There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

T25-3 知覚と選択

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今回は、テキスト第二十五章から「知覚選択」という一節をご紹介します。




4.については
「4. There is another Maker of the world, the simultaneous Corrector of the mad belief that anything could be established and maintained without some link that kept it still within the laws of God; not as the law itself upholds the universe as God created it, but in some form adapted to the need the Son of God believes he has.
 この世界には、もうひとりの大いなる作り主がいます。それは、大いなる修正者である聖霊です。聖霊は、神の諸法則の及ぶ範囲内に留まるような関連性を少しも持たせずに、どんなものでも作り出して保ち続けることができるという狂気の信念を誰かが抱くと同時にそれを修正します。ここで神の諸法則というのは、神が創造した通りに宇宙を維持する神の法そのものではなく、神の子が自分が持っていると信じこんでいる必要性に神の法をいくらか適応させた形のものです。」

"the other Maker of your perception"がエゴを指すのか聖霊を指すのかわかりにくいかもしれません。

頭文字が大文字になっている言葉は基本的に神側の概念を指しますので、この点から聖霊を指すと推定できます。
参考に、The Message of A Course In Miracles: A Translation of the Text in Plain Language by Elizabeth A. Cronkhiteの該当箇所を引用しておきます。

「4. Simultaneously, the other Maker of your perception, the Holy Spirit, corrects your mad belief that you have established and maintained a world without a Link that still keeps it within the Law of God. In your perception of a world, Gods Law is not used as God uses It to uphold Oneness, but It is adapted to a form to fit the need that you seem to have in your perception of separation from God. Corrected error, and this is how God protects your Christ Mind, even as you seem to live in error. 」


テキスト第二十五章

III. Perception and Choice
三 知覚選択


1. To the extent to which you value guilt, to that extent will you perceive a world in which attack is justified.
 あなたが罪悪感に価値を置くかぎり、その程度に応じて、あなたは攻撃が正当化される世界を知覚することになります。

 To the extent to which you recognize that guilt is meaningless, to that extent you will perceive attack cannot be justified.
 あなたが罪悪感が無意味だと認識するなら、その程度に応じて、あなたは攻撃は正当化できないと知覚するようになります。

 This is in accord with perception's fundamental law: You see what you believe is there, and you believe it there because you want it there.
 このことは、あなたは自分がそこにあると信じるものを目にするし、あなたがそれがそこにあってほしいと思うがゆえに、あなたはそれがそこにあると信じる、という知覚の基本法則と一致しています。。

 Perception has no other law than this.
 知覚には、これ以外にほかの法則などありません。

 The rest but stems from this, to hold it up and offer it support.
 そのほかのことは、ただこの法則を維持し支援するために、この法則から派生するものでしかありません。

 This is perception's form, adapted to this world, of God's more basic law; that love creates itself, and nothing but itself.
 これは、愛は愛そのものを創造し、愛以外の何ものをも創造することはない、という神のより根本的な法がこの世界に適合させられた知覚の形です。


名称未設定

2. God's laws do not obtain directly to a world perception rules, for such a world could not have been created by the Mind to which perception has no meaning.
 神の法が、知覚の支配する世界に直接的に行き渡ることはありません。というのは、大いなる心によってこんな世界が創造されたはずがなく、大いなる心にとって知覚は何の意味も持たないからです。

 Yet are His laws reflected everywhere.
 それにもかかわらず、神の法はあらゆるところに反映されています。

 Not that the world where this reflection is, is real at all.
 もっとも、世界にこのような反映が存在することが、世界が実在することを示すものではまったくありません。

 Only because His Son believes it is, and from His Son's belief He could not let Himself be separate entirely.
 世界に神の法が反映されているのは、単に神の子が世界が本当にあると信じており、神はわが子の信じていることから、神自身を全面的に分離させるわけにはいかなかったためでしかありません。

 He could not enter His Son's insanity with him, but He could be sure His sanity went there with him, so he could not be lost forever in the madness of his wish.
 神には、子の狂気の中に、子と一緒になって入りこむことなどできませんでした。しかし、神には、自らの正気が子の狂気の中で必ず子に伴って行くようにすることができました。だから、子は自らの願望という狂気の中に永遠に迷いこんだままでいることはできなかったのです。




3. Perception rests on choosing; knowledge does not.
 知覚は選択に基盤を置きますが、知識が選択に基盤を置くことはありません。

 Knowledge has but one law because it has but one Creator.
 知識には唯一の創造主しかないので、知識にはひとつの法則しかありません。

 But this world has two who made it, and they do not see it as the same.
 しかし、この世界には、それを作った作り主が二人いて、その二人はこの世界を同じものとしては見てはいません。

 To each it has a different purpose, and to each it is a perfect means to serve the goal for which it is perceived.
 それぞれにとって、この世界は違う目的を持ち、それぞれにとって、この世界はそれぞれが知覚する目標に完璧な手段として奉仕します。

