T4-3 葛藤のない愛


If I truly love one person I love all persons, I love the world, I love life.
もしも私が真にひとりの人を愛するなら、私はすべての人を愛し、世界を愛し、生命を愛するのである。

If I can say to somebody else, "I love you," I must be able to say, "I love in you everybody, I love through you the world, I love in you also myself.”
もしほかの誰かに「私はあなたを愛している」と言えるなら、私は「私はあなたたちの誰をも愛する,私はあなたを通して世界を愛する,私はあなたを愛し,また私自身を愛するのだ」と言えるはずなのだ。

エーリッヒ・フロム_1202101948

Erich Fromm
エーリッヒ・フロム




VqDCJbPS (1) (1)

今回はテキスト第四章から葛藤のない愛という一節をご紹介します。


聖書からの引用句

本節での聖書からの引用句を抜粋しておきます。

Luke 17
ルカによる福音書17:21
"The Kingdom of Heaven is within you"

Exodus 20
出エジプト記20:3
“You shall have no other gods before me.”


天の王国と所有と実在

さて、前節では、エゴの願望と聖霊の意図が出てきました。


本節では、
1.「The Kingdom of Heaven is you.
 天の王国とは、まさにあなたのことです。

・・・

9.「In the ego's language, "to have" and "to be" are different, but they are identical to the Holy Spirit.
 エゴの定義では『何かを持つ』ことと『何かである』ことは違います。しかし、聖霊にとっては、このふたつはまったく同じです。

 The Holy Spirit knows that you both have everything and are everything.
 聖霊は、あなたがすべてを持っていることも、あなたがすべてであることも、両方知っています。

 Any distinction in this respect is meaningful only when the idea of "getting," which implies a lack, has already been accepted.
 このように所有と実在を区別することが意味を持つ場合があるとすれば、それはただ、欠乏を暗黙の前提とする『手に入れる』という考えがすでに受け入れられている場合だけです。」

と、私たち自身が王国であり、すべてであると同時にすべてを持つ存在だということが述べられます。





意図と願望

本当はすべてであり、すべてを持っているのに、すべてのうちの微小な一部であり、ほんのわずかだけ持っている存在が自分だと誤信している状態にある場合、その存在にできるのは、自分ではなく、かつ、自分が持たない(と信ずる)ものを得られるようにと願望することだけです。

この観点でいるかぎり、世界中の万物は自分自身でもなければ自分のものでもないので、取引や奪取によって手に入れないかぎり自分のものにはならないということになります。

そして、このような条件つきの発想でいるかぎり、この状態から脱することは不可能です。

というのも、万物を所有することは、万物であることと等しいので、自分のことを万物のうちの一点だと信じているかぎり、自分以外の他者は自分と限られたパイを奪い合う競争相手となる敵にならざるをえないからです。

したがって、自分をエゴとみなし他者と分離した存在だと信じているかぎりは、自分が持たないものを願望することはできても意図することはできないので、努力や運によって、たまたま欲しいものを得られる条件を満たした場合にしか望むものは得られないことになります。


願望ー欠乏によって余儀なくされるもの、意図ー豊かさによって湧き起こるもの

これに対して、アイデンティティーをシフトして、エゴ・身体というアバターが自分なわけではなく、本当の自分は万物であり万物を持つ神の子であるという自覚を前提とするなら、ない状態からあるべき状態に到達するよう「こうなればよいのに」と願望するのではなく、自分が所有し、自分でもあるものについて、単に、「こうする」と意図することになります。

エゴに従う状態が、パソコンのフォルダの最下層にしかアクセス権限が与えられていない状態だとすれば、聖霊に従う状態は、この縛りを解除されて自由に階層を上下に行き来して全フォルダにアクセスできる状態です。

全フォルダに自由にアクセスできる状態では、フォルダ間のファイルの移動や体系の変更は自由に意図通りに行うことができます。

何らかの条件を満たさないとできないということはありません。


条件(欠乏を満たす)と状態(豊かさが溢れ出す)

