FC2ブログ

There Is No Spoon

ARTICLE PAGE

P3-II 心理療法は職業たりうるか


心理療法の3.のIIの「心理療法は職業たりうるか」をご紹介します。




すべての人は心を病んだ病人であり、各自が関わりを持つ者同士で、お互いに患者癒し主の役割を果たしながら本当の自分が何者なのかという自覚、正気を取り戻すための貢献をなすのであり、その意味で、すべての人間関係は心理療法を行う関係性となりえます。

つまり、心理療法は、意識していようがいまいが、万民が担う任務だといえます。

私たちは誰もが、これまでの人生を振り返れば、人生で出会う誰かとの関係性や起こる出来事によって癒しを与えられるチャンスをもらっていたことを実感できます。

交際相手や配偶者から暴力を振るわれるとか浮気をされるといった、いつも同じパターンで破局を繰り返す人間関係のドラマを演じる人生が続く場合、本人は意識の奥底に封印して忘れているけれど、癒されないままになっている幼少期に味わった性的虐待によるトラウマであるとか親から愛情を与えられなかったという思いが、癒しを求めてそれにふさわしい役者と舞台を用意して、その舞台上で、癒しにつながる劇が首尾よく上演されることを待っているとしか思えないようなことがあります。


このように、すべての人は、自分が関わりを持つ誰かとの関係において、患者となりセラピストとなるわけですが、心理療法という形で真正面から癒しに焦点を当てて、直接自分の人生の時間を捧げる人たちもいます。

このような職業として心理療法に携わる人には、現代日本でも、精神科医師、心療内科医、公認心理士、精神保健福祉士、社会福祉士といった公的資格、臨床心理士、認定心理士、メンタルカウンセラー、産業カウンセラー等の民間資格の保有者だけでなく、心理療法に関わる業務は、業務独占資格とはされていないため、自称心理カウンセラーとして活動する人も多くいらっしゃいます。

宗教家や学校の教育者が信者や生徒に対してセラピストとしての役割を果たすことも多いでしょう。

成人の場合、自己啓発セミナー等で心理療法的なやりとりが起こることもあるでしょう。


さて、医師や薬剤師は免許制で資格がなければ業務に従事できません。

身体に関する治療については厳しく知識や技能を要求しながら、心理面に関してまったく規制のないことについては、従来は誰も疑問を抱きませんでした。

誰もが自分が心を持っていることはわかり、内面を深く探求しなくても、平常時は、心は問題なく働いてくれるので、心の仕組みを知る必要を感じないし、誰しも、心は形がないので、透明なジェルのようなものとしてのイメージくらいしか持つことができず、うつ状態になっても、身体のように特定の臓器が不具合を起こしているというのとは違って放っておくしかないし、時間が経てば、こわばったり、濁っていたジェルも柔軟性を取り戻し、透明に戻ってくるという素朴な感覚を持っているので、心については特に身体のようなケアや治療は必要ないように感じてしまいます。

しかし、目に見えない心や精神、魂や霊といった領域は、人類にとっていまだに未開の地であるということだけは明らかであっても、心が身体よりも守るべき必要が乏しいという見解には何の根拠もありません。

むしろ、心は、人類の長い歴史にもかかわらず、いまだにまともに役に立つ地図もなく、へたに足を踏み入れると富士の樹海のように、コンパスが効かず、迷い込んで容易に戻ってこられない場所です。

ここ数十年で、オウム真理教事件によって洗脳やマインドコントロールという言葉が一般的になり、心の仕組みを悪用すれば、乗り物をハイジャックするように他者を乗っ取って操縦することもできてしまうということが示され、また、社会一般において、心の病気についての嫌悪感、忌避感が小さくなり、以前よりは正しい認知も深まってきてはいます。

そして、IT技術の進展によって、私たちは、人の心や精神のアナロジーとして、パソコンのハードとソフトの関係性やインターネット、各種SNS、ネットゲーム等を材料にして、自分たちの心もこのように働いているのかもしれないとアナロジーによって理解する材料が増えて、理解の素地ができてきました。

