There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

T19-4Ai 平安への障害1−2

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今回は、テキスト第十九章、4の平安への障害から、罪悪感の魅力についての一節をご紹介します。









i. The Attraction of Guilt
(I)罪悪感の魅力


10. The attraction of guilt produces fear of love, for love would never look on guilt at all.
 罪悪感の魅力はに対する恐れを引き起こします。それは罪悪感を見ようとすることはまったくありえないからです。

 It is the nature of love to look upon only the truth, for there it sees itself, with which it would unite in holy union and completion.
 真理のみを見つめることこそ、本質です。というのも、真理そのものを見て、真理であるそのものと聖なる結合を遂げて完成するために結ばれようとするからです。

 As love must look past fear, so must fear see love not.
 愛が恐れを通り越して見るのと同じくらい確実に、恐れが愛を見ることはありません。

 For love contains the end of guilt, as surely as fear depends on it.
 というのは、恐れ罪悪感に依存しているのと同じくらい確実に、愛は罪悪感に終わりをもたらすからです。

 Overlooking guilt completely, it sees no fear.
 罪悪感を完全に見過ごしているので、愛はいかなる恐れも見ることがありません。

 Being wholly without attack, it could not be afraid.
 完全に攻撃することがないので、愛は恐れることができません。

 Fear is attracted to what love sees not, and each believes that what the other looks upon does not exist.
 恐れは、愛が見ないものに惹きつけられます。そして、愛も恐れもお互いに、相手の見ているものは存在しないと信じています。

 Fear looks on guilt with just the same devotion that love looks on itself.
 愛が愛そのものを見るのとまったく同じくらい献身的に、恐れは罪悪感を見つめます。

 And each has messengers which they send forth, and which return to them with messages written in the language in which their going forth was asked.
 そして愛も恐れも、それぞれに外へと送り出す使者たちを持っており、その使者たちは、自分たちが出向くよう依頼された言語で書かれたメッセージを携えて送り主の許へと戻ってきます。


名称未設定

11. Love's messengers are gently sent, and return with messages of love and gentleness.
 愛の使者たちは穏やかに送り出され、愛と優しさについてのメッセージを携えて戻ってきます。

 The messengers of fear are harshly ordered to seek out guilt, and cherish every scrap of evil and of sin that they can find, losing none of them on pain of death, and laying them respectfully before their lord and master.
 恐れの使者たちは、罪悪感を探し出すよう厳しく命令されており、獲物をひとつでも無くそうものなら死の苦痛が待っているので、自分たちに見つけうるかぎりの邪悪さと罪のかけらを残らず大切にして、見つけ出したものすべてを自らの支配者である主人の前に恭順の意を示しながら差し出します。

 Perception cannot obey two masters, each asking for messages of different things in different languages.
 知覚は、それぞれ異なることについてのメッセージを違う言語で求める二人の主人に従うことはできません。

 What fear would feed upon, love overlooks.
 恐れが餌食にしようとするものを、愛は無視します。

 What fear demands, love cannot even see.
 恐れが要求するようなものは、愛には見ることすらできません。

 The fierce attraction that guilt holds for fear is wholly absent from love's gentle perception.
 恐れにとって激しく魅力を持つ罪悪感も、愛の穏やかな知覚にとってはまったく存在しません。

 What love would look upon is meaningless to fear, and quite invisible.
 愛が見つめようとするものは、恐れにとって無意味であり、まったく見ることができません。



12. Relationships in this world are the result of how the world is seen.
 この世界における様々な関係は、この世界がどのように見られているかということの結果です。

 And this depends on which emotion was called on to send its messengers to look upon it, and return with word of what they saw.
 そして、この世界がどう見えるかは、この世界を探るためにどちらの感情が呼び出されて使者として送り出され、そして、戻ってきたその使者が何を目にしたと知らせるかによって左右されます。

 Fear's messengers are trained through terror, and they tremble when their master calls on them to serve him.
 恐れの使者たちは恐怖を通して訓練されており、使者たちは、主人から任務に就くよう呼び出されると震え上がります。

