T13-1 罪がないということは死はないということ


Love is within us.
愛は私たちの内にあります。

It cannot be destroyed, but can only be hidden.
愛を滅することはできません。できるのは愛を隠すことだけです。



Marianne Williamson
マリアン・ウィリアムソン

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111 Jesus said: “The heavens and the earth will roll up before you.
イエスは言われた。「天と地はあなたの前で巻き上げられるであろう。

The living who come from the Living will know neither fear nor death, for it is said: Whoever has self-knowledge, the world cannot contain them”.
大いなる生命より来たりし生命あるものは、恐れも死もともに知ることはなくなるであろう。というのも、言われているように、誰であれ自らについての知識を得た者を世界がその内に含むことはできないからである。」

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Gospel of Thomas
イエス・キリスト(トマスによる福音書第111節)

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昨日の序論に続き、第十三章の第一節の「無罪性と不死性」をご紹介します。


無を創造することはできない

神は死を創造しませんでした。

神は愛であり、神と同質の生命を創造することはできても、生命の不在に名前をつけた概念でしかなく実体を持たない死は創造しようがないからです。

創造とは、実在である神が自らの息吹を吹き込んで自らと同じ実在に生命を与えることです。

ですので、創造できるのは実在する有るものだけです。

実在しない無いものは想像はできても、創造することはできません。

生命が有なのは言うまでもありません。


死は有ではない

これに対して、実在の反映である影の世界であるこの世かぎりで考えてみても、死が生命の不在であることを超えて、生命と同等の積極的な実在性を持つ有であることは証明不可能です。

死は、神の子が拡張に原理を置く創造ではなく、二極対立に基づく投影を原理にして作り出した幻想世界の中に「存在」するエゴ・身体にとってのみ生じうる状態です。

身体でも、体内の多くの細胞は、定期的に老朽化と死滅と再生と成長を繰り返し、それによって全体としての身体の生命は維持されていますが、全体の「生」の営みの一環として、廃棄された一部分だけにフォーカスすると「死」があるかのように見えはしますが、生命の不在である状態を超えて、それと同等の積極的実在性を持つ何かとして「死」があるわけではなく、役目を終えた部分から「生命」が不在になったという現象があるだけです。


罪も潔白さの不在であり本質は無

罪についても、同じように、神は罪を創造しませんでした。

けれど、神の子の作り出した幻想世界の中で、エゴ・身体というアバターになった神の子が罪を犯したのは事実です。

つまり、この世界の中では、私たちが有罪で死すべき存在であるとしても、本当の私たちである神の子に罪はなく、死ぬということもありえないということです。





世界という牢獄からの脱出法は、兄弟を罪なき神の子とみなすこと

5.「Being in him, he has found it.
 牢獄からの脱出法は神の子の中にあるので、彼はすでにそれを得ているのです。

 When he finds it is only a matter of time, and time is but an illusion.
 神の子がいつそれに気づくか、それは単に時間の問題でしかありません。そして、その時間とは錯覚でしかないのです。

 For the Son of God is guiltless now, and the brightness of his purity shines untouched forever in God's Mind.
 というのは、今、神の子には罪がないのだから、神の子の持つ清らかさの輝きは神の大いなる心の中で損なわれることのないまま、永遠に輝き続けるからです。

 God's Son will always be as he was created.
 神の子はいつまでも、創造されたままの姿であることでしょう。」

世界という牢獄からの脱出法は、兄弟を罪なき神の子とみなすことによって自分が不死なる神の子であると気づくことです。


この世界かぎりでは罪も死も「存在」する

「3. As you look upon yourself and judge what you do honestly, you may be tempted to wonder how you can be guiltless.
 あなたが自分自身を顧みて、自分のしていることを正直に価値判断するなら、あなたは、どうして自分に罪がないなどと言えようか、と訝しむことでしょう。

 Yet consider this: You are not guiltless in time, but in eternity.
 しかし、次のように考えてみてください。すなわち、あなたは、時間の中では罪がないとはいえなくても、永遠においては罪はないのです。

 You have "sinned" in the past, but there is no past.
 あなたは過去に『罪を犯した』としても、過去などまったく存在しないのです。」

