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There Is No Spoon

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M5 「癒し」の仕組みとは?

今回は、教師のためのマニュアルから第5節「どのように癒しは達成されるのか」をご紹介します。


奇跡のコースでは、癒しのことを、分離幻想を解消し、神の子の完全性を回復するという贖罪と同様の意味を持つ概念として用いており、病気や疲労からの回復だけの意味に限定して用いてはいませんが、この一節では、特に病気との対比によって癒しの意味を説明していきます。






この一節には、受け止め方によっては、病気で苦まれている方々、ご家族、病気に立ち向かう医療者の方々にとって、もしかしたら不快な思いを抱かせてしまう言葉や表現が含まれているかもしれません。

コースには決して、病気を患われている方々を貶めようとする趣旨はないということは十分に強調しておかなければなりません。

もっとも、もし不快に感じられるなら、はっきりとした意識はなくても、それはご自分の中に何らかの気づきがあることを示しているのかもしれません。

そのような方にこそ、ぜひ、奇跡のコースをより深く読んでみていただければと思います。



まず参考に、テキスト第七章の四を読んでいただければと思います。




Section 5

How Is Healing Accomplished?
どのように癒しは達成されるのか



1. Healing involves an understanding of what the illusion of sickness is for.
 癒しをなすには、病気という幻想が何のためにあるのか理解することが必要です。

 Healing is impossible without this.
 病気という幻想の目的を理解せずして、癒しをなすことは不可能です。




I. The Perceived Purpose of Sickness
Ⅰ 病気の目的と知覚されるもの



1. Healing is accomplished the instant the sufferer no longer sees any value in pain.
 患者がもうそれ以上苦痛に何の価値も見ることがなくなったとき、即座に癒しは成就します。

 Who would choose suffering unless he thought it brought him something, and something of value to him?
 苦痛が自分に何かを、それも自分にとって価値のある何かをもたらしてくれると考えているのでないかぎり、いったい誰が好きこのんで苦しみ患うことを選ぼうとするでしょうか。

 He must think it is a small price to pay for something of greater worth.
 彼は、より大きな価値のある何かを得るために払うのであれば、苦痛などたいした代償ではないと考えているに違いありません。

 For sickness is an election; a decision.
 というのも、病気になることはひとつの選択であり、自分で決断することだからです。

 It is the choice of weakness, in the mistaken conviction that it is strength.
 病気は、弱みが強みになると間違った確信を抱いて、弱さを選択することです。

 When this occurs, real strength is seen as threat and health as danger.
 この思い違いが起こると、真の強さは脅威とみなされ、健やかであることは危険だとみなされます。

 Sickness is a method, conceived in madness, for placing God's Son on his Father's throne.
 病気は、神の子を彼の父の玉座に据えようとするために、狂気の中で思いつかれた手段のひとつです。

 God is seen as outside, fierce and powerful, eager to keep all power for Himself.
 神は、すべての力を自分だけのものに保とうと躍起になって荒ぶる強大な存在として、神の子の外側にあるものとみなされます。

 Only by His death can He be conquered by His Son.
 神がぬよりほかには、神の子が神を打ち破ることはできないことになります。



2. And what, in this insane conviction, does healing stand for?
 このような狂気を確信している状態では、癒しは何を意味するでしょうか。

 It symbolizes the defeat of God's Son and the triumph of his Father over him.
 癒しは、神の子が敗北し、彼の父が彼を打ち負かして勝利することを象徴することになります。

 It represents the ultimate defiance in a direct form which the Son of God is forced to recognize.
 癒しは、神の子がいかに挑戦しても最終的には神に敵わないと彼が真正面から思い知らされることを意味します。

 It stands for all that he would hide from himself to protect his "life."
 癒しは、神の子が自分の「生命」を守るために自分自身に対して隠し通そうとするものすべてを象徴しています。

 If he is healed, he is responsible for his thoughts.
 もし神の子が癒されるなら、彼は自分の思考について責任があることになります。

 And if he is responsible for his thoughts, he will be killed to prove to him how weak and pitiful he is.
 そして、もし彼が思考することについて彼に責任があるとしたら、彼がいかにか弱く哀れな存在か彼に思い知らせるために彼は殺されることになるでしょう。

 But if he chooses death himself, his weakness is his strength.
 しかし、もし彼が自らを選ぶなら、彼の弱さは彼の強みになります。

