T22-1 神聖な関係のメッセージ


Resolve to be thyself; and know, that he who finds himself, loses his misery.
自分自身であることを志せ、そして、自分が何者なのかわかった者は、個人的な苦悩を失うことを知れ。



Matthew Arnold
マシュー・アーノルド



自己に執着すればするほど、人は真の自己を失う。自己をなくせばなくすほど、人はその人自身になる。



Michael Ende
ミヒャエル・エンデ





There is no greater agony than bearing an untold story inside you.
自分の内側に語られざる物語を抱えることほど大きな苦しみは何もありません。

マヤ・アンジェロウ_1201010032

Maya Angelou
マヤ・アンジェロウ



We are what we pretend to be, so we must be careful about what we pretend to be.
私たちが表向きに装う姿こそ、本当の私たちにほかならない。だから、私たちは、自分が何者のふりをするかに慎重であらねばならない。

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Kurt Vonnegut, Mother Night
カート・ヴォネガット



The hardest challenge is to be yourself in a world where everyone is trying to make you be somebody else.
誰もがみな君のことを君ではない別人に仕立て上げようとする世界の中では、自分自身になることは最も困難な努力を要する挑戦だ。

Whenever you think or you believe or you know you're a lot of other people: but the moment you feel you're nobody-but-yourself...
というのも、ただ君が自分は自分自身以外の誰でもないと感じる瞬間を除いては、君が考えたり信じたり知ったりするときはいつでも、君はたくさんの別の人々になっているのだから。

It takes courage to grow up and become who you really are.
成長して本当の自分になるには、困難に打ち勝つ勇気がいるのだ。

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e. e. cummings
エドワード・エスリン・カミングス




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今回はテキスト第二十二章から『神聖な関係のメッセージ」という一節をご紹介します。







私たちが自分だと思っている人物は本当の「私」?

1.「You can indeed believe this, and you do.
 あなたはたしかに、自分のことを自分自身ではないものだと信じることができるし、あなたは現にそう信じています。

 And you have faith in this and see much evidence on its behalf.
 そして、あなたは自分自身ではないものが自分だと信じているし、それが正しいことを示すたくさんの証拠を目にしてもいます。

 And where, you wonder, does your strange uneasiness, your sense of being disconnected, and your haunting fear of lack of meaning in yourself arise?
 そうでありながら、あなたは自分の奇妙な居心地の悪さや、つながりを絶たれているような感覚、そして、自分自身に意味が欠落しているという執拗につきまとう恐怖心は、いったいどこから生じるのだろうかと不思議に思ってもいます。」


世界の中にいる以上、人間が自分だという事実を裏付ける確固たる証拠が揃っているのは当たり前

私たちは、身体を持つ人間が自分だと信じて疑いません。

実際、自らの意のままに動かすことができるのは身体だけだし、外にあると思うほかない世界に影響を及ぼすことができるのは身体を介してのみであり、人間というアバターが自分だと信じるべき証拠はいくらでもあります。

というよりも、そういう「お約束」で成り立っている世界の中にいる以上、否定的な証拠が見つかるわけがありません。


世界を基盤に世界の基準で判定していたのでは、いつまでも答えは出ないまま

そこで、アバターが自分だという信念が正しいかどうかをアバターが必要とされる世界を基盤に、世界の中の物事を証拠として判定することは無意味であり、判定するなら、世界を超えた観点が必要となります。

しかし、世界の中に自縄自縛で幽閉されて脱出できないことが問題なのだから、世界の外に抜け出してそこから判定することはかないません。

そのため、アナロジーを用いて、神の現実と幻想世界の関係性と類似する世界内の物事を参考にして思考してみることが必要になります。






アナロジー思考の重要性

このような素材には事欠きません。

読者と本の中の物語の主人公、VRゲーム世界の中で遊ぶためのアバターとなるキャラクターなどが、この素材として役に立ちます。

この素材をもとに考えてみると、作り物のVR世界の中で動き回るためのアバターを操縦するかぎりは、VRの持つリアリティーに騙されて、アバターとなるキャラが自分だという感覚を容易に持つことは簡単にわかるし、実際に体験して理解することもできます。

そして、現在の技術では難しくても、クライオニクス(低温技術)との合わせ技等で、とても長い期間にわたって、人がVR世界の中に入ったまま、アバターとして暮らすことができる時代はそのうち訪れるのは言うまでもなく、そうなった場合、VR世界内で自分だと思っているアバターと完全に自己同一化して、確信してしまうだろうことは容易に想像できます。


