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T6-5C 神と神の王国にのみ注意を向ける

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今回は、昨日の続きです。テキスト第六章 第五節 聖霊のレッスンCの「神と神の王国に対してのみ注意深くありなさい」という一節です。





テキスト第六章 第五節 聖霊のレッスン

C. Be Vigilant Only for God and His Kingdom
C 神と神の王国に対してのみ注意深くありなさい


1. We said before that the Holy Spirit is evaluative, and must be.
 私たちは以前に、聖霊は評価を行うものであるし、また、評価を行うものであるに違いないと述べました。

 He sorts out the true from the false in your mind, and teaches you to judge every thought you allow to enter it in the light of what God put there.
 聖霊は、あなたの心の中で、間違いから真実を選り分けます。そのうえで、聖霊はあなたに対して、あなたが心に入り込むことを容認した思いのすべてを、神があなたの心に置いてくれた光に照らして価値判断するようにと教えます。

 Whatever is in accord with this light He retains, to strengthen the Kingdom in you.
 この神の置いた光と調和するものであればどんなものでも、あなたの内なる王国を強めるために、聖霊が保持しておいてくれます。

 What is partly in accord with it He accepts and purifies.
 神の置いた光と部分的にだけ調和するものについては、聖霊はそれを受け入れたうえで浄化してくれます。

 But what is out of accord entirely He rejects by judging against.
 しかし、その光とまったく調和しないものは、聖霊はそれを否定する価値判断を下すことによって拒絶します。

 This is how He keeps the Kingdom perfectly consistent and perfectly unified.
 これが、聖霊が王国を完全に首尾一貫して完全に統合されたものとして保っておく方法です。

 Remember, however, that what the Holy Spirit rejects the ego accepts.
 しかし、聖霊が拒絶するものをエゴは受け入れると覚えておいてください。

 This is because they are in fundamental disagreement about everything, being in fundamental disagreement about what you are.
 これは、聖霊とエゴは、あなたが何者であるかについて根本的に意見が食い違っているので、あらゆることについて根本的に相容れないからです。

 The ego's beliefs on this crucial issue vary, and that is why it promotes different moods.
 このあなたが何者かという決定的な問題についてのエゴの信念は、ころころと変転します。そのために、あなたはエゴによって色々な気分にさせられてしまうのです。

 The Holy Spirit never varies on this point, and so the one mood He engenders is joy.
 あなたが誰なのかという点について聖霊が考えを変えることは絶対にありません。だから、聖霊があなたに引き起こすただ一つの気分は喜びだけです。

 He protects it by rejecting everything that does not foster joy, and so He alone can keep you wholly joyous.
 聖霊は、喜びを抱かせないようなものはすべて拒絶することによって、喜びを守ります。だから、聖霊だけがあなたを完全に喜びに満ち溢れた状態に保つことができるのです。




2. The Holy Spirit does not teach you to judge others, because He does not want you to teach error and learn it yourself.
 聖霊は、あなたに他者の価値を判断して裁くように教えることはありません。なぜなら、聖霊は、あなたが誤りを教えて自分で誤りを学んでしまうことを望んではいないからです。

 He would hardly be consistent if He allowed you to strengthen what you must learn to avoid.
 もし聖霊が、あなたが回避するように学ぶべきことを、かえって強めてしまうようなことを容認するなら、聖霊はまったく首尾一貫してなどいられなくなってしまいます。

 In the mind of the thinker, then, He is judgmental, but only in order to unify the mind so it can perceive without judgment.
 それゆえ、思考する者の心の中で聖霊は価値判断を行いはしますが、それはただ、その心が価値判断することなく知覚できるようにその心を統合するためなのです。

 This enables the mind to teach without judgment, and therefore to learn to be without judgment.
 聖霊が価値判断をしてくれることによって、その心は価値判断して裁くことなく教えることができるようになります。その結果として、心は裁くことなくして存在することを学ぶことになります。

 The undoing is necessary only in your mind, so that you will not project, instead of extend.
 あなたが拡張する代わりに投影するのをやめるために取り消しを行なうことが必要なのは、ただあなたの心の中においてだけです。

 God Himself has established what you can extend with perfect safety.
 まったく安全にあなたが拡張できるものは、神自身が確立してくれています。

 Therefore, the Holy Spirit's third lesson is:
 したがって、聖霊の第三のレッスンは次のようになります。


Be vigilant only for God and His Kingdom.
神と神の王国に対してのみ注意深くありなさい。


名称未設定

3. This is a major step toward fundamental change.
 これは、根本的な変化のための重要なステップです。

 Yet it still has an aspect of thought reversal, since it implies that there is something you must be vigilant against.
 しかし、このステップは、依然として考え方を逆転させる側面を備えています。なぜなら、このステップは、何かに対してあなたが絶えず注意を怠らないでいる必要があることを前提にしているからです。

