T14-Intro,1 学習のための条件


If you start with the dogma that ‘miracles are impossible’ then clearly they are impossible.
もしあなたが端(はな)から「奇跡を起こすのは不可能だ」と決めつけるなら、そのとき、明らかに奇跡を起こすのは不可能になる。

This is a statement, not an argument.
これは意見を主張しているわけではなく、ただ事実を述べているだけだ。

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Denis Alexander
デニス・アレクサンダー




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テキスト第14章から、序文と第1節をご紹介します。


幻想世界における真理の証明方法

「2. Indirect proof of truth is needed in a world made of denial and without direction.
 否認によって成り立つ方向性の定まらない世界においては、間接的に真理を証明する必要があります。

 You will perceive the need for this if you realize that to deny is the decision not to know.
 もし否認とは知らずにいるという決断だとあなたが気づいたなら、間接的に真理を証明する必要があることがあなたにもわかるでしょう。」


4.「Undoing is indirect, as doing is.
 行うことが間接的になされるように、取り消すことも間接的になされます。

 You were created only to create, neither to see nor do.
 あなたは、ただ創造するためだけに創造されたのであって、見るために創造されたわけでも、行うために創造されたわけでもないからです。」




「間接的」、「直接的」はどのような意味?

これらの文章で出てくる「間接的」、「直接的」はどのような意味でしょうか?

この幻想世界では、神の現実に実在する一極の反映とその不在に名前をつけた対極のように見えるものの二極が対立する様相を呈しています。

たとえば、実在する愛とその不在の恐怖、実在する生命とその不在の死という具合です。

なので、この世界では、真理である愛や生命を否認することで愛や生命を知らない状態である恐怖や死が存在するように見えています。

したがって、愛や生命があることを直接証明するだけでは、恐怖や死が存在しないことが自動的に明らかになるわけではありません。

ですから、恐れや死が実在すると信じている人に対して、恐怖や死が実在しないことを「直接的に」示すことはできず、できるのは、彼らに自分たちが愛を否認して愛を知らずにいるために恐怖を感じているのだということに気づかせて、恐怖が実在しないことを確認することによって「間接的に」愛だけが実在することを証明する必要があることになります。


実在しない幻想の側にアプローチするため、間接的に真理を証明し、間接的に取り消すというプロセスが必要になる

4.「Undoing is indirect, as doing is.
 行うことが間接的になされるように、取り消すことも間接的になされます。」
の間接的も同じような意味です。

4.「These are but indirect expressions of the will to live, which has been blocked by the capricious and unholy whim of death and murder that your Father does not share with you.
 見ることや行うことは、ただ生きようとする意志の間接的な発露にすぎません。この生きる意志は、あなたの大いなる父があなたと分かち合うことのない、死や殺人のような衝動的で不浄な出来心によって妨げられてきました。」

神の現実である天国においては、神の子の役目は創造だけです。

天国における創造は生命の作用そのものですが、この幻想世界に反映されると、エゴによる不浄な出来心というフィルターがかかるせいで、生きようとする意志が直接的に純粋な創造作用を発揮できず、誤った創造、つまり投影が起こり、見ることや行うことといった形で間接的に発現せざるをえなくなるということです。

5.「It deceives you, because you chose to deceive yourself.
 あなたが自分自身を惑わせることを選んでしまっているために、あなたの作り出したものがあなたを騙してしまうからです。

 Those who choose to be deceived will merely attack direct approaches, because they seem to encroach upon deception and strike at it.
 騙されることを選択した者たちは、直接的に真実を突きつけられるようなアプローチをされても、反応としてただ攻撃するだけです。なぜなら、直接的なアプローチは彼らの陥っている幻惑状態を侵害してそれを打ち破ってしまうように思えるからです。」

このように、この世界では、実在する真理や創造は、その影が投影された形で間接的にしか知覚されないために、本物のように見えている影が実は、実在の不在に名前をつけただけの実体のない幻であると気づくために、実在しない幻想の側にアプローチして、間接的に真理を証明し、間接的に取り消すというプロセスが必要になるという仕組みです。




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Chapter 14

TEACHING FOR TRUTH
第十四章 真理のための教え

Introduction
序論



 Yes, you are blessed indeed.
 あなたが本当に恵まれているというのは、その通り真実です。

 Yet in this world you do not know it.
 もっとも、この世界の中では、あなたには自分が恵まれていることがわかりません。

 But you have the means for learning it and seeing it quite clearly.
 しかし、あなたには自分が恵まれていることを学び、自分が恵まれていることをきわめて明確に理解するための方法があります。

 The Holy Spirit uses logic as easily and as well as does the ego, except that his conclusions are not insane.
 聖霊は、エゴがなすのと同じようにやすやすと、そして巧みに論理を用います。ただし、聖霊の出す結論は狂っていないという違いがあります。