 Now has he given himself what God would give to him, and thus entirely usurped the throne of his Creator.
 いまや彼は、神が彼に与えようとしていたを自分自身に与えることによって、完全に自分の創造主の玉座を奪い取ったことになるからです。




II. The Shift in Perception
Ⅱ 知覚の変化



1. Healing must occur in exact proportion to which the valuelessness of sickness is recognized.
 癒しは、必ず病気の無価値さについての気づきの程度に正確に比例して起こります。

 One need but say, "There is no gain at all to me in this" and he is healed.
 誰もがただ、こう言いさえすれば十分です。「病気になることで私の得になることなどまったくない」と。そうすれば、彼は癒されます。

 But to say this, one first must recognize certain facts.
 しかし、このように言うためには、誰もがまず、いくつかの事実に気づかなければなりません。

 First, it is obvious that decisions are of the mind, not of the body.
 第一に、決断することは、身体ではなく心が下すものであることは明らかです。

 If sickness is but a faulty problem-solving approach, it is a decision.
 もし病気が間違った問題解決のアプローチでしかないとしたら、病気になることはひとつの決断だといえます。

 And if it is a decision, it is the mind and not the body that makes it.
 そして、もし病気になることが決断だとしたら、病気を作り出しているのは身体ではなく、心だということになります。

 The resistance to recognizing this is enormous, because the existence of the world as you perceive it depends on the body being the decision maker.
 このように心が病気を作り出していると認識することに対する抵抗は、とてつもなく大きなものです。なぜなら、あなたの知覚している世界の存在は、身体が決定者であることを基盤としているからです。

 Terms like "instincts," "reflexes" and the like represent attempts to endow the body with non-mental motivators.
 「本能」のような言葉や「反射運動」その他、それに類する言葉は、身体に心とは無関係の動力源を付与しようとする試みを示しています。

 Actually, such terms merely state or describe the problem.
 実際のところ、そのような言葉は、問題をただ単に言葉で述べて説明しているだけです。

 They do not answer it.
 それらの言葉は、問題に対して何も答えてはいません。



2. The acceptance of sickness as a decision of the mind, for a purpose for which it would use the body, is the basis of healing.
 病気を、心が身体を利用して達成しようとする目的のために下す決断として受け入れることこそ、癒しの基盤です。

 And this is so for healing in all forms.
 そして、病気を心の決断として受け入れることが、あらゆる形の癒しの基盤となります。

 A patient decides that this is so, and he recovers.
 患者がこれがその通りだと決断するなら、彼は回復します。

 If he decides against recovery, he will not be healed.
 もし彼が回復に反対する決断をするなら、彼は癒されないでしょう。

 Who is the physician?
 誰が癒し主なのでしょうか。

 Only the mind of the patient himself.
 ただ患者本人の心だけです。

 The outcome is what he decides that it is.
 結果は、患者が成り行きはこうだと決断した通りになります。

 Special agents seem to be ministering to him, yet they but give form to his own choice.
 特別な薬品が彼を治すのに役立つように思えます。しかし、薬品は彼自身の下した選択に形を与えるだけです。

 He chooses them in order to bring tangible form to his desires.
 患者は、自分の願望に具体的な形をもたらすために薬品を選ぶのです。

 And it is this they do, and nothing else.
 だから、薬品がなすのはそれだけのことで、それ以外にはありません。

 They are not actually needed at all.
 薬品は、本当はまったく必要ないのです。

 The patient could merely rise up without their aid and say, "I have no use for this."
 患者は、薬品の助けを借りることなくただ起きあがって「私には薬など無用だ」と言うことができます。

 There is no form of sickness that would not be cured at once.
 一瞬で治らないような病気はいかなる形であれ、何ひとつないのです。



3. What is the single requisite for this shift in perception?
 このような知覚の転換を起こすために必要なたったひとつの条件とは何でしょうか。

 It is simply this; the recognition that sickness is of the mind, and has nothing to do with the body.
 それは単純に、病気は心の問題であって、身体とは何の関係もないと認めることだけです。

 What does this recognition "cost"?
 このことを認める「代償」は何でしょうか。

 It costs the whole world you see, for the world will never again appear to rule the mind.
 その代償は、あなたが見ているこの世界全体です。というのも、この認識により、この世界はもはや二度と再びその心を支配するようには見えなくなるからです。