 It has advanced far from the first lesson, which is merely the beginning of the thought reversal, and also from the second, which is essentially the identification of what is more desirable.
 これは、単に考え方を逆転しはじめるにすぎなかった第一のレッスンからみれば、ずっと進んでいます。そしてまた、何がより望ましいものなのかを本質的に確認する第二のレッスンからも、かなり進んでいるといえます。

 This step, which follows from the second as the second follows from the first, emphasizes the dichotomy between the desirable and the undesirable.
 最初のステップに続いて第二のステップが続き、第二のステップに続いて、この第三のステップに至りますが、この第三ステップは、望ましいものと望ましくないものとの間にある大きな分裂を強調しています。

 It therefore makes the ultimate choice inevitable.
 したがって、この段階では、究極的な選択が必ずなされることになります。




4. While the first step seems to increase conflict and the second may still entail conflict to some extent, this step calls for consistent vigilance against it.
 最初のステップは葛藤を増すように思えます。そして、二番目のステップも、まだある程度は葛藤を伴うかもしれません。しかし、この神と神の王国に対してのみ注意深くありなさいという三番目のステップでは、葛藤に対して、首尾一貫して注意を怠らないことが求められます。

 I have already told you that you can be as vigilant against the ego as for it.
 私はすでに、あなたはエゴを支持して絶えず注意を怠らずにいられるのと同様に、エゴに対して警戒することもできると告げました。

 This lesson teaches not only that you can be, but that you must be.
 このレッスンは、あなたにはエゴに警戒を怠らずにいることができるということだけでなく、あなたは必ず警戒を怠らないようにならなければならないと教えています。

 It does not concern itself with order of difficulty, but with clear-cut priority for vigilance.
 このレッスンそれ自体は、難易度の序列は問題にせず、絶えず警戒を怠らずにいることを明確に優先させるものです。

 This lesson is unequivocal in that it teaches there must be no exceptions, although it does not deny that the temptation to make exceptions will occur.
 このレッスンは、例外を設けたいという誘惑が起こるであろうことは否定しないものの、いかなる例外もあってはならないと教えるレッスンなので、曖昧なものではありません。

 Here, then, your consistency is called on despite chaos.
 したがって、ここにおいては、たとえ混乱状態にあっても、あなたには一貫性が要求されます。

 Yet chaos and consistency cannot coexist for long, since they are mutually exclusive.
 しかし、混乱状態と一貫性とは、そんなに長くは共存できません。なぜなら、両者は相互に排斥し合うものだからです。

 As long as you must be vigilant against anything, however, you are not recognizing this mutual exclusiveness, and still believe that you can choose either one.
 しかしながら、何であれ、あなたがそれに対して警戒しなければならない間は、あなたは混乱状態と一貫性の相互の排斥関係に気づいておらず、依然として自分にはどちらでも選べるものと信じているのです。

 By teaching what to choose, the Holy Spirit will ultimately teach you that you need not choose at all.
 何を選ぶべきかを教えることによって、聖霊は究極的に、あなたには何かを選ぶ必要などまったくないということを教えてくれます。

 This will finally liberate your mind from choice, and direct it towards creation within the Kingdom.
 このことが最終的に、あなたの心を選択することから解放し、あなたの心を王国の内における創造に向けて導いてくれるでしょう。


名称未設定

5. Choosing through the Holy Spirit will lead you to the Kingdom.
 聖霊を通して選ぶことが、あなたを王国へと導いてくれます。

 You create by your true being, but what you are you must learn to remember.
 あなたは本来の自分として実在することによって創造します。もっとも、本当の自分が何者なのか思い出すことを、あなたは学ばなければなりません。

 The way to remember it is inherent in the third step, which brings together the lessons implied in the others, and goes beyond them towards real integration.
 本当の自分が何者なのかを思い出す方法は第三のステップに本来的に備わっています。そして、この第三のステップは、他の二つのステップに含まれていたレッスンを一つにまとめ、それを越えて真の統合へと導きます。

 If you allow yourself to have in your mind only what God put there, you are acknowledging your mind as God created it.
 もしあなたが、神がそこに置いてくれたものだけを自分の心の中に抱くようにするならば、あなたは、自分の心のことを神が創造したものとして承認することになります。

