There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

T19-4B 平安への障害2

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テキスト第十九章から、平安への障害の続きで、第二の障害までをご紹介します。





テキスト第十九章 

4節 平安への障害

B. The Second Obstacle: The Belief the Body is Valuable for What It Offers
B 第二の障害 ― 身体が提供するもののゆえに身体には価値あると信じること



1. We said that peace must first surmount the obstacle of your desire to get rid of it.
 以前に述べたように、平安はまず、平安を追い払いたいというあなたの願望という障害を乗り越えなければなりません。

 Where the attraction of guilt holds sway, peace is not wanted.
 罪悪感の魅力が幅を利かせているようなところで、平安が望まれることはありません。

 The second obstacle that peace must flow across, and closely related to the first, is the belief that the body is valuable for what it offers.
 平安が流れ渡らなければならない最初の障害と密接に関連する二番目の障害は、身体はそれが提供するもののゆえに価値を持つという信念です。

 For here is the attraction of guilt made manifest in the body, and seen in it.
 というのは、この信念から、罪悪感の魅力が身体に顕現したり、身体の中に見出されたりすることになるからです。


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2. This is the value that you think peace would rob you of.
 あなたは、この身体が持っていると信じる価値を、平安が自分から奪い去ってしまうと思っています。

 This is what you believe that it would dispossess, and leave you homeless.
 あなたは、平安が身体の価値をあなたから取り上げて、あなたを宿なしにしようとしていると信じています。

 And it is this for which you would deny a home to peace.
 だから、この理由のために、あなたは平安を宿すことを拒もうとするのです。

 This "sacrifice" you feel to be too great to make, too much to ask of you.
 あなたは、このような「犠牲」は払うには大きすぎるとか、自分に求められるには過大な要求だと感じています。

 Is it a sacrifice, or a release?
 はたしてそれは、犠牲を払うことでしょうか、それとも、解放されることでしょうか。

 What has the body really given you that justifies your strange belief that in it lies salvation?
 身体の中にこそ救済があるというあなたの奇妙な信仰を正当化するような、どんなものを身体は実際にあなたに与えてきたというのでしょうか。

 Do you not see that this is the belief in death?
 これがを信仰することだということが、あなたにはわらないのでしょうか。

 Here is the focus of the perception of Atonement as murder.
 ここにこそ、贖罪のことを破滅として知覚させるための焦点があります。

 Here is the source of the idea that love is fear.
 ここにこそ、愛は恐ろしいものだという想念の源があるのです。




3. The Holy Spirit's messengers are sent far beyond the body, calling the mind to join in holy communion and be at peace.
 聖霊の使者たちは身体をはるかに越えて送り出され、小さな心に、聖なる交わりに加わって安らぐようにと呼びかけています。

 Such is the message that I gave them for you.
 この呼びかけこそ、私があなたのために聖霊の使者たちに与えたメッセージです。

 It is only the messengers of fear that see the body, for they look for what can suffer.
 身体を目にするのは、恐れの使者たちだけです。というのは、恐れの使者たちは苦しむことのできるものを探し出そうとしているからです。

 Is it a sacrifice to be removed from what can suffer?
 苦しむことのできるものから引き離されることは犠牲を払うことでしょうか。

 The Holy Spirit does not demand you sacrifice the hope of the body's pleasure; it has no hope of pleasure.
 聖霊は、あなたに身体の快楽を望むことを犠牲にするように要求しているわけではありません。身体には快楽の希望などまったくないのです。

 But neither can it bring you fear of pain.
 しかしまた、同じように、身体は、あなたに苦痛に対する恐れをもたらすこともできないのです。

 Pain is the only "sacrifice" the Holy Spirit asks, and this he would remove.
 聖霊が求める「犠牲」はただ苦痛だけであり、聖霊が取り除こうとしているのは、まさにこの苦痛なのです。

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4. Peace is extended from you only to the eternal, and it reaches out from the eternal in you.
 平安は、あなたからただ永遠なるものだけに向かって拡張され、そして、平安は、あなたの内なる永遠なるものから外に向かって広がっていきます。