世界はようやく心という未開の地を開拓しはじめる段階に入りつつあるといえるでしょう。

物質文明の進展具合と比較すると、心理の世界は、原始時代にとどまるくらいの遅れでしょう。

しかし、奇跡のコースは、この未開の地を切り開く地図となり、つねに真北を指し示すコンパスとなります。





3. II. Is Psychotherapy a Profession?
 心理療法は職業か



1. Strictly speaking the answer is no.
 厳密に言うなら、その答えはノーです。

 How could a separate profession be one in which everyone is engaged?
 誰もがみな携わる仕事だというのに、どうしてそれをひとつの分野に特化した専門職と呼べるでしょうか。

 And how could any limits be laid on an interaction in which everyone is both patient and therapist in every relationship in which he enters?
 それに、自らの関わるどのような関係性においても、誰もが患者であると同時にセラピストでもあるとすれば、そのような交流に少しでも制限を課すことなど、どうしてできるでしょうか。

 Yet practically speaking, it can still be said that there are those who devote themselves primarily to healing of one sort or another as their chief function.
 とはいえ、実際的に言って、とりわけ何らかの癒しに自分自身を捧げることを自らの主な任務とする者たちが存在すると言って差し支えありません。

 And it is to them that a large number of others turn for help.
 そして、ほかの数多くの者たちは、助けを求めてそのような者たちに頼ってきます。

 That, in effect, is the practice of therapy.
 結果として、それが心理療法という仕事となります。

 These are therefore "officially" helpers.
 したがって、これらの者たちは「職務として」手助けする者たちということになります。

 They are devoted to certain kinds of needs in their professional activities, although they may be far
more able teachers outside of them.
 彼らはそのような自らの専門職としての活動領域以外の面におけるほうがより有能な教師である場合もありますが、彼らは、自分たちの専門職としての活動の中で、特定の種類のニーズに奉仕することになります。

 These people need no special rules, of course, but they may be called upon to use special applications of the general principles of healing.
 もちろん、これらの者たちには特別なルールは必要ありません。しかし、彼らは癒しについての一般的な原理を特別に応用して役立てるよう求められることもあるでしょう。



2. First, the professional therapist is in an excellent position to demonstrate that there is no order of difficulty in healing.
 まず、職業人としてのセラピストは、癒し難易度の序列が存在しないことを実証することのできる絶好の立場にあります。

 For this, however, he needs special training, because the curriculum by which he became a therapist probably taught him little or nothing about the real principles of healing.
 しかしながら、そのためには、彼は特別な修練を積む必要があります。なぜなら、彼がセラピストになるために学んだカリキュラムはたぶん、彼に真の癒し原理について、ほとんどあるいは何も教えてはくれなかったはずだからです。

 In fact, it probably taught him how to make healing impossible.
 それどころか、多くの場合、そのカリキュラムは彼に癒しを不可能にする方法を教えてしまっているはずです。

 Most of the world's teaching follows a curriculum in judgment, with the aim of making the therapist a judge.
 世界の教えはたいてい、価値判断して裁くことを教えるカリキュラムに沿って、セラピストを評価して判断する者に仕立てることに狙いを定めているからです。



3. Even this the Holy Spirit can use, and will use, given the slightest invitation.
 それでも、こんなカリキュラムですら聖霊は活用できるし、ささやかな招待さえあれば、聖霊は現にそれを活用してくれるでしょう。

 The unhealed healer may be arrogant, selfish, unconcerned, and actually dishonest.
 癒されていない癒し主は、傲慢であったり、利己的であったり、他者に無関心であったり、実のところ不正直であったりするかもしれません。

 He may be uninterested in healing as his major goal.
 彼は、自分の重要な目標に据えるほどまでは、癒しに興味を持っていないかもしれません。

 Yet something happened to him, however slight it may have been, when he chose to be a healer, however misguided the direction he may have chosen.
 しかし、どんなに彼が選んだ進路が間違ったものだったとしても、彼が癒し手になろうと選択したとき、それがどんなに小さなものであったにせよ、彼に何かが起こったのです。

