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There Is No Spoon

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S1-4 他者とともに祈る




他者を視した状態での祈りの段階にとどまる間は、祈りが共有されることはありえません。

というのも、同士になるには、両者が目的を異にしている必要があるからです。

各自が望むことが異なることが両者の衝突、対を可能にします。

この段階から次の段階に進むために必要な心構えの変化は、

私たちはひとりきりではなく一緒に進むのだと考えるようになることです。

そうなると、それまでは自分の利益のために祈っていたけれど、これからは他者を祈りによって助けることができるようになります。

そして、他者と一緒に祈ることができたとしても、どうしても具体的な物事を求めてしまいがちになります。

その場合、目標を共有しているという錯覚は得られはします。

けれど、そのとき共有しているのは、原因のない結果であり、真に祈りを共有しているとはいえず、求めたものを得ることはできません。

したがって、一緒に祈る場合には、何をさておき、大いなる原因である神の意志を分かち合うようにしなければなりません。

というのも、すべての具体的な必要性に駆られての未熟な祈りの根本には、愛を求める呼び声があり、それが欠乏や必要という多様な形で現れているだけだからです。

具体的な必要という形は、過去の成功体験や他者の成功事例という過去に基づく自分を幸福にしてくれるはずだという幻想です。

過去の自分や他者にとってはまさに大いなる愛を差し延べて神の意志とひとつになる真の祈りの達成であったその成功例でのニーズは、今の自分にとってふさわしい形とは限りません(むしろ違うことのほうが多いでしょう)。

真の祈りに必要なのは、このような過去の幻想の鎖から自由になること、つまり、自分でひとり決めしている現在の自分の欠乏状態を満たしたり、理想の自分になるために必要な具体的な物事に縛られることなく、具体的な物事は聖霊に捧げて忘れ、自分の具体的な求めと究極の本質である神の愛への憧れとの間を結ぶラインを思い描き、そこにある自分の魂のニーズとはどんなものなのだろうと考えてみることです。

そうすれば、かつての具体的な物事に縛られていた自分からすれば、え、こんなにも素晴らしいものをこんなにもたくさん!?と言いたくなるような思いがけない形で祈りへの答えが与えられることになります。

たとえば、多感な年頃の若者が自分の容姿が気に入らず、美容整形で自分の容姿を憧れの芸能人の誰それさんのようにしたいという願望を抱き、親に相談し、親も愛するわが子の悩みが解消されるならと協力関係にあるような場合を考えてみましょう。

彼ら親子は、腕のいい整形外科を見つけて失敗することなく思い通り手術に成功して、美しい容姿で自信満々で新たな人生を送れるようにと祈ります。

この祈りが具体的な物事に縛られた制限された祈りであったなら、仮に手術が成功しても、当初は幸せに感じても、そのうち、外貌に対するコンプレックスが形を変えて吹き出してきて、今度は、別の部位の美容整形をしたいという欲求に囚われて、美容整形を繰り返す人生となって親も子供に泣きつかれて財産を使い果たし、困窮した余生が待っているかもしれません。
あるいは、手術が失敗して子供はより強い形で自分の容姿コンプレックスと向き合う機会に直面し、残りの人生を自宅に引きこもって過ごし、こんな容姿になったのは、相談したときに思いとどまらせるどころか応援した親のせいだと親を非難して、親子でいがみ合う人生が待っているかもしれません。

いずれも(前者は具体的な物事という形のニーズ自体の面では祈り通りの成功のように見えはしますが)この親子を幸せにはしていません。

この世界での人生があの世で魂が決めた筋書きを上演するためにあるとしたらどうでしょう。

すなわち、ゲーム世界に参入する前にプレイヤーが自分の操作するアバターの性別や容姿や能力等の様々なパラメーターを自分で選択してからゲームを始めるように、魂がこの世界に人間として参入するに際しても、自分の人生の青写真を決め、一緒にゲームをプレイする仲間たちとの約束を決めるだけでなく、それらの筋書きを効果的に実演できるように、自分がなりきる人間の性別や容姿や能力や性格等をすべて自分で決定してから人生を始めるのだとすれば、容姿コンプレックスの裏側には、必ず、何らかの魂の求める訴えが潜んでいることになります。

前世で美しい容姿を誇って生き、容姿に自信のない友人に醜いと心ない言葉をかけて貶して自殺に追い込んでしまったことを悔いた魂が自他一体の真理に到達する上で自分の外観に囚われて価値を判断してしまう魂の特性を矯正することを課題としてその人生を設計していたとしたら、美容整形を受ける願望は、この課題を学ぶ機会を自ら放棄する祈りとなります。

その場合、上に述べたよう成り行きで、いずれにせよ、人生を通じてより逃げようのない形でこの課題に直面することになりがちです。

この親子がなすべき祈りは、子供の容姿コンプレックスが美容整形で無事解消しますように、という具体的な物事の形ではなく、私たち親子はこの具体的な願望を通して神の愛に到達するために何を達成しようとしているのだろうと考え、ひとまず具体的な願望は聖霊に渡して、聖霊にこの問題についての神の意志を教えてほしいと求めることです。

聖霊の答えが、当初の願望の通り美容整形に成功することであることもあるでしょう。ただし、上記のような課題を抱える魂の場合にこれが真の祈りの成果となることは少ないかもしれません。

