知覚を癒すので、病気は消え去ります。

 Nor will it return again, once its cause has been removed.
 しかも、いったんその原因が取り除かれたからには、病気が再び舞い戻ってくることはありません。

 This, however, needs the help of a very advanced therapist, capable of joining with the patient in a holy relationship in which all sense of separation finally is overcome.
 しかしながら、このためには、非常に進歩を遂げたセラピストの助けを要します。彼は、あらゆる意味での分離が最終的に克服される神聖な関係の中で患者と一つに結びつくことができるのです。





4. For this, one thing and one thing only is required: The therapist in no way confuses himself with God.
 このためには、一つのこと、それもただ一つのことだけが必要です。それは、そのセラピストが決して自分自身を神と混同しないということです。

 All "unhealed healers" make this fundamental confusion in one form or another, because they must regard themselves as self-created rather than God-created.
 すべての「癒されていない癒し主たち」は、何らかの形で、この根本的な混同をしてしまいます。というのも、彼らは決まって、自分自身のことを、神に創造されたものと見るのではなく、自分で創造したものとしてみなしてしまうからです。

 This confusion is rarely if ever in awareness, or the unhealed healer would instantly become a teacher of God, devoting his life to the function of true healing.
 この混同がもし自覚されることがあるとしても、それはめったにないことです。そうでなかったら、癒されていない癒し主は、すぐにも、自らの人生を真の癒しという役割に捧げる神の教師となっていたはずです。

 Before he reached this point, he thought he was in charge of the therapeutic process and was therefore responsible for its outcome.
 癒されていない癒し主がこの境地に到達するまでは、彼は自分が治療のプロセスを管理し、したがって、治療の成果について責任を負っていると思い込むことになります。

 His patient's errors thus became his own failures, and guilt became the cover, dark and strong, for what should be the Holiness of Christ.
 彼の患者の誤りは、こうして、セラピスト自身の誤りとなり、キリストの神聖さであるはずのものを、罪悪感が暗く、そして強力に覆い隠してしまいます。

 Guilt is inevitable in those who use their judgment in making their decisions.
 自らが決断を下すに際して、自らの価値判断を用いる者たちの心に罪悪感が生じるのは避けようのないことです。

 Guilt is impossible in those through whom the Holy Spirit speaks.
 これに対して、聖霊が自らを通して語るようにする者たちの心に罪悪感が生じるのは不可能なことです。





5. The passing of guilt is the true aim of therapy and the obvious aim of forgiveness.
 罪悪感を消し去ることが、真の治療の狙いであり、赦しの明白な目的です。

 In this their oneness can be clearly seen.
 罪悪感を去らせることで、患者とセラピストの一体性がはっきり見えるようになります。

 Yet who could experience the end of guilt who feels responsible for his brother in the role of guide for him?
 それにしても、兄弟を導くという役割について自分が兄弟に対して責任を負っていると感じながら、罪悪感が消滅するのを体験できる者など果たしているでしょうか。

 Such a function presupposes a knowledge that no one here can have; a certainty of past, present and future, and of all the effects that may occur in them.
 そのような役割は、過去、現在、未来、そしてそれらの時制で起こりうるあらゆる結果に関する確信という、この地上では誰も持つことのできない知識を前提とすることなのです。

 Only from this omniscient point of view would such a role be possible.
 この全知の観点からのみ、そんな役割を果たすことは可能といえるでしょう。

 Yet no perception is omniscient, nor is the tiny self of one alone against the universe able to assume he has such wisdom except in madness.
 しかし、いかなる知覚も全知ではないし、狂気の中でないかぎり、宇宙に一人きりで立ち向かうちっぽけな自己には、自分にそんな英知が備わっていると想定することなどできないはずです。

 That many therapists are mad is obvious.
 本当に数多くのセラピストたちが狂気に陥っているのは、明白なことです。

 No unhealed healer can be wholly sane.
 癒されていない癒し主は誰も、完全に正気であることはできません。




6. Yet it is as insane not to accept a function God has given you as to invent one He has not.
 しかし、神があなたに授けた役目を受け入れないことは、神があなたに授けなかった役目をでっちあげることと同じように、狂気の沙汰です。

 The advanced therapist in no way can ever doubt the power that is in him.
 進歩したセラピストは、決して自分の中にある力を疑うことなどできません。

 Nor does he doubt its Source.
 そして、彼にはその力の大いなる源を疑うこともできません。

 He understands all power in earth and Heaven belongs to him because of who he is.
 彼には、自分の本質のゆえに、天と地のすべての力が自分に備わっていることを理解しています。

 And he is this because of his Creator, Whose Love is in him and Who cannot fail.
 そして、失敗するということがありえない彼の創造主の大いなる愛が彼の中にあるがゆえに、彼は天と地のすべての力を備える存在なのです。

