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T19-1 癒しと信頼

今回はテキスト第十九章から「癒し信頼」という一節をご紹介します。





Chapter 19 THE ATTAINMENT OF PEACE
第十九章 平安の達成


I. Healing and Faith
一 癒し信頼


1. We said before that when a situation has been dedicated wholly to truth, peace is inevitable.
 私たちは以前に、ある状況を全面的に真理に捧げるなら、必ず平安に至ると述べました。

 Its attainment is the criterion by which the wholeness of the dedication can be safely assumed.
 平安を達成したかどうかが、を全面的に捧げる献身が完全なものとなっているかどうかを間違いなく見定めることのできる基準です。

 Yet we also said that peace without faith will never be attained, for what is dedicated to truth as its only goal is brought to truth by faith.
 しかし、私たちはまた、信頼がなければ絶対に平安は達成できないとも述べました。というのも、真理に捧げられることだけを献身の唯一の目標とするものは、信頼によって真理へともたらされるからです。

 This faith encompasses everyone involved, for only thus the situation is perceived as meaningful and as a whole.
 この信頼は関係するすべての人たちを包含することになります。というのも、ただ全員を信頼することによってのみ、その状況を有意義に、かつ、全体的に知覚できるからです。

 And everyone must be involved in it, or else your faith is limited and your dedication incomplete.
 したがって、あなたの信頼を向ける対象には、すべての人たちが含まれていなければなりません。さもなければ、あなたの信頼は限られたものとなり、あなたの献身は不完全なものとなってしまいます。




2. Every situation, properly perceived, becomes an opportunity to heal the Son of God.
 一つひとつの状況は、それが適切に知覚されるなら、神の子を癒す好機となります。

 And he is healed because you offered faith to him, giving him to the Holy Spirit and releasing him from every demand your ego would make of him.
 そして、神の子が癒されるのはあなたが彼を信頼し、彼のことを聖霊に委ねて、あなたのエゴが彼に要求することのすべてから彼を解放したからです。

 Thus do you see him free, and in this vision does the Holy Spirit share.
 こうして、あなたは確かに彼が自由であると見ることになり、このヴィジョンを聖霊は確かに分かち合うことになります。

 And since he shares it he has given it, and so he heals through you.
 そして、聖霊は彼が自由だというヴィジョンを分かち合うので、聖霊はすでにそれを与えたことになり、そうすることで、聖霊はあなたを通して癒すのです。

 It is this joining him in a united purpose that makes this purpose real, because you make it whole.
 統一された目的において聖霊とひとつに結ばれることがこの目的を実現します。というのも、あなたがその目的を完全なものにするからです。

 And this is healing.
 そして、これこそが癒しです。

 The body is healed because you came without it, and joined the Mind in which all healing rests.
 身体が癒されるのは、あなたが身体を伴わずに来て、すべての癒しが宿る大いなると結びついたからです。


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3. The body cannot heal, because it cannot make itself sick.
 身体癒したり癒えたりすることはありえません。なぜなら、身体身体それ自体を病気にすることはできないからです。

 It needs no healing.
 身体には、いかなる癒しも必要ありません。

 Its health or sickness depends entirely on how the mind perceives it, and the purpose that the mind would use it for.
 身体が健康になるか病気になるかは、完全にが身体のことをどう知覚するか、つまり、が身体をどんな目的のために使おうとするのかによって左右されます。

 It is obvious that a segment of the mind can see itself as separated from the Universal Purpose.
 の一区分が、自分自身のことを全宇宙の大いなる目的から分離した存在とみなすことができるのは明らかです。

 When this occurs the body becomes its weapon, used against this Purpose, to demonstrate the "fact" that separation has occurred.
 の一部が自分が宇宙の大いなる目的から切り離された存在にすぎないと考えるようになると、身体は、分離が起こったという「事実」を実証するために心の一区分が、この大いなる目的に対抗して用いる武器となります。

 The body thus becomes the instrument of illusion, acting accordingly; seeing what is not there, hearing what truth has never said and behaving insanely, being imprisoned by insanity.
 かくして、身体は幻想の道具となり、幻想に従って行動するようになり、狂気によって幽閉されて、そこにありもしないものを見たり、真理が決して語ったことのないことを耳にしたり、狂気の行動を取ったりするようになります。




4. Do not overlook our earlier statement that faithlessness leads straight to illusions.
 私たちが以前に、信頼の欠如は一直線に幻想へと導くと述べたことを見落としてはなりません。