"condition"コンディションは、状態、状況、様子、条件、前提等の訳語を持つ多義的な言葉です。

すべてを持ちすべてである神の子にとっては、何かを得ることは、ありのままの状態を確認することでしかないので、何の条件も満たす必要のない無条件の意図で実現することでしかありません。

すべてを持たずすべてではない人の子にとっては、何かを得ることは、自分が持たず、自分ではない、現状とは異なる望ましい状態に時空を移動して移行することなので、自分以外の外部の環境やライバルという状況次第で達成できるかどうかが左右される条件つきの不確定事項になります。


5.「The Bible gives many references to the immeasurable gifts which are for you, but for which you must ask.
 聖書は、あなたのためのものではあるけれど、それを得るにはあなたが求めなければならない数えきれない贈り物について数多く言及しています。

 This is not a condition as the ego sets conditions.
 これは、エゴが課すさまざまな条件のように、贈り物を得るための条件としてあなたの求めが必要だという意味ではありません。

 It is the glorious condition of what you are.
 それは、あなたの求めるがままに数えきれないほどの贈り物が得られるという、あなた本来の栄光に満ちた状態を意味しているのです。」

ただし、願望する主体はエゴであるのに対して、意図する主体は神の子であるので、エゴが自分のほしい状態を「引き寄せ」ようと、「私は●●を意図する〜!」とうんうん唸りながら念じたところで、「意図」と呼んでいるだけで願望しているだけであり、何も変わらないままでしょう。

意図する状態で意図される、あるべき状態は、エゴが願望していた状態ともしかしたら合致することはあるかもしれないけれど、偽りの想念であるエゴの願望が消えて、その状況において神の意図することをなすために小さな自己が自分にできることをなすことになります。




ゆにこーん_1225101759 (2) (1)

テキスト第四章

III. Love without Conflict
三 葛藤のない愛



1. It is hard to understand what "The Kingdom of Heaven is within you" really means.
 「天の王国は、あなたの内にある」との言葉が真に意味するところを理解するのは難しいものです。

 This is because it is not understandable to the ego, which interprets it as if something outside is inside, and this does not mean anything.
 そのわけは、エゴはこの言葉を、まるで外側にあるものが内側にあると言っているように解釈し、それでは何も意味をなさないので、エゴにはこの言葉が理解できないからです。

 The word "within" is unnecessary.
 「内に」という言葉は必要ありません。

 The Kingdom of Heaven is you.
 天の王国とは、まさにあなたのことなのです。

 What else but you did the Creator create, and what else but you is his kingdom?
 あなた以外のいったい何を大いなる創造主が創造したというのでしょうか。そして、あなた以外のいったい何が神の王国だというのでしょうか。

 This is the whole message which in its totality transcends the sum of its parts.
 これこそ、そのメッセージの全体がそれを構成する各部分の総和を凌駕するメッセージの全容です。

 You, too, have a kingdom that your spirit created.
 あなたもまた、あなたの霊が創造した王国を持っています。

 It has not ceased to create because of the ego's illusions.
 あなたの霊が、エゴの幻想に惑わされて創造するのをやめたことはありません。

 Your creations are no more fatherless than you are.
 あなたの創造物たちは、あなたがそうではないように、親のない存在なわけではありません。

 Your ego and your spirit will never be co-creators, but your spirit and your creator will always be.
 あなたのエゴとあなたの霊が共同創造者となることは絶対にありません。しかし、あなたの霊とあなたの創造主とはいつまでも共同創造者のままです。

 Be confident that your creations are as safe as you are.
 あなたが創造したものたちは、あなたと同じように安全なのだと確信してください。


The kingdom is perfectly united and perfectly protected, and the ego will not prevail against it.
王国は完全に統一され、完璧に守られています。ゆえに、エゴが王国を打ち負かすようなことはありません。

Amen.
アーメン。

20150316115937f70_transparent (1)

2. This is written in the form of a prayer because it is useful in moments of temptation.
 この言葉が祈りの形で書かれているのは、誘惑に駆られたときに祈りの形のほうが役に立つからです。

