There Is No Spoon

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M6 癒しが起こらない!どうして?

今回は、前回に引き続いて、教師のためのマニュアルから、第6節の「癒しが起こるのは確かだろうか?」をご紹介します。






第6節で出てきたように、癒しが起こるのは本人の決断によるのであり、本人こそが癒し主だということでした。

今回は、この癒し主の思いによって癒しが時を待たねばならない場面がありうることについて触れられます。

究極的には自分である他者としての兄弟に対する基本的なスタンスが示されています。

成果がすぐに出なくても、いちいち気落ちしない、好意の押しつけはせず、その人の準備が整うのを待つ、分かち合いたいものを捧げるなら、潔く捧げきって、相手が自分の贈り物を自分の望むように使うかまで粘着しないという感じです。


Section 6
Is Healing Certain?
癒しが起こるのは確かだろうか?


1. Healing is always certain.
 癒しはつねに確実なことです。

 It is impossible to let illusions be brought to truth and keep the illusions.
 幻想真理の許にもたらしながら、その幻想を維持するというのは不可能なことです。

 Truth demonstrates illusions have no value.
 真理は、幻想には何の価値もないことを実証します。

 The teacher of God has seen the correction of his errors in the mind of the patient, recognizing it for what it is.
 神の教師は、病人の誤りを本来の姿のままに認識することによって、その人の心の中で誤りが修正される様を見ることになります。

 Having accepted the Atonement for himself, he has also accepted it for the patient.
 神の教師は、自分のために贖罪を受け入れているので、患者のための贖罪もまた受け入れています。

 Yet what if the patient uses sickness as a way of life, believing healing is the way to death?
 しかし、もしその患者が、癒されることがにつながる道だと信じていて、病気であることをひとつの生き方として用いているような場合はどうなのでしょうか。

 When this is so, a sudden healing might precipitate intense depression, and a sense of loss so deep that the patient might even try to destroy himself.
 このような場合は、急に癒されることは、重いうつ状態に陥らせてしまい、あまりに喪失感が深刻であるために、患者は自分自身を破滅させようと試みさえするかもしれません。

 Having nothing to live for, he may ask for death.
 生きる目的を持てなくなって、その患者は自分のを願うかもしれません。

 Healing must wait, for his protection.
 だから、その人を守るためには、癒すことを待たなければなりません。



2. Healing will always stand aside when it would be seen as threat.
 癒すことが脅威であるとみなされるときは、癒しはいつでも脇に退くことになります。

 The instant it is welcome it is there.
 しかし、癒しが歓迎されるとき、その瞬間、癒しはそこにあります。

 Where healing has been given it will be received.
 癒しが与えられるところにおいて、癒しは受け入れられることになります。

 And what is time before the gifts of God?
 だとすれば、神の贈り物を前にして、時間が何だというのでしょうか。

 We have referred many times in the text to the storehouse of treasures laid up equally for the giver and the receiver of God's gifts.
 私たちはテキストで何回も触れましたが、天の宝庫には、神の贈り物を与える者とそれを受け取る者のために平等に宝が蓄えられているのです。

 Not one is lost, for they can but increase.
 何ひとつ失われてはいません。というのも、神の贈り物は増えゆくばかりだからです。

 No teacher of God should feel disappointed if he has offered healing and it does not appear to have been received.
 もし神の教師が癒しを捧げようとして、癒しが受け入れられなかったように見えたとしても、神の教師はがっかり気落ちしてしまう必要などありません。

 It is not up to him to judge when his gift should be accepted.
 神の教師の差し延べた贈り物がいつ受け入れられることになるのかは、その神の教師が判断して決めることではないのです。

 Let him be certain it has been received, and trust that it will be accepted when it is recognized as a blessing and not a curse.
 その神の教師には、その贈り物はすでに受け取られているということを確信させ、そして、このすでに受け取られている贈り物は、それが呪いなどではなく祝福であると気づいてもらえたときに、きっと受け入れられることになると信頼するようにさせてあげるとよいのです。




3. It is not the function of God's teachers to evaluate the outcome of their gifts.
 神の教師たちが差し延べる贈り物の成果を評価することは、彼らの役目ではありません。

 It is merely their function to give them.
 ただ贈り物を与えることだけが神の教師の役目なのです。

 Once they have done that they have also given the outcome, for that is part of the gift.
 いったん神の教師たちが贈り物を与えたなら、彼らは贈り物の成果もまた与えたことになります。というのも、成果も贈り物の一部だからです。

 No one can give if he is concerned with the result of giving.
 もしその人が与えることが及ぼす影響や結果を心配していたのでは、誰にも与えることなどできません。
 
 That is a limitation on the giving itself, and neither the giver nor the receiver would have the gift.
 与えることの結果を心配することは、与えることを制限することです。そうなっては、与える者も受け取る者も贈り物を得ることができなくなってしまいます。

 Trust is an essential part of giving; in fact, it is the part that makes sharing possible, the
part that guarantees the giver will not lose, but only gain.
 信頼することは、与えることの本質的な要素です。事実、この信頼という要素こそが分かち合いを可能にし、与える者が何も失うことなくただ得るだけだということを裏づけてくれるのです。

 Who gives a gift and then remains with it, to be sure it is used as the giver deems appropriate?
 いったい誰が贈り物をしておきながら、自分が適切だと思っているようにその贈り物が使われていることを確認するために、贈り物と一緒に留まろうとするでしょうか。

 Such is not giving but imprisoning.
 そんなことは、与えることではなく、閉じ込めることでしかありません。




4. It is the relinquishing of all concern about the gift that makes it truly given.
 贈り物を本当に与えたことにするのは、その贈り物に関してあれこれ心配するのをすべて手放すことです。

 And it is trust that makes true giving possible.
 そして、本当に与えることを可能にするのは、信頼なのです。

 Healing is the change of mind that the Holy Spirit in the patient's mind is seeking for him.
 癒しは、患者の中にいる聖霊が患者のために求めている心の変化です。

 And it is the Holy Spirit in the mind of the giver Who gives the gift to him.
 そして、与える者の心の中にいる聖霊こそが、患者に贈り物をしているのです。

 How can it be lost ?
 どうしてこのような贈り物が失われることがありうるでしょうか。

 How can it be ineffectual?
 どうしてこの贈り物が無駄になることがありうるでしょうか。

 How can it be wasted?
 どうしてこの贈り物が無駄になりうるでしょうか。

 God's treasure house can never be empty.
 神の宝庫は決して空になってしまうことはありえません。

 And if one gift is missing, it would not be full.
 そしてもし、ひとつでも贈り物が無くなったりしたら、宝庫は満たされていないことになってしまいます。

 Yet is its fullness guaranteed by God.
 しかし、宝庫が満たされていることは神によって保証されているのです。

 What concern, then, can a teacher of God have about what becomes of his gifts?
 そうだとすれば、神の教師は自分の与える贈り物がどうなるかについて、何を心配することができるというのでしょうか。

 Given by God to God, who in this holy exchange can receive less than everything?
 神から神へと与えられる、この聖なる交換において、いったい誰がすべてよりも少なくしか受け取ることができないということがあるでしょうか。



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