 Therefore, you are accepting it as it is.
 その結果、あなたは自分の心をありのままに受け入れることになります。

 Since it is whole, you are teaching peace because you believe in it.
 ありのままの心は完全なので、あなたは、自分が平安を信じるがゆえに平安を教えていることになります。

 The final step will still be taken for you by God, but by the third step the Holy Spirit has prepared you for God.
 最後のステップはやはり、あなたに代わって神が踏み出してくれることになります。しかし、第三ステップまでには、聖霊はあなたに神を受け入れる準備を整えさせてくれています。

 He is getting you ready for the translation of having into being by the very nature of the steps you must take with Him.
 聖霊と共に踏み出さなければならないごく自然な歩みに沿って、聖霊は所有することを実在することへと変換するためのあなたの準備を整えてくれているのです。




6. You learn first that having rests on giving, and not on getting.
 あなたはまず、所有することは、手に入れることによるのではなく、与えることに基盤を置くものだと学びます。

 Next you learn that you learn what you teach, and that you want to learn peace.
 次に、あなたは、自分の教えることを自ら学ぶということ、そして、自分が学びたいと望むのは平安であるということを学びます。

 This is the condition for identifying with the Kingdom, since it is the condition of the Kingdom.
 これこそ、あなたと王国との同一性を確認するための条件です。なぜなら、平安こそが神の王国の状態だからです。

 You have believed that you are without the Kingdom, and have therefore excluded yourself from it in your belief.
 あなたは、自分が王国の外に居ると信じてきました。その結果、あなたは自分の信念の中において、自分自身を王国から排除してきたのです。

 It is therefore essential to teach you that you must be included, and that the belief that you are not is the only thing that you must exclude.
 したがって、あなたに教えることが絶対に必要なのは、あなたが王国に含まれているに違いないこと、そして、自分が王国に含まれてないと信じることだけがあなたが排除すべき唯一の信念だということです。


名称未設定

7. The third step is thus one of protection for your mind, allowing you to identify only with the center, where God placed the altar to Himself.
 このように、神と神の王国に対してのみ注意深くありなさいという第三のステップは、あなたの心を守るためのものです。このステップは、あなたに自らを、神が自身への祭壇を置いてくれたあなたの心の中心だけと同一視できるようにします。

 Altars are beliefs, but God and His creations are beyond belief because they are beyond question.
 祭壇とは信念のことです。しかし、神と神の創造したものは疑いの余地がないものなので、信念を越えています。

 The Voice for God speaks only for belief beyond question, which is the preparation for being without question.
 神を代弁する大いなる声は、ただ疑いの余地のない信念だけを語ります。それは何の疑いもなく実在するための準備だといえます。

 As long as belief in God and His Kingdom is assailed by any doubts in your mind, His perfect accomplishment is not apparent to you.
 あなたの心の中で、神とその王国についての信念が少しでも疑念にさらされている間は、あなたにとって、神の完璧に完成している姿が自明のものにはなっていないということです。

 This is why you must be vigilant on God's behalf.
 だから、あなたは神のために、絶えず注意を怠らないようにしなければなりません。

 The ego speaks against His creation, and therefore engenders doubt.
 エゴは神が創造したものに反対して語るので、エゴは疑念を生じさせます。

 You cannot go beyond belief until you believe fully.
 あなたが完全に信じきるまでは、あなたには信念の領域を超越することはできません。




8. To teach the whole Sonship without exception demonstrates that you perceive its wholeness, and have learned that it is one.
 神の子全体を例外のないものとして教えることは、あなたが神の子の完全性を知覚し、神の子が一つであることを学んだことを実証します。

 Now you must be vigilant to hold its oneness in your mind because, if you let doubt enter, you will lose awareness of its wholeness and will be unable to teach it.
 今や、あなたは、神の子全体が一つであることを自分の心の中に保持しておくために、絶えず注意を怠らないようにしなければなりません。なぜなら、もしあなたが疑念が入り込むのを許したら、あなたは、神の子の完全性についての自覚を失ってしまい、神の子の完全性を教えることができなくなってしまうからです。

 The wholeness of the Kingdom does not depend on your perception, but your awareness of its wholeness does.
 王国の完全性は、あなたの知覚によって変わるものではありません。しかし、王国の完全性についてのあなたの自覚のほうは、あなたの知覚によって左右されてしまいます。

 It is only your awareness that needs protection, since being cannot be assailed.
 つまり、保護を必要とするのは、ただあなたの自覚だけだということです。なぜなら、実在するものは攻撃されることはありえないからです。

