There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

T19-4C 平安への障害3

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今回は、テキスト第十九章から平安への障害の続きをご紹介します。第三の障害死の魅力です。





テキスト第十九章

C. The Third Obstacle: The Attraction of Death
C 第三の障害死の魅力


1. To you and your brother, in whose special relationship the Holy Spirit entered, it is given to release and be released from the dedication to death.
 あなたと兄弟との特別な関係に聖霊が入り込んだので、あなたたちには、に対する献身から互いを解放し解放される機会が与えられています。

 For it was offered you, and you accepted.
 というのは、その機会はあなたに差し延べられ、そして、あなたはそれを受け入れたからです。

 Yet you must learn still more about this strange devotion, for it contains the third obstacle that peace must flow across.
 それでもなお、あなたはに対する献身というこの奇妙な帰依についてさらに学ぶ必要があります。というのは、平安が流れ渡らなければならない第三の障害への献身に含まれているからです。

 No one can die unless he chooses death.
 自分でを選択しないかぎり、誰もぬことはできません。

 What seems to be the fear of death is really its attraction.
 死に対する恐怖であるように思えているものは、本当は死の魅力なのです。

 Guilt, too, is feared and fearful.
 罪悪感もまた、怖がられていて、恐ろしいものです。

 Yet it could have no hold at all except on those who are attracted to it and seek it out.
 しかし、罪悪感は、それに惹きつけられて罪悪感を追い求めようとする者以外を支配する力はまったくありません。

 And so it is with death.
 死についても、それと同じことがいえます。

 Made by the ego, its dark shadow falls across all living things, because the ego is the "enemy" of life.
 エゴによって作られたがゆえに、死はその暗いを命あるすべてのものに落とします。なぜなら、エゴは生命の「敵」だからです。




2. And yet a shadow cannot kill.
 そうはいっても、には殺すことなどできません。

 What is a shadow to the living?
 生きているものにとって、が何だというのでしょう。

 They but walk past and it is gone.
 生きているものが通り過ぎさえすれば、は消えてなくなります。

 But what of those whose dedication is not to live; the black-draped "sinners," the ego's mournful chorus, plodding so heavily away from life, dragging their chains and marching in the slow procession that honors their grim master, lord of death?
 しかし、黒装束を身にまとった「罪人たち」、鎖を引きずりながら、死の支配者たる自分たちの残忍な主人を讃えるゆっくりした行進に加わって、本当に重い足取りでとぼとぼと生命から遠ざかっていくエゴの悲痛な歌を合唱する者たちのような、生きないことに心を捧げている者たちにとってはどうでしょう。

 Touch any one of them with the gentle hands of forgiveness, and watch the chains fall away, along with yours.
 彼らのうちの誰かに赦しの手で優しく触れてみてください。そうして、その人を縛る鎖があなたの鎖と一緒に外れ落ちるのを見るがよいでしょう。

 See him throw aside the black robe he was wearing to his funeral, and hear him laugh at death.
 彼が自らの葬儀のために身に着けていた黒い上着を脱ぎ捨てるのを見てください。そして、彼が死を笑い飛ばすのを聞くがよいでしょう。

 The sentence sin would lay upon him he can escape through your forgiveness.
 あなたの赦しによって、彼は罪が彼に科そうとする刑罰から逃れることができます。

 This is no arrogance.
 これはまったく傲慢なことではありません。

 It is the Will of God.
 それこそ神の大いなる意志です。

 What is impossible to you who chose his will as yours?
 神の大いなる意志を自らの意志として選択したあなたにとって、いったい何が不可能だというのでしょうか。

 What is death to you?
 あなたにとって死が何だというのでしょう。

 Your dedication is not to death, nor to its master.
 あなたが心を捧げるのは、死に対してではいないし、死の支配者に対してでもありません。

 When you accepted the Holy Spirit's purpose in place of the ego's you renounced death, exchanging it for life.
 あなたがエゴの目的の代わりに聖霊の目的を受け入れたとき、あなたは死を放棄してそれを生命と交換したのです。

 We know that an idea leaves not its source.
 私たちは、想念はその源を離れることはないと知っています。

 And death is the result of the thought we call the ego, as surely as life is the result of the Thought of God.
 そして、死は私たちがエゴと呼ぶ想念の結果であるのは確かです。それは、生命が神の大いなる思いの結果であるのと同じくらい確実なことです。

名称未設定



i. The Incorruptible Body
(1)朽ちることのない身体


3. From the ego came sin and guilt and death, in opposition to life and innocence, and to the Will of God himself.
 生命と潔白さ、そして神自身の大いなる意志に対立して、エゴから罪と罪悪感と死が生じました。