この課題の場合であれば、親子で協力して悩みに取り組み、子供が個性として自分の容姿を受け入れることができるようになり、今の容姿が好きだという異性からのアプローチを受けて交際しているうちに、容姿コンプレックスが消え去ってしまったというような成果が待っているかもしれません。






1.- IV. Praying With Others
 他者とともに祈る



1. Until the second level at least begins, one cannot share in prayer.
 少なくとも第二段階が始まるまでは、誰も祈りを分かち合うことはできません。

 For until that point, each one must ask for different things.
 というのは、この地点までは、誰もがそれぞれに異なる物事を求めてしまうはずだからです。

 But once the need to hold the other as an enemy has been questioned, and the reason for doing so has been recognized if only for an instant, it becomes possible to join in prayer.
 しかし、ひとたび他者をのままにしておく必要に疑問を呈したなら、そして、もしたった一瞬でも、そのように疑問を抱く理由を認識したなら、祈りにおいてひとつに結ばれることが可能となります。

 Enemies do not share a goal.
 同士は目標を共有していません。

 It is in this their enmity is kept.
 同士の意は、両者が目標を共有しないことによって保たれるわけだからです。

 Their separate wishes are their arsenals; their fortresses in hate.
 彼らの分離した願望こそが彼らの兵器庫であり、彼らの憎しみの要塞なのです。

 The key to rising further still in prayer lies in this simple thought; this change of mind:
 これより先に祈りが昇り続けるための鍵となるのは、次の単純な思考であり、それは心構えの変化です。


We go together, you and I.
それは、私たちは、あなたと私で一緒に進むのだということです。



2. Now it is possible to help in prayer, and so reach up yourself.
 いまや、祈りによって助けることは可能であり、あなた自身を上に昇らせることができます。

 This step begins the quicker ascent, but there are still many lessons to learn.
 この段階からは、昇るスピードが速まり始めますが、なおも、学ぶべき多くの課題があります。

 The way is open, and hope is justified.
 その道は開けており、希望を抱くことができます。

 Yet it is likely at first that what is asked for even by those who join in prayer is not the goal that prayer should truly seek.
 しかし、初めのうちは、たとえ祈りにおいて結ばれた者たちですら、祈りが真に求めるべき目標ではないものを求めがちです。

 Even together you may ask for things, and thus set up but an illusion of a goal you share.
 たとえ一緒に祈るにしても、あなたたちは物事を求めてしまい、そうすることで、単に自分たちが目標を共有しているという錯覚を作り出すだけかもしれません。

 You may ask together for specifics, and not realize that you are asking for effects without the cause.
 あなたたちは、一緒に具体的なものを求めていて、自分たちが原因のない結果を求めているのだと気づかないこともあります。

 And this you cannot have.
 そして、あなたたちは、このようにして求めたものを得ることはできません。

 For no one can receive effects alone, asking a cause from which they do not come to offer them to him.
 というもは、結果を生み出すことのない原因に対して、結果を自分に与えるよう求めながら、結果だけを受け取ることができる者は誰もいないからです。


3. Even the joining, then, is not enough, if those who pray together do not ask, before all else, what is the Will of God.
 したがって、もし一緒に祈る者たちが、何をさておき、神の大いなる意志が何であるか尋ねるのでなければ、たとえ一緒に祈ったとしても、それでは足りません。

 From this Cause only can the answer come in which are all specifics satisfied; all separate wishes unified in one.
 すべての分離した願望をひとつに結びつけ、すべての具体的な事柄を満たす答えが訪れることができるのは、この神の意志という大いなる原因だけだからです。

 Prayer for specifics always asks to have the past repeated in some way.
 具体的な物事を求める祈りは、つねに過去を何らかの形で繰り返すことを求めています。

 What was enjoyed before, or seemed to be; what was another's and he seemed to love,–all these are but illusions from the past.
 以前に楽しんだこと、楽しそうに思えたこと、他者が持っていて、彼が気に入っているように見えたもの、これらはすべて過去からの幻想でしかありません。

 The aim of prayer is to release the present from its chains of past illusions; to let it be a freely chosen remedy from every choice that stood for a mistake.
 祈りが狙いを定めるのは、過去の幻想につながれた鎖から現在を解放して、間違いを表していたすべての選択から免れて治療法として祈りを自由に選択できるようにすることです。

 What prayer can offer now so far exceeds all that you asked before that it is pitiful to be content with less.
 祈りが今与えることができるものは、本当にあなたが以前に求めていたものすべてが遠く及ばないものなので、それに満たないもので満足するなど話になりません。



4. You have chosen a newborn chance each time you pray.
 あなたが祈るときはいつも、あなたは新たな機会を選択してきたのです。

 And would you stifle and imprison it in ancient prisons, when the chance has come to free yourself from all of them at once?
 そうだとすれば、古来の牢獄のすべてから一挙に自分自身を解放する機会が訪れたというのに、あなたはその機会をその牢獄に押し込めて幽閉しようというのでしょうか。

 Do not restrict your asking.
 自分が求めることに制限を課さないでください。

 Prayer can bring the peace of God.
 祈りは、神の平安をもたらすことができます。

 What time-bound thing can give you more than this, in just the little space that lasts until it crumbles into dust?
 それが崩壊して塵に帰すまでほんの小さな空間の中で、時間に束縛された物事が、神の平安に優るどんなものをあなたに与えられるというのでしょうか。


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