There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

M21 癒しにおける言葉の意味とは?

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教師のためのマニュアルから、第21節をご紹介します。


癒しにおける言葉の役割についての説明です。

癒しを引き起こす要因は祈りであるので、内容的には、祈りにおける言葉意味の説明にもなっています。




この一節では、コースはこう言っているとして、引用されることの多い
「They are thus twice removed from reality.
したがって、言葉は、現実から二重に引き離されているのです。」
との一文が出てきます。


言葉と心の中での祈りは、別もので、祈りにとって言葉は重要ではないということです。

それは、祈りというのは、常に、ある種の体験を求めることであるところ、言葉は、求めた物事を象徴するものではあっても、物事それ自体は、望まれた体験を象徴しているにすぎないということです。



この一節を学ぶ上では、祈りとは既に自分が全てを持っていることに気付かせてくれるよう聖霊に頼むことが参考になると思いますので、ぜひご一読いただければと思います。


「6. You who speak in dark and devious symbols do not understand the language you have made.
 意味が不明瞭で迂遠な符牒を用いて話すあなたは、自分の作った言語を理解していません。

 It has no meaning, for its purpose is not communication, but rather the disruption of communication.
 あなたたちの作った言語には何の意味もありません。というのは、あなたたちの言語の目的はコミュニケーションを図ることにあるのではなく、むしろコミュニケーションを混乱させることにこそあるからです。

 If the purpose of language is communication, how can this tongue mean anything?
 もし言葉というものの目的がコミュニケーションを取ることにあるとすれば、コミュニケーションを混乱させるだけのあなたたちの言葉を話せたとしても、そんなことに何の意味があるというのでしょうか。

 Yet even this strange and twisted effort to communicate through not communicating holds enough of love to make it meaningful if its interpreter is not its maker.
 しかし、そんなコミュニケーションにならない言葉でもって思いを伝えようとする奇妙にねじくれた努力であっても、もしその言葉を解釈するのがその言葉の作り主でないならば、十分な愛でその言葉意味あるものにすることができます。

 You who made it are but expressing conflict, from which the Holy Spirit would release you.
 そんな言葉を作ったあなたは、ただ心の葛藤を表しているにすぎませんが、聖霊は、そんな葛藤からあなたを解放してくれます。

 Leave what you would communicate to Him.
 自分が何を伝えることになるのかは、聖霊に任せておきなさい。

 He will interpret it to you with perfect clarity, for He knows with Whom you are in perfect communication.
 聖霊が言葉をあなたに対して完璧に明確に解釈してくれます。なぜなら、聖霊はあなたが誰と完璧なコミュニケーションを取っているか知っているからです。」(テキスト 第十四章 VI. The Light of Communication 六 コミュニケーションの光)






Section 21

What Is the Role of Words in Healing?
癒しにおける言葉の意味は何だろうか






1. Strictly speaking, words play no part at all in healing.
 厳密に言えば、言葉は癒しにおいてまったく何の役割も果たしません。

 The motivating factor is prayer, or asking.
 癒しを引き起こす要因は、祈り、つまり、頼むことです。

 What you ask for you receive.
 あなたは、自分の頼むものを受け取ることになります。

 But this refers to the prayer of the heart, not to the words you use in praying.
 しかし、このことは、心において祈ることを指すのであって、あなたが祈りのために用いる言葉とは関係しません。

 Sometimes the words and the prayer are contradictory; sometimes they agree.
 ときには、言葉と祈りが一致しないことがあるし、ときには一致することもあります。

 It does not matter.
 でも、言葉と祈りが一致するかどうかは重要ではありません。

 God does not understand words, for they were made by separated minds to keep them in the illusion of separation.
 は言葉というものを理解しません。なぜなら、言葉というものは、分離した個別の心が、自分たちを分離の幻想の中に保っておくために作り出したものだからです。

 Words can be helpful, particularly for the beginner, in helping concentration and facilitating the exclusion, or at least the control, of extraneous thoughts.
 言葉は、特に初心者にとって、集中力を高めたり、筋違いな思いを排除するのを促進したり、そのような無関係な思いをコントロールするためだけであっても、助けとなることはできます。

 Let us not forget, however, that words are but symbols of symbols.
 しかしながら、私たちは、言葉が、何かを象徴するものをさらに象徴するものだということを忘れてはなりません。

 They are thus twice removed from reality.
 したがって、言葉は、現実から二重に引き離されているのです。




2. As symbols, words have quite specific references.
 象徴として、言葉はきわめて特定の対象を指すことになります。

 Even when they seem most abstract, the picture that comes to mind is apt to be very concrete.
 言葉が最も抽象的に思えるときですら、言葉が心に描写する像は、とても具体的なものになりがちです。

 Unless a specific referent does occur to the mind in conjunction with the word, the word has little or no practical meaning, and thus cannot help the healing process.
 その言葉によって心の中に言葉が示す具体的な対象が浮かび上がってこないかぎり、言葉は、ほとんど、あるいはまったく実際的な意味を持たないことになり、したがって、癒しのプロセスに役立つことはありません。

 The prayer of the heart does not really ask for concrete things.
 心からの祈りは、本当は、具体的な物事を頼んでいるのではありません。

 It always requests some kind of experience, the specific things asked for being the bringers of the desired experience in the opinion of the asker.
 心からの祈りは、いつでも、ある種の体験を求めることなのです。それは、頼みごとをする者が、願いを叶えてくれる存在に、自分の満足のいくような形で、頼んだ特定の物事を望み通りに体験することをもたらして欲しいと求めることなのです。