この箇所では、時間の中、つまり、この世界かぎりでは、私たちが世界の言う「罪」を犯したことはないとは言い切れないということを真正面から認めています。

罪は時間の中では存在するけれど、時間は実在しない幻想である、死は身体に訪れるけれど、身体は実在しない → 罪も死も幻として世界に「存在」はするけれど、実在しない。

罪はない死はないというコースの主張を、この世界が実在することを所与の前提として考えると、「実在」と「存在」を混同し、人間として不死性を持つとか個人としての自分が神聖だというエゴが喜ぶ分離につながる解釈しかできなくなります。


世界の実在性を前提に置かない→世界が幻想ならその中の罪も幻であり無なのは当然

罪を赦すのがこんなにも難しいのは、この世界の土俵に乗っかったまま、罪は実在しない、罪は錯覚だと空念仏のように唱えても自己欺瞞にしかならないからです。

世界も実在するし、罪を犯す自分や他人という人間も実在するということを暗黙の前提にしているのだから、取り返しのつかない「罪」があるということは否定しようがありません。

この世界という人間劇場では、取り返しのつかない「罪」が確固たる事実としてあるということを確認するドラマが延々と繰り広げられていますが、赦しは、このドラマの中で罪などないということを登場人物たちに証明することではありません。

それまでホラー小説に没頭して主人公に一体化して恐怖を味わってきた読者が、ふと我に返って本を閉じて、物語世界では恐ろしく罪深い出来事は確かに起こってはいても、その世界は架空の物語で、登場人物たちも、物語が展開するための時間も、すべて作り物として幻想として「存在」はしても「実在」はしないと認識して、この正しい世界認識と正しい自己認識を保ったまま再び物語世界に入り、主人公に襲いかかる敵の攻撃や不幸について、正しい認識通りに作り物で架空の出来事だと認めて深刻に受け止めずに受け流すようなことです。




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第十三章

I. Guiltlessness and Invulnerability
一 無罪性と不死性



1. Earlier, I said that the Holy Spirit shares the goal of all good teachers, whose ultimate aim is to make themselves unnecessary by teaching their pupils all they know.
 前に述べたことですが、聖霊は優れた教師たちの誰もが抱く目標を共有しています。優れた教師たちが究極的に目指すのは、自らの知見のすべてを自らの生徒たちに教えることによって、自分が必要とされなくなるようにすることです。

 The Holy Spirit wants only this, for sharing the Father's Love for his Son, he seeks to remove all guilt from his mind that he may remember his Father in peace.
 聖霊はただこれだけを望んでいます。なぜなら、聖霊は父がわが子に抱く大いなる愛を共有しているので、神の子の心からことごとく罪悪感を取り除いて、神の子が彼の大いなる父を平安のうちに思い出せるようにしようとしているからです。

 Peace and guilt are antithetical, and the Father can be remembered only in peace.
 平安と罪悪感とは正反対のものであり、大いなる父は平安の中でのみ思い出すことができます。

 Love and guilt cannot coexist, and to accept one is to deny the other.
 愛と罪悪感は共存できないので、一方を受け入れることは他方を拒むことになります。

 Guilt hides Christ from your sight, for it is the denial of the blamelessness of God's Son.
 罪悪感は、あなたの視界からキリストを見えなくしてしまいます。というのは、罪悪感は神の子が潔白であることを否認するものだからです。



2. In the strange world that you have made the Son of God has sinned.
 あなたが作り出した異常な世界の中では、神の子が罪を犯したのは確かです。

 How could you see him, then?
 そうだとすれば、どうしてあなたに神の子を見ることができるでしょうか。

 By making him invisible, the world of retribution rose in the black cloud of guilt that you accepted, and you hold it dear.
 神の子を見えないようにしたことによって、あなたが受け入れた罪悪感の黒い雲の中に、報復の世界が立ち現れました。そして、あなたはその世界に愛着しているのです。

 For the blamelessness of Christ is the proof that the ego never was, and can never be.
 しかし、キリストの潔白さが、エゴは一度も存在したことがないし、これからも決して存在しえないと証明してくれます。