 They take a direction exactly opposite, pointing as clearly to Heaven as the ego points to darkness and to death.
 聖霊とエゴは正反対の方角を示します。エゴが確実に闇と死を指し示すのに対して、聖霊は同じくらい確実に天国を指し示しています。

 We have followed much of the ego's logic, and have seen its logical conclusions.
 私たちは、これまでエゴの論理の大筋を後追いして辿り、その論理的な帰結を見てきました。

 And having seen them, we have realized that they cannot be seen except in illusions, for there alone their seeming clearness seems to be clearly seen.
 エゴの論理的帰結を見たからこそ、私たちは、そんな帰結は幻想の中でしか見ることができないものだと悟ったのです。なぜなら、エゴの論理的帰結が一見すると明晰なものであるように思えるのは、幻想の中でだけだからです。

 Let us now turn away from them, and follow the simple logic by which the Holy Spirit teaches the simple conclusions that speak for truth, and only truth.
 今こそ私たちで、エゴの論理的帰結に背を向けて、聖霊が真理を、ただ真理のみを語る単純な帰結を教えるために用いる簡単な論理を辿ってみることにしましょう。





I. The Conditions of Learning
一 学びのための条件



1. If you are blessed and do not know it, you need to learn it must be so.
 もしあなたが実は恵まれているのに自分が恵まれていることを知らずにいるとしたら、あなたは自分が恵まれているに違いないと学ぶ必要があります。

 The knowledge is not taught, but its conditions must be acquired for it is they that have been thrown away.
 知識は教わって習得するものではありませんが、持っている知識を思い出すための条件のほうは習得しなければなりません。なぜなら、捨てられてしまっているのはこれらの知識の条件のほうだからです。

 You can learn to bless, and cannot give what you have not.
 あなたは祝福して恵みを与えることを学ぶことができます。そして、あなたには自分の持っていないものを与えることはできません。

 If, then, you offer blessing, it must have come first to yourself.
 そうだとすれば、もしあなたが恵みを差し延べるなら、そのとき、恵みはまず先にあなた自身の許に訪れているはずです。

 And you must also have accepted it as yours, for how else could you give it away?
 そしてまた、あなたは、その恵みを自分のものとして受け入れているに違いありません。なぜなら、そうでなければ、あなたはその恵みを他者に与えることなどできなかったはずだからです。

 That is why miracles offer you the testimony that you are blessed.
 だからこそ、奇跡はあなたに、あなたが恵まれている証拠を差し出すのです。

 If what you offer is complete forgiveness you must have let guilt go, accepting the Atonement for yourself and learning you are guiltless.
 もしあなたが捧げるものが完全な赦しであるとすれば、あなたは自分自身のために贖罪を受け入れ、自分が罪なき者であると学んで、すでに罪悪感を手放しているに違いありません。

 How could you learn what has been done for you, unknown to you, unless you do what you would have to do if it had been done for you?
 自分の知らないうちに自分のためにすでに成し遂げられていることをあなたが学ぶためには、もしそれが自分のためにすでに成し遂げられていたとすれば、あなたがすべきだったはずのことをする以外にどんな方法があるでしょうか。

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2. Indirect proof of truth is needed in a world made of denial and without direction.
 否認によって成り立つ方向性の定まらない世界においては、間接的に真理を証明する必要があります。

 You will perceive the need for this if you realize that to deny is the decision not to know.
 もし否認とは知らずにいるという決断だとあなたが気づいたなら、間接的に真理を証明する必要があることがあなたにもわかるでしょう。

 The logic of the world must therefore lead to nothing, for its goal is nothing.
 したがって、この世界の論理は必ず無に帰結することになります。というのも、この世界の論理の目標は無だからです。

 If you decide to have and give and be nothing except a dream, you must direct your thoughts unto oblivion.
 もしあなたが夢だけを持ち、夢だけを与え、夢だけであろうと決断するなら、あなたは自分の思考を導いて忘却の状態に至らせなければなりません。

 And if you have and give and are everything, and all this has been denied, your thought system is closed off and wholly separated from the truth.
 そして、もしあなたが万物を持ち、万物を与え、万物であるとしても、この事実を全面的に否認してしまったら、あなたの思考システムは封鎖され、真理から完全に隔離されることになります。

 This is an insane world, and do not underestimate the extent of its insanity.
 これこそ狂気の世界です。そして、その狂気の深刻さを見くびってはなりません。

 There is no area of your perception that it has not touched, and your dream is sacred to you.
 あなたの知覚でその狂気に冒されていない領域など一切ありません。だから、あなたにとっては自分の夢こそが神聖なものなのです。

 That is why God placed the Holy Spirit in you, where you placed the dream.
 このゆえにこそ、あなたがそんな夢を置いた場所であるあなた自身の中に、神は聖霊を宿らせてくれたのです。



