There Is No Spoon

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T24-7 出会いの場

今回はテキスト第二十四章から「出会いの場」という一節をご紹介します。




テキスト第二十四章

VII. The Meeting Place
七 出合いの場


1. How bitterly does everyone tied to this world defend the specialness he wants to be the truth!
 この世界に縛りつけられている者は誰もみな、真実であってほしいと自分が願う特別さを、なんと痛ましくも守ろうとすることでしょうか。

 His wish is law to him, and he obeys.
 彼の願望が彼にとっての法となり、彼はその法に従うことになります。

 Nothing his specialness demands does he withhold.
 その人は、自らの特別であろうとする思いが要求することであれば、どんなことにでも応えようとします。

 Nothing it needs does he deny to what he loves.
 彼は、自分がする特別性が必要とするものであれば、何ひとつ拒もうとはしません。

 And while it calls to him he hears no other Voice.
 だから、特別性が彼に呼びかけているかぎりは、彼にはほかの声が一切耳に入りません。

 No effort is too great, no cost too much, no price too dear to save his specialness from the least slight, the tiniest attack, the whispered doubt, the hint of threat, or anything but deepest reverence.
 ほんの軽微な侮辱や、ごく些細な攻撃、少しばかり疑われたり、なんだか脅されたように感じたなど、最大限の敬意を払われること以外の扱いから自分の特別さを守るためであれば、いかなる努力も惜しまれることはないし、そのために、どれだけの損失を被ろうとも、どれほど代償を支払おうとも、それが高すぎることはありません。

 This is your son, beloved of you as you are to your Father.
 この特別性は、あなたが父にとっての最の存在であるのと同じように、あなたにとっての最の子になってしまっています。

 Yet it stands in place of your creations, who are son to you, that you might share the Fatherhood of God, not snatch it from Him.
 しかし、あなたにとっての本来の子である創造物たちは、あなたに、神から父性を奪い取るのではなく、神の父性を分かち合うことができるようにさせてくれるものなのですが、この特別性は、あなたあなたの創造物たちの座を奪ってそこに居座ってしまっています。。

 What is this son that you have made to be your strength?
 そうだとすれば、あなたが自分の力になるように仕立て上げたこの特別性という子はいったい何なのでしょうか。

 What is this child of earth on whom such love is lavished?
 あなたからのを惜しみなく注がれているこの地上の落とし子は、いったい何なのでしょう。

 What is this parody of God's creation that takes the place of yours?
 あなたの創造物の座を奪うこの神の創造物のお粗末な紛い物はいったい何なのでしょう。

 And where are they, now that the host of God has found another son whom he prefers to them?
 神を宿しもてなすあなたが自分の真の創造物たちよりもお気に入りの別の子を見つてしまった今、あなたの真の創造物たちは、いったいどこに行ってしまったのでしょうか。




2. The memory of God shines not alone.
 神の記憶は単独で輝くものではありません。

 What is within your brother still contains all of creation, everything created and creating, born and unborn as yet, still in the future or apparently gone by.
 あなたの兄弟の中にあるものは今なおすべての創造を含んでいます。創造されたものや創造しているもの、生まれたものやまだ生まれていないもの、まだ未来のことやもう過ぎ去ったように見えることの一切が含まれています。

 What is in him is changeless, and your changelessness is recognized in its acknowledgment.
 あなたの兄弟の中にあるものは変化することはないし、それを承認することによって、あなた自身の不変性に気づくことになります。

 The holiness in you belongs to him.
 あなたの内なる神聖さは、その兄弟に属するものです。

 And by your seeing it in him, returns to you.
 そして、あなたがその神聖さを彼の内に見ることで、神聖さがあなたに戻ってきます。

 All of the tribute you have given specialness belongs to him, and thus returns to you.
 あなたが特別性のために捧げてきたすべてのものは兄弟のものなので、彼の中に神聖さを見ることによって、それらはあなたの許へと戻ってきます。

 All of the love and care, the strong protection, the thought by day and night, the deep concern, the powerful conviction this is you, belong to him.
 あなたが情をこめて気にかけたり、力強く守ったり、昼も夜も思い続けて心の底から心配したことや、これこそが自分だと力強く確信したことなど、それらのすべてがその兄弟の中にあります。

 Nothing you gave to specialness but is his due.
 あなたが特別性に与えてきたものはことごとく、兄弟にこそふさわしいものです。

 And nothing due him is not due to you.
 そして、兄弟にふさわしいもので、あなたにふさわしくものなど何ひとつありません。


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3. How can you know your worth while specialness claims you instead?
 あなたが自分の真価の代わりに特別性を追い求めるかぎり、どうしてあなたに自分の価値がわかるでしょうか。

