There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

心理療法は職業たりうるか

0   0

心理療法の3.のIIの「心理療法は職業たりうるか」をご紹介します。




3. II. Is Psychotherapy a Profession?
 心理療法は職業か

1. Strictly speaking the answer is no.
 厳密に言うなら、その答えはノーです。

 How could a separate profession be one in which everyone is engaged?
 どうしてある個別の専門職が、誰もが従事する職業たりうるでしょうか。

 And how could any limits be laid on an interaction in which everyone is both patient and therapist in every relationship in which he enters?
 それに、自らの関わるどのような関係性においても、誰もが患者であるとともにセラピストでもあるとすれば、そのような交流にどうして何らかの制限を課することができるでしょうか。

 Yet practically speaking, it can still be said that there are those who devote themselves primarily to healing of one sort or another as their chief function.
 しかし、実践的に言うなら、それでも、自らの主要な役割として本来的に何らかの癒しに自らの献身を捧げる者たちが存在すると言うことができます。

 And it is to them that a large number of others turn for help.
 そして、そのような者たちの許へと、ほかの数多くの者たちが助けを求めて頼ることになります。

 That, in effect, is the practice of therapy.
 結果として、それが心理療法という仕事となります。

 These are therefore "officially" helpers.
 したがって、これらの者たちは「職業として」手助けする者たちということになります。

 They are devoted to certain kinds of needs in their professional activities, although they may be far
more able teachers outside of them.
 彼らは、自分たちの専門職としての活動の中で、特定の種類のニーズに奉仕することになります。もっとも、彼らはそのような活動領域以外の面におけるほうがより有能な教師でありうることもあります。

 These people need no special rules, of course, but they may be called upon to use special applications of the general principles of healing.
 もちろん、これらの者たちには特別なルールは必要ありません。しかし、彼らは癒しについての一般的な原理を特別に応用して用いることが必要になることもあります。


2. First, the professional therapist is in an excellent position to demonstrate that there is no order of difficulty in healing.
 まず、職業人としてのセラピストは、癒しには難易度の序列がないことを実証する絶好の立場にあるといえます。

 For this, however, he needs special training, because the curriculum by which he became a therapist probably taught him little or nothing about the real principles of healing.
 しかしながら、そのためには、彼は特別な訓練を積む必要があります。なぜなら、彼がセラピストになるために学んだカリキュラムはたぶん、彼に真の癒し原理についてほとんどあるいは何も教えてはくれなかったはずだからです。

 In fact, it probably taught him how to make healing impossible.
 それどころか、おそらくそのカリキュラムは彼に癒しを不可能にする方法を教えてしまっています。

 Most of the world's teaching follows a curriculum in judgment, with the aim of making the therapist a judge.
 世界の教えはたいてい、価値判断して裁くことを教えるカリキュラムに沿って、セラピストを評価して判断する者に仕立てることに狙いを定めています。



3. Even this the Holy Spirit can use, and will use, given the slightest invitation.
 こんなカリキュラムですら聖霊は活用できます。そして、ささやかな招待さえあれば、聖霊はそれを活用してくれるでしょう。

 The unhealed healer may be arrogant, selfish, unconcerned, and actually dishonest.
 癒されていない癒し主は、傲慢であったり、利己的であったり、他者に無関心であったり、実際は不正直であったりするかもしれません。

 He may be uninterested in healing as his major goal.
 彼は、癒しに対して、自分の最大の目標としての関心までは抱いていないかもしれません。

 Yet something happened to him, however slight it may have been, when he chose to be a healer, however misguided the direction he may have chosen.
 しかし、どんなに彼が進むべき進路について心得違いの選択をしてしまっていたとしても、彼が癒し主になると選択したとき、それがどんなに小さなものであったにせよ、何かが彼に起こったのです。

 That "something" is enough.
 その「何か」だけで十分です。

 Sooner or later that something will rise and grow; a patient will touch his heart, and the therapist will silently ask him for help.
 遅かれ早かれ、その何かが芽吹き、成長していくことでしょう。ある患者が彼の心の琴線に触れ、そのセラピストは静かにその患者に助けを求めることでしょう。

