There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

M17 魔術にはどう対処すべきか

今回は、教師のためのマニュアルの第17節をご紹介します。魔術的な思いをどう取り扱うべきかというテーマです。魔術とは、欺瞞です。魔術的な思いは、欺瞞によって幻惑される思いです。魔術は、幻想世界の中において、個別の心が信じ込んでいるこの世界のルールを一見すると枉げるような「奇跡」的な出来事を引き起こすことによって、個別の心を幻惑することです。魔術は、奇跡の裏返しのようなものです。...
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レッスン1「私の目にするものはすべて、何も意味しない」

ワークブックのレッスンをご紹介します。レッスン1は、自分の見るものに何の意味もないという考えをあてはめていくレッスンです。この世界が幻想であり、幻想であることの程度に序列などない(幻想50%真理50%などということはない)ということへの理解の一番最初のとっかかりです。目にするものすべてですので、自分の身体や他の人やペットも含めてもらってよいです。気分が悪くなるような場合は、無理をしないで中断するよ...
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レッスン2「自分の見ているすべての物が自分にとって持っている意味はすべて私が与えたものだ」

ワークブックのレッスン2です。レッスン1では、自分の目にする物には何の意味もないという考えを当てはめていきましたが、今回は、自分の目にする物が自分にとって持っている意味はすべて、自分が与えたものだという考えの適用です。ワークブックをこなす際には、テキストやマニュアルと連動させて理論的な理解があると実習の効果も高まります。簡単な奇跡と難しい奇跡ってあるの?の記事がレッスンの参考になると思いますので、...
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M27 死とは何か(神は、愛の神なのか死神なのか)

今回は、教師のためのマニュアルから死についての一節をご紹介します。奇跡のコースは、死は存在しないと言います。「invulnerable」(傷つくことのない)という言葉がよく出てきますが、この言葉には「不死身」という意味もあります。私たちが傷つくことがない理由は、罪が無いものだからということです。そして、私たちに罪が無いというのは、私たちが犯したと思い込んでいる「罪」は、原初の分離も含めて、自分で投影した幻想を...
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レッスン3「私は自分の見るどんなもののことも理解していない」

レッスン3です。テーマは、「I do not understand anything I see.私は自分の見るどんなもののことも理解していない。」というものです。初めてワークブックに取り組む際には、指示されたことがよく理解できないために、混乱してしまうことがあると思います。とくにテキストを抜きにしていきなりワークブックから入ると、この心の混乱はより大きいと思います(といっても、この混乱自体、ワークブックの狙っているところであるこ...
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M20 平安をどのように見出し、そして、保つことができるのか

今回は、教師のためのマニュアルから、「神の平安」についてです。① どうやって、神の平安を認識できるのか② そして、平安をどのように見つけるのか③ 見出した平安をどのようにして保つのか① 平安の認識は、それまでのどんな体験とも違う、過去を連想させることのない新たな体験であり、永遠の静寂が過去に置き換わって存在することを認識することだといいます。② 平安の見つけ方は、どんな怒りも正当化されることがないと理解し、...
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アシュターヴァクラ・ギーター

アシュターバクラ・ギーターは、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)の真髄をシンプルにあらわす美しい詩篇です。アシュターヴァクラ・ギーター(2009/05/12)トーマス・バイロン商品詳細を見る奇跡のコースの学習者にとって、とても役立つアフォリズムが詰まっていると思います。分厚い奇跡のコースに取り掛かるには、気持ちを奮い立たせなければならないという人でも、常に携帯して手が空いたときにぱっと開いたページの一...
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レッスン4「これらの思いには何の意味もない」

レッスン4です。ワークブックに取り組む際の重要な留意点は、基本的に一日一レッスンの原則を守ることです。そのわけは、ワークは実践に目的があるのであって、テキストのように理論的に理解する点に主眼があるわけではないからです。がんがんやる気があるのであれば、ワークブックを先に進めようとするよりもテキストをじっくり読み込むほうに労力を費やしたほうが実りが多いはずです。ワークブックをどんなに早く全部読んだとし...
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M15 「最後の審判」って恐ろしいものなの?