 For faithlessness is the perception of a brother as a body, and the body cannot be used for purposes of union.
 なぜなら、不信は兄弟を身体として知覚することであり、ひとつに結びつくという目的のために身体を使うのは不可能なことだからです。

 If, then, you see your brother as a body, you have established a condition in which uniting with him becomes impossible.
 そうだとすれば、もしあなたが兄弟を身体として見るなら、あなたはすでに、その兄弟と心をひとつに結び合わせることが不可能になる状態を確立してしまっていることになります。

 Your faithlessness to him has separated you from him, and kept you both apart from being healed.
 兄弟に対する不信があなたを彼から引き離し、あなたたち二人を癒されることから遠ざけたままに保ってきたのです。

 Your faithlessness has thus opposed the Holy Spirit's purpose, and brought illusions, centered on the body, to stand between you.
 こうして、あなたの不信は聖霊の目的を妨害し、身体を中軸に据えた幻想をもたらして、あなたたちの間に立ちはだからせてきたのです。

 And the body will seem to be sick, for you have made of it an "enemy" of healing and the opposite of truth.
 そうなると、身体は病んでしまったように思えてきます。というのも、あなたは身体を癒しの「敵」にして真理の対極にあるものにしてしまったからです。


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5. It cannot be difficult to realize that faith must be the opposite of faithlessness.
 信頼が不信の反対であるに違いないと気づくのが難しいはずがありません。

 Yet the difference in how they operate is less apparent, though it follows directly from the fundamental difference in what they are.
 しかし、信頼と不信がどのように作用するのかということは、たとえそれが両者の本質における根本的な相違から直接導かれるものだとしても、それほど明白なわけではありません。

 Faithlessness would always limit and attack; faith would remove all limitations and make whole.
 不信はつねに制限して攻撃しようとしますが、信頼はあらゆる制限を取り払って完全なものにしようとします。

 Faithlessness would interpose illusions between the Son of God and his Creator; faith would remove all obstacles that seem to rise between them.
 不信は神の子とその大いなる創造主の間に幻想を差し挟もうとしますが、信頼は両者の間に生じるように思える障害のすべてを取り除こうとします。

 Faithlessness is wholly dedicated to illusions; faith wholly to truth.
 不信は全面的に幻想に帰依するのに対し、信頼は心を全面的に真理に捧げます。

 Partial dedication is impossible.
 中途半端に心を捧げることは不可能です。

 Truth is the absence of illusion; illusion the absence of truth.
 真理は幻想が存在しないことであり、幻想は真理が存在しないことです。

 Both cannot be together, nor perceived in the same place.
 真理と幻想の両方が一緒に存在することはありえないし、両方が同じ場所で知覚されることもありえません。

 To dedicate yourself to both is to set up a goal forever impossible to attain, for part of it is sought through the body, thought of as a means for seeking out reality through attack.
 自分自身を真理と幻想の両方に捧げようとすることは、永久に到達不可能な目標を設定することです。その理由は次のとおりです。まず、目標のひとつである幻想は、攻撃することによって現実を探求するための手段であるとみなされる身体を通して求められることになります。

 The other part would heal, and therefore calls upon the mind and not the body.
 他方で、目標のもうひとつの部分である真理は癒そうとするので、身体ではなく心を頼みにすることになるからです。




6. The inevitable compromise is the belief that the body must be healed, and not the mind.
 このように分裂した目標を果たすための妥協策として、癒しが必要なのは心ではなくて身体であると信じるようになるのは避けがたいことです。

 For this divided goal has given both an equal reality, which could be possible only if the mind is limited to the body and divided into little parts of seeming wholeness, but without connection.
 それは、こんな分割された目標が心と身体の両方に同じような実在性を与えたからです。しかし、こんなことが可能になるとすれば、それはただ心が身体に限定されて、たくさんの小さな部分へと分割され、それらの部分だけで全体であるように見えるけれど、それら相互にはつながりはないという場合だけです。

 This will not harm the body, but it will keep the delusional thought system in the mind.
 このことが身体を傷つけることはありませんが、それは、心の中に妄想的な思考システムを保つことになります。

 Here, then, is healing needed.
 とすれば、癒しが必要なのは心だということになります。

 And it is here that healing is.
 そして、癒しがあるのも心だということになります。

 For God gave healing not apart from sickness, nor established remedy where sickness cannot be.
 というのも、神は病気から離れて癒しを与えたり、病気がありえないところにその治療法を定めるようなことはしなかったからです。