 Where can such opposition lie but in the sick minds of the insane, dedicated to madness and set against the peace of Heaven?
 狂気の沙汰に専心して、天国の平安に対抗しようとする狂気に陥った者の病んだ心の中でしか、このような対立は起こりえないのではないでしょうか。

 One thing is sure; God, Who created neither sin nor death, wills not that you be bound by them.
 ひとつだけ確かなことがあります。それは、罪と死のどちらも創造しなかった神は、あなたが罪と死に縛られることを望んでなどいないということです。

 He knows of neither sin nor its results.
 罪も罪の結果も、神の与り知るところではありません。

 The shrouded figures in the funeral procession march not in honor of their Creator, Whose Will it is they live.
 葬送の列の中で死装束を身に着けた者たちは、自らの大いなる創造主を讃える行進をしているのではありません。創造主の大いなる意志は彼らが生きることだからです。

 They are not following his will; they are opposing it.
 彼らは創造主の意志に従っているのではなく、それに逆らっているのです。




4. And what is the black-draped body they would bury?
 そして、彼らが埋葬しようとしている黒装束に覆われた身体とは何なのでしょうか。

 A body which they dedicated to death, a symbol of corruption, a sacrifice to sin, offered to sin to feed upon and keep itself alive; a thing condemned, damned by its maker and lamented by every mourner who looks upon it as himself.
 彼らが死に捧げた身体は腐敗の象徴であり、罪を養って生き延びられるようにするために差し出された罪への生贄です。それは、その身体を自分自身として見つめる会葬者たち一人ひとりから悼まれる、その作り主から死刑判決を受けて地獄送りにされたひとつの物体です。

 You who believe you have condemned the Son of God to this are arrogant.
 自分が神の子をこのように運命づけたのだとあなたが信じているなら、それは傲慢というものです。

 But you who would release him are but honoring the Will of his Creator.
 しかし、あなたが神の子を解放しようとするなら、それは彼の創造主の大いなる意志を讃えることにほかなりません。

 The arrogance of sin, the pride of guilt, the sepulchre of separation, all are part of your unrecognized dedication to death.
 傲慢にも罪を犯したと考え、有罪であることを誇り、分離という墓に納まることはすべて、あなたが無自覚にも死に心を捧げていることの一端です。

 The glitter of guilt you laid upon the body would kill it.
 あなたが身体に押しつけた罪悪感のぎらつきが、身体を殺すことになります。

 For what the ego loves, it kills for its obedience.
 というのは、エゴは、自らのお気に入りを自分への従順さのゆえに殺すからです。

 But what obeys it not, it cannot kill.
 反対に、エゴにに従わない者をエゴは殺すことはできないのです。

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5. You have another dedication that would keep the body incorruptible and perfect as long as it is useful for your holy purpose.
 あなたには、身体があなたの神聖な目的に役立つかぎり、身体を朽ちることなく完璧に保ってくれるような専心すべきものが別にあるのです。

 The body no more dies than it can feel.
 身体は感情を抱くことができないのと同じように、死ぬこともありません。

 It does nothing.
 身体は何もすることはありません。

 Of itself it is neither corruptible nor incorruptible.
 それ自体では、身体は朽ちうるものでも朽ちえないものでもありません。

 It is nothing.
 身体は無なのです。

 It is the result of a tiny, mad idea of corruption that can be corrected.
 身体は、腐敗という取るに足りない狂気の想念の結果ですが、その想念は修正できるものです。

 For God has answered this insane idea with his own; an Answer which left him not, and therefore brings the Creator to the awareness of every mind which heard his Answer and accepted It.
 というのは、神はこの狂気の想念に対して、自身の大いなる想念で答えてくれているからです。その大いなる答えは神から離れてはいません。したがって、その大いなる答えは、それを聞いて受け入れた一つひとつの心に創造主を自覚させてくれます。




6. You who are dedicated to the incorruptible have been given through your acceptance, the power to release from corruption.
 あなたが神の大いなる答えを受け入れたことによって、不壊なるものへと心を捧げたあなたはすでに、腐敗から解放する力を授けられています。

 What better way to teach the first and fundamental principle in a course on miracles than by showing you the one that seems to be the hardest can be accomplished first?
 奇跡のコースの第一の根本原理を教えるうえで、なにはさておき最も難しそうに思える奇跡が達成できるということをあなたに示して見せる以上によい方法があるでしょうか。

