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T5-intro 癒しと全体性


テキスト第5章の序論です。




第5章の序論は、「癒しと全体性」というタイトルです。


短いですが、癒しの側面から簡潔にサンシップの本質を述べています。

聖書には「己を愛するが如く汝の隣人を愛せよ」(マタイによる福音書 /19章 19節、22章 39節)とあります。

「右の頬を打つ者があれば、左の頬も向けよ」(マタイによる福音書 / 5章 39節、ルカによる福音書 / 6章 29節)とともに、キリストの言葉が偽善的な処世訓として誤解されやすい聖句です。

はたして「敵」にいいように愚弄されてもへらへらしているような甘っちょろい「いい人」として生きよというのがイェシュアのメッセージだったなどということが考えられるでしょうか?

そんなはずはありません。

この序論では、
「It is impossible for a child of God to love his neighbour except as himself.
 神の子供にとって、隣人を自分自身として愛すること以外は不可能なのです。」
として、その理由が解説されます。

ただし、この序論では、核心部分までははっきりとは明言されません。

奇跡講座を読まれたり、このブログを読んでくださっている方にはおわかりと思いますが、「敵」に見えるような他者(兄弟)の真の姿は、実は(大いなる自己としての)自分だからということです。

自分とは分離した別人である敵や隣人を優しくあしらった方が、円満に遇してもらえて自分の利益になる可能性が高くて人生戦略として有益だからというのではなくて、単純に、自分と隔絶した他者に見えているだけで、実は自分自身なのだから、自分自身として大切に接しなければならないという至極当たり前なことを語っているということです。

この真理は、はたらく細胞的な観点で自分を赤血球や白血球に置き換えて想像してみれば、意外に理解できなくはないはずの理屈ではありますが、現に自分のアバターを攻撃してくる他者の現在の憎たらしい姿と過去の許しがたい行状の記憶、将来の恐れによって、私たちはいとも簡単に忘れ去ってエゴ・身体との同一化に縛られることになります。

とはいえ、他者の攻撃は愛と助けを求める兄弟の哀訴、自分を怒らせる他者は振り上げた剣を背けて自他を一緒に救う機会を与えてくれる救い主、といういつもの聖霊の愛の教えを心に留めているといないとでは、この真理を机上の空論ではなく、この世界で幸せになるという私たちの役目を果たすための実践的な道具として活用できるかどうかが大きく変わります。



2.「If fear and love cannot coexist, and if it is impossible to be wholly fearful and remain alive, the only possible whole state is that of love.
 もし恐れと愛が共存できないとすれば、そして、もし完全に恐怖に慄きながら生きながらえることが不可能だとすれば、唯一ありうる完全な状態とは愛に満ち溢れた状態だけです。」

この仕組みはよく理解しておく必要があります。

実在するのは、愛のみであり、光や生命、平安等実在の他の側面は愛がとる別の姿でしかありません。

実在には程度というものがないので、実在する大いなる光が幻想世界の中で個別の自己の中に「小さな閃光」として宿る状態でも、その光の質は同じままで、薄暗いひかりや燦然と光り輝く光というような多様性やレベル、程度差があるわけではありません。

世界でそのような多様性があるかのごとき様相を呈するのは、エゴ・身体というアバターが電球の覆いとなって同じ光に色を付けたり、光の向く方向を限定したり、光の量を制限したりするからでしかありません。

上の文の愛は光であり、恐れは電球に被せられた覆いです。

覆いが電球を完全に光を漏らせないほど包み込む状態はこの世界では死を意味するので、この世界でも完全に恐怖に陥ったままでは生きることはできません。

そうだとすれば、愛、光、生命の本来の自然な完全な状態は、恐れの覆いが一切被さっていない状態であり、光はすべて完全な光輝なのだから、覆いの取れた場合に唯一ありうる完全な状態は、愛に満ち溢れた状態のみだということになります。




