T17-6 目的地を設定してください


If one does not know to which port one is sailing, no wind is favorable.
もしその人がどの港に向かって自分が航海しているのかわっていないなら、どんな風も順風とはいえない。



Lucius Annaeus Seneca
ルキウス・アンナエウス・セネカ





本は最初から読み始めるが、ビジネスは逆だ。最後から始めて、そこに達するためにしなければならないことをする。

ハロルド・ジェニーン_1202010850

ハロルド・シドニー・ジェニーン



Confusion of goals and perfection of means seems, in my opinion, to characterize our age.
私は、手段を完遂することがゴールへの到達だと取り違える混同が、私たちの時代を特徴づけていると見ている。



Albert Einstein
アルベルト・アインシュタイン





この世で一番大事なことは、自分が「どこに」いるかということではなく、「どの方角」に向かっているかということである。

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Oliver Wendell Holmes Sr
オリバー・ウェンデル・ホームズ・シニア



あなたは、出来事の経過や他人の立ち居ふるまいではなく、最終的な結果、ゴールシーンに集中しなければなりません。あなたは台本に抵抗することはできないのです。それは、プレゼンスを持ってそこにいる場合でも不可能です。あなたの意思に沿った現実に起こるすべての変化は、あなたが別の映画に切り替えた結果なのです。現在の映画の台本に、あなたは何も手を加えることはできません。
目を覚まして、意識的に、意図的に、台本から逃れたのだと反論する人もいるかもしれません。たとえば、あなたが何か世界に衝撃を与えるようなことをようと決めて、意味もなく別のカタツムリたちの角を叩くとしましょう。「もしかしたらやり返されるかもしれないけれど、それでも完全に俺はプレゼンスを保って、台本を壊してやったぞ!」と言うかもしれません。
しかし、第一に、あなたのその変化球が台本になかったことを確認するすべはありません。第二に、そんな変化球を好きなだけ投げてみたとしても、そこに何の意味があるのでしょうか? ここで話していることは、あなたの夢が実現しない理由と、問題を解決して、願っている目標を達成するための方法です。変化球を投げても、何もいいことはありません。現実というのは、もてあそばれるものではなく、適切に扱われるべきものなのです。それがポイントです。
その他のことは、ささいなことであり、ルールから外れた小さな例外にすぎません。いろんなメソッドを試しているうちに、必ずといっていいほど例外が出てきます。そんなささいなことに意識を向ける必要はありません。根本的に重要なことだけに集中したほうがいいのです。



Vadim Zeland
ヴァジム・ゼランド(「タフティ・ザ・プリーステス 世界が変わる現実創造のメソッド」140ページ)

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今回は、テキストから目標を定めることについての一節をご紹介します。



フォアキャストとバックキャスト

目標設定に関連する未来想定の発想法には、フォアキャスト(forecast)とバックキャスト(backcast)というふたつの手法があります。

フォアキャストは、素朴な手法で、過去から現在の情報をもとに未来を推測するという方法です。

天気予報などはフォアキャストです。

バックキャストは、いったん現在の状況は置いておいて、未来のあるべき状態を想定して、そこから現在を振り返ってその差分を埋めるためにどのようなことがなされるべきかという発想の仕方です。





エゴのアプローチが失敗を導き、聖霊のアプローチが成功する理由

聖霊のアプローチは、まず最初に目標設定をして、そこから逆算して目標達成に有益な手段として状況を活用するというものでバックキャストです。

これに対して、エゴのアプローチは、聖霊とは逆で、フォアキャストで、状況に応じて成り行きを任せるというものです。

この理由は、エゴには積極的な目標が何もないからだということです。

時間は実在しないこの世限りの概念だとしても、その時間の進み方は、常識的に考えられているように、過去から未来に向かってではなく、T13-9 罪悪感の雲のエッセイで述べたように、未来から過去に向けてというのが実態です。

これが聖霊のアプローチが功を奏する理屈でもあります。


常識的な時間の矢の流れでの因果律に縛られていると奇跡が起こるとは信じられない

エゴは、常識的な過去から未来への時間の矢の錯覚によって私たちを偽りの因果関係で束縛して、状況に成り行きを支配させて、奇跡でも起こらないかぎり、未来は過去の延長線上にしかないと私たちに信じ込ませてしまいます。

しかし、聖霊の観点からすると、まさしく奇跡こそが当たり前で、過去に現在を縛らせることのほうが不自然ということになります。

そうなると、常識的な概念として奇跡に込められていた稀にしか起こりえない超常現象という魔術的色彩が奇跡から払拭されます。

すなわち、奇跡は、自分の知覚を濁らせてせき止めることをやめれば、つねに起こりうる自然な現象、というより、ARグラスをつけてそこにあるものに被せられた映像を見ていた状態から、ありのままの状態を見るようになったようなもので、「起こる」という表現すら本来馴染まないものだという理解です。