 It is a declaration of independence.
 この祈りは独立宣言です。

 You will find it very helpful if you understand it fully.
 もしあなたがこの祈りの言葉を十分に理解すれば、この祈りがとても役に立つものだとあなたにもわかるはずです。

 The reason you need my help is because you have denied your own guide and therefore need guidance.
 あなたが私の助けを要する理由は、あなたが自分の案内役を拒んでしまったために、あなたが導きを必要としているからです。

 My role is to separate the true from the false, so truth can break through the barriers the ego has set up and can shine into your mind.
 私の役割は虚偽から真実を選り分けることです。そうすれば、真理はエゴが設けた障壁など突破できるし、あなたの心の中を照らし出せるようになります。

 Against our united strength the ego cannot prevail.
 私たちが結びついた強さに、エゴが打ち勝つことなどできません。



3. It is surely apparent by now why the ego regards spirit as its "enemy."
 ここまで来れば、エゴがなぜ霊を自分の「敵」とみなすのか、きっとはっきりわかったはずです。

 The ego arose from the separation, and its continued existence depends on your continuing belief in the separation.
 エゴは分離から生まれました。だから、エゴの存亡は、あなたが分離への信仰を保ち続けるかどうかにかかっています。

 The ego must offer you some sort of reward for maintaining this belief.
 エゴは、あなたが分離への信仰を維持してくれるように、あなたに何らかの見返りを差し出さなければなりません。

 All it can offer is a sense of temporary existence, which begins with its own beginning and ends with its own ending.
 もっとも、エゴが差し出せるものといえば、エゴ自体が生起するとともに始まってエゴ自体の終結とともに終わる、当面のところ生存しているという感覚だけです。

 It tells you this life is your existence because it is its own.
 そこで、エゴはあなたに、この人生こそがあなたが存在している証しだと告げます。それは、あなたの人生こそがエゴの存在そのものだからです。

 Against this sense of temporary existence spirit offers you the knowledge of permanence and unshakable being.
 こんな仮初めの存在の感覚に対して、霊はあなたに、永続性と揺らぐことのない実在についての知識を差し延べてくれます。

 No one who has experienced the revelation of this can ever fully believe in the ego again.
 このような啓示を経験した者は誰も、もはや二度とエゴを完全に信じることができなくなります。

 How can its meager offering to you prevail against the glorious gift of God?
 どうしてエゴがあなたに差し出すお粗末な供えものが、神の栄光に満ちた贈り物に優ることができるでしょうか。

20150316115937f70_transparent (1)

4. You who identify with your ego cannot believe God loves you.
 自分のエゴと同一化しているあなたには、神が自分を愛してくれているとは信じられません。

 You do not love what you made, and what you made does not love you.
 あなたは自分の作り出したエゴを愛してはいません。そして、あなたが作り出したエゴも、あなたを愛してはいません。

 Being made out of the denial of the Father, the ego has no allegiance to its maker.
 大いなる父を否認することによって作り出されたがゆえに、エゴは自分の作り主に対する忠誠心など持ち合わせてはいないのです。

 You cannot conceive of the real relationship that exists between God and his creations because of your hatred for the self you made.
 あなたは自分の作り出した小さな自己を憎んでいるので、神と神の創造物たちとの間に存在する真の関係性がどのようなものか、あなたには想像もつきません。

 You project onto the ego the decision to separate, and this conflicts with the love you feel for the ego because you made it.
 あなたは分離する決断をエゴに投影していますが、この決断は、自分で作り出したがゆえに、あなたが自分のエゴに対して感じている愛情と矛盾してしまいます。

 No love in this world is without this ambivalence, and since no ego has experienced love without ambivalence the concept is beyond its understanding.
 この世界ではこうした相反する感情つまりアンビバレンスを合わせ持たない愛はありません。そして、いかなるエゴもこのアンビバレンスを伴わない愛を経験したことはないので、愛という概念はエゴの理解が及ばないものなのです。