 It flows across all else.
 平安は、ほかのすべてを横切って流れ渡ってゆきます。

 The second obstacle is no more solid than the first.
 この二番目の障害は最初の障害と同じく、確固たるものではありません。

 For you want neither to get rid of peace nor limit it.
 というのは、あなたは平安を手放したいとも、制限したいとも望んではいないからです。

 What are these obstacles that you would interpose between peace and its going forth but barriers you place between your will and its accomplishment?
 あなたが平安と平安の拡張の間に差し挟もうとするこれらの障害は、あなたが自分の意志とその成就の間に置く障壁にほかなりません。

 You want communion, not the feast of fear.
 あなたは、恐れの饗宴ではなく、聖餐を望んでいます。

 You want salvation, not the pain of guilt.
 あなたは、罪悪感から生じる苦痛ではなく、救済を望んでいるのです。

 And you want your Father, not a little mound of clay, to be your home.
 そして、あなたは自分の出自は、取るに足らない粘土の土塁などではなく、大いなる父であってほしいと願っているのです。

 In your holy relationship is your Father's Son.
 あなたの神聖な関係の中に、あなたの父なる神の大いなる子がいます。

 He has not lost communion with him, nor with himself.
 その子は父とも自分自身とも、霊的交流を失ってはいません。

 When you agreed to join one another, you acknowledged this is so.
 このことがまさにその通りだと、あなたは自分の兄弟とひとつに結びつくことに同意したときに認めたのです。

 This has no cost, but it has release from cost.
 これには何の代償も要らないどころか、これは代償を支払うことから解放されることなのです。




5. You have paid very dearly for your illusions, and nothing you have paid for brought you peace.
 あなたは自分の幻想のためにきわめて大きな代償を払ってきましたが、あなたが大きな代価を払ってまで得たもので、あなたに平安をもたらしてくれたものは何ひとつありませんでした。

 Are you not glad that Heaven cannot be sacrificed, and sacrifice cannot be asked of you?
 天国を犠牲にすることはできないし、あなたに犠牲が求められるはずがないと聞いて、あなたは嬉しくないでしょうか。

 There is no obstacle that you can place before our union, for in your holy relationship I am there already.
 私たちがひとつに融合したところに、あなたはどんな障害物も置くことはできません。というのも、あなたの神聖な関係の中にはすでに私がいるからです。

 We will surmount all obstacles together, for we stand within the gates and not outside.
 私たちは、すべての障害物を一緒に乗り越えることになります。というのも、私たちは天国の門の外側にではなく内側に立っているからです。

 How easily the gates are opened from within, to let peace through to bless the tired world!
 疲れ果てた世界を祝福するために平安を通らせるためであれば、天国の扉は内側からなんと容易に開くことでしょうか。

 Can it be difficult for us to walk past barriers together, when you have joined the limitless?
 あなたが無限なるものとひとつに結びついたなら、私たちにとって、一緒に障壁を通り抜けるのは難しいことでしょうか。

 The end of guilt is in your hands to give.
 罪の終わりは、それを与えるようにと、あなたの手に委ねられています。

 Would you stop now to look for guilt in your brother?
 もう自分の兄弟の中に罪を見つけようとするのはやめにしてはどうでしょうか。

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6. Let me be to you the symbol of the end of guilt, and look upon your brother as you would look upon me.
 私のことを、あなたにとって罪の終わりを表す象徴にしてください。そして、私を見るつもりで、あなたの兄弟のことを見てください。

 Forgive me all the sins you think the Son of God committed.
 あなたが神の子が犯したものと信じるすべての罪について、私を赦してください。

 And in the light of your forgiveness he will remember who he is, and forget what never was.
 そうすれば、あなたの赦しの光の中で、あなたの兄弟は自分が誰なのか思い出し、一度も存在しなかったことなど忘れてしまうでしょう。

 I ask for your forgiveness, for if you are guilty, so must I be.
 私はあなたの赦しを求めています。それは、もしあなたが有罪であるなら、必ず私も有罪ということになってしまうからです。

 But if I surmounted guilt and overcame the world, you were with me.
 しかし、もし私が罪悪感を克服して、この世界に打ち勝ったとすれば、あなたも私とともに無罪であったはずなのです。