 That "something" is enough.
 その「何か」だけで十分です。

 Sooner or later that something will rise and grow; a patient will touch his heart, and the therapist will silently ask him for help.
 遅かれ早かれ、その何かが芽吹き、成長してゆくでしょう。ある患者が彼の心の琴線に触れ、そのセラピストは静かにその患者に助けを求めるようになるでしょう。

 He has himself found a therapist.
 彼自身、セラピストを見つけたのです。

 He has asked the Holy Spirit to enter the relationship and heal it.
 彼は聖霊にその関係の中に入って関係を癒してくれるように求めたのです。

 He has accepted the Atonement for himself.
 彼は自分自身のために贖罪を受け入れたのです。



4. God is said to have looked on all He created and pronounced it good.
 神は、自らの創造したすべてを見てそれを良きものと述べた、と言われています。

 No, He declared it perfect, and so it was.
 しかし、これは違います。神はすべては完璧だと宣言したのであり、それゆえに、その通りになったのです。

 And since His creations do not change and last forever, so it is now.
 そして、神の創造物たちは不変で永遠に続くものなので、今もその通り完璧なままです。

 Yet neither a perfect therapist nor a perfect patient can possibly exist.
 しかし、どうしたところで、この地上では完璧なセラピストも完璧な患者も存在しえません。

 Both must have denied their perfection, for their very need for each other implies a sense of lack.
 彼らがお互いを必要としていること自体が彼らが欠乏を感じていることを示しているわけで、両者は自分の完璧さをすでに否認しているに違いないからです。

 A one-to-one relationship is not one Relationship.
 一対一の人間関係は、神と子の唯一の大いなる関係とは違います。

 Yet it is the means of return; the way God chose for the return of His Son.
 しかし、一対一の人間関係こそ、帰還のための手段であり、神がわが子を呼び戻すために選んだ道です。

 In that strange dream a strange correction must enter, for only that is the call to awake.
 そんな奇妙な夢の中には、奇妙な修正を導入しなければなりません。というのも、それだけが目覚めるようにとの呼びかけになるからです。

 And what else should therapy be?
 そして、治療がこれ以外のどんなものになりうるでしょうか。

 Awake and be glad, for all your sins have been forgiven you.
 目を覚まして喜びなさい。というのも、あなたはすべての罪を赦されているからです。

 This is the only message that any two should ever give each other.
 これは、どんなふたりであれ、関係を結ぶ者たちがお互いに与えるべき唯一のメッセージです。



5. Something good must come from every meeting of patient and therapist.
 患者とセラピストの一つひとつの出会いからは、必ず何か良いものが生じます。

 And that good is saved for both, against the day when they can recognize that only that was real in their relationship.
 そして、その良いものは、彼らが自分たちの関係の中でそれだけが本物だったと気づくことができるその日に備えて、両者のために取り置いてもらえます。

 At that moment the good is returned to them, blessed by the Holy Spirit as a gift from their Creator as a sign of His Love.
 その瞬間において、その良きものは、彼らの創造主の大いなる愛の印を示す創造主からの贈り物として聖霊によって祝福されて、彼らに返されます。

 For the therapeutic relationship must become like the relationship of the Father and the Son.
 というのは、治療のための関係は必ず、大いなる父と子の関係と同じものになるからです。

 There is no other, for there is nothing else.
 それ以外の関係性はありません。というのも、ほかには何も存在しないからです。

 The therapists of this world do not expect this outcome, and many of their patients would not be able to accept help from them if they did.
 この世界のセラピストたちは、このような成果を想定していないし、もしセラピストがこのような成果を予期していたなら、彼らの患者の多くはセラピストからの助けを受け入れることができないでしょう。

 Yet no therapist really sets the goal for the relationships of which he is a part.
 しかし、いかなるセラピストも実際には、自らが関与する関係性の目標を設定するわけではありません。

 His understanding begins with recognizing this, and then goes on from there.
 彼の理解は、このことを認識することから始まり、そのあとで、その認識から進んでゆくことになります。



6. It is in the instant that the therapist forgets to judge the patient that healing occurs.
 癒しが起こるのは、セラピストが患者を価値判断して裁くことを忘れる瞬間です。