 Yet a real sense of being cannot be yours while you are doubtful of what you are.
 しかし、あなたが本当の自分が何者であるかに疑念を抱いているかぎり、真に実在しているとの感覚があなたのものになることはありえません。

 This is why vigilance is essential.
 だからこそ、絶えず注意を怠らないことが不可欠なのです。

 Doubts about being must not enter your mind, or you cannot know what you are with certainty.
 実在するものについての疑念をあなたの心に入り込ませてはなりません。さもないと、あなたは確信を持って自分が何者であるのか知ることができません。

 Certainty is of God for you.
 確信は、神からあなたへと訪れるものです。

 Vigilance is not necessary for truth, but it is necessary against illusions.
 真理のためには、警戒は必要ではありません。しかし、幻想に対しては、警戒することが必要です。


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9. Truth is without illusions and therefore within the Kingdom.
 真理とは幻想を含まないものです。したがって、真理は王国の内にあります。

 Everything outside the Kingdom is illusion.
 王国の外にあるものは、ひとつ残らず幻想です。

 When you threw truth away you saw yourself as if you were without it.
 あなたが真理を捨て去ったとき、あなたは自分自身のことを真理の外に居るものとみなしてしまいました。

 By making another kingdom that you valued, you did not keep only the Kingdom of God in your mind, and thus placed part of your mind outside it.
 あなたが価値を置いた別の王国を作り出すことによって、あなたは、ただ神の王国だけを自分の心の中に保ちつづけることをやめてしまいました。そうすることで、あなたは自分の心の一部を王国の外に置いてしまったのです。

 What you made has imprisoned your will, and given you a sick mind that must be healed.
 あなたの作ったものが、あなたの意志を幽閉し、癒されなければならないような病んだ心をあなたに与えてしまいました。

 Your vigilance against this sickness is the way to heal it.
 この病いに対してあなたが絶えず注意を怠らないようにすることこそ、病んだ心を癒す方法です。

 Once your mind is healed it radiates health, and thereby teaches healing.
 いったんあなたの心が癒されたら、あなたの心は健やかな光を放ち、それによって癒しを教えるようになります。

 This establishes you as a teacher who teaches like me.
 この癒しが、あなたを私と同じように教える教師としての立場に就かせます。

 Vigilance was required of me as much as of you, and those who choose to teach the same thing must be in agreement about what they believe.
 あなたに求められているのと同じように、絶えず注意を怠らないことは私にも求められたことでした。そして、同じことを教える選択をする者たちは、自分が何を信じるのかについても一致していなければなりません。




10. The third step, then, is a statement of what you want to believe, and entails a willingness to relinquish everything else.
 それゆえ、神と神の王国に対してのみ注意深くありなさいという第三のステップは、あなたが何を信じたいと望むのか、それを宣言することだといえます。だから、それ以外のものは自ら進んでひとつ残らず捨て去ろうという意欲が求められることになります。

 The Holy Spirit will enable you to take this step, if you follow Him.
 もしあなたが聖霊に従うなら、聖霊があなたにこのステップを踏み出せるようにしてくれます。

 Your vigilance is the sign that you want Him to guide you.
 あなたが絶えず注意を怠らないようにすることが、あなたが聖霊に自分を導いてほしいと頼む印となります。

 Vigilance does require effort, but only until you learn that effort itself is unnecessary.
 警戒を怠らないようにするには努力を要するのは確かです。とはいえ、努力を要するといっても、それは単にあなたが、努力そのものが無用だと学ぶまでの間だけです。

 You have exerted great effort to preserve what you made because it was not true.
 あなたは、自分の作ったものを保とうとして途方もない努力を払ってきました。それは、あなたの作り出したものが真実ではなかったからです。

 Therefore, you must now turn your effort against it.
 したがって、今こそ、あなたは自分の努力をこれまでとは正反対の方向に向け変えなければなりません。

 Only this can cancel out the need for effort, and call upon the being which you both have and are.
 ただあなたの努力の向きを逆転させることだけが、努力の必要性を帳消しにすることができます。そして、このことが、実在を呼び起こすことになります。その実在とは、あなたが持っているものであると共に、あなた自身でもあるものなのです。

 This recognition is wholly without effort since it is already true and needs no protection.
 このことを認識するためには、まったく何の努力も必要ありません。なぜなら、このことはすでに真実なので、保護される必要性など何もないからです。

 It is in the perfect safety of God.
 あなたが持っていると共にあなた自身でもある実在は、神の完璧な安全性の中にあります。

 Therefore, inclusion is total and creation is without limit.
 したがって、受け入れることは全面的なものであり、創造には限界はないのです。


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