 He has himself found a therapist.
 彼自身、セラピストを見つけたのです。

 He has asked the Holy Spirit to enter the relationship and heal it.
 彼は聖霊にその関係の中に入って関係を癒してくれるように求めたのです。

 He has accepted the Atonement for himself.
 彼は自分自身のために贖罪を受け入れたのです。


4. God is said to have looked on all He created and pronounced it good.
 神は、自らの創造したすべてを見てそれを良きものと述べたと言われています。

 No, He declared it perfect, and so it was.
 これは違います。神はすべては完璧だと宣言したのであり、それゆえに、その通りになったのです。

 And since His creations do not change and last forever, so it is now.
 そして、神の創造物たちは不変で永遠に続くものなので、今もその通りです。

 Yet neither a perfect therapist nor a perfect patient can possibly exist.
 しかし、どうしたところで、完璧なセラピストも完璧な患者も存在しえません。

 Both must have denied their perfection, for their very need for each other implies a sense of lack.
 両者は自分の完璧さをすでに否認しているに違いないのです。というのも、彼らがお互いを必要としていること自体が彼らが欠乏を感じていることを示しているからです。

 A one-to-one relationship is not one Relationship.
 一対一の関係性は、唯一の大いなる関係とは異なります。

 Yet it is the means of return; the way God chose for the return of His Son.
 しかし、一対一の関係性は帰還のための手段であり、神がわが子を呼び戻すために選んだ道です。

 In that strange dream a strange correction must enter, for only that is the call to awake.
 そんな奇妙な夢の中には、奇妙な修正を導入しなければなりません。というのも、それだけが目覚めるようにとの呼びかけになるからです。

 And what else should therapy be?
 そして、治療とは、これ以外のどんなものでありうるでしょうか。

 Awake and be glad, for all your sins have been forgiven you.
 目覚めて喜びなさい。というのも、あなたのすべての罪はすでにあなたを赦しているからです。

 This is the only message that any two should ever give each other.
 これは、関係を結ぶどんな二人もがお互いに与えるべき唯一のメッセージです。



5. Something good must come from every meeting of patient and therapist.
 患者とセラピストの一つひとつの出会いからは、必ず何か良いものが生じます。

 And that good is saved for both, against the day when they can recognize that only that was real in their relationship.
 そして、その良いものは、彼らが自分たちの関係の中でそれだけが真に存在するものだと気づくことができるその日に備えて、両者のために取っておかれることになります。

 At that moment the good is returned to them, blessed by the Holy Spirit as a gift from their Creator as a sign of His Love.
 その瞬間において、その良きものは、聖霊によって彼らの大いなる創造主から創造主の大いなる愛の印を示す贈り物として祝福されて、彼らに返されます。

 For the therapeutic relationship must become like the relationship of the Father and the Son.
 というのは、治療のための関係は必ず、大いなる父と子の関係と同じものになるからです。

 There is no other, for there is nothing else.
 それ以外の関係性はありません。というのも、ほかには何も存在しないからです。

 The therapists of this world do not expect this outcome, and many of their patients would not be able to accept help from them if they did.
 この世界のセラピストは、このような成果を想定していないし、もし彼らがこのような成果を予期していたなら、彼らの患者の多くはセラピストからの助けを受け入れられることができないでしょう。

 Yet no therapist really sets the goal for the relationships of which he is a part.
 しかし、いかなるセラピストも実際には、自らが関与する関係性の目標を設定するわけではありません。

 His understanding begins with recognizing this, and then goes on from there.
 彼の理解は、このことを認識することから始まり、そのあとで、その認識から進んでいくことになります。



6. It is in the instant that the therapist forgets to judge the patient that healing occurs.
 癒しが起こるのは、セラピストが患者を価値判断して裁くことを忘れる瞬間においてです。