 In some relationships this point is never reached, although both patient and therapist may change their dreams in the process.
 この地点に決して到達しない関係もあります。それでも、その治療プロセスの中で、患者とセラピストの両者は自分たちの夢を変化させることはあるかもしれません。

 Yet it will not be the same dream for both of them, and so it is not the dream of forgiveness in which both will someday wake.
 しかし、それは両者にとって同じ夢にはならないので、その夢は、いつの日かその中で両者が目覚めることになる赦しの夢ではありません。

 The good is saved; indeed is cherished.
 良いものは取り置かれて、本当に大切にされます。

 But only little time is saved.
 しかし、ただほんのわずかな時間が節約されるだけです。

 The new dreams will lose their temporary appeal and turn to dreams of fear, which is the content of all dreams.
 新たな夢は一時的な魅力を失って、恐れの夢へと転じてしまいます。どんな夢も恐怖でできているからです。

 Yet no patient can accept more than he is ready to receive, and no therapist can offer more than he believes he has.
 しかし、いかなる患者も自ら受け取る準備ができている以上に受け入れることはできないし、いかなるセラピストも自分が持っていると信じている以上に与えることはできません。

 And so there is a place for all relationships in this world, and they will bring as much good as each can accept and use.
 だから、この世界では、あらゆる関係性のための場所が存在し、すべての関係は各自が受け入れて使うことのできるかぎりの善をもたらします。



7. Yet it is when judgment ceases that healing occurs, because only then it can be understood that there is no order of difficulty in healing.
 しかし、癒しが起こるのは価値判断して裁かなくなったときです。なぜなら、そのときにだけ、癒しには難しさの序列がないことが理解できるからです。

 This is a necessary understanding for the healed healer.
 癒された癒し主となるために必ず理解していなければならないのは、癒しに難易度の序列がないことです。

 He has learned that it is no harder to wake a brother from one dream than from another.
 彼は、ある兄弟をある夢から目覚めさせることが別の夢から目覚めさせるよりも難しいわけではないと学んだのです。

 No professional therapist can hold this understanding consistently in his mind, offering it to all who come to him.
 セラピストを職業とする者でも、自らの心にこの理解を一貫して保持して、この理解を自らの許に訪れるすべての者たちに差し延べることのできる者はひとりもいません。

 There are some in this world who have come very close, but they have not accepted the gift entirely in order to stay and let their understanding remain on earth until the closing of time.
 この境地にきわめて近いところまで到達した者は、この世界にもいくらかはいます。もっとも、彼らは、時間が終わるまで居残って自らの理解を地上に留めるために、この贈り物を完全に受け入れはしなかったのです。

 They could hardly be called professional therapists.
 彼らはもはや職業セラピストなどとは呼べない存在です。

 They are the Saints of God.
 彼らは偉大なる神の聖徒です。

 They are the Saviors of the world.
 彼らは大いなる救世主たちです。

 Their image remains, because they have chosen that it be so.
 彼らがそうすることを選択したがゆえに、彼らの聖像は地上に留まっています。

 They take the place of other images, and help with kindly dreams.
 彼らは、ほかの多様な偶像に取って代わって、優しい夢で助けるのです。



8. Once the professional therapist has realized that minds are joined, he can also recognize that order of difficulty in healing is meaningless.
 いったん職業的なセラピストが個々の心がひとつに結ばれていることに気づいたら、彼はまた、癒しに難易度の序列があるということが無意味だとわかるようになります。

 Yet well before he reaches this in time he can go towards it.
 しかし、彼が時間の中でこの認識に到達するかなり前から、彼はそれに向けて進むことができます。

 Many holy instants can be his along the way.
 彼はその過程で、数多くの神聖な瞬間を自分のものにすることができます。

 A goal marks the end of a journey, not the beginning, and as each goal is reached another can be dimly seen ahead.
 ある目標はある旅路の始まりではなく終わりの印となり、それぞれの目標に到達するつど、別の目標が前方におぼろげに見えてきます。