 The body can but serve your purpose.
 身体はあなたの目的に役立つことしかできません。

 As you look on it, so will it seem to be.
 あなたが身体をみなす通りのものに、身体は見えてくるはずです。

 Death, were it true, would be the final and complete disruption of communication, which is the ego's goal.
 もし死が本物であるとすれば、死はコミュニケーションを決定的かつ完全に遮断させることになります。そして、それこそエゴが目標にすることです。

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7. Those who fear death see not how often and how loudly they call to it, and bid it come to save them from communication.
 死を恐れる者たちは、自分たちがいかに頻繁にどんなに大声で死に呼びかけ、コミュニケーションから自分を救うために死にやってきてほしいと頼んでいるのかわかっていません。

 For death is seen as safety, the great dark savior from the light of truth, the answer to the Answer, the silencer of the Voice that speaks for God.
 というのも、死は安全であるとみなされ、真理の光からあなたを救ってくれる偉大な闇の救い主であり、神の大いなる答えに対する答えであり、神に代わって語る大いなる声を聞こえなくさせてくれるものであるとみなされているからです。

 Yet the retreat to death is not the end of conflict.
 しかし、死の中へと引き籠ることは、葛藤を終わらせることにはなりません。

 Only God's Answer is its end.
 神の大いなる答えだけが葛藤に終止符を打つのです。

 The obstacle of your seeming love for death that peace must flow across seems to be very great.
 平安が流れ渡らなければならないあなたの死への愛のように見える障害は、非常に大きな障害のように見えます。

 For in it lie hidden all the ego's secrets, all its strange devices for deception, all its sick ideas and weird imaginings.
 というのは、その中にはエゴの秘密のすべて、エゴが欺くための奇妙な仕掛けのすべて、エゴの病的な想念や異様な想像の一切合財が隠されているからです。

 Here is the final end of union, the triumph of the ego's making over creation, the victory of lifelessness on Life Itself.
 ここにおいて、心をひとつに結び合わせることは決定的にとどめを刺され、エゴの作り出したものが創造されたものに打ち勝ち、生命なきものが大いなる生命そのものに対して勝利を収めるというのです。




8. Under the dusty edge of its distorted world the ego would lay the Son of God, slain by its orders, proof in his decay that God himself is powerless before the ego's might, unable to protect the life that he created against the ego's savage wish to kill.
 エゴが作り出した歪んだ世界の埃にまみれた片隅に、エゴは自分の命令によって殺された神の子を横たえようとします。エゴは、神の子が腐敗することこそが、エゴの力の前では神自身ですら無力であり、神が、自ら創造した生命をエゴの残忍な殺害欲求から守ることができないことの証しなのだというのです。

 My brother, child of our Father, this is a dream of death.
 わが兄弟よ、われらが大いなる父の子よ、こんなものは死の夢なのです。

 There is no funeral, no dark altars, no grim commandments nor twisted rituals of condemnation to which the body leads you.
 身体があなたを導いていくような葬儀や暗い祭壇や峻厳な戒律も存在しないし、有罪を宣告する捻じ曲がった儀式も存在しません。

 Ask not release of it.
 身体からの解放を求めてはなりません。

 But free it from the merciless and unrelenting orders you laid upon it, and forgive it what you ordered it to do.
 そうではなく、あなたが身体に課した無慈悲で容赦のない命令の数々から身体を解放し、あなたが身体にするように命じたことについて身体を赦してください。

 In its exaltation you commanded it to die, for only death could conquer life.
 ただ死だけが生命に打ち勝つことができるという理由で、あなたは身体を高い位置に祭り上げることで、身体に死を命じました。

 And what but insanity could look upon the defeat of God, and think it real?
 はたして狂気以外の何が、神が打ち負かされるのを見て、それが現実のことであると思うことができるでしょうか。


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9. The fear of death will go as its appeal is yielded to love's real attraction.
 死の魅力が愛の本当の魅力に屈するとき、死に対する恐怖は去ってしまうことでしょう。

 The end of sin, which nestles quietly in the safety of your relationship, protected by your union with your brother, and ready to grow into a mighty force for God is very near.
 罪の終わりは、本当に近くにあります。それは、あなたの関係の安全さのうちに心地よく横たわっており、あなたが兄弟とひとつに結びつくことによって守られ、神のための強大な力へと成長する準備を整えています。

 The infancy of salvation is carefully guarded by love, preserved from every thought that would attack it, and quietly made ready to fulfill the mighty task for which it was given you.
 揺籃期にある救済は、愛によって注意深く守られ、それを攻撃しようとするあらゆる思いから保護され、大いなる任務を果たせるように静かに準備を整えています。その偉大な任務を遂行するために、救いはあなたに与えられたのです。