 They are together, and when they are seen together, all attempts to keep both truth and illusion in the mind, where both must be, are recognized as dedication to illusion; and given up when brought to truth, and seen as totally unreconcilable with truth, in any respect or in any way.
 病気と治療法の二つは一緒にあるのであって、もしそれらが一緒にあるものとして見られるようになったなら、真理と幻想の両方を、それがあるに違いない心の中に保とうとする試みはどれもすべて、幻想に心を捧げることだと認識されることになります。そして、幻想が真理の許へともたらされて、いかなる点でも、そして、どのようにしたところで、真理とは全面的に和解不能なものだとわかったら、そのような試みのすべては放棄されることになります。


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7. Truth and illusion have no connection.
 真理と幻想には、いかなる関連性もありません。

 This will remain forever true, however much you seek to connect them.
 どんなにあなたが真理と幻想を関連づけようとしても、これが真実であることは永遠に変わりません。

 But illusions are always connected, as is truth.
 しかし、幻想同士は必ず関連しており、それは真理同士についても同様のことです。

 Each is united, a complete thought system, but totally disconnected to each other.
 真理と幻想のそれぞれは、つながりを持った完全な思考システムを備えています。しかし、真理と幻想の思考システム相互の間は、完全に関係が遮断されています。

 And to perceive this is to recognize where separation is, and where it must be healed.
 したがって、このことを知覚することは、どこに分離があり、どこで分離が癒されなければならないのか、ということを認識することです。

 The result of an idea is never separate from its source.
 ある想念のもたらす帰結は、決してその源である想念から離れることはありません。

 The idea of separation produced the body and remains connected to it, making it sick because of the mind's identification with it.
 分離という想念は身体を産み出し、身体とつながりを保ちます。そして、心は自らを身体と同一視するので、その身体を病気にさせます。

 You think you are protecting the body by hiding this connection, for this concealment seems to keep your identification safe from the "attack" of truth.
 あなたはこの分離の想念と身体の関連性を隠すことによって身体を守っているつもりになっています。というのは、こうして隠蔽することが、あなたの小さなアイデンティティーを真理の「攻撃」から無事に保ってくれるように思えるからです。




8. If you but understood how much this strange concealment has hurt your mind, and how confused your own identification has become because of it!
 こんな異常な隠蔽工作があなたの心をどれほど傷つけてきたか、そして、そのせいで、あなたがどれほど自らのアイデンティティーについて混乱してしまったか、ただあなたがそれを理解してくれさえしたらと思います。

 You do not see how great the devastation wrought by your faithlessness, for faithlessness is an attack that seems to be justified by its results.
 あなたには、自分の不信がいかに深刻な荒廃状態をもたらしたかわかっていません。というのも、不信は攻撃であり、その攻撃は信頼の欠如がもたらす結果によって正当化されるように思えるからです。

 For by withholding faith you see what is unworthy of it, and cannot look beyond the barrier to what is joined with you.
 すなわち、信頼を与えないようにすることで、あなたは信頼に値しないものを目にすることになるので、その障害を通り越して、その向こう側で自分とひとつに結びついているものを見通すことができなくなるのです。


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9. To have faith is to heal.
 信頼を抱くことは、癒すことです。

 It is the sign that you have accepted the Atonement for yourself, and would therefore share it.
 信頼することは、あなたが自分自身のために贖罪を受け入れ、したがって、贖罪を分かち合おうとしている印です。

 By faith, you offer the gift of freedom from the past, which you received.
 信頼によって、あなたは過去からの解放という贈り物を差し延べることになります。それはあなたが受け取ったものです。

 You do not use anything your brother has done before to condemn him now.
 あなたは、以前に兄弟がなしたことを持ち出してきて、今になって咎めるようなことはしなくなります。

 You freely choose to overlook his errors, looking past all barriers between yourself and him, and seeing them as one.
 あなたは何の妨げもなく兄弟の誤りを見過ごすことを選択し、自分自身と兄弟との間のあらゆる障害を見越して、自分と兄弟をひとつのものとして見ることになります。

 And in that one you see your faith is fully justified.
 そして、その一体性の中で、あなたは自分の信頼が完全に正当化されることを理解します。

 There is no justification for faithlessness, but faith is always justified.
 不信が正当化されることはありませんが、信頼は必ず正当化されるのです。