 Most professional therapists are still at the very start of the beginning stage of the first journey.
 ほとんどの職業セラピストたちは、まだ最初の旅路の始まりの段階の本当に出だしの地点に留まっています。

 Even those who have begun to understand what they must do may still oppose the setting-out.
 たとえ自分がなすべきことを理解しはじめた者たちですら、なお出発することに抵抗するかもしれません。

 Yet all the laws of healing can be theirs in just an instant.
 それでも、彼らには、癒しの法則のすべてをほんの一瞬のうちにわがものにすることができるのです。

 The journey is not long except in dreams.
 というのも、その旅路が長いものになるのは、ただ夢の中だけのことだからです。



9. The professional therapist has one advantage that can save enormous time if it is properly used.
 職業セラピストにはひとつの役得があり、もしそれを適切に用いるなら、途方もない時間を節約できます。

 He has chosen a road in which there is great temptation to misuse his role.
 それは、彼が自分の役割を誤用する大きな誘惑にさらされる道を選んだがゆえです。

 This enables him to pass by many obstacles to peace quite quickly, if he escapes the temptation to assume a function that has not been given him.
 この選択は、もし彼が自分には与えられていない役割を引き受けたいという誘惑から逃れることができたら、平安に至るうえでの障害をきわめて速やかに通り過ぎることを可能にします。

 To understand there is no order of difficulty in healing, he must also recognize the equality of himself and the patient.
 癒しには難しさの序列がないことを理解するためには、彼はまた、自分自身と患者との対等性を認識しなければなりません。

 There is no halfway point in this.
 この対等性に中間地点はありません。

 Either they are equal or not.
 彼らは対等であるか対等でないか、そのどちらかです。

 The attempts of therapists to compromise in this respect are strange indeed.
 この点について妥協を図ろうとするセラピストの試みは、実に異様なものになります。

 Some utilize the relationship merely to collect bodies to worship at their shrine, and this they regard as healing.
 ある者は、自らの神殿で崇拝する身体たちを集めるためだけに関係性を利用し、彼らはこれを癒しとみなします。

 Many patients, too, consider this strange procedure as salvation.
 多くの患者たちもまた、この奇妙な過程を救済だと考えます。

 Yet at each meeting there is One Who says, "My brother, choose again."
 しかし、一つひとつの出会いの中には聖霊がいて、「私の兄弟よ、もう一度、選び直しなさい」と言っています。



10. Do not forget that any form of specialness must be defended, and will be.
 いかなる種類の特別性も防衛を要し、防衛されることになることを忘れないでください。

 The defenseless therapist has the strength of God with him, but the defensive therapist has lost sight of the Source of his salvation.
 無防備なセラピストは神に由来する力を備えています。しかし、防衛的なセラピストは自らの救済の大いなる源を見失っています。

 He does not see and he does not hear.
 彼は見てはいないし、聞いてもいません。

 How, then, can he teach?
 そうだとしたら、どうやって彼は教えることができるのでしょう。

 Because it is the Will of God that he take his place in the plan for salvation.
 彼が教えることができるのは、救済のための計画において彼が自分の持ち場に就くことが神の大いなる意志だからです。

 Because it is the Will of God that his patient be helped to join with him there.
 それは、彼の患者が助けを受けて、そこで彼とひとつに結ばれることが神の大いなる意志だからです。

 Because his inability to see and hear does not limit the Holy Spirit in any way.
 それは、たとえ彼には見ることも聞くこともできないとしても、聖霊はそんなことによっては少しも制限されないからです。

 Except in time.
 もっとも、時間の中では話は別です。

 In time there can be a great lag between the offering and the acceptance of healing.
 時間の中では、癒しが差し延べられてから受け入れられるまでの間には、大きな遅延がありえます。

 This is the veil across the face of Christ.
 これがキリストの顔にかけられたヴェールです。

 Yet it can be but an illusion, because time does not exist and the Will of God has always been exactly as it is.
 しかし、それは単なる幻想でしかありえません。なぜなら、時間は存在せず、神の大いなる意志はつねにまったくありのままだからです。


次

関連記事
セラピスト癒し患者難易度の序列関係原理カリキュラム

Comments 0

Leave a reply