 For with this recognition is responsibility placed where it belongs; not with the world, but on him who looks on the world and sees it as it is not.
 というのは、この認識によって、責任が本来それが属するところ、つまり、世界ではなく、世界を目にしながらもそれをあるがままに見ていない彼自身に負わされることになるからです。

 He looks on what he chooses to see.
 彼は、自分が見ることを選んだものを目にすることになります。

 No more and no less.
 それ以上でもそれ以下でもありません。

 The world does nothing to him.
 世界は、彼に何もしていません。

 He only thought it did.
 彼はただ世界が自分に何かをしたと思っていただけだったのです。

 Nor does he do anything to the world, because he was mistaken about what it is.
 また、彼のほうも世界に対して何もしてはいません。なぜなら、彼は世界が何であるか誤解していたからです。

 Herein is the release from guilt and sickness both, for they are one.
 ここにこそ、罪悪感と病気の両方からの解放があります。なぜなら、罪悪感と病気はひとつのものだからです。

 Yet to accept this release, the insignificance of the body must be an acceptable idea.
 しかし、罪悪感と病気の両方からの解放を受け入れるためには、身体は重要ではないという考えを受け入れる必要があります。



4. With this idea is pain forever gone.
 身体は取るに足らないという考えを受け入れることで、苦痛は永遠に去ってしまいます。

 But with this idea goes also all confusion about creation.
 しかも、この考えは、創造に関するあらゆる混同もまた一緒に連れ去ってくれます。

 Does not this follow of necessity?
 こうなるのは、当然ではないでしょうか。

 Place cause and effect in their true sequence in one respect, and the learning will generalize and transform the world.
 ひとつの事柄に関して、原因と結果を正しい順序で引き続いて起こるように配置するなら、その学びが一般化されて世界が変容するでしょう。

 The transfer value of one true idea has no end or limit.
 ひとつの正しい考えが誤りに置き換わる転移の効果には、際限がありません。

 The final outcome of this lesson is the remembrance of God.
 このレッスンの最終の成果は、神を思い出すことです。

 What do guilt and sickness, pain, disaster and all suffering mean now?
 いまや、罪悪感や病気、苦痛、災厄やあらゆる苦難に何の意味があるでしょうか。

 Having no purpose, they are gone.
 それらは、何の目的もないので、去ってしまうのです。

 And with them also go all the effects they seemed to cause.
 そして、それらのあらゆる苦難と一緒に、それらの苦難が引き起こしていたように見えた影響や結果のすべてもまた消え去ります。

 Cause and effect but replicate creation.
 原因と結果は、ただ創造を反映するだけです。

 Seen in their proper perspective, without distortion and without fear, they re-establish Heaven.
 歪曲や恐怖を伴うことなく、原因と結果を正しい観点で見るなら、原因と結果は天国を再建してくれます。




III. The Function of the Teacher of God
Ⅲ 神の教師の役割



1. If the patient must change his mind in order to be healed, what does the teacher of God do?
 もし癒されるために患者が自分の心を変えなければならないのなら、神の教師は何をするのでしょうか。

 Can he change the patient's mind for him?
 神の教師は、患者に代わって彼の心を変えることができるでしょうか。

 Certainly not.
 もちろん、そんなことはできません。

 For those already willing to change their minds he has no function except to rejoice with them, for they have become teachers of God with him.
 というのも、すでに自らの心を変える意欲を持っている人たちは、すでに自分と同じ神の教師になっているのだから、神の教師には、彼らと一緒に喜ぶ以外には何の役割もないからです。

 He has, however, a more specific function for those who do not understand what healing is.
 しかしながら、神の教師には、癒しが何であるか理解しない者たちのために、より具体的な役割があります。

 These patients do not realize they have chosen sickness.
 このような患者たちは、自分たちが病気を選択したのだと理解していません。

 On the contrary, they believe that sickness has chosen them.
 それどころか、このような患者たちは、病気のほうが自分たちを選んだのだと信じこんでいます。

 Nor are they openminded on this point.
 しかも、彼らは、病気が自分を選んだと信じることにかけては、心を閉ざして開こうとはしません。

 The body tells them what to do and they obey.
 身体が彼らに何をすべきかを告げ、彼らはそれに従っています。

 They have no idea how insane this concept is.
 このように考えることがどれほど狂っているか、彼らはまったくわかっていません。