10. Faith is the opposite of fear, as much a part of love as fear is of attack.
 信頼は恐怖の対極であり、恐れが攻撃の一部であるように、信頼は愛の一部です。

 Faith is the acknowledgment of union.
 信頼は、ひとつに結ばれていることを承認することです。

 It is the gracious acknowledgment of everyone as a Son of your most loving Father, loved by him like you, and therefore loved by you as yourself.
 信頼は、すべての者たちのことを、あなたの最愛の父の子であると認める恵みに溢れた承認です。その大いなる子は、父なる神によってあなたと同じように愛され、したがって、あなたからも自分自身として愛されているのです。

 It is his love that joins you, and for his Love you would keep no one separate from yours.
 あなたたちをひとつに結びつけているのは神の大いなる愛であり、その大いなる愛ゆえに、あなたは自分の愛から誰ひとりとして離れたままにしておこうとはしないはずです。

 Each one appears just as he is perceived in the holy instant, united in your purpose to be released from guilt. 罪悪感から解放されるというあなたの目的の下にひとつに結ばれて、あなたの兄弟の一人ひとりが、神聖な瞬間の中で知覚される通りの姿を現します。

 You see the Christ in him, and he is healed because you look on what makes faith forever justified in everyone.
 あなたは兄弟の中にキリストを見るのです。そして、あなたがみんなの中で信頼を永遠に正当化するキリストを見つめているがゆえに、その兄弟は癒されるのです。

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11. Faith is the gift of God, through him Whom God has given you.
 信頼は、神があなたに授けた聖霊を介して神からあなたに与えられる贈り物です。

 Faithlessness looks upon the Son of God, and judges him unworthy of forgiveness.
 信頼することなく神の子を見るなら、神の子のことを赦しに値しない者として裁くことになります。

 But through the eyes of faith, the Son of God is seen already forgiven, free of all the guilt he laid upon himself.
 しかし、信頼の眼差しで見るなら、その神の子はすでに赦されていて、彼が自分で自分自身に課した罪悪感のすべてから免れているものと見えます。

 Faith sees him only now because it looks not to the past to judge him, but would see in him only what it would see in you.
 信頼は神の子のことを、今、見るだけです。なぜなら、信頼は彼を裁くために過去のことを見るのではなく、ただ信頼があなたの中に見ようとするものを、彼の中に見ようとするからです。

 It sees not through the body's eyes, nor looks to bodies for its justification.
 信頼は、肉眼を通して見るのではないし、信頼を正当化するために身体を頼みにすることもありません。

 It is the messenger of the new perception, sent forth to gather witnesses unto its coming, and to return their messages to you.
 信頼は、新しい知覚の使者であり、新たな知覚の到来を証言する者たちを集めるために送り出され、あなたの許にそれらの証人たちからのメッセージを持ち帰るのです。




12. Faith is as easily exchanged for knowledge as is the real world.
 信頼は、真の世界と同じように、容易に知識へと置き換わります。

 For faith arises from the Holy Spirit's perception, and is the sign you share it with him.
 なぜなら、信頼は聖霊の知覚から生じるものであり、あなたがその知覚を確かに聖霊と分かち合っている印だからです。

 Faith is a gift you offer to the Son of God through him, and wholly acceptable to his Father as to him.
 信頼は聖霊を通じてあなたが神の子に捧げる贈り物です。そして、信頼は聖霊にとってそうであるように、大いなる父にとっても完全に満足のできるものです。

 And therefore offered you.
 だからこそ、その贈り物はあなたに差し延べられたのです。

 Your holy relationship, with its new purpose, offers you faith to give unto your brother.
 新たな目的を備えたあなたの神聖な関係は、あなたの兄弟に与えるようにと、あなたに信頼を差し延べてくれます。

 Your faithlessness has driven you apart, and so you do not recognize salvation in each other.
 あなたの不信があなたたちの仲を引き裂いてしまったせいで、あなたたちはお互いの中に救済があることがわからなくなっています。

 Yet faith unites you in the holiness you see, not through the body's eyes, but in the sight of him Who joined you, and in Whom you are united.
 しかし、信頼は、あなたが見る神聖さの中で、あなたたちをひとつに結び合せます。その神聖さは、肉眼を通してではなく、あなたたちをひとつに結び合せた聖霊の視界の中で見えます。そして、あなたたちがひとつに結ばれるのはその聖霊の内においてなのです。


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13. Grace is not given to a body, but to a mind.
 神の恵みは身体に与えられるのではなくて、心に与えられます。

 And the mind that receives it looks instantly beyond the body, and sees the holy place where it was healed.
 そして、神の恵みを受け取った心はただちに身体を超えて見つめ、自らが癒された聖なる場所に目をやります。