3. Seeing is always outward.
 視覚は、つねに自分の外側に向きます。

 Were your thoughts wholly of you, the thought system you made would be forever dark.
 あなたの思考が完全にあなただけに属するものだったとしたら、あなたの作り出した思考システムは永遠に闇のままになっていたはずです。

 The thoughts the mind of God's Son projects or extends have all the power that he gives to them.
 神の子の心が投影したり拡張したりする思考には、神の子がそれらの思考に与える力のすべてが備わっています。

 The thoughts he shares with God are beyond his belief, but those he made are his beliefs.
 自分が神と思考を共有していることは、神の子には信じがたいことです。しかし、自分が思考を作り出したことであれば、神の子にも信じられます。

 And it is these, and not the truth, that he has chosen to defend and love.
 そして、神の子が防衛し、愛することを選んだのは、真理ではなく、こんな信念のほうなのです。

 They will not be taken from him.
 自分で作り出した信念が神の子から取りあげられてしまうことはありません。

 But they can be given up by him, for the Source of their undoing is in him.
 しかし、神の子には、自分が作り出した信念を自分で手放すことができます。なぜなら、それらの信念を取り消す大いなる源が彼の中にあるからです。

 There is nothing in the world to teach him that the logic of the world is totally insane and leads to nothing.
 この世界の論理がまったくの狂気であり、無に導くだけのものだと神の子に教えてくれるものは、この世界の中には何ひとつ存在しません。

 Yet in him who made this insane logic there is One Who knows it leads to nothing, for he knows everything.
 しかし、こんな狂気の論理を作り出した当の神の子本人の心の中には、その論理が無に帰結することを知る大いなる存在がいます。なぜなら、その聖霊にはすべてのことがわかっているからです。

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4. Any direction that would lead you where the Holy Spirit leads you not, goes nowhere.
 それがどんな方向であれ、聖霊があなたを導こうとしない方向にあなたを導くなら、どこにも行き着くことはありません。

 Anything you deny that he knows to be true you have denied yourself, and he must therefore teach you not to deny it.
 何事であれ聖霊が真実であると知っていることをあなたが否認するなら、あなたはそれを自分自身に拒んだのです。したがって、聖霊はあなたに真実を否認しないように教えなければなりません。

 Undoing is indirect, as doing is.
 行うことが間接的になされるように、取り消すことも間接的になされます。

 You were created only to create, neither to see nor do.
 あなたは、ただ創造するためだけに創造されたのであって、見るために創造されたわけでも、行うために創造されたわけでもないからです。

 These are but indirect expressions of the will to live, which has been blocked by the capricious and unholy whim of death and murder that your Father does not share with you.
 見ることや行うことは、ただ生きようとする意志の間接的な発露にすぎません。この生きる意志は、あなたの大いなる父があなたと分かち合うことのない、死や殺人のような気まぐれで不浄な思いつきによって妨げられてきました。

 You have set yourself the task of sharing what cannot be shared.
 あなたは、共有できないものを共有しようとする重荷を自分で背負いこんでしまっています。

 And while you think it possible to learn to do this, you will not believe all that is possible to learn to do.
 だから、あなたが共有できないものを共有することを学ぶことが可能だと思っているかぎり、あなたは自分が学べばできるようになることを何も信じようとはしないでしょう。



5. The Holy Spirit, therefore, must begin his teaching by showing you what you can never learn.
 そこで、聖霊は、あなたには絶対に学ぶことができないものを示すことから、自らの教えを始めなければなりません。

 His message is not indirect, but he must introduce the simple truth into a thought system which has become so twisted and so complex you cannot see that it means nothing.
 聖霊のメッセージは間接的なものではありません。しかし、あなたの思考システムは、あまりに捻じ曲がって非常に複雑化してしまっていて、自分の思考システムが何の意味も持たないことがあなたにはわからなくなっているので、聖霊はあなたの思考システムの中に単純な真理を導入しなければなりません。

 He merely looks at its foundation and dismisses it.
 聖霊は単にあなたの思考システムの基盤の本質を見定めて、それを無として退けるだけです。

 But you who cannot undo what you have made cannot see through it.
 しかし、自分で作り出したものを取り消すことができずにいるあなたには、自分で作り出したものの本質を見抜くことができません。

 It deceives you, because you chose to deceive yourself.
 あなたが自分自身を惑わせることを選んでしまっているために、あなたは自分の作り出したものに騙されてしまうからです。

 Those who choose to be deceived will merely attack direct approaches, because they seem to encroach upon deception and strike at it.
 騙されることを選択した者たちは、直接的に真実を突きつけられるようなアプローチをされても、ただ攻撃する反応しかできません。なぜなら、直接的なアプローチは彼らの陥っている幻惑状態を侵害してそれを打ち破ってしまうように思えるからです。


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