今回は、教師のためのマニュアルから「最後の審判」についての一節をご紹介します。最後の審判は、一般的には、世界の終末に神によって執り行われる個々の魂への裁きとして受け止められ、恐怖を感じさせるイメージを帯びた概念になっていることは確かです。しかし、コースの言うところでは、実際には、最後の審判は、イェシュアの助けを受けながら、私たちみんなで取り組むことなのだということです。...
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レッスン5「私は、決して自分で思っているような理由で心をかき乱されているのではない」

ワークブックのレッスン5です。今日のレッスンは、[upset]を対象とします。「心の乱れ」と訳しましたが、混乱でも、動揺でも、うろたえでも、動転でもいいと思います。恐れや心配、落胆、不安、あるいは、怒り、憎しみ、嫉妬、その他、いろんな形をとって心の平安が乱される状態をまとめる意味で用いられています。「There are no small upsets.心の乱れに小さいということがあるわけではない。 They are all equally disturbing ...
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レッスン6「私の心が乱れているのは、そこにありもしないものを見ているせいだ」

ワークブックのレッスン6です。テーマは、自分の心が乱れているのは、ありもしないものを見ているせいだというものです。この考えを当てはめる前に、心の中を検索して心を乱す思いを見つけるよう指示されています。この検索に際しては、現に今、怒りを感じているなどして、心が乱れているのがわかりやすいなら、それをそのまま直視して捕まえればよいでしょうし、すぐに浮かんでこないようなら、心の中に目を向けて、平安が乱され...
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M18 修正はどのようになされるか

今回は、マニュアルの第18節のご紹介です。「どのように修正はなされるか」というテーマです。罪には処罰、誤りには修正が対応します。コースは、罪があることを認めないので、処罰も否認します。もっとも、この幻想世界において誤りが生じることは否認しないので、誤りに対しては、それを正す修正を認めます。私たちは眠りこけて自分がキリストのヴィジョンを持っていることを忘れてしまい、肉眼でしか知覚できなくなって愛をもっ...
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レッスン7「私はただ過去だけを見ている」

Workbook Lesson 7I see only the past私は、ただ過去だけを見ているレッスン7です。時間に関するテーマがレッスン10まで続きます。私たちがただ過去しか見ていないというのは、なかなか最初は受け入れにくいのではないでしょうか?私たちは、自分たちが毎瞬毎舜移り行く現在を見ているつもりでいますし、ちゃんと意識すれば、過去の記憶や未来への期待や憂慮に影響されることなく、ありのまま目の前のものを見ることができるよ...
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T27-8 夢の主人公

今回は、テキスト 第二十七章 から八「夢の『主人公』」全部をご紹介します。以前に、他人なんて本当はいない!?でこの節の一部をご紹介したことがあります。この一節では、この世界が幻、夢想にすぎないことが明らかにされてゆきます。この夢見の世界では、劇をリアルに見せるためのキャラクターとして、身体が登場します。夢が何度も何度も繰り返して私たちに教えこもうとしているのは、夢こそが原因であって私たちは夢の結果...
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レッスン8「私の心は、過去の思いによって占領されている」

レッスン8です。Workbook Lesson 8My mind is preoccupied with past thoughts.私の心は、過去の思いによって占領されている。今日のレッスンは、私たちの心が自分の思いが外に向けて投影された過去の思いでいっぱいになってしまっているせいで、現在をありのままに見ることができなくなっているといいます。そして、ある人が過去について本当に理解すべき事実は、過去などないということだけであり、それゆえに、過去を考えるこ...
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気づき(アシュターヴァクラ・ギーター)

夢の主人公の参考に、アシュターバクラ・ギーターからご紹介します。...
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レッスン9「私は何もそれが今あるままに見てはいない」

レッスン9です。Workbook Lesson 9I see nothing as it is now.私は何もそれが今あるままに見てはいない。...
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T13-6 今という時を見つける

レッスン9の参考にテキストから引用します。ワークブックのご紹介を始めてから、試しにレッスンに取り組んでくださっている方もいらっしゃると思います。テキストを読むのと、レッスンで実習するのが違うことを実感されているのではないでしょうか?ワークブックのレッスンは、淡々と指示された実習に取り組むことが続くので、テキストを読むことなく、ワークブックから取り組みはじめた方は、意味がよくわからず、もんもんとして...
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奇跡講座テキスト編、予約しましょう!