 Without guilt the ego has no life, and God's Son is without guilt.
 罪の意識がなければエゴが生命を持つことはまったくありえませんが、神の子に罪はないのです。

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3. As you look upon yourself and judge what you do honestly, you may be tempted to wonder how you can be guiltless.
 あなたが自分自身を顧みて、自分のしていることを正直に価値判断するなら、あなたは、どうして自分に罪がないなどと言えようか、と訝しむことでしょう。

 Yet consider this: You are not guiltless in time, but in eternity.
 しかし、次のように考えてみてください。すなわち、あなたは、時間の中では罪がないとはいえなくても、永遠においては罪はないのです。

 You have "sinned" in the past, but there is no past.
 あなたは過去に「罪を犯した」としても、過去などまったく存在しないのです。

 Always has no direction.
 常しえなる状態には、進行方向などまったくないからです。

 Time seems to go in one direction, but when you reach its end it will roll up like a long carpet spread along the past behind you, and will disappear.
 時間は、ひとつの方向に進むように見えますが、あなたが時間の終点に達したなら、時間はまるで、あなたの背後の過去に沿って広がった長い絨毯が巻き上げられるようにして消え失せてしまいます。

 As long as you believe the Son of God is guilty you will walk along this carpet, believing that it leads to death.
 あなたが神の子に罪があると信じるかぎり、あなたはこの絨毯の上を、それが死に至るものと信じながら歩み続けることになります。

 And the journey will seem long and cruel and senseless, for so it is.
 そして、その旅路は長く残酷で、無意味なものに思えてくるでしょう。というのも、その旅はまさしく、その通りのものだからです。



4. The journey the Son of God has set himself is useless indeed, but the journey on which his Father sets him is one of release and joy.
 神の子が自ら踏み出した旅路は実に無益な旅ですが、大いなる父が神の子を送り出す旅路は解放と歓喜の旅です。

 The Father is not cruel, and his Son cannot hurt himself.
 父なる神は残酷ではないし、神の子には自分自身を傷つけることなどできないからです。

 The retaliation that he fears and that he sees will never touch him, for although he believes in it the Holy Spirit knows it is not true.
 神の子が恐れ、そして目にする報復が神の子に害を及ぼすようなことはこれからも決してないでしょう。というのも、たとえ神の子が自分が神罰を受けると信じているとしても、聖霊はそれが真実ではないとわかっているからです。

 The Holy Spirit stands at the end of time, where you must be because he is with you.
 聖霊は時間の終点に立っています。聖霊はあなたとともにいるのだから、そこにはあなたもいるに違いありません。

 He has already undone everything unworthy of the Son of God, for such was his mission, given him by God.
 聖霊はすでに、神の子にふさわしくないものをことごとく取り消しています。というのも、そうすることこそ聖霊が神から与えられた使命だったからです。

 And what God gives has always been.
 そして、神が与えるものはつねに存在してきたのです。

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5. You will see me as you learn the Son of God is guiltless.
 あなたが神の子に罪はないと学ぶにつれて、あなたには私のことが見えるようになってきます。

 He has always sought his guiltlessness, and he has found it.
 神の子は、つねに自分の潔白さを捜し求めてきましたが、彼はそれをすでに見つけているのです。

 For everyone is seeking to escape from the prison he has made, and the way to find release is not denied him.
 というのは、誰もがみな自分で作り出した牢獄からの逃げ道を探し求めており、自由を見出す道は誰にも拒まれていないからです。

 Being in him, he has found it.
 自由は神の子の中にあるので、彼はすでにそれを得ているのです。

 When he finds it is only a matter of time, and time is but an illusion.
 神の子がいつそれに気づくか、それは単に時間の問題でしかありません。そして、その時間とは錯覚でしかないのです。

 For the Son of God is guiltless now, and the brightness of his purity shines untouched forever in God's Mind.
 というのは、今、神の子には罪がないのだから、神の子の持つ清らかさの輝きは神の大いなる心の中で損なわれることのないまま、永遠に輝き続けるからです。

 God's Son will always be as he was created.
 神の子はいつまでも、彼が創造されたままでしょう。

 Deny your world and judge him not, for his eternal guiltlessness is in the Mind of his Father, and protects him forever.
 あなたの世界を否認してください。そして、神の子を裁かないでください。というのは、神の子の永遠の無罪性は父の大いなる心の中にあって神の子を永久に守ってくれているからです。