3.「Denying what you are, and firm in faith that you are something else, this "something else" that you have made to be yourself becomes your sight.
 本当の自分を否認して、自分は本当の自分とは違う何か別のものだと頑固に信じこむことによって、あなたが自分自身になるように仕立てあげたこの「何か別のもの」を介してあなたはものを見るようになります。

 Yet it must be the "something else" that sees, and as not you, explains its sight to you.
 それでも、現に何かを見て、あなた以外のものとして、自らの視覚に映る光景をあなたに対して説明するのは、この「何か別のもの」に違いありません。」

本人がどれだけ頑固に確信していようが、彼が本当は、VR世界内のキャラクターではないことは明らかです。


私たちの自己概念などエゴのマシンガン・トークで意識朦朧になって思い込まされている程度のものでしかない

VR世界内のキャラクターという自分ではない「何か別のもの」を自分に仕立て上げて、それを自分だと固く信じ込んでいるだけです。

だから、私たちが、人間の身体が備える知覚器官と世界が提供する多様な証拠から自分は人間に間違いないという確信を持つことができているということは、少しも強固な証拠ではなく、エゴが意識朦朧としている私たちを自分の土俵に強引に引っ張りこんで、恐怖心と罪悪感を煽る激しい営業トークと自前のよさげに見える商品を見せながらまくし立てて、私たちをその気にさせているだけで、私たちが意識をシャキッとさせて眉に唾を付けて理性を用いて思考を働かせれて反対尋問をはじめさえすれば、ボロボロと矛盾が露呈して、とても堅固な立証ができているなど言えないことがはっきりしてくるはずです。


そこから先は、いつものように赦しの実践ということになります。


ヴィジョンには解釈というプロセスが介在しない

肉眼での知覚とヴィジョンの知覚の相違は、解釈というプロセスを介する間接的なものか解釈をかまさない直接的なものかという点にあるということが述べられます。

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5.「Only your vision can convey to you what you can see.
 あなたのヴィジョンだけが、あなたに見えるものをあなたに伝えることができます。

 It reaches you directly, without a need to be interpreted to you.
 それは、あなたのために解釈される必要もなく、直接あなたに届きます。

 What needs interpretation must be alien.
 解釈を要するものは、あなたにとって異質なものであるに違いありません。

 Nor will it ever be made understandable by an interpreter you cannot understand.
 それに、解釈を要するものが、あなたに理解できない解釈者によって、理解可能なものに変換されることも決してないでしょう。」


知覚と直覚

身体の器官による知覚は、知覚の対象となる刺激のエネルギーによって、電磁的刺激(光や熱)、機械的刺激(圧力や音など)、化学的刺激に分類でき、五感と平衡感覚等の知覚モダリティ(知覚の種類)に分類され、各知覚モダリティにおいて、クオリティ(知覚の質、知覚内容。視覚における光の強度や色、聴覚における音の強さや音色など)が感知されます。

網膜や内耳、味蕾等の受容器で刺激は電気信号として符号化され、感覚神経を介して脳の各感覚野に伝達されます。

視覚や聴覚は、光や音波を知覚することを通じて、物理的に接触していない対象を分離したままで脳内で解釈、推測することを可能にします。

視覚や聴覚を含めて、すべての知覚器官は、皮膚の触覚の発展形で、感覚をつかさどる細胞や器官を持たない単細胞生物のアメーバが仮足を伸ばして対象に触れるような原初の知覚が複雑になって機構化を遂げたものです。


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本節の訳文でもヴィジョンを指して肉眼と対比する意義で「心眼」と表現する箇所がありますが、心眼という言葉からはイメージとして、ヴィジョンのための魂の器官があるような連想をしてしまいますが、素朴に愛の作用の視覚的な一局面をヴィジョンと称するだけで、ヴィジョンを肉眼と同列にみなすのは、かえってヴィジョンを矮小化することになってしまうかもしれません。




ヴィジョンは、キングギドラヤマタノオロチのような多頭同体の生き物が地中に埋められて地上に複数の頭だけが出て別々の生き物に見えているのを掘り出して、一体だと気づくようなもの、または、はたらく細胞のように人体内世界の各細胞を擬人化して個別の分離存在と見る状態から、同じひとりの人間を構成する一体性を認識するようなものであり、5W1Hのような特定の視点や視覚等の制限を解除した全体的知覚としてイメージしておいたほうがよいと思います。