 How can you fail to know it in his holiness?
 自分の兄弟の神聖さの中にであれば、あなたはそこにある自分の真価を知り損ねることなどできません。

 Seek not to make your specialness the truth, for if it were you would be lost indeed.
 自分が特別であることを真実にしようとなどしないでください。というのは、もしあなたが特別であるとすれば、あなたは本当に自分を見失ってしまうことになるからです。

 Be thankful, rather, it is given you to see his holiness because it is the truth.
 むしろ、兄弟が神聖であることがまさしく真実であるという理由によって、それを見るようにと兄弟の神聖さがあなたに授けられていることに感謝しなさい。

 And what is true in him must be as true in you.
 そして、兄弟にとって真理であることは、あなたにとっても真理であるに違いありません。




4. Ask yourself this: Can you protect the mind?
 次のことを自問してみなさい。自分には心を守ることができるだろうか、と。

 The body, yes, a little; not from time, but temporarily.
 たしかに、身体は多少は心を守ることができます。しかし、時間からは守ることはできないし、ただ一時的に守ることができるだけです。

 And much you think you save, you hurt.
 そして、あなたが自分が守っていると思いこんでいる分だけ、あなたは実際には傷つけているのです。

 What would you save it for?
 あなたはいったい何のために身体を守ろうとしているのでしょうか。

 For in that choice lie both its health and harm.
 その選択次第で、身体は健康にもなれば傷つくことにもなります。

 Save it for show, as bait to catch another fish, to house your specialness in better style, or weave a frame of loveliness around your hate, and you condemn it to decay and death.
 別の獲物をおびき寄せるための囮として、自分の特別さをより優れた容姿に包みこんだり、自分の憎しみの周囲を魅力的に織り上げた美しい装束で囲って見せるために身体を保護しようとするなら、あなたは身体に有罪判決を下し、身体を衰退と死に追いやることになります。

 And if you see this purpose in your brother's, such is your condemnation of your own.
 もしあなたが自分の兄弟の身体の中にこんな目的を見るならば、あなたは自分自身の身体にも同じ有罪宣告を下すことになります。

 Weave, rather, then, a frame of holiness around him, that the truth may shine on him, and give you safety from decay.
 だから、そんなことをしていないで、兄弟を包みこむ神聖な装束を織り上げてください。そうすれば、真実が彼を照らし、あなたを衰退から無事に守ってくれることでしょう。


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5. The Father keeps what He created safe.
 父は、自らが創造したものを安全に保っています。

 You cannot touch it with the false ideas you made, because it was created not by you.
 あなたは、自分で作り出した間違った想念で父が創造したものに害を及ぼすことはできません。なぜなら、それはあなたによって創造されたものではないからです。

 Let not your foolish fancies frighten you.
 自分の馬鹿げた空想に脅えていてはなりません。

 What is immortal cannot be attacked; what is but temporal has no effect.
 不滅のものが攻撃されることなどありえないし、一時的なものにすぎないものには何の影響力もありません。

 Only the purpose that you see in it has meaning, and if that is true, its safety rests secure.
 ただあなたがその中に見出す目的だけが意味を持ちます。そして、もしその目的が真実であれば、その安全は保証されています。

 If not, it has no purpose, and is means for nothing.
 もしそれが真実でなければ、それには何の目的もないし、何の役にも立ちません。

 Whatever is perceived as means for truth shares in its holiness, and rests in light as safely as itself.
 どんなものであれ真理のための手段とみなされるものは、真理の神聖さを分かち合い、真理そのものと同じように、安全に光の中に安らぎます。

 Nor will that light go out when it is gone.
 しかも、その手段とみなされるものがなくなっても、その光が消えることはありません。

 Its holy purpose gave it immortality, setting another light in Heaven, where your creations recognize a gift from you, a sign that you have not forgotten them.
 その神聖な目的は、天国に別の光を灯して、それに不滅性を与えました。天国では、あなたの創造したものたちが、あなたが彼らのことを忘れていないという印であるあなたからの贈り物に気づいてくれます。




6. The test of everything on earth is simply this; "What is it for?"
 この地上にあるすべてのものを見極めるテストは次のとおりです。それは単純に「これは何のためのものだろうか」と問うことです。

 The answer makes it what it is for you.
 その答えが、あなたにとってそれが何であるかを決めることになります。

 It has no meaning of itself, yet you can give reality to it, according to the purpose that you serve.
 この地上にあるすべてのものは、それ自体では何の意味も持ちません。しかし、あなたは自分が奉仕する目的に応じて、それに実在性を与えることができます。