 For fear is merciless even to its friends.
 というのも、恐れは自分の仲間に対してさえ容赦しないからです。

 Its messengers steal guiltily away in hungry search of guilt, for they are kept cold and starving and made very vicious by their master, who allows them to feast only upon what they return to him.
 恐れの使者たちは、腹を空かせて罪悪感を探索する中で、罪深い様子で盗み取っていきます。というのも、使者たちは、寒さと餓えの中に保たれ、使者たちが持ち帰った獲物の中からだけ食事を摂ることを許す主人によって、非常に凶暴になるように仕立て上げられているからです。

 No little shred of guilt escapes their hungry eyes.
 ほんの小さな罪悪感の切れ端も、恐れの使者たちの餓えきった目を逃れることはできません。

 And in their savage search for sin they pounce on any living thing they see, and carry it screaming to their master, to be devoured.
 そして、彼らは獰猛に罪を探し回って、目についたどんな生き物にも襲いかかり、獲物を貪り食らうために、主人の許へと唸り声をあげながら運んで行きます。


名称未設定

13. Send not these savage messengers into the world, to feast upon it and to prey upon reality.
 この世界を食い物にさせたり、現実を獲物にするために、こんな残忍な使者たちをこの世界に送り出してはなりません。

 For they will bring you word of bones and skin and flesh.
 というのは、その使者たちは骨や皮や肉についての知らせをあなたに届けるからです。

 They have been taught to seek for the corruptible, and to return with gorges filled with things decayed and rotted.
 使者たちは、腐りやすいものを探し出し、傷んですでに腐ったものを咽に詰め込んで戻るように調教されています。

 To them such things are beautiful, because they seem to allay their savage pangs of hunger.
 その使者たちにとっては、そのようなものこそ素晴らしいのです。なぜなら、それらは容赦のない痛烈な飢餓感を和らげてくれるように思えるからです。

 For they are frantic with pain of fear, and would avert the punishment of him who sends them forth by offering him what they hold dear.
 使者たちは、恐怖の生み出す苦痛で半狂乱になっているので、自分たちが大切にする獲物を捧げることによって、自分たちを送り出した主人からの処罰を逃れようとします。




14. The Holy Spirit has given you love's messengers to send instead of those you trained through fear.
 聖霊は、あなたが恐怖を通じて訓練した使者たちの代わりに送り出すようにと、あなたに愛の使者たちを与えてくれています。

 They are as eager to return to you what they hold dear as are the others.
 愛の使者たちは、恐怖の使者たちがそうであるように、熱心に自らが大切にするものをあなたの許へと持ち帰ろうとします。

 If you send them forth, they will see only the blameless and the beautiful, the gentle and the kind.
 もしあなたが愛の使者たちを送り出せば、使者たちは、潔白で美しいものや優しくて親切なものだけを見ることでしょう。

 They will be as careful to let no little act of charity, no tiny expression of forgiveness, no little breath of love escape their notice.
 愛の使者たちは、どんなにささやかな情け深い行いも、わずかな赦しの表現も、どんな小さな愛の息吹も見逃さないように注意を払うことでしょう。

 And they will return with all the happy things they found, to share them lovingly with you.
 そして、愛の使者たちは、自分たちの見つけた幸せなものを愛情を込めてあなたと一緒に分かち合うために、見つけたものすべてを携えて戻ってきてくれるでしょう。

 Be not afraid of them.
 愛の使者たちが見つけてきてくれたものを怖がることはありません。

 They offer you salvation.
 愛の使者たちはあなたに救いを差し延べてくれているのです。

 Theirs are the messages of safety, for they see the world as kind.
 愛の使者たちがもたらすのは安全のメッセージです。というのは、愛の使者たちはこの世界を優しい世界として見ているからです。

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15. If you send forth only the messengers the Holy Spirit gives you, wanting no messages but theirs, you will see fear no more.
 もしあなたが聖霊の与えてくれた使者たちだけを送り出し、ただその愛の使者たちのメッセージだけを望むなら、あなたはもうそれ以上、恐れを見ることはなくなります。

 The world will be transformed before your sight, cleansed of all guilt and softly brushed with beauty.
 世界はあなたの目の前で変容し、すべての罪を洗い流され、そして、静かに美しく塗り替えられます。

 The world contains no fear that you laid not upon it.
 世界には、あなたが押しつけなかった恐れはひとつも含まれていません。

 And none you cannot ask love's messengers to remove from it, and see it still.
 そして、あなたが愛の使者たちに世界から取り除いてほしいと頼んだのに、その恐れがまだ見えるということはありえません。