 Love will enter immediately into any mind that truly wants it, but it must want it truly.
 愛は、いかなる心であれ、もしその心が真に愛を望むなら、すぐざま、その心の中に入りこむでしょう。ただし、愛を心に招き入れるためには、心が真に愛を望んでいなければなりません。

 This means that it wants it without ambivalence, and this kind of wanting is wholly without the ego's "drive to get."
 これは、心がアンビバレンスを伴うことなく愛を望まなければならないことを意味します。ゆえに、この種の願望にはエゴの「手に入れようとせずにはいられない衝動」がまるっきり欠けているのです。



5. There is a kind of experience so different from anything the ego can offer that you will never want to cover or hide it again.
 エゴが提供できるどんな経験ともあまりに違うので、あなたが二度とそれを覆い隠したり秘密にしたりしたいとは思わなくなるような種類の体験があります。

 It is necessary to repeat that your belief in darkness and hiding is why the light cannot enter.
 ここで繰り返し指摘しておかなければならないのは、あなたが闇や隠蔽を信じているために光が入ってこられないのだということです。

 The Bible gives many references to the immeasurable gifts which are for you, but for which you must ask.
 聖書は、あなたのためのものではあるけれど、それを得るにはあなたが求めなければならない数えきれない贈り物について数多く言及しています。

 This is not a condition as the ego sets conditions.
 これは、エゴが課すさまざまな条件のように、贈り物を得るための条件に言及するものではありません。

 It is the glorious condition of what you are.
 それは、あなたの求めるがままに数えきれないほどの贈り物が得られるという、あなた本来の栄光に満ちた状態について述べているのです。

20150316115937f70_transparent (1)

6. No force except your own will is strong enough or worthy enough to guide you.
 あなた自身の意志を除いては、あなたを導くのに十分な強さや価値のある力は何もありません。

 In this you are as free as God, and must remain so forever.
 この意志において、あなたは神と同じように自由であり、それも永遠に自由であり続けるに違いありません。

 Let us ask the Father in my name to keep you mindful of his Love for you and yours for Him.
 あなたに対する父の大いなる愛と父に対するあなたの愛をあなたが心に保っていられるように、私の名において、私たちで一緒に大いなる父に求めましょう。

 He has never failed to answer this request, because it asks only for what He has already willed.
 父なる神が、この求めを聞き入れ損ねたことは一度もありません。なぜなら、この求めは、ただ神がすでに意図したことを求めるものでしかないからです。

 Those who call truly are always answered.
 心から呼びかける者たちは必ず答えてもらえます。

 Thou shalt have no other gods before him because there are none.
 「汝、父を差し置いてほかに、いかなる神をも持つことなかれ」と言われるゆえんは、大いなる父をおいてほかに、いかなる神も存在しないからです。



7. It has never really entered your mind to give up every idea you ever had that opposes knowledge.
 実際、これまであなたの心に、自分が心に抱いた知識に対立するすべての想念を手放すという発想が浮かんだことは一度もなかったはずです。

 You retain thousands of little scraps of fear that prevent the Holy One from entering.
 あなたは幾千もの恐れのかけらを手放さずに保っておこうとするので、それらの恐れが聖なる存在があなたの心に入ってくるのを邪魔しています。

 Light cannot penetrate through the walls you make to block it, and it is forever unwilling to destroy what you have made.
 光には、あなたが光を遮るために作り出した壁を通り抜けることはできません。また、光があなたの作り出したものを破壊しようと意図することも永遠にありません。

 No one can see through a wall, but I can step around it.
 壁を通り越して見ることは誰にもできませんが、私は壁を避けて壁の向こう側に回りこむことができます。

 Watch your mind for the scraps of fear, or you will be unable to ask me to do so.
 ほんのわずかな恐れのかけらも入らないように、あなたの心を見張ってください。そうしないと、あなたは私に壁の向こう側に回りこんでほしいと頼めないはずだからです。

 I can help you only as our Father created us.
 私には、私たちの大いなる父が私たちを創造してくれたようにしか、あなたを手助けすることはできません。