 For specialness, it is the perfect frame to set it off; the perfect battleground to wage its wars, the perfect shelter for illusions which it would make real.
 特別であろうとする者にとって、この世界は、特別性を引き立たせるのに最適の舞台であり、特別さを競って争うにはうってつけの戦場であり、特別性が本物に仕立て上げようとする幻想にとっての申し分のない避難所となります。

 Not one but it upholds in its perception; not one but can be fully justified.
 特別であろうとする者が知覚するものはすべて特別性を支持し、特別であることを十分に正当化することができます。


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4. There is another Maker of the world, the simultaneous Corrector of the mad belief that anything could be established and maintained without some link that kept it still within the laws of God; not as the law itself upholds the universe as God created it, but in some form adapted to the need the Son of God believes he has.
 この世界には、もうひとりの大いなる作り主がいます。それは、大いなる修正者である聖霊です。聖霊は、神の諸法則の及ぶ範囲内に留まるような関連性を少しも持たせずに、どんなものでも作り出して保ち続けることができるという狂気の信念を誰かが抱くと同時にそれを修正します。ここで神の諸法則というのは、神が創造した通りに宇宙を維持する神の法そのものではなく、神の子が自分が持っていると信じこんでいる必要性に神の法をいくらか適応させた形のものです。

 Corrected error is the error's end.
 誤りが修正されることで、誤りは終わります。

 And thus has God protected still His Son, even in error.
 このようにして、神は誤りの中ですら、依然として子を護っていてくれているのです。




5. There is another purpose in the world that error made, because it has another Maker Who can reconcile its goal with His Creator's purpose.
 誤りが作り出した世界には、もうひとつの目的があります。なぜなら、この世界には、世界の目標を創造主の目的と一致させることのできるもうひとりの大いなる作り主がいるからです。

 In His perception of the world, nothing is seen but justifies forgiveness and the sight of perfect sinlessness.
 その聖霊のこの世界についての知覚には、赦しと完全にのない光景を正当化するものしか見えません。

 Nothing arises but is met with instant and complete forgiveness.
 何事が起ころうとも、それらはすべて、瞬時に完全な赦しに出会うことになります。

 Nothing remains an instant, to obscure the sinlessness that shines unchanged, beyond the pitiful attempts of specialness to put it out of mind, where it must be, and light the body up instead of it.
 変わることなく輝く潔白さを不明瞭にするようなものは何ひとつとして、ただの一瞬も残ることはありません。そして、特別であろうとする思いが潔白さをそれがあるに違いない心から追い出して、潔白さの代わりに身体に光を当てようとしても、そんなことは虚しい試みに終わります。

 The lamps of Heaven are not for mind to choose to see them where it will.
 天国の灯火は、個別の心がそれを見たい場所を自由に選べるようなものではありません。

 If it elects to see them elsewhere from their home, as if they lit a place where they could never be, then must the Maker of the world correct your error, lest you remain in darkness where the lamps are not.
 もし心がその灯火をその故郷である天国以外の場所に見ることを選び、まるでそれらの灯火が絶対にあるはずがない場所に灯っているように見ようと決めるなら、そのとき、世界の大いなる作り主は、あなたがその灯火のない闇に留まることのないように、あなたの間違いを修正してくれるに違いありません。


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6. Everyone here has entered darkness, yet no one has entered it alone.
 この世界にいる誰もがみな、闇に入りこんでいるのですが、誰も自分ひとりで闇に入ったわけではありません。

 Nor need he stay more than an instant.
 それに、彼は一瞬以上長く、闇の中に留まっている必要もありません。

 For he has come with Heaven's Help within him, ready to lead him out of darkness into light at any time.
 なぜなら、彼は自らの内に天国の大いなる助け主を伴って来ているのであって、その聖霊には、いつでも彼を闇から光へと連れ出す準備ができているからです。

 The time he chooses can be any time, for help is there, awaiting but his choice.
 彼がその時を選ぶのは、いつであってもかまいません。というのも、助け主がそこにいてくれて、ただ彼が選択することだけを待ち受けているからです。

 And when he chooses to avail himself of what is given him, then will he see each situation that he thought before was means to justify his anger turned to an event which justifies his love.
 そして、彼が自分に与えられているものを利用することを選んだなら、そのとき彼は、それ以前には自分の怒りを正当化する手段だと思っていた状況が、ことごとく自分の愛を正当化する出来事に様変わりするのを目にするでしょう。

 He will hear plainly that the calls to war he heard before are really calls to peace.
 彼が以前には戦争への呼びかけとして聞いていたのは、本当は平和への呼び声なのだと、はっきり聞こえるようになります。

 He will perceive that where he gave attack is but another altar where he can, with equal ease and far more happiness, bestow forgiveness.
 彼は、自分がかつて攻撃したところは、同じ容易さで、しかもはるかに大きな幸せのために、赦しを与えることができるもうひとつの祭壇でしかないと知覚するようになります。

 And he will reinterpret all temptation as just another chance to bring him joy.
 そして、彼はすべての誘惑のことを、ただ自分に喜びをもたらしてくれる新たな機会として解釈し直すようになります。