 Would you see in me the symbol of guilt or the end of guilt, remembering that what I signify to you you see within yourself?
 私があなたにとって意味する通りのものをあなたは自分自身の中に見出すことになるということを思い出すとき、あなたは、私を罪の象徴として見ようとするでしょうか。それとも、罪の終わりの象徴として見ようとするでしょうか。




7. From your holy relationship truth proclaims the truth, and love looks on itself.
 あなたの神聖な関係から、真理は真理を明らかに示し、愛は愛そのものを見つめます。

 Salvation flows from deep within the home you offered to my Father and to me.
 あなたが私の大いなる父と私に捧げてくれた住まいの奥深くから救いが流れ出します。

 And we are there together, in the quiet communion in which the Father and the Son are joined.
 そして、私たちは一緒にそこにおり、その静かな霊的交わりの中において、大いなる父と子とはひとつに結ばれます。

 O come ye faithful to the holy union of the Father and the Son in you!
 ああ、敬虔なる者よ、自らの内なる父と子の聖なる結合に加わるがよいでしょう。

 And keep you not apart from what is offered you in gratitude for giving peace its home in Heaven.
 そして、天国において平安にその住まいを与えてくれたことへの感謝に満ちた返礼としてあなたに差し出されているものから、自分を遠ざけたままにしないでください。

 Send forth to all the world the joyous message of the end of guilt, and all the world will answer.
 全世界に向けて、罪は終わったという喜ばしい知らせを送ってください。そうすれば、世界中が答えてくれます。

 Think of your happiness as everyone offers you witness of the end of sin, and shows you that its power is gone forever.
 誰もがあなたに、罪の終わりを証明し、罪の力が永遠に消え去ったことを見せてくれるとしたら、自分がどれほど幸せに感じるか考えてみてください。

 Where can guilt be, when the belief in sin is gone?
 罪に対する信仰がなくなったら、罪悪感はいったいどこに存在できるでしょうか。

 And where is death, when its great advocate is heard no more?
 声高にを擁護する者の声がもはや聞こえなくなったとき、いったいどこにがあるというのでしょう。


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8. Forgive me your illusions, and release me from punishment for what I have not done.
 あなたの幻想の数々について私を赦してください。そして、私がしてもいないことに対する処罰から私を解放してください。

 So will you learn the freedom that I taught by teaching freedom to your brother, and so releasing me.
 そうすれば、あなたも、自分の兄弟に自由を教えることで私を解放することによって、私が教えた自由を学ぶことでしょう。

 I am within your holy relationship, yet you would imprison me behind the obstacles you raise to freedom, and bar my way to you.
 私はあなたの神聖な関係の中にいます。それなのに、あなたは、自分が自由に対抗して築いた障害物の背後に、私を閉じこめ、私からあなたに通じる道を塞いでしまおうとしています。

 Yet it is not possible to keep away One Who is there already.
 しかし、すでにそこに存在している聖霊を遠ざけておくことなど不可能なことです。

 And in him it is possible that our communion, where we are joined already, will be the focus of the new perception that will bring light to all the world, contained in you.
 そして、聖霊の中においてこそ、私たちの霊的交わりが可能となります。そして、この聖餐においては、私たちの心はすでにひとつに結ばれていて、それが新しい知覚の焦点となります。この新たな知覚は、あなたの中に封じこめられていた光を全世界へともたらすことでしょう。



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i. The Attraction of Pain (1)苦痛の魅力


9. Your little part is but to give the Holy Spirit the whole idea of sacrifice.
 あなたのささやかな役割は、ただ犠牲という考えを聖霊にすべて渡しきることだけです。

 And to accept the peace he gives instead, without the limits that would hold its extension back, and so would limit your awareness of it.
 そして、聖霊が犠牲という想念の代わりに与えてくれる平安を制限することなく受け入れてください。平安を制限することは、平安の拡張を押しとどめ、そうして、あなたに平安の拡張を自覚させないようにしてしまいます。

 For what he gives must be extended if you would have its limitless power, and use it for the Son of God's release.
 というのも、もしあなたが聖霊の与えるものの持つ無限の力を得て、それを神の子の解放のために用いたいのなら、聖霊が与えてくれるものを拡張しなければならないからです。