 I will love you and honor you and maintain complete respect for what you have made, but I will not uphold it unless it is true.
 私はあなたを愛し、あなたを尊び、そして、あなたが作り出したものに対して全面的な敬意を払い続けます。ただし、私は、それが真実でないかぎり、あなたの作り出したものを支持するつもりはありません。

 I will come in response to a single unequivocal call.
 ただ一言、はっきり呼びかけてくれれば、それに応えて私はすぐにやってくるつもりです。

20150316115937f70_transparent (1)

8. Watch carefully and see what it is you are really asking for.
 注意深く見張って、自分が真に求めているものが何なのか見定めてください。

 Be very honest with yourself in this, for we must hide nothing from each other.
 自分が真に求めるものを見極めるに際しては、私たちはお互いに何ひとつ隠し事があってはならないので、あなたは自分自身に対してとことん正直にならなければなりません。

 If you will really try to do this, you have taken the first step toward preparing your mind for the Holy One to enter.
 もしあなたが本当に自分自身に正直になって自分が真に求めるものを見極めようと心がけるなら、あなたは聖なる存在が入ってこられるように自分の心を準備することに向けて、最初の一歩を踏み出したことになります。

 We will prepare for this together, for once he has come, you will be ready to help me make other minds ready for him.
 私たちで一緒にその準備をしましょう。なぜなら、ひとたび神が訪れたからには、私がほかの者たちの心が神を受け入れられるようにするのに助力する準備があなたに整うからです。

 How long will you deny him his kingdom?
 あなたはいつまで神の王国を神に渡さずにおこうというのでしょうか。



9. In your own mind, though denied by the ego, is the declaration of your release.
 たとえエゴが否認するとしても、あなた自身の心の中には、あなたの解放宣言があります。

 God has given you everything.
 神は、あなたにすべてを与えてくれています。

 This one fact means the ego does not exist, and this makes it profoundly afraid.
 あなたがすでに神からすべてを授かっているというこのひとつの真実が意味するのは、エゴは存在しないということです。そして、このことは、エゴを深刻な恐怖に陥れます。

 In the ego's language, "to have" and "to be" are different, but they are identical to the Holy Spirit.
 エゴの定義では「何かを持つ」ことと「何かである」ことは違います。しかし、聖霊にとっては、このふたつはまったく同じです。

 The Holy Spirit knows that you both have everything and are everything.
 聖霊は、あなたがすべてを持っていることも、あなたがすべてであることも、両方知っています。

 Any distinction in this respect is meaningful only when the idea of "getting," which implies a lack, has already been accepted.
 このように所有と実在を区別することが意味を持つことがあるとすれば、それはただ、欠乏を暗黙の前提とする「手に入れる」という考えがすでに受け入れられている場合だけです。

 That is why we make no distinction between having the kingdom of God and being the kingdom of God.
 だからこそ、私たちは、神の王国を持っていることと神の王国そのものであることを区別しないのです。



10. The calm being of God's kingdom, which in your sane mind is perfectly conscious, is ruthlessly banished from the part of the mind the ego rules.
 神の王国の静謐な実在は、あなたの正気の心の中では完全に意識されていますが、エゴが支配する心の部分からは容赦なく締め出されてしまっています。

 The ego is desperate because it opposes literally invincible odds, whether you are asleep or awake.
 エゴは、勝ち目のない文字どおり無敵な相手に対抗しているので、あなたが眠っていようと目覚めていようと死に物狂いになっています。

 Consider how much vigilance you have been willing to exert to protect your ego, and how little to protect your right mind.
 考えてもみてください。あなたは自分のエゴを守ろうとして、自ら進んでどれほど多大な努力を払って警戒してきたことか、その反面で、いかにわずかしか自分の正しい心を守るための警戒をせずにきたことか。

 Who but the insane would undertake to believe what is not true, and then protect this belief at the cost of truth?
 正気でない者以外のいったい誰が、真実でもないものを信じる気になって、そのうえで、真理を犠牲にしてまでそんな偽物の信念を守ろうとしたりするでしょうか。


20150316115937f70_transparent (1)





関連記事