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        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

T6-5B 平安を得るための方法

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今回はテキスト第六章、第五節の聖霊のレッスンから、平安を得るための方法について述べる一節をご紹介します。



テキスト第六章 

第五節 聖霊のレッスン

B. To Have Peace, Teach Peace to Learn It
B 平安を得るには、それを学ぶために平安を教えなさい


1. All who believe in separation have a basic fear of retaliation and abandonment.
 分離を信じる者は誰でも、報復され、見捨てられることへの根源的な恐怖心を抱いています。

 They believe in attack and rejection, so that is what they perceive and teach and learn.
 彼らは攻撃と拒絶を信じています。だから、彼らは、攻撃し拒絶することを知覚し、教え、そして学ぶことになってしまいます。

 These insane ideas are clearly the result of dissociation and projection.
 こんな狂気の考えが解離と投影の結果であるのは明らかです。

 What you teach you are, but it is quite apparent that you can teach wrongly, and can therefore teach yourself wrong.
 あなたは自分の教える通りの者になります。しかし、あなたが間違って教えることができ、したがって、あなたが自分自身に間違ったことを教えることもできるのはきわめて明らかです。

 Many thought I was attacking them, even though it was apparent I was not.
 私が攻撃などしなかったことは明白であったにもかかわらず、多くの者が、私が彼らのことを攻撃しているものと思いました。

 An insane learner learns strange lessons.
 正気を失って学ぶ者は、異常なレッスンを学習してしまうものです。

 What you must recognize is that when you do not share a thought system, you are weakening it.
 あなたが認識しておかなければならないのは、あなたがある思考システムを分かち合わずにいるとき、あなたはその思考システムを弱体化しているということです。

 Those who believe in it therefore perceive this as an attack on them.
 したがって、その思考システムを信じている者たちは、あなたが自分たちと同じ思考システムを共有しようとしないことを自分たちに対する攻撃だと知覚してしまいます。

 This is because everyone identifies himself with his thought system, and every thought system centers on what you believe you are.
 これは誰もがみな自分自身を自分の思考システムと同一視するからそうなるのです。そして、どんな思考システムもすべて、自分のことを何者だとその人が信じるかを中核として成り立っています。

 If the center of the thought system is true, only truth extends from it.
 もし思考システムの中心となるものが真実なら、真理のみがその中心から拡張していきます。

 But if a lie is at its center, only deception proceeds from it.
 しかし、もし嘘がその中心にあるなら、その中心から生じるのはただ欺瞞だけです。




2. All good teachers realize that only fundamental change will last, but they do not begin at that level.
 優れた教師たちはみな、根本的なレベルでの変化だけが永続することを理解しています。とはいえ、優れた教師たちは、根本的なレベルから教えはじめるようなことはしません。

 Strengthening motivation for change is their first and foremost goal.
 優れた教師たちが何よりも最優先に据える目標は、生徒の変わりたいという意欲を強めることです。

 It is also their last and final one.
 生徒の変化への動機づけを強化することはまた、教師たちの究極的な最終目標でもあります。

 Increasing motivation for change in the learner is all that a teacher need do to guarantee change.
 生徒の中にある、変わりたいという気持ちを増強することだけが、教師が生徒の変化を確実なものにするためになすべきことのすべてです。

 Change in motivation is a change of mind, and this will inevitably produce fundamental change because the mind is fundamental.
 やる気を変化させることは、心を変化させることです。そして、心の変化は必然的に根本的な変化を生み出します。なぜなら、心とは根本的なものだからです。


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3. The first step in the reversal or undoing process is the undoing of the getting concept.
 逆転させるプロセス、すなわち、取り消すプロセスにおける第一歩は、手に入れるという概念を取り消すことです。

 Accordingly, the Holy Spirit's first lesson was "To have, give all to all. "
 聖霊の最初のレッスンは、端的に「持っているために、みんなにすべてを与えなさい」というものでした。

 I said that this is apt to increase conflict temporarily, and we can clarify this still further now.
 私は、このレッスンは一時的に葛藤を増すことになりがちだと述べておきました。そして、私たちはここで、このことをより明確にできます。

 At this point, the equality of having and being is not yet perceived.
 この時点では、所有と実在が等しいことがまだ理解されてはいません。

 Until it is, having appears to be the opposite of giving.
 所有と実在の等質性がわかるまでは、持つことは与えることの正反対であるように思えます。