7. How can a misperception be a sin?
 間違って知覚することが、どうしてになりうるでしょうか。

 Let all your brother's errors be to you nothing except a chance for you to see the workings of the Helper given you to see the world He made instead of yours.
 あなたの兄弟の誤りのすべてを、大いなる救い主である聖霊の働きを目にする自分にとっての機会としてください。あなたに聖霊が与えられたのは、あなたの作った世界の代わりに聖霊の作った世界をあなたに見せてもらうためなのです。

 What, then, is justified?
 そうであるなら、何が正当化されるのでしょうか。

 What do you want?
 あなたは何を望むのでしょうか。

 For these two questions are the same.
 この二つの質問は同じものです。

 And when you see them as the same, your choice is made.
 そして、あなたがその二つを同じだと見たとき、あなたは決断を下したことになります。

 For it is seeing them as one that brings release from the belief there are two ways to see.
 なぜなら、この二つの質問を一つのものとして見ることが、二通りの見方があるという信念からの解放をもたらすからです。

 This world has much to offer to your peace, and many chances to extend your own forgiveness.
 この世界は、あなたの平安のために差し出すことのできるものが大いにあるし、あなた自身の赦しを差し延べるための機会に満ち溢れています。

 Such its purpose is, to those who want to see peace and forgiveness descend on them, and offer them the light.
 これこそが、自分たちに平安と赦しが降り注いで光を差し延べてもらえることを望む者たちにとって、この世界が持つ目的です。


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8. The Maker of the world of gentleness has perfect power to offset the world of violence and hate that seems to stand between you and His gentleness.
 優しい世界の大いなる作り主である聖霊は、あなたと聖霊の穏やかさとの間に立ちはだかっているように見える暴力と憎しみの世界を帳消しにする完璧な力を備えています。

 It is not there in His forgiving eyes.
 聖霊の赦しに満ちた視界には、暴力や憎悪の世界など存在しません。

 And therefore it need not be there in yours.
 したがって、あなたの視界にも、暴力や憎悪の世界が存在する必要はありません。

 Sin is the fixed belief perception cannot change.
 とは、知覚することは変えられないという固定観念です。

 What has been damned is damned and damned forever, being forever unforgivable.
 断された者は呪われて、永遠に赦されざるものとして、永久に地獄に落とされて罰せられるというのです。

 If, then, it is forgiven, sin's perception must have been wrong.
 そうだとすれば、もしそれが赦されるなら、罪を知覚したことが間違いであったということになるはずです。

 And thus is change made possible.
 こうして、変更は可能になります。

 The Holy Spirit, too, sees what He sees as far beyond the chance of change.
 聖霊もまた、自分の目にするものは、変わる見込みなどまったくないものとして見ています。

 But on His vision sin cannot encroach, for sin has been corrected by His sight.
 ただし、聖霊の一瞥によって罪はすでに修正されているので、聖霊のヴィジョンに罪が侵入することはできません。

 And thus it must have been an error, not a sin.
 したがって、それは罪ではなくて間違いだったに違いないということになります。

 For what it claimed could never be, has been.
 なぜなら、決してありえないと断言されてきた修正が、すでになされているからです。

 Sin is attacked by punishment, and so preserved.
 罪は処罰によって攻撃され、そうすることで保存されます。

 But to forgive it is to change its state from error into truth.
 しかし、罪を赦すことは、その罪の状態を誤りから真理に変えることなのです。




9. The Son of God could never sin, but he can wish for what would hurt him.
 神の子は決して罪を犯すことはできません。しかし、彼は自分を傷つけようとするものを願望することはできます。

 And he has the power to think he can be hurt.
 そして、彼は、自分が傷つくことができると思う力を持っています。

 What could this be except a misperception of himself?
 自分が傷つきうると思いこんで自分を傷つけうるものを願望することは、自分自身について間違って知覚しているとしか言いようがないのではないでしょうか。

 Is this a sin or a mistake, forgivable or not?
 これは罪でしょうか、それとも間違いでしょうか、赦せることでしょうか、それとも赦せないことでしょうか。

 Does he need help or condemnation?
 彼に必要なのは助けでしょうか、それとも咎められることでしょうか。

 Is it your purpose that he be saved or damned?
 あなたの目的は、彼が救われることなのでしょうか、それとも、彼が地獄に落とされることなのでしょうか。

 Forgetting not that what he is to you will make this choice your future?
 あなたにとって彼がどんな存在であるとするかということが、この選択をあなたの未来の姿へと変えることになるのを忘れてはなりません。

 For you make it now, the instant when all time becomes a means to reach a goal.
 というのは、あなたが今その選択すれば、その瞬間、すべての時間が目標に達するための手段となるからです。

 Make, then, your choice.
 それでは、自分の選択をするがよいでしょう。

 But recognize that in this choice the purpose of the world you see is chosen, and will be justified.
 ただし、この選択によってあなたの見ている世界の目的が選ばれることになり、それが正当化されることになるということを忘れないでください。


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