末尾に癒しの祈りの言葉として次の言葉が紹介されます。

「Let me know this brother as I know myself.
 私が自分のことを知るように、私がこの兄弟を知ることができますように。」

意訳するなら、「私が、この兄弟のことを自分自身と同じひとつのものだと知ることができますように。」となります。

Chapter 5
HEALING AND WHOLENESS

第五章 癒しと全体性



Introduction
序論



1. To heal is to make happy.
 癒すことは、幸せにすることです。

 I have told you to think how many opportunities you have had to gladden yourself, and how many you have refused.
 私はあなたに、自分を喜ばせる機会をあなたがいかに数多く得ていたか、それなのに、いかに多くの機会をあなたがはねつけてきたか考えてみるようにと告げたことがあります。

 This is the same as telling you that you have refused to heal yourself.
 これは、あなたが自分を癒すのを拒んできたのだと言っているのと同じです。

 The light that belongs to you is the light of joy.
 あなたの宿す光は、喜びの光です。

 Radiance is not associated with sorrow.
 輝きが悲しみと結びつくことはありません。

 Joy calls forth an integrated willingness to share it, and promotes the mind's natural impulse to respond as one.
 喜びは、それを進んで分かち合おうするひとつに結び合わされた意欲を呼び起こします。そして、喜びは、それに呼応してひとつになろうとする心の自然な衝動を促進させます。

 Those who attempt to heal without being wholly joyous themselves call forth different kinds of responses at the same time, and thus deprive others of the joy of responding wholeheartedly.
 自分自身が完全な喜びに満ちた状態にないまま癒そうと試みる者たちは、同時に異なった種類の反応を呼び起こしてしまい、その結果、ほかの者たちから全身全霊で反応する喜びを奪ってしまいます。

名称未設定

2. To be whole-hearted you must be happy.
 全身全霊を傾けるには、あなたは幸福であらねばなりません。

 If fear and love cannot coexist, and if it is impossible to be wholly fearful and remain alive, the only possible whole state is that of love.
 もし恐れと愛が共存できないとすれば、そして、もし完全に恐怖に慄きながら生きながらえることが不可能だとすれば、唯一ありうる完全な状態とは愛に満ち溢れた状態だけです。

 There is no difference between love and joy.
 愛と喜びの間には、何の違いもありません。

 Therefore, the only possible whole state is the wholly joyous.
 それゆえ、唯一ありうる完全な状態とは、完全に喜びに満ち溢れた状態だけです。

 To heal or to make joyous is therefore the same as to integrate and to make one.
 したがって、癒すこと、つまり、喜ばせることは、結び合わせてひとつにすることと同じなのです。

 That is why it makes no difference to what part or by what part of the Sonship the healing is offered.
 それゆえに、神の子全体のうちの誰に対して癒しが差し延べられようが、誰によって癒しが差し延べられようが、そんなことは重要ではありません。

 Every part benefits, and benefits equally.
 癒しによって各自がみんな恩恵を被るのだし、それも、平等に恩恵を被るからです。



3. You are being blessed by every beneficent thought of any of your brothers anywhere.
 どこにいるどの兄弟であろうとも、そのあなたの兄弟の慈愛に富む思いの一つひとつによって、あなたは祝福されています。

 You should want to bless them in return, out of gratitude.
 そうであれば、その兄弟たちの思いに対して、あなたも感謝の念からお返しにその兄弟たちを祝福したいと思うはずです。

 You need not know them individually, or they you.
 あなたは、その兄弟を個人的に知る必要はないし、彼らも、あなたを個人的に知る必要はありません。

 The light is so strong that it radiates throughout the Sonship and returns thanks to the Father for radiating His joy upon it.
 その光は非常に強いので、神の子全体の隅から隅まで輝きを降り注ぎ、自らの喜びをみんなの上に振り注いでくれていることに対する神の子みんなからの感謝の念を大いなる父へと照らし返します。

 Only God's holy children are worthy channels of His beautiful joy, because only they are beautiful enough to hold it by sharing it.
 神の素晴らしい喜びを伝える使者となるにふさわしいのは神の聖なる子供たちだけです。なぜなら、ただ彼らだけが神の喜びを分かち合うことによって保持するに十分な素晴らしさを備えているからです。

 It is impossible for a child of God to love his neighbor except as himself.
 神の子供には、隣人を自分自身として愛することしかできません。

 That is why the healer's prayer is:
 ゆえに、癒す者の祈りは次のようになります。


Let me know this brother as I know myself.
私が自分自身を知るように、私がこの兄弟を知ることができますように。


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