ヴィジョンの直覚的な知覚というイメージについては、「グロク」が参考になると思います。


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テキスト第二十二章

I. The Message of the Holy Relationship
一 神聖な関係のメッセージ



1. Let reason take another step.
 理性がもう一歩を踏み出せるようにしてください。

 If you attack whom God would heal and hate the one he loves, then you and your Creator have a different will.
 もしあなたが神が癒そうとする者を攻撃して神が愛する者を憎むとすれば、あなたとあなたの創造主とは違う意志を持っていることになります。

 Yet if you are his will, what you must then believe is that you are not yourself.
 しかし、もしあなたが神の意志であるとすれば、そのときあなたは、自分自身ではないものが自分だと信じているに違いありません。

 You can indeed believe this, and you do.
 あなたはたしかに、自分のことを自分自身ではないものだと信じることができるし、あなたは現にそう信じています。

 And you have faith in this and see much evidence on its behalf.
 そして、あなたは自分自身ではないものが自分だと信じているし、それが正しいことを示すたくさんの証拠を目にしてもいます。

 And where, you wonder, does your strange uneasiness, your sense of being disconnected, and your haunting fear of lack of meaning in yourself arise?
 そうでありながら、あなたは自分の奇妙な居心地の悪さや、つながりを絶たれているような感覚、そして、自分自身に意味が欠落しているという執拗につきまとう恐怖心は、いったいどこから生じるのだろうかと不思議に思ってもいます。

 It is as though you wandered in without a plan of any kind except to wander off, for only that seems certain.
 それはまるで、迷子になる以外にはいかなる計画も持たないままに、自分がこの世界の中に迷いこんでしまったような感覚です。というのも、横道に迷いこむことだけが確実なことに思えるからです。



2. Yet we have heard a very similar description earlier, but it was not of you.
 さて、私たちは以前にこれと実によく似た描写を耳にしたことがあります。ただし、それはあなたを描写したものではありませんでした。

 But still this strange idea which it does accurately describe, you think is you.
 しかし、それなのに、実に正確に描写されているこの奇妙な想念のことを、あなたは自分のことを描写するものだと思っています。

 Reason would tell you that the world you see through eyes that are not yours must make no sense to you.
 あなたが自分のものではない目を通して見ている世界は、あなたにとって何の意味もなさないに違いないと、理性があなたに教えてくれるでしょう。

 To whom would seeing such as this send back its messages?
 このあなたのものではない目は、それが見るものについてのメッセージをいったい誰に送り返すのでしょうか。

 Surely not you, whose sight is wholly independent of the eyes that look upon the world.
 それがあなたに向けてではないのは間違いありません。というのも、あなたの視力はこの世界を見るための肉眼にはまったく依存していないからです。

 If this is not your vision, what can it show to you?
 もし肉眼があなたの心眼であるヴィジョンとは違うのなら、肉眼はあなたに何を見せられるというのでしょうか。

 The brain cannot interpret what your vision sees.
 頭脳には、あなたのヴィジョンに見えているものを解釈することができません。

 This you would understand.
 このことは、あなたにも理解できるはずです。

 The brain interprets to the body, of which it is a part.
 頭脳は、頭脳自体がその一部をなしている身体に向けて通訳します。

 But what it says you cannot understand.
 ところが、あなたには、その頭脳が告げることが理解できません。

 Yet you have listened to it.
 それでも、あなたは頭脳が告げることに耳を貸してきました。

 And long and hard you tried to understand its messages.
 そして、あなたは長い間、必死になって、頭脳が伝えようとするメッセージを理解しようと努めてきたのです。

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3. You have not realized it is impossible to understand what fails entirely to reach you.
 あなたに到達することが完全にできないものを理解するのは不可能だということが、あなたにはまだわかっていません。

 You have received no messages at all you understand.
 あなたは自分が理解できるようなメッセージをひとつも受け取ったことがありません。

 For you have listened to what can never communicate at all.
 というのも、あなたはまったくコミュニケーションのとりようのないものに耳を貸していたからです。

 Think, then, what happens.
 そこで、何が起こっているのか考えてみましょう。

 Denying what you are, and firm in faith that you are something else, this "something else" that you have made to be yourself becomes your sight.
 本当の自分を否認して、自分は本当の自分とは違う何か別のものだと頑固に信じこむことによって、あなたが自分自身になるように仕立てあげたこの「何か別のもの」を介してあなたはものを見るようになります。

 Yet it must be the "something else" that sees, and as not you, explains its sight to you.
 それでも、現に何かを見て、あなた以外のものとして、自らの視覚に映る光景をあなたに対して説明するのは、この「何か別のもの」に違いありません。