 In some relationships this point is never reached, although both patient and therapist may change their dreams in the process.
 ある関係においては、この地点には決して到達することはありません。それでも、患者とセラピストの両者は、その治療プロセスの中で自分たちの夢を変化させることはありえます。

 Yet it will not be the same dream for both of them, and so it is not the dream of forgiveness in which both will someday wake.
 しかし、それは両者にとって同じ夢にはならないので、その夢は、いつの日か両者が目覚めることになる赦しの夢ではありません。

 The good is saved; indeed is cherished.
 良いものは取り置かれて、本当に大切にされます。

 But only little time is saved.
 しかし、ただほんのわずかな時間が節約されるだけです。

 The new dreams will lose their temporary appeal and turn to dreams of fear, which is the content of all dreams.
 新たな夢は一時的な魅力を失って、夢の中身が恐怖だけの恐れの夢へと転じてしまいます。

 Yet no patient can accept more than he is ready to receive, and no therapist can offer more than he believes he has.
 しかし、いかなる患者も自らの受け取る準備のできている以上に受け入れることはできないし、いかなるセラピストも自分が持っていると信じている以上に与えることはできません。

 And so there is a place for all relationships in this world, and they will bring as much good as each can accept and use.
 だから、この世界では、あらゆる関係性のための場所が存在し、すべての関係は各自が受け入れて使うことのできるかぎりの善をもたらします。


7. Yet it is when judgment ceases that healing occurs, because only then it can be understood that there is no order of difficulty in healing.
 しかし、癒しが起こるのは価値判断して裁かなくなったときです。なぜなら、そのときにのみ、癒しには難しさの序列がないということが理解できるからです。

 This is a necessary understanding for the healed healer.
 癒しに難易度の序列がないことは、癒された癒し主にとって必須の理解です。

 He has learned that it is no harder to wake a brother from one dream than from another.
 彼は、ある兄弟をある夢から目覚めさせることが別の夢から目覚めさせるよりも難しいわけではないと学んだのです。

 No professional therapist can hold this understanding consistently in his mind, offering it to all who come to him.
 セラピストを職業とする者で、この理解を一貫して自らの心に保ち、この理解を自らの許に訪れるすべての者たちに差し延べることのできる者は誰もいません。

 There are some in this world who have come very close, but they have not accepted the gift entirely in order to stay and let their understanding remain on earth until the closing of time.
 時間の終結まで居残って地上にこの理解が留まるために、この贈り物を完全に受け入れてはいないにせよ、この世界においても、上記の水準にきわめて接近した者はいくらかはいます。

 They could hardly be called professional therapists.
 彼らはもはや職業セラピストなどとは呼べない存在です。

 They are the Saints of God.
 彼らは神の聖徒なのです。

 They are the Saviors of the world.
 彼らは大いなる救世主です。

 Their image remains, because they have chosen that it be so.
 彼らがそうすることを選択したがゆえに、彼らの姿は地上に留まっています。

 They take the place of other images, and help with kindly dreams.
 彼らは、ほかの多様な姿の代わりになるものとして、優しい夢とともに助けるのです。



8. Once the professional therapist has realized that minds are joined, he can also recognize
that order of difficulty in healing is meaningless.
 いったん職業的なセラピストが個々の心がひとつに結ばれていることに気づいたら、彼はまた、癒しにおける難易度の序列には意味がないということにも気づくことになります。

 Yet well before he reaches this in time he can go towards it.
 しかし、時間の中で彼がこの認識に到達するかなり前から、彼はそれに向けて進むことができます。

 Many holy instants can be his along the way.
 彼はその過程で、数多くの神聖な瞬間を自分のものにすることができます。

 A goal marks the end of a journey, not the beginning, and as each goal is reached another can be dimly seen ahead.
 ある目標はある旅路の始まりではなく終わりの印となり、それぞれの目標に到達するつど、別の目標が前方におぼろげに見えてきます。

 Most professional therapists are still at the very start of the beginning stage of the first journey.
 ほとんどの職業セラピストたちは、まだ最初の旅路の始まりの段階の本当に出だしの地点に留まっています。