 Therefore, the first lesson seems to contain a contradiction, since it is being learned by a conflicted mind.
 したがって、この持つためにすべてを全員に与えよという最初のレッスンは矛盾を含んでいるように見えることになります。その理由は、生徒がこのレッスンを矛盾した心で学ぼうとするためです。

 This means conflicting motivation, and so the lesson cannot be learned consistently as yet.
 心の矛盾は動機が矛盾していることを意味します。そのために、まだ、このレッスンを矛盾なく学ぶことができないのです。

 Further, the mind of the learner projects its own conflict, and thus does not perceive consistency in the minds of others, making him suspicious of their motivation.
 さらに、生徒の心はその生徒自身の葛藤を投影するので、彼は他の者たちの動機に疑いを抱いてしまい、他の者たちの心が一貫していると知覚しなくなってしまいます。

 This is the real reason why, in many respects, the first lesson is the hardest to learn.
 これが、いろんな面で、この最初のレッスンを学ぶのが最も困難である真の理由です。

 Still strongly aware of the ego in yourself, and responding primarily to the ego in others, you are being taught to react to both as if what you do believe is not true.
 まだ自分自身の中のエゴを強く意識してしまうし、また、まっさきに他の者たちの中のエゴに反応してしまう状態にありながら、あなたは、まるで自分が現に信じていることが真実ではないかのように、自分のエゴと他者のエゴの両方に対して反応するように教わっていることになるのです。




4. Upside down as always, the ego perceives the first lesson as insane.
 いつものように物事を逆さまに知覚するので、エゴはこの最初のレッスンを狂気の沙汰とみなします。

 In fact, this is its only alternative since the other possibility, which would be much less acceptable to it, would obviously be that it is insane.
 実のところ、エゴには、このように判断するよりほかに選択肢はありません。なぜなら、このレッスンが正しいものである可能性を認めることは、エゴのほうこそ正気ではないことを明らかにしてしまいますが、そんなことはエゴにとってよりいっそう受け入れがたいことだからです。

 The ego's judgment, here as always, is predetermined by what it is.
 ここでエゴが下す判断は、いつものようにエゴの本質によって、あらかじめ決まってしまっています。

 The fundamental change will still occur with the change of mind in the thinker.
 それでも、根本的な変化は、依然として考える者の心が変わることに伴って起こるでしょう。

 Meanwhile, the increasing clarity of the Holy Spirit's Voice makes it impossible for the learner not to listen.
 考える者の心が変わるまでの間に、聖霊の声はますます明瞭に聞こえるようになってくるので、生徒は聖霊の声に耳を傾けずにはいられなくなってきます。

 For a time, then, he is receiving conflicting messages and accepting both.
 したがって、しばしの間は、生徒は矛盾するメッセージを受け取り、両方とも受け入れることになります。


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5. The way out of conflict between two opposing thought systems is clearly to choose one and relinquish the other.
 相容れない二つの思考システムの間の葛藤から抜け出すための方法が、一方を選択して他方を放棄することなのは明らかです。

 If you identify with your thought system, and you cannot escape this, and if you accept two thought systems which are in complete disagreement, peace of mind is impossible.
 あなたにとっては自分の思考システムと自分を同一視することは避けがたいことですが、もしあなたが自分の思考システムと同一化するなら、そして、もしあなたが完全に相容れない二つの思考システムを受け入れるなら、心の平安を得ることは不可能となります。

 If you teach both, which you will surely do as long as you accept both, you are teaching conflict and learning it.
 もしあなたが相容れない二つの思考システムの両方を教えるとすると、言うまでもなく、あなたが両方を受け入れるかぎりそうなることは確かですが、あなたは葛藤を教えると同時に葛藤を学んでいることになります。

 Yet you do want peace, or you would not have called upon the Voice for peace to help you.
 それでも、あなたが心の平安を望んでいるのは確かです。そうでなければ、あなたは平安について語る大いなる声に自分を助けてほしいと求めたりしなかったはずです。

 Its lesson is not insane; the conflict is.
 聖霊のレッスンは狂ってなどいません。葛藤のほうが狂気なのです。




6. There can be no conflict between sanity and insanity.
 正気と狂気の間には、葛藤などありえません。

 Only one is true, and therefore only one is real.
 ただ正気だけが真実であり、したがって、ただ正気だけが実在するからです。

 The ego tries to persuade you that it is up to you to decide which voice is true, but the Holy Spirit teaches you that truth was created by God, and your decision cannot change it.
 エゴは、どちらの声が本物であるか、それを決めるのはあなた次第だとあなたを説得しにかかります。これに対して、聖霊はあなたに、真理は神によって創造されたので、あなたの決定が真理を変えることなどできないと教えてくれます。