 Your vision would, of course, render this quite unnecessary.
 もちろん、あなたのヴィジョンは、このようなことをまったく不要にするでしょう。

 Yet if your eyes are closed and you have called upon this thing to lead you, asking it to explain to you the world it sees, you have no reason not to listen, nor to suspect that what it tells you is not true.
 しかし、もしあなたの目が閉じられていて、あなたがこの「何か別のもの」に自分の導き役を任せ、それに見えている世界を自分に説明するように頼んだままでいるなら、あなたは、それに耳を貸さずにいられるわけがないし、それが自分に告げることが真実ではないのではないかと疑えるわけがありません。

 Reason would tell you it cannot be true because you do not understand it.
 理性があなたに教えようとするのは、あなたにはそれが告げることが理解できないのだから、それは真実ではありえないということです。

 God has no secrets.
 神には何ひとつ秘密がありません。

 He does not lead you through a world of misery, waiting to tell you, at the journey's end, why he did this to you.
 神は、なぜ神があなたをそんな目に遭わせるのか旅が終わるまで教えないまま、あなたに悲惨な世界を通り抜けるよう仕向けたりしません。



4. What could be secret from God's Will?
 神の大いなる意志から、いったい何を秘密にしておけるというのでしょう。

 Yet you believe that you have secrets.
 それなのに、あなたは自分が秘密を持っていると信じています。

 What could your secrets be except another "will" that is your own, apart from his?
 あなたの秘密とは、神の意志とは別のあなた自身の「意志」以外の何でありうるでしょうか。

 Reason would tell you that this is no secret that need be hidden as a sin.
 理性はあなたに、そんなものは罪として隠しておかなければならないような秘密ではないと教えてくれるはずです。

 But a mistake indeed!
 しかし、神の意志とは別のあなた自身の「意志」があるというのが間違いであるのは、本当に確かなことです。

 Let not your fear of sin protect it from correction, for the attraction of guilt is only fear.
 罪に恐れを抱くことで、そんな間違いを修正されないまま保護することにならないようにしてください。なぜなら、罪の意識を呼び起こすのは恐れだけだからです。

 Here is the one emotion that you made, whatever it may seem to be.
 この恐れこそ、たとえそれがどのように見えるとしても、あなたが作り出した唯一の感情です。

 This is the emotion of secrecy, of private thoughts and of the body.
 これこそ秘密の感情であり、個人的な思考に属する感情であり、身体に属する感情です。

 This is the one emotion that opposes love, and always leads to sight of differences and loss of sameness.
 恐れこそが愛を妨げて、つねに相違点が目につくように仕向けて、同一性が失われたさまが見えるようにさせる感情です。

 Here is the one emotion that keeps you blind, dependent on the self you think you made to lead you through the world it made for you.
 ここにこそ、あなたを盲目のままに保っておく唯一の感情があります。この唯一の感情は、あなたが自分のために作り出した世界の中を導いてもらうために、あなたが自分で作り出したと思いこんでいる小さな自己に依存しています。

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5. Your sight was given you, along with everything that you can understand.
 あなたの視覚は、あなたに理解できるものすべてと一緒にあなたに与えられました。

 You will perceive no difficulty in understanding what this vision tells you, for everyone sees only what he thinks he is.
 このヴィジョンがあなたに伝えることであれば、あなたは難なくそれを理解できるはずです。というのも、誰もがこれこそ真の自分だと思う姿だけを見ることになるからです。

 And what your sight would show you, you will understand because it is the truth.
 そして、あなたの視力があなたに見せるものを、それが真実であるがゆえに、あなたは理解するでしょう。

 Only your vision can convey to you what you can see.
 あなたのヴィジョンだけが、あなたに見えるものをあなたに伝えることができます。

 It reaches you directly, without a need to be interpreted to you.
 それは、あなたのために解釈される必要もなく、直接あなたに届きます。

 What needs interpretation must be alien.
 解釈を要するものは、あなたにとって異質なものであるに違いないからです。

 Nor will it ever be made understandable by an interpreter you cannot understand.
 しかし、解釈を要するものが、あなたに理解できない解釈者によって、理解可能なものに変換されることも決してないでしょう。



6. Of all the messages you have received and failed to understand, this course alone is open to your understanding and can be understood.
 あなたが今までに受け取りながらも理解し損ねてきた数多くのメッセージの中でも、このコースだけはあなたの理解力に馴染むので、あなたはコースを理解することができます。