6. When you have accepted the Atonement for yourself, you will realize there is no guilt in God's Son.
 あなたが自分自身のために贖罪を受け入れたとき、あなたは神の子にはいかなる罪もないと気づくでしょう。

 And only as you look upon him as guiltless can you understand his oneness.
 そして、ただあなたが神の子を罪なき者として見るときにだけ、あなたは神の子がひとつであると理解できます。

 For the idea of guilt brings a belief in condemnation of one by another, projecting separation in place of unity.
 なぜなら、罪があるという想念が、ある者がほかの者を有罪だと咎めることができるという信念をもたらし、統一性の代わりに分離を投影することになるからです。

 You can condemn only yourself, and by so doing you cannot know that you are God's Son.
 あなたが有罪を宣告できる相手は自分自身だけです。そして、自分自身を咎めることによって、あなたは自分が神の子だと知ることができなくなってしまいます。

 You have denied the condition of his being, which is his perfect blamelessness.
 あなたは、神の子がありのままでいるための条件である、神の子の完全なる潔白性を否認してしまったからです。

 Out of love he was created, and in love he abides.
 神の子は、愛から創造されたのであり、神の子は愛の中に留まっています。

 Goodness and mercy have always followed him, for he has always extended the Love of his Father.
 神の子には、いつも善良さと慈悲が伴って行きます。というのも、神の子は、父の大いなる愛をいつも拡張してきたからです。

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7. As you perceive the holy companions who travel with you, you will realize that there is no journey, but only an awakening.
 あなたが自分が一緒に旅する聖なる仲間たちのことを知覚するようになると、あなたは旅路など存在せず、あるのはただ目覚めだけだと気づくようになるでしょう。

 The Son of God, who sleepeth not, has kept faith with his Father for you.
 眠りに落ちていない神の子が、あなたの代わりに、大いなる父との約束を守ってきました。

 There is no road to travel on, and no time to travel through.
 辿るべき旅路もなければ、旅するためにかかる時間もありません。

 For God waits not for his Son in time, being forever unwilling to be without him.
 というのも、神がわが子とともにいない状態にあることを意図することなど永遠にないので、神が時間の中でわが子を待つようなことはないからです。

 And so it has always been.
 だから、今までもつねに、そうだったのです。

 Let the holiness of God's Son shine away the cloud of guilt that darkens your mind, and by accepting his purity as yours, learn of him that it is yours.
 神の子の神聖さの輝きに、あなたの心を暗くする罪悪感の雲など一掃してもらうがよいでしょう。そして、神の子の清らかさを自分のものとして受け入れることによって、その清らかさが確かに自分のものだと彼から学んでください。



8. You are invulnerable because you are guiltless.
 あなたは罪なき者であるがゆえに、あなたは傷つくことのない不死の存在なのです。

 You can hold on to the past only through guilt.
 あなたは、罪悪感を通してしか、過去にしがみつくことができません。

 For guilt establishes that you will be punished for what you have done, and thus depends on one-dimensional time, proceeding from past to future.
 なぜなら、罪悪感は、あなたが自分のなしたことに対して罰を受けるであろうことを確かなものにし、そうすることで、あなたが過去から未来へと進む一次元的な時間に依存するようにさせるからです。

 No one who believes this can understand what "always" means, and therefore guilt must deprive you of the appreciation of eternity.
 このようなことを信じていたのでは誰も、「つねに」とは何を意味するのか理解できるはずがないので、あなたは必ず罪悪感によって永遠のことを正しく理解できないようになってしまいます。

 You are immortal because you are eternal, and "always" must be now.
 あなたは永遠なる存在であるがゆえに、あなたは不死の存在です。そして、「つねに」とは今のことであるに違いありません。

 Guilt, then, is a way of holding past and future in your mind to ensure the ego's continuity.
 そうだとすれば、罪悪感を抱かせることは、エゴが存続することを確実にするために、あなたの心の中に過去と未来をつなぎ留めておく方法だということになります。