 The Holy Spirit has given you his messengers to send to your brother and return to you with what love sees.
 聖霊は、あなたの兄弟のところに送って、愛が見るものを携えてあなたのところに戻らせるために、あなたに自らの使者たちを与えてくれました。

 They have been given to replace the hungry dogs of fear you sent instead.
 愛の使者たちは、あなたがその代わりに送り出していた恐れの飢えた犬たちと交代させるために与えられたのです。

 And they go forth to signify the end of fear.
 だから、愛の使者たちは、恐れが終わったということを知らせるために出発するのです。




16. Love, too, would set a feast before you, on a table covered with a spotless cloth, set in a quiet garden where no sound but singing and a softly joyous whispering is ever heard.
 愛もまた、あなたの前で祝宴を開きます。その祝宴は、歌声や穏やかで嬉しそうな囁きしか聞こえてこない静かな庭園に設けられた一点の染みもない綺麗な布で覆われたテーブルの上に用意されます。

 This is a feast that honors your holy relationship, and at which everyone is welcomed as an honored guest.
 これはあなたの神聖な関係を祝う祝宴です。この祝宴には、誰もがみな賓客として歓迎されます。

 And in a holy instant grace is said by everyone together, as they join in gentleness before the table of communion.
 そして、神聖な瞬間には、みんなが聖餐のテーブルを前にして、穏やかな気持ちで結ばれているので、一緒に感謝の祈りを唱えます。

 And I will join you there, as long ago I promised and promise still.
 そして、私はずっと以前にそう約束し、今なお約束している通りに、そこであなたたちに加わるつもりです。

 For in your new relationship am I made welcome.
 というのも、あなたの新しい関係の中で、私は歓迎されるようになったからです。

 And where I am made welcome, there I am.
 そして、私が歓迎してもらえるところであれば、そこに必ず私は居るのです。


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17. I am made welcome in the state of grace, which means you have at last forgiven me.
 慈愛に満ちた状態において私が歓迎されるならば、それはあなたがついに私を赦してくれたということを意味します。

 For I became the symbol of your sin, and so I had to die instead of you.
 というのは、私は、あなたたちの罪の象徴になったために、あなたたちの代わりに死ななければならなかったからです。

 To the ego sin means death, and so atonement is achieved through murder.
 エゴにとっては、罪は死を意味します。それゆえ、罪の償いは殺害によって達せられることになります。

 Salvation is looked upon as a way by which the Son of God was killed instead of you.
 救済は、神の子があなたたちの代わりに殺されたことで達せられたものとみなされています。

 Yet no one can die for anyone, and death does not atone for sin.
 しかし、誰ひとり、ほかの人の身代わりになって死ぬことはできないし、死は罪の償いにはなりません。

 But you can live to show it is not real.
 しかし、あなたは生きることで、罪は本当にあるものではないと示すことができます。

 The body does appear to be the symbol of sin while you believe that it can get you what you want.
 あなたが身体が自分の欲しいものを手に入れてくれると信じるうちは、たしかに身体は罪の象徴であるように見えはします。

 While you believe that it can give you pleasure, you will also believe that it can bring you pain.
 あなたが身体が自分に快楽をもたらしてくれると信じるうちは、あなたはまた、身体は自分に苦痛をもたらすことができるとも信じることでしょう。

 To think you could be satisfied and happy with so little is to hurt yourself, and to limit the happiness that you would have calls upon pain to fill your meager store and make your life complete.
 こんなにも取るに足りないもので満足して幸せになれると思い込むことは、あなた自身を傷つけて、自分が手に入れられるはずの幸せを制限することです。その結果として、あなたは、欠乏する自分への供給を満たすことで自分の人生を完全にしてもらおうと苦痛を呼び求めることになります。

 This is completion as the ego sees it.
 これこそ、エゴが完成としてみなしているものです。

 For guilt creeps in where happiness has been removed, and substitutes for it.
 というのも、幸福が取り除かれた場所に罪悪感が這い入り、幸福に取って代わるわけだからです。

 Communion is another kind of completion, which goes beyond guilt, because it goes beyond the body.
 聖餐は、これとは別の種類の完成であり、罪悪感を超越するものです。なぜなら、聖餐は身体を超越するものだからです。


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