 This is your language.
 このコースの言葉こそ、あなたの母語だからです。

 You do not understand it yet only because your whole communication is like a baby's.
 あなたがまだコースの言葉を理解していないのは、単に、あなたのコミュニケーションがまったく赤ん坊のコミュニケーションのようなものでしかないからです。

 The sounds a baby makes and what he hears are highly unreliable, meaning different things to him at different times.
 赤ん坊の発する声やその子が聞く音は、その時どきによってその子にとって異なることを意味するので、まったく当てになりません。

 Neither the sounds he hears nor sights he sees are stable yet.
 その子が聞く音声も、その子が見る光景もまだ安定してはいません。

 But what he hears and does not understand will be his native tongue, through which he will communicate with those around him, and they with him.
 しかし、その赤ちゃんが耳にしながらも理解できていない音声が、そのうち彼にとっての母国語となり、いずれ彼は、その言葉を介して自分の周りにいる人たちとコミュニケーションをとるようになります。

 And the strange, shifting ones he sees about him will become to him his comforters, and he will recognize his home and see them there with him.
 そして、その赤ちゃんが自分の周りに見ている入れ替わり立ち替わり現れている奇妙な姿が、そのうち、彼にとって自分を安心させてくれる家族となり、彼はわが家の見分けがつくようになり、自分と一緒にその人たちがそこにいるとわかるようになります。

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7. So in each holy relationship is the ability to communicate instead of separate reborn.
 そのようにして、それぞれの神聖な関係において、分離する代わりにコミュニケーションを行う能力が再生します。

 Yet a holy relationship, so recently reborn itself from an unholy relationship, and yet more ancient than the old illusion it has replaced, is like a baby now in its rebirth.
 しかし、本当にごく最近、不浄な関係から再生したばかりの神聖な関係は、それが取って代わった古い幻想である不浄な関係よりも古来のものではあっても、復活したばかりの今はまだ、赤ん坊のようなものです。

 Still in this infant is your vision returned to you, and he will speak the language you can understand.
 それでも、この赤ん坊の中で、あなたのヴィジョンがあなたに回復され、この子はやがてあなたに理解できる言葉を話すようになります。

 He is not nurtured by the "something else" you thought was you.
 この子は、あなたがかつて自分だと思っていた「何か別のもの」によって育まれるのではありません。

 He was not given there, nor was received by anything except yourself.
 その子は、あなた自身ではない何ものかによって、神聖な関係の中に与えられたのではないし、受け入れられたのでもありません。

 For no two brothers can unite except through Christ, Whose vision sees them one.
 なぜなら、ふたりの兄弟をひとつのものと見るキリストのヴィジョンを通してでなければ、ふたりの兄弟がひとつに結ばれることはありえないからです。



8. Think what is given you, my holy brother.
 私の聖なる兄弟よ、自分が何を授かっているのか考えてみなさい。

 This child will teach you what you do not understand, and make it plain.
 この幼子こそが、あなたが理解していないことをあなたに教えてくれて、それを明快にわかるものにしてくれます。

 For his will be no alien tongue.
 なぜなら、その幼子が語るようになるのは、異国の言葉ではないからです。

 He will need no interpreter to you, for it was you who taught him what he knows because you knew it.
 彼はあなたに教えるために通訳を必要としないでしょう。というのも、その幼子に彼の知っていることを教えたのはあなただったからです。あなたが彼に教えることができたのは、あなたがそれを知っていたからです。

 He could not come to anyone but you, never to "something else. "
 その子は、決して「何か別のもの」のところへと訪れることはできなかったのであり、あなたの許にしか訪れることができなかったのです。

 Where Christ has entered no one is alone, for never could he find a home in separate ones.
 キリストが入ってきたところでは、誰もひとりきりではありません。というのは、キリストは、分離した者たちの中にわが家を見出すことが絶対にできないからです。

 Yet must he be reborn into his ancient home, so seeming new and yet as old as he, a tiny newcomer, dependent on the holiness of your relationship to let him live.
 しかし、キリストは、本当に新しいものに見えてはいても、キリストと同じくらい古い彼の太古からの家の中へと再生しなければなりません。この新たに生まれた赤ん坊が育つ場となるあなたの関係の神聖さにキリストの成長がかかっています。

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9. Be certain God did not entrust his Son to the unworthy.
 神がわが子をその子にふさわしくない者に託したはずがないと確信してください。