 For if what has been will be punished, the ego's continuity is guaranteed.
 というのは、もしこれまで存在してきたものが未来に罰せられるようになるとすれば、エゴの継続性が保証されるからです。

 Yet the guarantee of your continuity is God's, not the ego's.
 しかし、あなたの継続性を保証するのは、エゴではなく神の継続性なのです。

 And immortality is the opposite of time, for time passes away, while immortality is constant.
 そして、不死性は時間とは対極にあります。なぜなら、時間は過ぎ去りますが、不死性は変わることなく持続するからです。

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9. Accepting the Atonement teaches you what immortality is, for by accepting your guiltlessness you learn that the past has never been, and so the future is needless and will not be.
 贖罪を受け入れることが、あなたに不死とは何であるか教えてくれます。なぜなら、自らの潔白さを受け入れることによって、あなたは、過去が一度も存在していなかったので、未来は不要であり、未来が存在するようになることもないと学ぶからです。

 The future, in time, is always associated with expiation, and only guilt could induce a sense of a need for expiation.
 時間の中では、未来は罪の償いとつねに関連づけられています。そして、罪悪感だけが罪滅ぼしが必要だという思いを引き起こすことができるのです。

 Accepting the guiltlessness of the Son of God as yours is therefore God's way of reminding you of his Son, and what he is in truth.
 したがって、神の子の無罪性を自分のものとして受け入れることが、あなたに神の大いなる子が本当は誰なのかを思い出させるための神の方法なのです。

 For God has never condemned his Son, and being guiltless he is eternal.
 なぜなら、神はわが子に一度も罪の宣告などしたことはなく、罪なき者であるがゆえに、神の子は永遠なる存在だからです。



10. You cannot dispel guilt by making it real, and then atoning for it.
 罪を現実のものにしておいて、そのあとで罪の償いをすることで罪悪感を拭い去ろうとしても、そんなことはできません。

 This is the ego's plan, which it offers instead of dispelling it.
 これはエゴの計画であり、エゴは、罪悪感を払拭するのではなく差し出すのです。

 The ego believes in atonement through attack, being fully committed to the insane notion that attack is salvation.
 エゴは攻撃することで罪を償うことができると信じています。それは、エゴが攻撃こそが救済であるという狂気の考えに全面的に入れこんでいるからです。

 And you who cherish guilt must also believe it, for how else but by identifying with the ego could you hold dear what you do not want?
 そして、罪悪感を大切にしている以上は、あなたも攻撃が救済だと信じているに違いありません。というのも、エゴと同一化することなくして、あなたが自分の欲しくもないものを大切にするはずがないからです。

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11. The ego teaches you to attack yourself because you are guilty, and this must increase the guilt, for guilt is the result of attack.
 エゴは、あなたは有罪なのだから自分自身を攻撃するようにとあなたに教えます。そして、この教えに従うと、罪悪感は増大するに違いありません。なぜなら、罪悪感は攻撃の結果だからです。

 In the ego's teaching, then, there is no escape from guilt.
 したがって、エゴの教えの中には、罪悪感からの逃げ道はありません。

 For attack makes guilt real, and if it is real there is no way to overcome it.
 というのは、攻撃が罪悪感を現実のものにするので、もし罪悪感が現実にあるとしたら、罪悪感を克服する方法など存在しないはずだからです。

 The Holy Spirit dispels it simply through the calm recognition that it has never been.
 聖霊は単に、罪は一度も存在したことがないと冷静に認識することを通して、罪悪感を払いのけてくれます。

 As he looks upon the guiltless Son of God, he knows that this is true.
 聖霊は罪のない神の子を見ているので、聖霊はこれが真実だと知っています。

 And being true for you, you cannot attack yourself, for without guilt attack is impossible.
 そして、罪がないことは、あなたにとっての真実なのだから、あなたは自分自身を攻撃できないはずです。というのは、罪を意識せずに攻撃することは不可能だからです。

 You, then, are saved because God's Son is guiltless.
 したがって、神の子が無罪であるがゆえに、あなたは救われているのです。

 And being wholly pure, you are invulnerable.
 そして、完全に純粋無垢であるゆえに、あなたは傷つくことのない不死の存在なのです。


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