FC2ブログ

There Is No Spoon

ARTICLE PAGE

T10-2 私はだれ?

今回は、テキスト第十章から、忘れる決心という一節をご紹介します。



もしコースが語るように、私たちが神の子であることが真理だとすれば、私たちが、自分は地球上に生きる何十億人もの人間のひとりだと思っている現状は幻想であり、真理にそぐわない偽りの状態ということになります。

他方で、世界が教えるように、神など存在せず、私たちが人間ではなく、神の子だなどという寝ぼけた戯言を信じるなんて狂気の沙汰だという考えのほうが冷徹な真実をありのまま承認する謙虚な姿勢のようにも思えます。

私たちが現状において、世界の中に存在する人間として自分が生きて機能していると実感していること、そして、それを裏付けるように、物理的に身体が存在し、個別の身体は別々に思考していることを示す証拠がふんだんにあることからすれば、後者の主張のほうが証拠に裏打ちされた論拠に基づく間違いのない現実認識だというようにも思えます。


しかし、前者の主張は、そもそも本当の自分のいる次元とは別の幻の架空世界の中の幻のキャラクターが自分だと信じ込んでいる錯覚だというものであり、架空世界は幻であるがゆえにいくらでも証拠は捏造し放題なので、架空世界の提供する証拠はいかに説得的なものであっても証拠にはならなりません。

全能の存在が自分をきわめて強く能力の制限された存在へと貶め、空想の世界の中に引きこもっているとしたら、空想の世界が提供する証拠で判断能力を奪われた自分を説得することなど容易にできることです。

もし私たちが生まれた時からVRゴーグルを装着されて、VR世界とその中で自分が動くためのアバターが現実だと信じ込んだまま成長したとしたら、VR世界にもアバターにも、本当の世界や本当の自分を想像することすらできないはずです。

結局、証拠や理屈だけでどちらが真実か見極めようとすることは不毛なことです。

それよりも、実利的に、どちらに真実であってほしいかという自分の素朴な直感や願望で態度決定して、実践によって果たしてそれが真実か確かめてみるほうが有益でしょう。

エゴとしての成功を収めアバターを操縦する楽しさに取りつかれて地上の喜びを謳歌している「不幸な」人は別として、多くの人は、孤独に他者と隔絶した存在であるよりも、本当は他者と愛でひとつに結ばれた聖なる存在が自分であるというなら、それを思い出したいと自分の魂が叫んでいるのがわかるはずです。

そうであるなら、コースの言う私たちが本当はひとつの神の子であるという真理を前提として受け入れたうえでの発想に乗っかってみるべきです。


この前提に立つなら、私たちが自分が人間だと信じている状態は虚偽であり、虚構の自分に自己同一化する前には、本当の自分が神の子だという知識を持っていたのに、どういうわけか、その知識を忘れて、覆い隠してしまったということになります。

この忘れる決断である解離が起こると、自分が誰だか本当に忘れるということが可能となります。

「 When you threw knowledge away it is as if you never had it.
 あなたが知識を捨て去ってしまったとしたら、あなたはまるで一度も知識を持ったことがないような状態になってしまうはずです。

 This is so apparent that one need only recognize it to see that it does happen.
 これは本当にわかりきったこ明白なことなので、誰でもただこのことに気づきさえすれば、それが現に起こっていることなのだとわかるはずです。

 If this occurs in the present, why is it surprising that it occurred in the past?
 もし知識を捨て去って自分がかつて知識を持っていたことを忘れ去ってしまうという現象が現在も起こっているのなら、同じことが過去に起こっていたとしても、驚くには値しないはずです。

 Surprise is a reasonable response to the unfamiliar, though hardly to something that occurs with such persistence.
 未知の出来事について驚くのは当然の反応ですが、ずっと繰り返し起こり続けていることに対して驚くのは、とても当然の反応とはいえません。」(T4-2 エゴの起源 3.)

解離により記憶喪失になるだけでなく、幻の世界の中を意のままに操縦できるアバターをあてがわれるので、真実の状態をまず消去して初期化され、あらためて偽りの状態をインストールされるわけで、もともとの真実の状態を思い出すことは二重に困難になります。

しかし、解離は、臭いものに蓋をする心理的な仕組みでしかありません。

神が創造したものを消去し廃絶することなど神の子になしえないからです。

したがって、真実の状態は思い出すことが可能であり、それは、単に、私たちの本当はひとつの心にすでに存在しているものを回復させるだけです。

新たに依然と同じものを作り出すわけでもないし、どこかほかの保管場所に保管してあるデータを見つけ出してそれを持ってきて復旧させるわけでもありません。

そこにずっとあったままだけど否認していたものを改めて受け入れるだけです。



テキスト第十章

II. The Decision to Forget  
二 忘れる決心



1. Unless you first know something you cannot dissociate it.
 何であれ、まずもってあなたがその何かを知っているのでなければ、あなたにはその何かを解離することはできません。

 Knowledge must precede dissociation, so that dissociation is nothing more than a decision to forget.
 解離する前に必ず知識があったはずです。そうだとすると、解離とは単に忘れようと決断することでしかないことになります。

 What has been forgotten then appears to be fearful, but only because the dissociation is an attack on truth.
 忘れられてしまったあとでは、忘れてしまったその何かは恐ろしいものに見えますが、それは単に解離が真理に対する攻撃だからでしかありません。

 You are fearful because you have forgotten.
 あなたが恐れているのは、あなたが忘れてしまったためなのです。

 And you have replaced your knowledge by an awareness of dreams because you are afraid of your dissociation, not of what you have dissociated.
 そして、あなたは自分の知識を夢見る意識で置き換えてしまいました。なぜなら、あなたは、自分が解離したものではなく、自分が解離していること自体を恐れているからです。