 As you begin to realize the quiet power of the Holy Spirit's Voice, and Its perfect consistency, it must dawn on your mind that you are trying to undo a decision that was irrevocably made for you.
 聖霊の大いなる声の平穏な力と、それが語ることが完全に一貫していることをあなたが理解しはじめるにつれて、自分ためになされた変更不能の決定を自分が取り消そうとあがいていることが、あなたの心にもわかってくるはずです。

 That is why I suggested before that you remind yourself to allow the Holy Spirit to decide for God for you.
 この理由から、私は以前、聖霊にあなたに代わって神を支持する決断をしてもらうように委ねることを覚えておくようにと勧めたのです。

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7. You are not asked to make insane decisions, although you can think you are.
 あなたがそう思うことは可能ですが、あなたは狂った決断をするように求められてなどいません。

 It must, however, be insane to believe that it is up to you to decide what God's creations are.
 いずれにせよ、神の創造物が何であるのか決定するのがあなた次第だと信じるなど狂気の沙汰です。

 The Holy Spirit perceives the conflict exactly as it is.
 聖霊は、矛盾をそのまま正確に知覚します。

 Therefore, His second lesson is:
 したがって、聖霊の第二のレッスンは次のようになります。


To have peace, teach peace to learn it.
平安を得るためには、それを学ぶためにまず平安を教えなさい。




8. This is still a preliminary step, since having and being are still not equated.
 これはまだなお準備段階のステップです。なぜなら、所有することと実在することがいまだに等しいものとして位置づけけられてはいないからです。

 It is, however, more advanced than the first step, which is really only the beginning of the thought reversal.
 しかしながら、単に実際に思考を逆転させはじめるだけであった最初のステップに比べると、より進んでいるとはいえます。

 The second step is a positive affirmation of what you want.
 この「平安を得るためには、それを学ぶためにまず平安を教えなさい」という二番目のステップは、あなたの望むことを積極的に承認するものです。

 This, then, is a step in the direction out of conflict, since it means that alternatives have been considered, and one has been chosen as more desirable.
 それゆえ、この二番目のステップは、葛藤から抜け出す方向に踏み出す一歩です。なぜなら、それは複数の選択肢が考慮された後、そのうちのひとつがより望ましいものとして選択されたことを意味しているからです。

 Nevertheless, the term "more desirable" still implies that the desirable has degrees.
 とはいえ、「より望ましい」という言葉は、まだ望ましさに度合いがあることを暗に示しています。

 Therefore, although this step is essential for the ultimate decision, it is clearly not the final one.
 したがって、この二番目のステップは最終的な決断をするために欠かせない一歩ではあっても、最終的なステップそのものではないことは明らかです。

 Lack of order of difficulty in miracles has not yet been accepted, because nothing is difficult that is wholly desired.
 まだ奇跡に難しさの序列がないことが受け入れられてはいません。なぜなら、全身全霊で望まれたことで難しいことなど何もないからです。

 To desire wholly is to create, and creating cannot be difficult if God Himself created you as a creator.
 全面的に望むことは創造することです。そして、もし神自らがあなたを創造者として創造したのであれば、あなたにとって創造することが難しいはずがないのです。




9. The second step, then, is still perceptual, although it is a giant step toward the unified perception that reflects God's knowing.
 それゆえ、二番目のステップは、たとえそれが神の知識を反映する統合された知覚へと向かう大きな一歩ではあっても、依然として知覚的なものです。

 As you take this step and hold this direction, you will be pushing toward the center of your thought system, where the fundamental change will occur.
 あなたがこのステップを踏み出し、この方向性を維持して進むに従い、あなたは自らの思考システムの中枢へと向かって進んで行くことになります。その思考システムの中枢において、根本的な変化が起こることになります。

 At the second step progress is intermittent, but the second step is easier than the first because it follows.
 二番目のステップにおける進展は、進んでは立ち止まってという断続的なものになります。しかし、この二番目のステップは、最初のステップに続くものなので、最初のステップよりも容易だといえます。

 Realizing that it must follow is a demonstration of a growing awareness that the Holy Spirit will lead you on.
 最初のステップに二番目のステップが必ず続くに違いないと気づくことは、聖霊が自分を導いてくれているという自覚が次第に強まってきていることを実証するものです。


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