 Think what this means; he has the gifts of God Himself to give away.
 このことが何を意味するか考えてください。彼は、与えるために神自身の贈り物を持っているのです。

 His patients are God's saints, who call upon his sanctity to make it theirs.
 彼の患者たちは神の聖徒であり、彼の神聖さを自分たちのものにすることを求めているのです。

 And as he gives it to them, they behold Christ's shining face as it looks back at them.
 そして、彼が患者たちに神の贈り物である自らの神聖さを与えるにつれて、患者たちは、キリストの輝く顔が自分たちを見つめ返す様を眺めることになります。





7. The insane, thinking they are God, are not afraid to offer weakness to God's Son.
 狂気の者は自分が神だと思っているので、神の子に弱さを差し出すことを怖がりません。

 But what they see in him because of this they fear indeed.
 しかし、弱さを差し出すことで狂気の者たちが神の子の中に見ることになるもののことを、狂気の者たちは本当に恐れています。

 The unhealed healer cannot but be fearful of his patients, and suspect them of the treachery he sees in him.
 癒されていない癒し主は、自分の患者たちのことをただ怖がることしかできず、自分の中に見ている裏切りが患者たちの中にあると疑うようになります。

 He tries to heal, and thus at times he may.
 癒されていない癒し主は癒そうと努めます。そうすることで、ときには、彼が癒すこともありえます。

 But he will not succeed except to some extent and for a little while.
 しかし、癒されていない癒し主が成功するのは、ある程度までのことで、それも、ほんのわずかな間でしかありません。

 He does not see the Christ in him who calls.
 癒されていない癒し主は、呼びかけている患者の中にキリストを見ようとはしません。

 What answer can he give to one who seems to be a stranger; alien to the truth and poor in wisdom, without the god who must be given him?
 真理と相容れず、賢明さに欠け、自分には与えられている小さな神を持たないよそ者であるように見えている患者に対して、いったい彼がどんな答えを与えられるというのでしょうか。

 Behold your God in him, for what you see will be your Answer.
 患者の中にあなたの大いなる神を見てください。というのも、あなたが見るものがあなたの答えとなるからです。





8. Think what the joining of two brothers really means.
 二人の兄弟たちが一つに結びつくことが、本当に何を意味するのか考えてみてください。

 And then forget the world and all its little triumphs and its dreams of death.
 それから、この世界を忘れ、そして、この世界の取るに足りない功績とこの世界の死の夢の数々などみんな忘れてしまいなさい。

 The same are one, and nothing now can be remembered of the world of guilt.
 同じものは一つであり、今や、罪悪感にまみれた世界について何ひとつとして思い出すことなどできません。

 The room becomes a temple, and the street a stream of stars that brushes lightly past all sickly dreams.
 その部屋は神殿となり、街路は、病んだ夢のすべてを軽やかに流し去る銀河となります。

 Healing is done, for what is perfect needs no healing, and what remains to be forgiven where there is no sin?
 癒しは完了しています。というのも、完璧であるものにはいかなる癒しも必要なく、罪のないところには赦されるべきものなど何も残ってはいないからです。





9. Be thankful, therapist, that you can see such things as this, if you but understand your proper role.
 セラピストよ、もしあなたがただ自分にふさわしい役割を理解するなら、あなたにはこのようなことを目にすることができることに感謝するがよいでしょう。

 But if you fail in this, you have denied that God created you, and so you will not know you are His Son.
 しかし、もしあなたが自分にふさわしい役割を理解し損ねるなら、あなたは神が自分を創造したことを否認したのであり、したがって、あなたは自分が神の子であることを知らないままになるでしょう。

 Who is your brother now?
 そのとき、あなたの兄弟とはいったい誰なのでしょうか。

 What saint can come to take you home with him?
 どんな聖者が、彼と一緒にあなたを故郷へと連れて行くことができるというのでしょう。

 You lost the way.
 あなたは道に迷ってしまいました。

 And can you now expect to see in him an answer that you have refused to give?
 それなのに、あなたは自分が与えることを拒んできた答えを、今、兄弟の中に見ることを期待できるでしょうか。

 Heal and be healed.
 癒し、そして癒されなさい。

 There is no other choice of pathways that can ever lead to peace.
 この道以外には、平安へと導くことのできる別の選択肢などありません。

 O let your patient in, for he has come to you from God.
 さあ、あなたの患者を招き入れてください。というのも、彼は神からあなたのところへとやってきたのですから。

 Is not his holiness enough to wake your memory of Him?
 彼の神聖さだけでは、あなたに神の記憶を呼び覚ますには不十分だとでもいうのでしょうか。


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