 Even those who have begun to understand what they must do may still oppose the setting-out.
 たとえ自分がなすべきことを理解しはじめた者たちですら、なお出発することに抵抗するかもしれません。

 Yet all the laws of healing can be theirs in just an instant.
 しかし、彼らは、癒しの法則のすべてをほんの一瞬のうちに自分のものにできます。

 The journey is not long except in dreams.
 その旅路は、長いものではありません。長く思えるのは、夢の中でだけのことです。


9. The professional therapist has one advantage that can save enormous time if it is properly used.
 職業人としてのセラピストは、もしそれを適切に用いるなら、途方もない時間を節約できるひとつの優位性を持っています。

 He has chosen a road in which there is great temptation to misuse his role.
 彼は、自分の役割を誤用する大きな誘惑に駆られる道を選んだのです。

 This enables him to pass by many obstacles to peace quite quickly, if he escapes the temptation to assume a function that has not been given him.
 この選択は、もし彼が自分には与えられていない役割を引き受けたいという誘惑から逃れることができたら、平安に至るうえでの障害をきわめて速やかに通り過ぎることを可能にします。

 To understand there is no order of difficulty in healing, he must also recognize the equality of himself and the patient.
 癒しには難しさの序列がないことを理解するためには、彼はまた、自分自身と患者との対等性を認識しなければなりません。

 There is no halfway point in this.
 このことに中間地点はありません。

 Either they are equal or not.
 彼らは対等であるか対等でないか、そのどちらかです。

 The attempts of therapists to compromise in this respect are strange indeed.
 この点について妥協を図ろうとするセラピストの試みは、実に異様なものになります。

 Some utilize the relationship merely to collect bodies to worship at their shrine, and this they regard as healing.
 ある者は、自らの神殿で崇拝する身体たちを集めるためだけに関係を利用し、このことを癒しであるとみなします。

 Many patients, too, consider this strange procedure as salvation.
 多くの患者たちもまた、この奇妙な過程を救済だと考えます。

 Yet at each meeting there is One Who says, "My brother, choose again."
 しかし、一つひとつの出会いの中には聖霊がいて、「私の兄弟よ、再び選び直しなさい。」と言っています。



10. Do not forget that any form of specialness must be defended, and will be.
 いかなる種類の特別性も防衛を要し、防衛されることになることを忘れないでください。

 The defenseless therapist has the strength of God with him, but the defensive therapist has lost sight of the Source of his salvation.
 無防備なセラピストは神からの力を備えています。しかし、防衛的なセラピストは自らの救済の大いなる源を見失っています。

 He does not see and he does not hear.
 彼は見てはいないし聞いてもいません。

 How, then, can he teach?
 そうだとしたら、どうやって彼は教えることができるのでしょう。

 Because it is the Will of God that he take his place in the plan for salvation.
 それは、救済のための計画において彼が自分の持ち場に就くことが神の大いなる意志だからです。

 Because it is the Will of God that his patient be helped to join with him there.
 それは、彼の患者がそこで彼とひとつに結ばれるように助けられることが神の大いなる意志だからです。

 Because his inability to see and hear does not limit the Holy Spirit in any way.
 それは、彼が見ることも聞くこともできないことが、聖霊をどのようにも制限しないことになるからです。

 Except in time.
 もっとも、時間の中では別です。

 In time there can be a great lag between the offering and the acceptance of healing.
 時間の中では、癒しを差し延べることと受け入れることの間には、大きな遅延がありえます。

 This is the veil across the face of Christ.
 これがキリストの顔にかけられたヴェールです。

 Yet it can be but an illusion, because time does not exist and the Will of God has always been exactly as it is.
 しかし、それは単なる幻想でしかありえません。なぜなら、時間は存在せず、神の大いなる意志はつねにまったくありのままだからです。
関連記事

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://thereisnospoon.jp/tb.php/796-bb4e03b1
該当の記事は見つかりませんでした。