 Here you are but means, along with it.
 この地上においては、地上の万物と同様、あなたは単なる手段でしかありません。

 God is a Means as well as End.
 神は手段であると同時に目的でもあります。

 In Heaven, means and end are one, and one with Him.
 天国では、手段と目的はひとつのものであり、神と一体です。

 This is the state of true creation, found not within time, but in eternity.
 これこそ真の創造のありのままの状態であり、時間の中には見出せず、永遠の中にのみ見出せるものです。

 To no one here is this describable.
 この世界の誰に対しても、真の創造の状態を言葉で説明することはできません。

 Nor is there any way to learn what this condition means.
 それに、この状態が何を意味するかを学ぶ方法もありません。

 Not till you go past learning to the Given; not till you make again a holy home for your creations is it understood.
 あなたが学ぶことを超越して神に与えられたものに到達するまで、すなわち、あなたが自らの創造物のための聖なる家を再建するまでは、この真の創造の状態が理解されることはありません。


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7. A co-creator with the Father must have a Son.
 大いなる父との共同創造者は、ひとりの大いなる子を持っているに違いありません。

 Yet must this Son have been created like Himself.
 しかも、この大いなるひとり子は、父自身と同じものとして創造されているはずです。

 A perfect being, all-encompassing and all- encompassed, nothing to add and nothing taken from; not born of size nor place nor time, nor held to limits or uncertainties of any kind.
 すなわち、この子は、あらゆるものを包含すると同時にあらゆるものに包含され、付け加えるべきものも取り上げるべきものもないし、大きさや場所や時間から生まれたのではなく、どんな種類の制限や不確実性にも縛られることのない完璧な存在として創造されているに違いありません。

 Here do the means and end unite as one, nor does this one have any end at all.
 ここにおいて、手段と目的は確かにひとつのものとして結ばれ、この一なるものにはいかなる終わりもまったくありません。

 All this is true, and yet it has no meaning to anyone who still retains one unlearned lesson in his memory, one thought with purpose still uncertain, or one wish with a divided aim.
 これらのすべては真実です。それでも、このことは記憶の中にまだ学んでいないレッスンをひとつでも残していたり、目的がいまだに定まらない思いがひとつでもあったり、目的が分裂した願望がひとつでも残っている者にとっては、何の意味も持ちません。




8. This course makes no attempt to teach what cannot easily be learned.
 このコースは、容易に学ぶことのできないことを教えようとしているわけではありません。

 Its scope does not exceed your own, except to say that what is yours will come to you when you are ready.
 このコースはあなたの許容範囲を超えるものでもありません。ただし、本来あなたに属するものも、あなたの用意ができてはじめてあなたの許に訪れることになる、ということは言っておかねばなりません。

 Here are the means and the purpose separate because they were so made and so perceived.
 この世界では、手段と目的は分離しています。なぜなら、手段と目的は別々のものとして作られたし、別のものとして知覚されていたからです。

 And therefore do we deal with them as if they were.
 したがって、私たちも目的と手段に対処するに際しては、まるでそれらが分離しているかのごとくに扱うことになります。

 It is essential it be kept in mind that all perception still is upside down until its purpose has been understood.
 知覚することの目的が理解されるまでは、すべての知覚は逆さまのままだということを心に銘記しておくことが不可欠です。

 Perception does not seem to be a means.
 知覚は、手段であるようには見えてはいません。

 And it is this that makes it hard to grasp the whole extent to which it must depend on what you see it for.
 そして、知覚は手段であるように見えないために、あなたが知覚を何のためのものと見るのかということ次第で知覚するものがどれほど全面的に左右されるかを把握しがたいものにしています。

 Perception seems to teach you what you see.
 知覚は、あなたに見えるものをあなたに教えてくれるように思えます。

 Yet it but witnesses to what you taught.
 しかし、知覚は単にあなたの教えたことを目撃しているにすぎないのです。

 It is the outward picture of a wish; an image that you wanted to be true.
 知覚は、願望が外部に描き出されたものであって、あなたが真実であってほしいと望んだもののイメージなのです。


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9. Look at yourself, and you will see a body.
 あなた自身を見ようとすれば、あなたは身体を見るでしょう。

 Look at this body in a different light and it looks different.
 この身体を違う光に照らして見れば、それは違ったふうに見えます。

 And without a light it seems that it is gone.
 そして、光が消えると、身体はなくなったように思えます。

 Yet you are reassured that it is there because you still can feel it with your hands and hear it move.
 しかし、あなたは、依然として自分の手で身体に触れられるし、身体の動く物音も聞こえるので、身体が無事にそこにあると再認して安心します。