苦しいのが気持ちいいってどういうこと?が参考になると思います。



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テキスト第十七章

VI. Setting the Goal
六 目標を定める



1. The practical application of the Holy Spirit's purpose is extremely simple, but it is unequivocal.
 聖霊の目的を実際に応用するのはきわめて簡単なことですが、それは曖昧なことではありません。

 In fact, in order to be simple it must be unequivocal.
 それどころか、簡単であるためには、曖昧であってはなりません。

 The simple is merely what is easily understood, and for this it is apparent that it must be clear.
 簡単なこととは、単に容易に理解できるものをいいます。そして、容易に理解できるためには、それが明確でなければならないのは言うまでもありません。

 The setting of the Holy Spirit's goal is general.
 聖霊の目標は、一般的なものとして設定されています。

 Now he will work with you to make it specific.
 そこで、目標を具体化するために、今から聖霊があなたと一緒に働いてくれるでしょう。

 There are certain very specific guidelines he provides for any situation, but remember that you do not yet realize their universal application.
 聖霊は、いかなる状況にも対応できる確かできわめて具体的なガイドラインを用意しています。しかし、あなたはまだ、そのガイドラインがどんな場面にでも応用が利くと理解できていないことを覚えておいてください。

 Therefore, it is essential at this point to use them in each situation separately, until you can more safely look beyond each situation, in an understanding far broader than you now possess.
 したがって、今あなたが理解しているよりも、さらに理解の幅が広まって、個別の状況に左右されることなくあなたがより正確に状況を見渡せるようになるまでは、そのガイドラインを個々の状況に即して別々にあてはめることが重要です。



2. In any situation in which you are uncertain, the first thing to consider, very simply, is "What do I want to come of this? What is it for?"
 どのような状況であれ、あなたが確信を持てないときに第一に考慮すべきことは、ごく単純に「私はこの状況からどんな結果を得たいだろうか。この状況は、いったい何の役に立つのだろうか」と考えてみることです。

 The clarification of the goal belongs at the beginning, for it is this which will determine the outcome.
 出発点においてlこそ、ゴールを明確にすべきなのす。というのも、明確な目標が結果を決めるからです。

 In the ego's procedure this is reversed.
 エゴのアプローチでは、これが逆になります。

 The situation becomes the determiner of the outcome, which can be anything.
 状況が成り行きを左右する決定因子となり、結果がどう転ぶかはわかりません。

 The reason for this disorganized approach is evident.
 エゴがこんな混沌たるアプローチをとる理由は明らかです。

 The ego does not know what it wants to come of the situation.
 エゴはその状況から自分がどんな結果を望むのかわかっていないのです。

 It is aware of what it does not want, but only that.
 エゴは自分が何を望まないのかはわかっていますが、自覚しているのはそれだけです。

 It has no positive goal at all.
 エゴは積極的な目標を何ひとつ持ってはいないのです。

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3. Without a clear-cut, positive goal, set at the outset, the situation just seems to happen, and makes no sense until it has already happened.
 最初に輪郭のはっきりとした積極的な目標が設定されていないので、状況はただ偶然起こるようにしか見えず、その状況が実際に起こってしまうまでは、まったく何の意味もなさないことになります。

 Then you look back at it, and try to piece together what it must have meant.
 そのあとになって、あなたはその状況を振り返って、その状況の断片をつなぎ合わせて、その状況が何を意味していたに違いないか判断しようとします。

 And you will be wrong.
 そうして、あなたは間違うことになります。

 Not only is your judgment in the past, but you have no idea what should happen.
 あなたの判断は過去に基盤を置いているだけでなく、将来、何が起こるべきなのか、あなたは何の考えも持ち合わせていないからです。

 No goal was set with which to bring the means in line.
 手段をそれに調和させるための目標がまったく設定されていなかったわけです。

 And now the only judgment left to make is whether or not the ego likes it; is it acceptable, or does it call for vengeance?
 だから、今となっては、唯一残された下しうる判断は、エゴがそれを気に入るかどうかだけです。すなわち、それが受け入れられるものなのか、それとも、報復を必要とするものなのかという判断です。

 The absence of a criterion for outcome, set in advance, makes understanding doubtful and evaluation impossible.
 結果を評価するための基準が前もって設定されていないことによって、理解は不確実なものとなり、評価することなど不可能になってしまいます。



4. The value of deciding in advance what you want to happen is simply that you will perceive the situation as a means to make it happen.
 あなたが前もって何が起こってほしいのか決めておくことの真価は、シンプルに、あなたがその状況を自分の望みを実現させる手段として知覚するようになる点にあります。

 You will therefore make every effort to overlook what interferes with the accomplishment of your objective, and concentrate on everything that helps you meet it.
 したがって、あなたは自分が目標を達成することの妨げになるものを無視することに最大限の注意を払い、そして、自分が目標を達成するのに役立つことだけに専念するようになります。

 It is quite noticeable that this approach has brought you closer to the Holy Spirit's sorting out of truth and falsity.
 このアプローチが、あなたを聖霊による真理と虚偽の選別によりいっそう近づけることは実に注目に値します。