 There is the altar where the grace was given, in which it stands.
 そこには神の恵みが授けられた祭壇があり、その中には神の恵みが留まっています。

 Do you, then, offer grace and blessing to your brother, for you stand at the same altar where grace was laid for both of you.
 ゆえに、あなたも自分の兄弟に慈愛と祝福を差し延べてください。というのも、あなたたちは、自分たち二人のために神の恵みが置かれたその同じ祭壇を前にして立っているからです。

 And be you healed by grace together, that you may heal through faith.
 そして、あなたたちで一緒に神の恵みによって癒してもらってください。そうすれば、あなたも信頼を通して癒せるようになります。




14. In the holy instant, you stand before the altar God has raised unto himself and both of you.
 神聖な瞬間において、あなたたちは、神が神自身とあなたと兄弟のために建ててくれた祭壇の前に立つことになります。

 Lay faithlessness aside, and come to it together.
 不信を脇に置いてから、兄弟と一緒に祭壇の前に来てください。

 There will you see the miracle of your relationship as it was made again through faith.
 そこにおいて、あなたは信頼を通して再び作り直された自分の関係という奇跡を目にすることになります。

 And there it is that you will realize that there is nothing faith cannot forgive.
 そして、そこであなたは、信頼に赦すことができないものなど何ひとつないと気づくことでしょう。

 No error interferes with its calm sight, which brings the miracle with equal ease to all of them.
 いかなる誤りも、信頼の穏やかな視界を遮ることがないので、信頼の穏やかな眼差しは、すべての誤りに対して等しい容易さで奇跡をもたらします。

 For what the messengers of love are sent to do they do, returning the glad tidings that it was done to you who stand together before the altar from which they were sent forth.
 というのも、愛の使者たちは、自分たちが果すようにと送り出されたその任務を成し遂げるので、自分たちが送り出された祭壇の前に一緒に立っているあなたたちに、その任務が成し遂げられたという喜ばしい知らせを持ち帰ってくるからです。


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15. As faithlessness will keep your little kingdoms barren and separate, so will faith help the Holy Spirit prepare the ground for the most holy garden that he would make of it.
 不信が、あなたの小さな王国を不毛で隔絶した状態に保つのに対して、信頼は、聖霊がその地を聖霊が思う通りの最も神聖な庭園にするための準備を整える手助けをしてくれます。

 For faith brings peace, and so it calls on truth to enter and make lovely what has already been prepared for loveliness.
 というのも、信頼は平安をもたらし、そうすることで、真理に入ってきて、すでに素晴らしいものとなるための準備が整っているものを立派に仕上げてほしいと頼むことになるからです。

 Truth follows faith and peace, completing the process of making lovely that they begin.
 真理は、信頼と平安のあとに続き、信頼と平安が始めた壮麗なものとするためのプロセスを完成させます。

 For faith is still a learning goal, no longer needed when the lesson has been learned.
 というのは、信頼は依然として学習目標でしかないので、学ぶべきことが学ばれたなら、もはや必要とはされなくなるからです。

 Yet truth will stay forever.
 しかし、真理は永遠に留まることになります。




16. Let, then, your dedication be to the eternal, and learn how not to interfere with it and make it slave to time. それゆえに、あなたの心を永遠なるものに全面的に捧げなさい。そして、永遠を妨げて永遠を時間の奴隷にしてしまわないためにはどうすればよいかを学んでください。

 For what you think you do to the eternal you do to you.
 というのは、あなたは自分が永遠なるものに対してしていると思うことを、あなたは自分に対して行うことになるからです。

 Whom God created as his Son is slave to nothing, being lord of all, along with his Creator.
 神が神の子として創造した者は、自らの創造主と共に森羅万象の主なのであって、いかなるものの奴隷でもありません。

 You can enslave a body, but an idea is free, incapable of being kept in prison or limited in any way except by the mind that thought it.
 あなたは、身体を奴隷にすることはできます。しかし、想念は自由なのであって、幽閉されたり、いかようにも制限されたりすることは不可能なのです。ただし、その想念を思考した心による場合だけは例外です。

 For it remains joined to its source, which is its jailer or its liberator, according to which it chooses as its purpose for itself.
 というのも、想念はずっとその源とひとつに結びついたままなので、その源である心が自分自身のための目的としてどちらを選択するかによって、心は思考を幽閉する看守にもなれば、思考を自由にする解放者にもなるからです。


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