 If they even suspected it, they would be healed.
 もし彼らが少しでも疑いさえすれば、彼らは癒されたでしょうに。

 Yet they suspect nothing.
 それなのに、彼らは何も疑おうとしません。

 To them the separation is quite real.
 彼らにとって、分離はまったくの現実なのです。



2. To them God's teachers come, to represent another choice which they had forgotten.
 彼らの忘れきっているもうひとつの選択肢の存在を示すために、神の教師たちは彼らの許へとやってきます。

 The simple presence of a teacher of God is a reminder.
 ひとりの神の教師が単にそこにいるだけで、彼らにもうひとつの選択肢を思い出させることになります。

 His thoughts ask for the right to question what the patient has accepted as true.
 神の教師の思考が患者に、患者が真実として受け入れてきたことに疑問を差し挟んでみてはどうかと求めます。

 As God's messengers, His teachers are the symbols of salvation.
 神の使者として、神の教師たちは、救済のシンボルとなります。

 They ask the patient for forgiveness for God's Son in his own Name.
 神の教師たちは、患者に、神の子を神の子自身の名において赦すように求めます。

 They stand for the Alternative.
 神の教師は、別の選択肢を表します。

 With God's Word in their minds they come in benediction, not to heal the sick but to remind them of the remedy God has already given them.
 神の大いなる言葉を自らの心に抱き、神の教師たちは祝福の中でやってきます。それは、病人を癒すためではなく、神がすでに彼らに癒やす手立てを授けてくれていることを病人たちに思い出させるためにやってくるのです。

 It is not their hands that heal.
 神の教師たちの手が癒すわけではありません。

 It is not their voice that speaks the Word of God.
 神の教師たちの声が神の言葉を語るわけではありません。

 They merely give what has been given them.
 神の教師たちはただ、すでに彼らに授けられているものを与えるだけです。

 Very gently they call to their brothers to turn away from death:
 とても穏やかに、神の教師たちは、自分の兄弟たちにに背を向けるようにと呼びかけます。

 "Behold, you Son of God, what life can offer you.
 「神の子よ、あなたは生命が自分に何を差し延べることができるかよく見なければなりません。

 Would you choose sickness in place of this?"
 生命が差し出すものと引き換えに、あなたは病気を選ぼうというのですか」と。



3. Not once do the advanced teachers of God consider the forms of sickness in which their brother believes.
 先に進んだ神の教師は、自分の兄弟たちが信じこんでいる病気の多様な形など、一顧だにしません。

 To do this is to forget that all of them have the same purpose, and therefore are not really different.
 病気には多様な形があると考えることは、あらゆる病気は同じ目的を持っており、したがって、実際には何の違いもないということを忘れてしまうことだからです。

 They seek for God's Voice in this brother who would so deceive himself as to believe God's Son can suffer.
 神の教師たちは、神の子が苦しむことが可能だと信じこむほどまで自分を欺いてしまっているこの兄弟の中に神の大いなる声を見出そうとします。

 And they remind him that he did not make himself, and must remain as God created him.
 そして、神の教師たちはその兄弟に、その兄弟が自分自身を作り出したわけではないのだから、彼はいまだに神に創造されたままのはずだと気づかせます。

 They recognize illusions can have no effect.
 神の教師たちは、幻想には何の影響も及ぼすことができないとわかっています。

 The truth in their minds reaches out to the truth in the minds of their brothers, so that illusions are not reinforced.
 神の教師たちの心の中にある真理が兄弟たちの心の中にある真理へと届くので、幻想が増強されることはありません。

 They are thus brought to truth; truth is not brought to them.
 こうして、幻想は真理の下へともたらされます。真理が幻想の許にもたらされるわけではありません。

 So are they dispelled, not by the will of another, but by the union of the one Will with itself.
 そうして幻想は消し去られます。それは、他者の意志によって払いのけられるのではなく、ひとつの大いなる意志がそれ自身と結びつくことによって払拭されるのです。

 And this is the function of God's teachers; to see no will as separate from their own, nor theirs as separate from God's.
 そして、次のことこそが神の教師たちの役目です。その役目とは、ひとつの意志も自分の意志とは切り離されてはおらず、自分たちの意志は神の意志から分離していないと理解することです。


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