 When what you have dissociated is accepted, it ceases to be fearful.
 自分が意識から解離させていたものを受け入れたなら、それはもう恐ろしいものではなくなります。

名称未設定

2. Yet to give up the dissociation of reality brings more than merely lack of fear.
 それだけでなく、あなたが現実を解離するのをやめることで、単に恐れがなくなる以上のものがもたらされます。

 In this decision lie joy and peace and the glory of creation.
 自分が解離したものを受け入れると決断することで、喜びと平安、そして創造の栄光がもたらされます。

 Offer the Holy Spirit only your willingness to remember, for he retains the knowledge of God and of yourself for you, waiting for your acceptance.
 ただ思い出したいという自分の意欲だけを聖霊に捧げてください。というのは、聖霊はあなたの代わりに神とあなた自身についての知識を保っていて、あなたがそれを受け入れるのを待っているからです。

 Give up gladly everything that would stand in the way of your remembering, for God is in your memory.
 あなたが神と自分自身についての知識を思い出すことを邪魔するようなものはすべて、喜んで手放しなさい。というのは、神はあなたの記憶の中にいるからです。

 His voice will tell you that you are part of him when you are willing to remember him and know your own reality again.
 あなたが神を思い出して本当の自分自身を再び知ろうとする意欲を持つとき、神の声があなたは神の一部であるとあなたに告げてくれるでしょう。

 Let nothing in this world delay your remembering of him, for in this remembering is the knowledge of yourself.
 この世界のいかなるものにも、あなたが神を思い出すのを遅らせることを許してはなりません。というのも、こうして神を思い出すことによって、あなたは自分自身を知ることになるからです。



3. To remember is merely to restore to your mind what is already there.
 思い出すことは単に、あなたの心に、すでに存在しているものを回復させるだけです。

 You do not make what you remember; you merely accept again what is already there, but was rejected.
 あなたは、自分が思い出すものを作り出すわけではありません。あなたは単に、すでにそこにあるにもかかわらず、拒絶されていたものをもう一度受け入れるだけです。

 The ability to accept truth in this world is the perceptual counterpart of creating in the Kingdom.
 この世界において真理を受け入れる能力は、王国における創造に知覚の面で対応するものです。

 God will do his part if you will do yours, and his return in exchange for yours is the exchange of knowledge for perception.
 もしあなたが自分の役目を果たすなら、神は自らの役目を果たしてくれるでしょう。そして、あなたが役目を果たすことと引き換えに、その見返りとして神は知覚を知識へと交換してくれます。

 Nothing is beyond his will for you.
 あなたを思う神の意志を超えるものは何もありません。

 But signify your will to remember him, and behold!
 ただ、神を思い出すという自分の意志を示し、そして、しっかりと見てください。

 He will give you everything but for the asking.
 ただ求めさえすれば、神はすべてをあなたに与えてくれるでしょう。

名称未設定

4. When you attack, you are denying yourself.
 あなたが攻撃するとき、あなたは自分自身を否認しているのです。

 You are specifically teaching yourself that you are not what you are.
 そのとき、あなたは、自分が本当のあなたではないと自分自身にはっきりと教えているのです。

 Your denial of reality precludes the acceptance of God's gift, because you have accepted something else in its place.
 あなたが現実を否認することが、あなたが神の贈り物を受け入れることを不可能にしてしまいます。なぜなら、あなたはすでに、神の贈り物があるべきところに何か別のものを受け入れてしまっているからです。

 If you understand that this is always an attack on truth, and truth is God, you will realize why it is always fearful.
 もしあなたが、神の贈り物の代わりに別のものを受け入れることはつねに真理を攻撃することであり、そして、真理とは神のことだと理解するなら、あなたは、なぜ攻撃することがつねに恐れに満ちたものになるのかわかるはずです。

 If you further recognize that you are part of God, you will understand why it is that you always attack yourself first.
 もしあなたが、さらに進んで自分が神の一部であることを認識するなら、あなたは、どうしてあなたが必ず最初に自分自身を攻撃することになるのか理解するでしょう。

名称未設定

5. If you realized the complete havoc this makes of your peace of mind you could not make such an insane decision.
 もしあなたが攻撃をすると自分の心の平安を完全な荒廃に陥れてしまうと気づいたなら、あなたにはそんな狂気の決断などできないはずです。

 You make it only because you still believe it can get you something you want.
 あなたが攻撃する決断を下すのは、ひとえに、あなたが依然として攻撃することで自分の望む何かを自分が得られるはずだと信じているからにほかなりません。

 It follows, then, that you want something other than peace of mind, but you have not considered what it must be.
 そうだとすれば、これが意味するのは、あなたは心の平安以外の何か別のものを望んではいるけれど、あなたはその別のものが何なのかまではよく考えてみたことがなかったということです。

 Yet the logical outcome of your decision is perfectly clear, if you will only look at it.
 しかし、もしあなたが自分の望む別のものが何なのか見てみようとさえすれば、あなたの決断の論理的な帰結は完全に明らかになります。

 By deciding against your reality, you have made yourself vigilant against God and his Kingdom.
 本当の自分に敵対する決断をすることによって、あなたは自分自身を、神とその王国に対して絶えず警戒を怠らずにはいられないようにさせてしまったのです。

 And it is this vigilance that makes you afraid to remember him.
 そして、この警戒心こそが、神を思い出すことに対してあなたに恐れを抱かせているものなのです。


名称未設定

次

関連記事

Comments 0

Leave a reply