 Nothing but what is part of him is worthy of being joined.
 ひとつに結ばれる価値があるのは、神の一部であるものだけです。

 Nor is it possible that anything not part of him can join.
 それに、何であれ、神の一部でないものがひとつに結びつくことは不可能です。

 Communication must have been restored to those who join, for this they could not do through bodies.
 ひとつに結ばれた者たちには、コミュニケーションが回復されているに違いありません。というのも、彼らは身体と身体を通じてはひとつに結ばれることができなかったはずだからです。

 What, then, has joined them?
 それでは、何が彼らをひとつに結びつけたのでしょうか。

 Reason will tell you that they must have seen each other through a vision not of the body, and communicated in a language the body does not speak.
 理性はあなたに、彼らが肉眼ではなくヴィジョンを通してお互いを見て、身体には語ることのできない言語でコミュニケーションをしたに違いないと教えてくれるでしょう。

 Nor could it be a fearful sight or sound that drew them gently into one.
 それに、彼らを穏やかに引き合わせてひとつにしたものが、恐ろしい光景や音響であったはずがありません。

 Rather, in each the other saw a perfect shelter where his Self could be reborn in safety and in peace.
 そうではなく、彼らはお互いに相手の中に、自らの真の自己が安全に平安のうちに再生することができる完璧な避難所を見出したのです。

 Such did his reason tell him; such he believed because it was the truth.
 彼の理性が彼に告げたのは、このようなことであり、それが真理であったがゆえに、彼はそれを信じたのです。



10. Here is the first direct perception that you can make.
 ここに、あなたがなすことのできる最初の直接的な知覚があります。

 You make it through awareness older than perception, and yet reborn in just an instant.
 あなたは、意識の気づきによってそれを成し遂げます。この意識は、知覚よりも古いものですが、ほんの一瞬のうちに復活します。

 For what is time to what was always so?
 というのも、つねにそうであったものに対して時間は何もできないからです。

 Think what that instant brought; the recognition that the "something else" you thought was you is an illusion.
 その一瞬が何をもたらしたのか考えてみてください。それは、あなたが自分だと思っていた「何か別のもの」は錯覚だという認識です。

 And truth came instantly, to show you where your Self must be.
 そして、あなたに大いなる自己があるに違いない場所を見せるために、即座に真理が訪れたのです。

 It is denial of illusions that calls on truth, for to deny illusions is to recognize that fear is meaningless.
 幻想を否認することが真理を呼び起こします。というのも、幻想を否認することは、恐れは無意味だと認めることだからです。

 Into the holy home where fear is powerless love enters thankfully, grateful that it is one with you who joined to let it enter.
 あなたたちとひとつに結ばれて愛を入らせてくれたことに感謝しながら、愛は、恐れが無力となった聖なる家の中へと喜んで入ってきます。

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11. Christ comes to what is like himself; the same, not different.
 キリストは、自分自身と似たもの、すなわち、異なるものではなく、同じものの許へと訪れます。

 For he is always drawn unto himself.
 というのも、キリストは、つねに自分自身に引き寄せられるからです。

 What is as like him as a holy relationship?
 神聖な関係ほどキリストに似たものがあるでしょうか。

 And what draws you together draws him to you.
 そして、あなたたちを一緒に引き寄せるものは、キリストをあなたたちに引き寄せます。

 Here are his sweetness and his gentle innocence protected from attack.
 ここでは、キリストの美しさやキリストの優しい潔白さは攻撃から守られています。

 And here can he return in confidence, for faith in one another is always faith in him.
 だから、キリストはここに確信をもって戻ってくることができます。なぜなら、お互いを信頼することは必ずキリストを信頼することだからです。

 You are indeed correct in looking on each other as his chosen home, for here you will with him and with his Father.
 あなたたちがお互いをキリストが選んだ家とみなすのは、まったく正しいことです。なぜなら、ここで、あなたたち相互の関係においおて、あなたはキリストと彼の大いなる父とともに意図するからです。

 This is your Father's will for you, and yours with his.
 これこそ、あなたの大いなる父があなたのために意図していることであり、あなたが父とともに意図することです。

 And who is drawn to Christ is drawn to God as surely as both are drawn to every holy relationship, the home prepared for them as earth is turned to Heaven.
 そして、キリストに引き寄せられる者が神に引き寄せられるのは間違いありません。それは、キリストと神はすべての神聖な関係に引き寄せられるのが確かなのと同じです。その神聖な関係こそ、地上が天国に変わるとき、キリストと神のために用意された安らぎの家なのです。


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