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レッスン352「裁きと愛とは正反対です。裁きからは、この世界のあらゆる悲しみが生じます。しかし、愛からは、神自身の平安が訪れます」

レッスン352です。

裁きとは正反対です。裁きからは、この世界のあらゆる悲しみが生じます。しかし、からは、神自身の平安が訪れます」が今日のレッスンです。




まず、私とは何かをご覧ください。


今日のテーマでは、裁きが対置されています。

裁きは物事の価値判断を行う心理作用であり、「なす」ことであるのに対して、(には「する」という動詞の意味もありますが)は他者と自分がひとつに結びついている一体性を経験することで生じる感情であり、「ある」ものなので、同じ局面の概念として対置するのは不自然です。

厳密には、「なす」こととしての裁きの対概念は赦しであり、「ある」ものとしての愛の対概念は恐れです。

つまり、裁きを「なさない」ことが赦しであり、愛が「ない」状態が恐れです。

今日のレッスンでは、あえて「なす」ことである裁きと「ある」ものとしての愛を対置しているわけです。

「Through this I come to You.
 この赦しを通して、私はあなたの下に赴きます。

 Judgment will bind my eyes and make me blind.
 裁きは私に目隠しをして、私を盲目にしてしまいます。」

赦しとは、①罪が幻想だと見極めて、その認識通りに②無視するということでした。

そして、赦しの要点は①にあるので、どれだけ一生懸命②「これは幻想だから存在しないんだ!」と幻として無視しようとがんばっても無駄で表面的に自分を誤魔化すことしかできません。

それよりも、真に①それが幻想だと見極めることができれば、当然の帰結として②が自動反応として起こります。

これに対して、裁きとは、❶罪が実在すると信じて、❷その信念通りに咎める判定を下すことです。

エゴに従うかぎり、❶罪の実在性は疑いのない前提となるので、裁きの要点は❷咎める点にあります。

❷咎めが目隠しとなり、①罪が幻であるという真理を覆い隠して、私たちを盲目にし、❶罪が実在すると信じさせ、②罪を看過することを不可能にします。

つまり、裁きと同じような捉え方で赦しを捉えると、どうしても②に比重が置かれて「滅ぼすための許し」に陥ってしまいがちです。

「4. Forgiveness, on the other hand, is still, and quietly does nothing.
 他方で、赦しは、静かに落ち着いて何もしようとはしません。」(赦しってなに?

そこで、裁きを打ち消すために積極的な赦しという対抗手段で攻撃するというテクニカルな捉え方よりも、より実態に即して、目隠しとなる裁きの❷咎めを放棄することに力点をおくと、目隠しが取れさえすれば、あるがままに見るだけで、もともとある愛が姿を現し、①罪が幻想であることが見極められるということになります。

咎めるのも、意図的に「許す」のも、罪の実在性を前提にするという土台に乗っかっている点で「赦し」ではないわけです。

このような意味で、裁きは愛と正反対だという表現は、厳然としてある愛に基盤を置き、その発露として作用する赦しの本質と働きを踏まえたものだということができます。







Lesson 352


Judgment and love are opposites.
裁きとは正反対です。

From one come all the sorrows of the world.
裁きからは、この世界のあらゆる悲しみが生じます。

But from the other comes the peace of God Himself.
しかし、からは、神自身の平安が訪れます。



1. Forgiveness looks on sinlessness alone, and judges not.
 赦しは、潔白さだけを見て、裁くことをしません。

 Through this I come to You.
 この赦しを通して、私はあなたの下に赴きます。

 Judgment will bind my eyes and make me blind.
 裁きは私に目隠しをして、私を盲目にしてしまいます。

 Yet love, reflected in forgiveness here, reminds me You have given me a way to find Your peace again.
 しかし、この地上で赦しの中に反映するは、あなたの平安を再び見出すためのをあなたが私に与えてくれていることを私に思い出させてくれます。

 I am redeemed when I elect to follow in this way.
 私がこのを辿ることを選ぶとき、私は救われます。

 You have not left me comfortless.
 あなたは私を慰みのないまま置き去りになどしていません。

 I have within me both the memory of You, and One Who leads me to it.
 私は自らの内に、あなたの思い出を持っているだけでなく、その記憶へと私を導いてくれる聖霊も宿しています。

 Father, I would hear Your Voice and find Your peace today.
 父よ、今日こそ、私はあなたの大いなる声を聞いて、あなたの平安を見出すつもりです。

 For I would love my own Identity, and find in It the memory of You.
 というのも、私は、本当の自分自身をし、本当の自分に気づくことで、あなたの記憶を見出すつもりだからです。


それでは、ブリトニーさんのレッスンです。




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