 Your newborn purpose is nursed by angels, cherished by the Holy Spirit and protected by God himself.
 あなたの生まれたての目的は天使たちによって大切に育まれ、聖霊によって慈愛を込めて世話をされ、神自身による加護を受けています。

 It needs not your protection; it is yours.
 その目的はあなたの保護を必要としてはいません。その目的のほうこそが、あなたを保護するものなのです。

 For it is deathless, and within it lies the end of death.
 というのは、それは不死なるものであり、そして、その中に死の終わりが見出せるからです。




10. What danger can assail the wholly innocent?
 いかなる危険が、完全に潔白なる者を悩ますことができるでしょうか。

 What can attack the guiltless?
 いったい何が罪悪感のない者を攻撃できるでしょうか。

 What fear can enter and disturb the peace of sinlessness?
 いったいどんな恐れが罪のない状態という平安に入り込んで、平安をかき乱すことができるでしょうか。

 What has been given you, even in its infancy, is in full communication with God and you.
 まだ幼年期にあるとはいえ、あなたに与えられたものは、神ともあなたとも十分なコミュニケーションを保っています。

 In its tiny hands it holds, in perfect safety, every miracle you will perform, held out to you.
 その救いの幼子は、その小さな手に、あなたが行うことになる奇跡のすべてを申し分のない安全さで握っており、それをあなたに差し出しています。

 The miracle of life is ageless, born in time but nourished in eternity.
 時間の内に生まれはしても、永遠の中で育まれる生命という奇跡は、歳を取るということがありません。

 Behold this infant, to whom you gave a resting place by your forgiveness of your brother, and see in it the Will of God.
 自分の兄弟を赦すことによってあなたが安息の場を与えたこの幼子をよく見つめ、その赦しの中に神の大いなる意志を見出してください。

 Here is the babe of Bethlehem reborn.
 ここに、復活したベツレヘムの嬰児がいます。

 And everyone who gives him shelter will follow him, not to the cross, but to the resurrection and the life.
 この子を庇護するために宿す者は誰もみな、その子に従うようになり、十字架ではなく、復活と生命に向かうことになります。

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11. When anything seems to you to be a source of fear, when any situation strikes you with terror and makes your body tremble and the cold sweat of fear comes over it, remember it is always for one reason; the ego has perceived it as a symbol of fear, a sign of sin and death.
 あなたにとって何かが恐怖の源であるように思えるときや、何らかの状況があなたを恐怖におののかせてあなたの身体を震え上がらせ、恐れによる冷や汗が全身を覆うようなとき、それはつねにたったひとつの理由のためなのだと覚えておいてください。その理由とは、エゴがそれを恐怖を象徴する罪と死の印として知覚しているということです。

 Remember, then, that neither sign nor symbol should be confused with source, for they must stand for something other than themselves.
 そこで、印と象徴のどちらもその源と混同するべきではないことを覚えておいてください。というのは、印や象徴はそれ自体以外の何か別のものを代わって表しているに違いないからです。

 Their meaning cannot lie in them, but must be sought in what they represent.
 印と象徴の中に意味を見出すことはできません。それらの意味は、印や象徴が代わって表しているその何か別のものの中に探さなければなりません。

 And they may thus mean everything or nothing, according to the truth or falsity of the idea which they reflect.
 それゆえ、印や象徴が反映する想念が真理であるか偽りであるかということ次第で、印や象徴は、すべてを意味するか無を意味することになります。

 Confronted with such seeming uncertainty of meaning, judge it not.
 この象徴のような一見して意味がはっきりしないものに直面したとき、それに判断を下してはなりません。

 Remember the holy Presence of the One given to you to be the Source of judgment.
 そんなときは、裁きの大いなる源になるようにと、あなたに与えられた聖霊の神聖な存在を思い出してください。

 Give it to him to judge for you, and say:
 あなたに代わって裁いてもらうために、それらの印や象徴を聖霊に渡しながら、次のように言ってください。


Take this from me and look upon it, judging it for me.
私からこれを受け取って、それをよく見た上で、私に代わって裁いてください。

Let me not see it as a sign of sin and death, nor use it for destruction.
私が、これを罪や死の印と見たり、破滅のために使うようなことがないようにさせてください。

Teach me how not to make of it an obstacle to peace, but let You use it for me, to facilitate its coming.
どうすればそれを平安に至る上での障害にすることなく、平安の到来を促進するために、私に代わってあなたにそれを使ってもらえばよいか、私に教えてください。


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