 It is not this you would be rid of, and having it you cannot limit it.
 あなたが手放そうとするものはこの無限の力ではないし、無限の力を持っている以上は、あなたにはそれを制限することはできません。

 If peace is homeless, so are you and so am I.
 もし平安に宿る家がないなら、あなたにも私にも家がないということになってしまいます。

 And he who is our home is homeless with us.
 そして、私たちの家である神も、私たちとともに浮浪することになってしまいます。

 Is this your wish?
 こんなことが、あなたの望みだとでもいうのでしょうか。

 Would you forever be a wanderer in search of peace?
 あなたは、永遠に平安を探し求めてさまよい続ける者になりたいのでしょうか。

 Would you invest your hope of peace and happiness in what must fail?
 あなたは、必ず失敗に終わるものに、自分の平安と幸せの希望を委ねようというのでしょうか。


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10. Faith in the eternal is always justified, for the eternal is forever kind, infinite in its patience and wholly loving.
 永遠なるものを信じることはつねに正しいと証明されます。というのも、永遠なるものはいつまでも優しく、無限の辛抱づよさを持ち、完全に愛に満ち溢れるものだからです。

 It will accept you wholly, and give you peace.
 永遠なるものは、あなたを完全に受け入れ、あなたに平安を与えてくれることでしょう。

 Yet it can unite only with what already is at peace in you, immortal as itself.
 もっとも、永遠なるものは、それ自体と同じく不滅である、あなたの中ですでに平安な状態にあるものとしかひとつに結びつくことができません。

 The body can bring you neither peace nor turmoil; neither joy nor pain.
 身体は、あなたに平安も動揺ももたらすことはできず、喜びも苦痛ももたらすことはできません。

 It is a means, and not an end.
 身体は手段であって目的ではありません。

 It has no purpose of itself, but only what is given to it.
 身体それ自体には何の目的もなく、ただそれに与えられた目的を持つだけです。

 The body will seem to be whatever is the means for reaching the goal that you assign to it.
 身体は、あなたが身体に割り当てる目標に到達するためであれば、どんな手段にでもなりうるように思えます。

 Peace and guilt are both conditions of the mind, to be attained.
 平安も罪悪感もともに、獲得されるべき心の状態です。

 And these conditions are the home of the emotion that calls them forth, and therefore is compatible with them.
 そして、これらの心境は、平安と罪悪感を呼び起こす感情、したがって、平安と罪悪感のそれぞれと親和性のある感情を生み出す基盤となります。




11. But think you which it is that is compatible with you.
 しかし、平安と罪悪感のどちらを呼び起こす感情が自分にふさわしいか、考えてみてください。

 Here is your choice, and it is free.
 これはあなたが選択することであり、あなたは自由に選べます。

 But all that lies in it will come with it, and what you think you are can never be apart from it.
 ただし、あなたが選択したほうに内在するもののすべてが選択したものと一緒に付いてくることになります。そして、この選択から、あなたが自分を何者であると考えるのかということを切り離すことは決してできません。

 The body is the great seeming betrayer of faith.
 身体は、信頼をひどく裏切るものに見えます。

 In it lies disillusionment and the seeds of faithlessness, but only if you ask of it what it cannot give.
 身体の中には、幻滅と不信の種を見出せますが、実際に幻滅や不安が生じるのは、ただ身体には与えることのできないものをあなたが要求したときだけです。

 Can your mistake be reasonable grounds for depression and disillusionment, and for retaliative attack on what you think has failed you?
 あなたの思い違いが、あなたが自分の期待を裏切ったと思うものに意気消沈したり幻滅したり報復攻撃を加えたりする合理的な根拠となりうるでしょうか。

 Use not your error as the justification for your faithlessness.
 あなたの不信感を正当化するために自分の誤りを用いてはなりません。

 You have not sinned, but you have been mistaken in what is faithful.
 あなたは罪を犯してなどいません。しかし、あなたは何が信頼に値するのかということに関しては、ずっと間違ってきたのです。

 And the correction of your mistake will give you grounds for faith.
 だから、あなたの間違いを修正すれば、あなたには信頼する基盤が与えられることになります。