 The words, then, are symbols for the things asked for, but the things themselves but stand for the experiences that are hoped for.
 そうだとすれば、言葉は、求めた物事を象徴するものではあっても、物事それ自体は、望まれた体験を象徴しているにすぎないということになります。




3. The prayer for things of this world will bring experiences of this world.
 この世界の物事を求める祈りは、この世界での体験をもたらすでしょう。

 If the prayer of the heart asks for this, this will be given because this will be received.
 もし心からの祈りが、この世界での体験を求めるなら、この世界での体験が与えられるでしょう。なぜなら、これが受け取られることになるからです。

 It is impossible that the prayer of the heart remain unanswered in the perception of the one who asks.
 心からの祈りが、求めた者の知覚において、答えられないままになるということはありえません。

 If he asks for the impossible, if he wants what does not exist or seeks for illusions in his heart, all this becomes his own.
 もしその人が不可能なことを求めたり、存在しない物を欲したり、自分の心の中で幻想を探すなら、それらのすべては彼のものになります。

 The power of his decision offers it to him as he requests.
 彼の決定する力が、彼が求めた通りに、彼にそのものを差し出してくれます。

 Herein lie hell and Heaven.
 ここにこそ、地獄と天国を見出すことができます。

 The sleeping Son of God has but this power left to him.
 眠りつづける神の子に残っているのは、この力だけです。

 It is enough.
 それだけで十分です。

 His words do not matter.
 彼の言葉は重要ではありません。

 Only the Word of God has any meaning, because it symbolizes that which has no human symbols at all.
 ただの言葉だけが意味を持っています。なぜなら、の言葉は、人の言葉が象徴するものがまったく持ち合わせていないものを象徴しているからです。

 The Holy Spirit alone understands what this Word stands for.
 ただ聖霊だけが、このの言葉が表すものが何なのか理解しています。

 And this, too, is enough.
 そして、このことは、それだけでまた十分です。




4. Is the teacher of God, then, to avoid the use of words in his teaching?
 それでは、神の教師は、自分が教える際に、言葉を用いるのを避けるべきなのでしょうか。

 No, indeed!
 いいえ、まったくそんなことはありません。

 There are many who must be reached through words, being as yet unable to hear in silence.
 静寂の中に聴き入ることがまだできないために、言葉を通して手を差し延べなければならない人たちがたくさんいるのです。

 The teacher of God must, however, learn to use words in a new way.
 とはいえ、神の教師は、言葉を新たなやり方で用いることを学ばなければなりません。

 Gradually, he learns how to let his words be chosen for him by ceasing to decide for himself what he will say.
 次第に、神の教師は、自分で何を言うべきか決めるのをやめることによって、自分が語るべき言葉を選んでもらうようにすることを学ぶようになります。

 This process is merely a special case of the lesson in the workbook that says, "I will step back and let Him lead the way."
 このプロセスは、単にワークブックが「私は一歩退いて、聖霊が先導してくれるようにする」とレッスンで言っていることを別な形で表現しているにすぎません。

 The teacher of God accepts the words which are offered him, and gives as he receives.
 神の教師は、自分に差し延べられた言葉を受け入れ、そして、自分が受け取ったように与えるのです。

 He does not control the direction of his speaking.
 神の教師は、自分が誰に向けて語るのか方向性をコントロールしようとはしません。

 He listens and hears and speaks.
 神の教師は、耳を澄まして、聴いたことを語ります。




5. A major hindrance in this aspect of his learning is the teacher of God's fear about the validity of what he hears.
 神の教師の学びのこの側面における最大の障害は、自分が耳にすることの正しさについて神の教師が恐れを抱いてしまうことです。

 And what he hears may indeed be quite startling.
 そして、彼が聞くことは、本当にきわめて驚愕するようなことであるかもしれません。

 It may also seem to be quite irrelevant to the presented problem as he perceives it, and may, in fact, confront the teacher with a situation that appears to be very embarrassing to him.
 彼の聞くことはまた、自分が直面している問題について、彼が自分なりに解釈しているところからすれば、まったく的外れに見えるかもしれません。それどころか、彼にとって非常に困惑させるように思える状況に教師を直面させることになるかもしれません。

 All these are judgments that have no value.
 このような彼の判断はすべて、何の価値もない判断だといえます。

 They are his own, coming from a shabby self-perception which he would leave behind.
 それらは、みすぼらしいちっぽけな自己認識に由来する彼自身の裁きです。そんな矮小な自己認識は、彼は背後に置いていくことになるものなのです。

 Judge not the words that come to you, but offer them in confidence.
 自分の許にやってくる言葉を価値判断せず、それらの言葉を確信をもって与えてください。

 They are far wiser than your own.
 それらの言葉は、あなた自身の言葉よりもずっと賢明さを備えたものなのです。

 God's teachers have God's Word behind their symbols.
 神の教師は、それらの言葉が象徴する背後に、それを支える神の言葉を得ているのです。

 And He Himself gives to the words they use the power of His Spirit, raising them from meaningless symbols to the Call of Heaven itself.
 そして、神自身は、それらの言葉を無意味な象徴から天国そのものへの呼びかけへと高めることによって、それらの言葉を受け取る者たちに、神の霊の力を与えて使えるようにしてくれているのです。



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