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M26 直接、神に到達することはできるのか?

今回は、マニュアルからへの到達についての一節をご紹介します。

マニュアルの紹介もだいぶ進んで、残すところ、あと数節だけになってきました。







この節では、「の教師たちの教師」について触れられています。

彼らは、もはや目に見える存在ではないけれど、必要に応じて姿を表したり、言葉を伝えたりしてくれるということです。

当然、イェシュアもそのような存在のひとりです。

私たちのすべての存在のことを彼らは気づいており、私たちに必要なことをすべて理解した上で、私たちの間違いをすべて見越してくれているということです。

そして私たちが目覚めるめでは、すべての贈り物を与えて支えてくれているというのです。


の教師たちの教師」は、あとに残す者たちのためだけに地上で役に立てる十分な時間を持てた人はほとんどいないので、彼らは、いまだに束縛の中にあり、依然として眠りつづけている私たち方からの助けを必要としているということです。

というのも、私たちたちが目覚めることによって、の声が聞き入れられることになるからということです。

Section 26
Can God Be Reached Directly?
に直接、到達することはできるのか


1. God indeed can be reached directly, for there is no distance between Him and His Son.
 本当に、に直接に到達することは可能です。というのも、の子との間には何の隔たりもないからです。

 His awareness is in everyone's memory, and His Word is written on everyone's heart.
 への気づきは、一人ひとりの記憶の中にあります。そして、の大いなる言葉は、みんなの心に刻まれています。

 Yet this awareness and this memory can arise across the threshold of recognition only where all barriers to truth have been removed.
 しかし、神への気づきと神の記憶は、真理への障害のすべてが取り除かれた場所にだけある気づきの戸口を通り抜けないと目を覚ますことができません。

 In how many is this the case?
 このことは、そう多くの者には起こるものではありません。

 Here, then, is the role of God's teachers.
 だから、ここにこそ、神の教師の役目があるのです。

 They, too, have not attained the necessary understanding as yet, but they have joined with others.
 神の教師たちも、同じように、今はまだ必要な理解を得ていないとしても、彼らは、すでに他の者たちと一つに結びついてはいるのです。

 This is what sets them apart from the world.
 他の者たちと一つに結びついていることが、神の教師たちを世界から隔絶した位置に置くことになります。

 And it is this that enables others to leave the world with them.
 そして、この世界からの超然性が、教師たちが他の者たちと一緒にこの世界をあとにすることができるようにさせるのです。

 Alone they are nothing.
 彼らはひとりだけでは、何もできません。

 But in their joining is the power of God.
 しかし、彼らが一つに結びついたとき、神の力を見いだすことができます。




2. There are those who have reached God directly, retaining no trace of worldly limits and remembering their own Identity perfectly.
 この世界制限の痕跡を一切保つことなく、自分の真のアイデンティティーを完全に思い出して、神に直接に到達した者たちは存在します。

 These might be called the Teachers of teachers because, although they are no longer visible, their image can yet be called upon.
 このような者たちは、教師たちの偉大なる教師と呼んでよいでしょう。なぜなら、彼らはもはや目に見える存在ではありませんが、今なお彼らの姿を呼び起こすことはできるからです。

 And they will appear when and where it is helpful for them to do so.
 そして、彼らは、自らの姿を現したほうが役に立つ時や場所においては、姿を現してくれるでしょう。

 To those to whom such appearances would be frightening, they give their ideas.
 そのような姿を怖がってしまう者たちに対しては、彼らは自分の考えを伝えてくれます。

 No one can call on them in vain.
 誰も、彼らに呼びかけて無駄に終わる者などありえません。

 Nor is there anyone of whom they are unaware.
 それに、彼らに気づいてもらえない者など誰ひとりいないのです。

 All needs are known to them, and all mistakes are recognized and overlooked by them.
 すべての必要性について彼らはわかっているし、すべての間違いにも気づいていて、そして、彼らがすべての間違いを見過ごしてくれています。

 The time will come when this is understood.
 このことを理解するときがやってきます。

 And meanwhile, they give all their gifts to the teachers of God who look to them for help, asking all things in their name and in no other.
 それまでは、彼らは、ほかでもない彼らの名の下にあらゆることについて彼らの助けを求める神の教師たちに、自分たちのすべての贈り物を与えてくれているのです。




3. Sometimes a teacher of God may have a brief experience of direct union with God.
 ときには、神の教師は、直接神と結びつく短時間の体験をするかもしれません。

 In this world, it is almost impossible that this endure.
 この世界では、神との一体感を持続させるのはほとんど不可能です。

 It can, perhaps, be won after much devotion and dedication, and then be maintained for much of the time on earth.
 神との一体感は、もしかしたら、長く深い全身全霊を投じた献身のあと、ようやくこの地上でも十分に長く維持できるようにできるかもしれません。

 But this is so rare that it cannot be considered a realistic goal.
 しかし、このようなことは非常に稀なことなので、実際的な目標とするにはふさわしくありません。

 If it happens, so be it.
 もしそれが起こるなら、起こるがままにすればよいのです。

 If it does not happen, so be it as well.
 もしそれが起こらないなら、同じように、そのままでよいのです。

 All worldly states must be illusory.
 世界の状況というのはどれもみな幻想に違いないのです。

 If God were reached directly in sustained awareness, the body would not be long maintained.
 もし神に直接触れる自覚が続くなら、身体を長くは維持できないでしょう。

 Those who have laid the body down merely to extend their helpfulness to those remaining behind are few indeed.
 ただあとに残す者たちのために自分がずっと役に立てるようにするためにだけ身体を去った人たちは、本当にわずかしかいません。

 And they need helpers who are still in bondage and still asleep, so that by their awakening can God's Voice be heard.
 そして、彼らは、いまだに束縛の中で依然として眠りつづけている者たちによる助けを必要としています。それは、その者たちが目覚めることによって、神の大いなる声が聞き入れられることになるからです。



4. Do not despair, then, because of limitations.
 だから、制限があるからといって、落胆することはありません。

 It is your function to escape from them, but not to be without them.
 制限から脱出することはあなたの役目ですが、制限を持たないでいることはあなたの役目ではないのです。

 If you would be heard by those who suffer, you must speak their language.
 もしあなたが苦しんでいる人たちに聞いてもらいたいなら、あなたはその人たちの言葉で話さなければなりません。

 If you would be a savior, you must understand what needs to be escaped.
 もしあなたが救い主になりたいなら、あなたはどんな必要性から逃れなければならないのか理解しなければなりません。

 Salvation is not theoretical.
 救済は机上の空論ではないのです。

 Behold the problem, ask for the answer, and then accept it when it comes.
 問題を直視して、答えを求めてください。それから、答えがやってきたら、それを受け入れてください。

 Nor will its coming be long delayed.
 それに、その答えがやってくるのは、そう長く遅れはしないでしょう。

 All the help you can accept will be provided, and not one need you have will not be met.
 あなたに受け入れることのできる手助けはすべて与えられるでしょう。何ひとつとして、あなたが必要とすることが与えられずにおかれるということはないでしょう。

 Let us not, then, be too concerned with goals for which you are not ready.
 ですから、まだあなたに準備の整っていない目標についてはそんなに心配することはありません。

 God takes you where you are and welcomes you.
 神が、あなたが本当にいる場所へとあなたを連れて行き、あなたを歓待してくれます。

 What more could you desire, when this is all you need?
 あなたに必要なことはこれだけだというのに、これ以上の何をあなたは望もうというのでしょうか。




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