 Here is an image that you want to be yourself.
 ここにあるのは、自分自身であってほしいとの思いを形にした一個のイメージです。

 It is the means to make your wish come true.
 身体は、あなたの願望を実現するための道具です。

 It gives the eyes with which you look on it, the hands that feel it, and the ears with which you listen to the sounds it makes.
 身体は、あなたの望む姿を見るための目や、触るための手や、身体が立てる音を聞くための耳を与えてくれます。

 It proves its own reality to you.
 身体は、身体自体が実在することをあなたに証明しようとします。




10. Thus is the body made a theory of yourself, with no provisions made for evidence beyond itself, and no escape within its sight.
 こうして身体は、あなた自身が何者かを示す基盤となる理論となります。もっとも、身体それ自体のほかには何の証拠も用意されず、身体の視界の中にはどこにも逃げ道は用意されていません。

 Its course is sure, when seen through its own eyes.
 身体自身の目を通して見ると、身体の辿る道は確実なものです。

 It grows and withers, flourishes and dies.
 身体は成長しては衰え、繁栄しては死んでいきます。

 And you cannot conceive of you apart from it.
 そして、あなたには身体から離れた自分など想像もできません。

 You brand it sinful and you hate its acts, judging it evil.
 あなたは、身体のことを邪悪なものだと価値判断して、身体に罪深いものとの烙印を押し、身体の行動を憎悪しています。

 Yet your specialness whispers, "Here is my own beloved son, in whom I am well pleased. "
 それでいながら、あなたの特別でありたいとの思いが「ここに私の最の子がおり、この子の中でこそ、私は満足できる」と囁くのです。

 Thus does the "son" become the means to serve his "father's" purpose.
 こうして、この「子」は彼の「父」の目的に奉仕するための道具となります。

 Not identical, not even like, but still a means to offer to the "father" what he wants.
 同一のものではないし似てすらいませんが、それでもその子は「父」に対して、その父の望むものを捧げるための道具なのです。 

 Such is the travesty on God's creation.
 こんなものは、神の創造のお粗末な真似事です。

 For as His Son's creation gave Him joy and witness to His Love and shared His purpose, so does the body testify to the idea that made it, and speak for its reality and truth.
 というのも、神による子の創造が、神に喜びを与え、神の大いなる愛を証明し、神の目的を分かち合ったのと同じように、身体は身体を作り出した想念を支持する証言をして、身体の実在性と真実性を代弁するからです。


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11. And thus are two sons made, and both appear to walk this earth without a meeting place and no encounter.
 こうして、二人の子が作り出されたのです。そして、両者は、出合いの場もなく、決して出会うこともないままに、この地上を歩むように見えます。

 One do you perceive outside yourself, your own beloved son.
 あなたが自分自身の外側に知覚しているひとりは、あなたの自作の愛し子です。

 The other rests within, his Father's Son, within your brother as he is in you.
 あなたの内側で安らいでいるもうひとりは、大いなる父の子であり、彼はあなたの中にいるように、あなたの兄弟の中にもいます。

 Their difference does not lie in how they look, nor where they go, nor even what they do.
 その二人は、彼らがどのように見えるか、彼らがどこに行くのかという点で異なることはないし、彼らが何をするのかということにすら両者の違いは見出せません。

 They have a different purpose.
 しかし、二人には異なる目的があります。

 It is this that joins them to their like, and separates each from all aspects with a different purpose.
 この異なる目的が、二人を自分に似た者たちと結びつけ、お互いを、異なる目的を持ったあらゆる側面から引き離します。

 The Son of God retains his Father's Will.
 神の子は、父の大いなる意志を保っています。

 The son of man perceives an alien will and wishes it were so.
 人の子は、神の意志とは相容れない異質な意志を知覚し、自らが神と異なる意志を抱くことを望みます。

 And thus does his perception serve his wish by giving it appearances of truth.
 かくして、人の子の知覚は、彼の願望に真実であるとの外見を付与することによって彼の願望に奉仕することになります。

 Yet can perception serve another goal.
 それでも、知覚はもうひとつの目標に奉仕することもできます。

 It is not bound to specialness but by your choice.
 もうひとつの目標は、あなたがそれを選択しないかぎり特別性に縛られることはありません。

 And it is given you to make a different choice, and use perception for a different purpose.
 だから、あなたには、違う選択をして、異なる目的のために知覚を使う機会が与えられているのです。

 And what you see will serve that purpose well, and prove its own reality to you.
 そして、あなたの見るものがその目的にうまく奉仕するし、それ自体の真実性も証明してくれることでしょう。

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