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12. It is impossible to seek for pleasure through the body and not find pain.
 身体を通して快楽を求めておきながら、苦痛を見出さずにいることは不可能です。

 It is essential that this relationship be understood, for it is one the ego sees as proof of sin.
 この肉体の快楽と苦痛の関連性を理解することはきわめて重要です。なぜなら、エゴはこの関連性を罪の証拠であるとみなすからです。

 It is not really punitive at all.
 本当のところ、身体を通して快楽を求めて苦痛を味わうのはまったく懲罰的なことではありません。

 It is but the inevitable result of equating yourself with the body, which is the invitation to pain.
 これは単に自分自身を身体と同一視して苦痛を招くことから来る必然的な結果でしかありません。

 For it invites fear to enter and become your purpose.
 というのも、身体と自己同一化することは、恐れに対して、中に入りこんで自分の目的になるようにと招くことだからです。

 The attraction of guilt must enter with it, and whatever fear directs the body to do is therefore painful.
 そうなれば、恐れと一緒に罪悪感の魅力も入りこんでくるに違いありません。それゆえ、恐れが身体にするように仕向けることは、それが何であれ苦痛を伴うのです。

 It will share the pain of all illusions, and the illusion of pleasure will be the same as pain.
 身体は、すべての幻想に伴う苦痛を分担することになるし、快楽という錯覚はいずれ苦痛と同じものとなってしまいます。




13. Is not this inevitable?
 このようになるのは、避けがたいことではないでしょうか。

 Under fear's orders the body will pursue guilt, serving its master whose attraction to guilt maintains the whole illusion of its existence.
 身体は、恐れに命令されて、罪悪感を追い求めます。というのは、身体は、罪悪感に訴えかける力で、身体が存在するという錯覚全体を維持させている恐れという主人に仕えているからです。

 This, then, is the attraction of pain.
 とすれば、これこそが苦痛の魅力ということです。

 Ruled by this perception the body becomes the servant of pain, seeking it dutifully and obeying the idea that pain is pleasure.
 この知覚に支配されて、身体は苦痛の下僕となり、苦痛を忠実に追い求め、苦痛こそ快楽だという想念を遵奉します。

 It is this idea that underlies all of the ego's heavy investment in the body.
 エゴの身体に対する多大な投資のすべての基盤になっているのは、この苦痛こそ快楽だとの想念なのです。

 And it is this insane relationship that it keeps hidden, and yet feeds upon.
 そして、エゴが隠そうとしながら、なおもそれに餌を与えて養っているのは、この狂気の関連性なのです。

 To you it teaches that the body's pleasure is happiness.
 あなたに対して、エゴは、身体の快楽こそが幸福なのだと教えます。

 Yet to itself it whispers, "It is death. "
 しかし、エゴは自分自身に対しては、「これはだ」とささやいているのです。


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14. Why should the body be anything to you?
 どうしてあなたにとって身体が重要なものでありうるでしょうか。

 Certainly what it is made of is not precious.
 確実に、身体を構成する成分は大したものではありません。

 And just as certainly it has no feeling.
 それに、同じく確かなのは、身体は何の感情も持たないということです。

 It transmits to you the feelings that you want.
 身体は、あなたが望む感情をあなたに対して伝えはします。

 Like any communication medium the body receives and sends the messages that it is given.
 どのような伝達手段もそうであるように、身体は自分が与えられるメッセージを受け取ったり送り出したりします。

 It has no feeling for them.
 身体は、何らそれらのメッセージに対して感情を抱くことはありません。

 All of the feeling with which they are invested is given by the sender and the receiver.
 メッセージにこめられている感情はすべて、送る者と受け取る者によって与えられるものです。

 The ego and the Holy Spirit both recognize this, and both also recognize that here the sender and receiver are the same.
 エゴと聖霊は、ともにこのことに気づいています。そして、両者はともに、この場合、送る者と受け取る者が同じだということにも気づいています。

 The Holy Spirit tells you this with joy.
 聖霊は、喜びとともに、このことをあなたに教えてくれます。

 The ego hides it, for it would keep you unaware of it.
 エゴはそれを隠します。というのは、エゴは、あなたが送り手と受け手が同じだと気づかないままにさせておきたいからです。