 The true becomes what can be used to meet the goal.
 真実とは、目標を達成するうえで役に立つものだということになります。

 The false becomes the useless from this point of view.
 この観点からすると、虚偽とは目標達成に役立たないものだということになります。

 The situation now has meaning, but only because the goal has made it meaningful.
 いまやその状況は意味を持つことになります。もっとも、それは目標がその状況を有意義なものに変えたからにすぎません。

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5. The goal of truth has further practical advantages.
 真理を目標にすることには、より実用的な利点があります。

 If the situation is used for truth and sanity, its outcome must be peace.
 もし状況が真理と正気のために用いられるなら、その状況から生じる結果は平安であるに違いありません。

 And this is quite apart from what the outcome is.
 そして、このことは、その結果がどんなものになるかにはまったく関係しません。

 If peace is the condition of truth and sanity, and cannot be without them, where peace is they must be.
 もし真理があって正気でいる状態が平安であり、真理と正気と一緒でなければ平安が存在しえないとすれば、平安があるところには、真理と正気がともにあるに違いありません。

 Truth comes of itself.
 真理はひとりでに訪れるものです。

 If you experience peace, it is because the truth has come to you and you will see the outcome truly, for deception cannot prevail against you.
 もしあなたが心に安らぎを感じるなら、それは真理があなたの許に訪れ、あなたが真理のもたらす結果を偽りなく見るようになったからです。なぜなら、欺瞞はあなたに打ち勝つことができないからです。

 You will recognize the outcome because you are at peace.
 あなたは心が平安であるがゆえに、真理の結果を認識するようになります。

 Here again you see the opposite of the ego's way of looking, for the ego believes the situation brings the experience.
 ここにおいて再び、あなたはエゴのものの見方とは正反対に見ることになります。というのは、エゴは状況が経験をもたらすものと信じているからです。

 The Holy Spirit knows that the situation is as the goal determines it, and is experienced according to the goal.
 聖霊は、状況は目標が決める通りのものであり、その目標に従って経験されるものだと知っています。



6. The goal of truth requires faith.
 真理を目標とするためには、信頼が必要です。

 Faith is implicit in the acceptance of the Holy Spirit's purpose, and this faith is all-inclusive.
 信頼は、聖霊の目的を受け入れることを暗黙の前提としており、この信頼はすべてを包含するものです。

 Where the goal of truth is set, there faith must be.
 真理という目標が定められたところには、必ず信頼があります。

 The Holy Spirit sees the situation as a whole.
 聖霊は、状況を全体的なものとして見ます。

 The goal establishes the fact that everyone involved in it will play his part in its accomplishment.
 目標は、その状況に関わる者たち全員がその目標の達成のために各自の役割を果たすという事実を確かなものにします。

 This is inevitable.
 こうなることは必定です。

 No one will fail in anything.
 何事をなすにおいても、誰も失敗することはないでしょう。

 This seems to ask for faith beyond you, and beyond what you can give.
 こんなことはあなたに信じられる範囲を超えていて、あなたにはとても信じられないように思えるはずです。

 Yet this is so only from the viewpoint of the ego, for the ego believes in "solving" conflict through fragmentation, and does not perceive the situation as a whole.
 しかし、そんなふうに思えるのはエゴの観点から見たときだけです。なぜなら、エゴは葛藤を断片化することで「解決できる」と信じており、状況を全体的なものとして知覚しようとはしないからです。

 Therefore, it seeks to split off segments of the situation and deal with them separately, for it has faith in separation and not in wholeness.
 そのために、エゴは状況をいくつもの断片に分割し、それらの断片を個別に処理しようとします。なぜなら、エゴは全体性ではなく分離を信頼しているからです。

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7. Confronted with any aspect of the situation that seems to be difficult, the ego will attempt to take this aspect elsewhere, and resolve it there.
 それがどんな局面であれ、一見して困難に思える状況の局面に直面すると、エゴはその局面を別のところへ持って行き、そこでその難局を解決しようと試みます。

 And it will seem to be successful, except that this attempt conflicts with unity, and must obscure the goal of truth.
 そして、この方法は一見うまく行くように思えます。ただし、そんな試みは統一性に矛盾しており、必ず真理という目標を覆い隠してしまいます。

 And peace will not be experienced except in fantasy.
 そうなると、空想の中でしか平安は経験できなくなってしまいます。

 Truth has not come because faith has been denied, being withheld from where it rightfully belonged.
 本来、信頼するのが当然なものに信頼が与えられずに信頼が拒絶されたせいで、真理が訪れなかったからです。

 Thus do you lose the understanding of the situation the goal of truth would bring.
 かくして、あなたは真理という目標がもたらしていたはずの状況を理解する力を失ってしまいます。

 For fantasy solutions bring but the illusion of experience, and the illusion of peace is not the condition in which truth can enter.
 というのも、空想による解決は単に体験の錯覚をもたらすことしかできず、平安の幻想は、その中に真理が入りこむことができる状態ではないからです。


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