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レッスン341「私に攻撃できるのは自分自身の潔白さだけだ。そして、私を安全に保ってくれるのも、自分自身の潔白さだけなのだ」

レッスン341です。

今日のレッスンは「私に攻撃できるのは自分自身の潔白さだけだ。そして、私を安全に保ってくれるのも、自分自身の潔白さだけなのだ」です。




まず、奇跡ってなに?をご覧ください。


T25-5 無罪!が参考になると思います。

”sinlessness”潔白さ、無罪性は、神の子が持つ属性です。

神の子が持つ属性はすべて実在するもので、それがこの世界に反映されると影として、実在の不在が生まれるということでした。

潔白さの欠如、無罪性の不在に名前をつけたものが罪です。

この実在と実在の不在である影については、何度も繰り返し語っています。

両者の関係性の最も抽象度の高いものは、光と闇、影の関係です。

光と闇であれば、闇が光の不在だということはすぐ理解できます。

けれど、と恐れ、平安と争いとなると光が闇に射し込んで闇を除去するように、ただちにが恐れを、平安が争いを除去するわけではないので、恐れや争いという影がや平安に対抗する実在性を持つように思えます。

さらに、精神と物質となると、むしろ物質のほうが本物で、精神は物質の作用の結果起こる現象に過ぎないとすら思えます。

潔白さと罪は、精神と物質に劣らないくらい影のほうの実在性が色濃く信じられている関係性と言えるでしょう。

本レッスンでは、私に攻撃できるのは自らの潔白さだけだと言います。

私たちは、攻撃によって罪深い他者を傷つけることができると信じています。

しかし、罪は実在せず、アバターとしての他者も自分も幻想で実在しないので、罪ある他者は実在せず、攻撃して傷つけることはできません(レッスン26「私の攻撃的な思いが、私の傷つきようのない不滅性を攻撃している」)。

私たちは、他者を罪深いものとみなして攻撃することによって、他者に罪をなすりつけることで自分の潔白さを保とうとしていることになりますが、こうすることによって、私たちはかえって、自他分離の幻想を強め、他者が有罪でありうるなら自分も罪を犯しうるという信念を強めることになります。

このように他者を咎める心理は、自分は悪くないと罪悪感を他者に抱かせようと躍起になる思いは、自分が悪いとされる可能性があり、そうなっては大変だという怯えが基盤にあり、自分が真に潔白だという確信が欠落していることを示しています。

つまり、他者を攻撃することで私たちがしているのは、自分の潔白さを危機にさらすことだということです。

しかし、自分の潔白さを攻撃することはできても、私たちが潔白であることは、実在する真実であり、真に罪深くなることはありえないので、攻撃をやめさえすれば、ありのままの潔白さがそのまま姿を現すので、私たちの安全を保ってくれるのも、同じ潔白さだということです。


Lesson 341


I can attack but my own sinlessness,
私に攻撃できるのは自分自身の潔白さだけだ。

And it is only that which keeps me safe.
そして、私を安全に保ってくれるのも、自分自身の潔白さだけなのだ。



1. Father, Your Son is holy.
 父よ、あなたの子は聖なる存在です。

 I am he on whom You smile in love and tenderness so dear and deep and still the universe smiles back on You, and shares Your Holiness.
 私こそ、あなたの子です。あなたは優しさの中で私に微笑みかけてくれます。あなたの優しさは本当に深く静かなに満ち溢れているので、宇宙はあなたに微笑み返して、あなたの大いなる神聖さを分かち合います。

 How pure, how safe, how holy, then, are we, abiding in Your Smile, with all Your Love bestowed upon us, living one with You, in brotherhood and Fatherhood complete; in sinlessness so perfect that the Lord of Sinlessness conceives us as His Son, a universe of Thought completing Him.
 そうだとすれば、あなたの微笑みの中に包まれ、あなたの大いなるのすべてを授けられ、完全な兄弟と親子によってあなたとひとつのものとして生きている私たちは、なんと清らかで、なんと安全で、なんと神聖なのでしょう。私たちの潔白さはあまりに完全なので、大いなる潔白さたる神は、私たちのことを神を完成させる大いなる思いという宇宙であるわが子として心に抱いてくれます。



2. Let us not, then, attack our sinlessness, for it contains the Word of God to us.
 それゆえ、私たちが自分の潔白さ攻撃しないようにさせてください。というのも、私たちの潔白さの中に、私たちへの神の大いなる言葉が含まれているからです。

 And in its kind reflection we are saved.
 そして、自らの潔白さが優しく反映されることで、私たちは救われるのです。


それでは、ブリトニーさんのレッスンです。




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