 Who would send messages of hatred and attack if he but understood he sends them to himself?
 もしその人が、自分が送る憎しみと攻撃のメッセージが自分のところに届けられることになることを理解してさえいたら、いったい誰が憎しみと攻撃のメッセージを他者に送ろうとなどするでしょうか。

 Who would accuse, make guilty and condemn himself?
 いったい誰が、自分自身を罪ある者として有罪判決を宣告するために、他者を告発しようとするでしょうか。




15. The ego's messages are always sent away from you, in the belief that for your message of attack and guilt will someone other than yourself suffer.
 エゴのメッセージは必ず、あなたの攻撃と罪のメッセージであなた自身以外の誰かが苦しむことになるはずだと信じて、あなたから送り出されます。

 And even if you suffer, yet someone else will suffer more.
 そして、あなたは、たとえもし自分が苦しむことがあるとしても、ほかの誰かはもっと苦しむことになるはずだと信じます。

 The great deceiver recognizes that this is not so, but as the "enemy" of peace, it urges you to send out all your messages of hate and free yourself.
 巧妙な詐欺師であるエゴは、これがそうではないとわかっていながらも、平安の「敵対者」であるがゆえに、あなたには、自分の憎しみのメッセージを全部送り出して、自分自身を自由にするようにとけしかけます。

 And to convince you this is possible, it bids the body search for pain in attack upon another, calling it pleasure and offering it to you as freedom from attack.
 そして、あなたにこれが可能だと納得させるために、エゴは身体に、他者を攻撃して苦痛を探すように命令し、その苦痛を快感と名づけて、それをあなたに攻撃から免れた証拠だとして提供します。


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16. Hear not its madness, and believe not the impossible is true.
 エゴの狂気に耳を貸して、そんな不可能なことを本当だと信じたりしてはなりません。

 Forget not that the ego has dedicated the body to the goal of sin, and places in it all its faith that this can be accomplished.
 エゴは、罪という目標のために身体を捧げており、こんな目標を達成できるものと身体に全幅の信頼を寄せているということを忘れないようにしなさい。

 Its sad disciples chant the body's praise continually, in solemn celebration of the ego's rule.
 エゴの哀れな信奉者たちは、エゴの支配を厳粛に祝うために、絶えることなく、身体を賛美して詠唱します。

 Not one but must believe that yielding to the attraction of guilt is the escape from pain.
 誰もが、罪悪感の魅力に屈服することこそ苦痛から逃れる途だと信じて疑いません。

 Not one but must regard the body as himself, without which he would die, and yet within which is his death equally inevitable.
 誰もがみな、身体こそが自分自身だと見なし、身体なくしては自分はんでしまうし、それでいて、その身体の中にあったとしても、自分のが同じように避けられないと思っているに違いありません。




17. It is not given to the ego's disciples to realize that they have dedicated themselves to death.
 エゴの信奉者たちには、彼らが自分で自分自身を死に捧げているのだとは気づくことができません。

 Freedom is offered them but they have not accepted it, and what is offered must also be received, to be truly given.
 彼らには自由が差し延べられているのですが、彼らはその自由を受け入れてはいません。そして、差し延べられているものが本当に与えられたことになるためには、差し延べられたものが受け取られる必要があるのです。

 For the Holy Spirit, too, is a communication medium, receiving from the Father and offering his messages unto the Son.
 というのは、聖霊もまた、大いなる父からのメッセージを受け取って、そのメッセージを子へと差し延べる伝達手段だからです。

 Like the ego, the Holy Spirit is both the sender and the receiver.
 エゴと同じように、聖霊は送り手であるとともに受け取り手でもあります。

 For what is sent through him returns to him, seeking itself along the way, and finding what it seeks.
 というのも、聖霊を通じて送り出されたものは、途中で自らと同じものを探し求めて、自らと同じものを見つけ出して聖霊の許に戻ってくるからです。

 So does the ego find the death it seeks, returning it to you.
 同様にエゴは自ら探し求める死を見つけ出し、その死を携えてあなたの許へと帰ってくるのです。


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