アマゾン中央アート出版みなさんは、もう予約されたでしょうか?きっとワークブックと同じように、素晴らしい仕上がりになっていると思います。ぜひ予約しましょう!いつも読んでいただき、ありがとうございます!ポチリよろしく!ポチッとお願いします!...
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M10 価値判断の重圧から解放されるには?

今回は、マニュアルから第10節の価値判断の放棄をご紹介します。「最後の審判」って恐ろしいものなの?(テキスト 第三章 VI. Judgement and the Authority Problem 六 価値判断と権威問題)と正義とは何かが価値判断に関する記事ですので、あわせて読んでいただければと思います。私たちは、人生の一大事においてはもちろんのこと、日常生活を送るうえでの些細なことについても、物事の価値を評価して判断しなければ、生き...
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レッスン10「私の思いは、何も意味しない。」

レッスン10です。今回のテーマは「私の思いは、何も意味しない。」というものです。レッスン1で、自分が見るものには何の意味もない、レッスン4で自分の目にするものに関する自分の思いには何の意味もないというテーマが出てきましたが、今回は、対象が自分の周囲の物事とつながりのない自分の思いそのものになっています。...
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レッスン11「私の意味のない思いが、私に意味のない世界を見せている」

レッスン11です。「私の意味のない思いが、私に意味のない世界を見せている」 今日のレッスンでは、このテーマを目を閉じて心の中で、「私の意味のない思いが、私に意味のない世界を見せている」と繰り返してから、目を開けて、遠くも近くも、何でもパッパッパッと目に入る周囲の全てに視線を移していきながら、「私の意味のない思いが、私に意味のない世界を見せている」と心の中でゆっくりと繰り返すという練習です。1回1分...
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人生を心から楽しむ

人生を心から楽しむ―罪悪感からの解放(2004/02)ラメッシ・S. バルセカール商品詳細を見る「自己覚醒、すなわち悟りとは、自分であれ、他の誰であれ、どんな行為にも個人的行為者はいないということを最も深く理解することに他なりません。あなたはまた、どんな思考を考える人でもありませんし、どんな経験の経験者でもありません。思考も経験もただ起こるのです。」(「人生を心から楽しむ 罪悪感からの解放」ラメッシ・S・バル...
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レッスン12「私の心がかき乱されているのは、自分が意味のない世界を見ているせいなのだ。」

レッスン12です。今日のテーマは「私の心がかき乱されているのは、自分が意味のない世界を見ているせいなのだ。」です。今回は目を開けたまま、ゆっくり周囲を見回して、一定のペースを保って、ゆっくりと視線を移しながら、「私は自分が(   )な世界を見ていると思っている」と自分に言い聞かせます。(   )の中には、自分の心に自然に浮かんでくるこの世界を表現する形容詞を入れます。別に、否定的な言葉を入れる必要...
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T4-5 悪名高きエゴですが、打ち倒すべき強敵なのでしょうか?

今回は、テキスト第四章からエゴと身体に関する一節をご紹介します。悪名高い「エゴ」ですが、私たちはエゴにどう対処すべきなのでしょうか?奇跡のコースでは、エゴが幻にすぎないとして、そもそも実在しないものとして取り消すための理解と対処についていろんな角度から説明します。それだけに、エゴを取り消すにしても、そのためにはどのようなスタンスで臨むべきなのか今ひとつ掴みきれないという場合もあろうかと思います。端...
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レッスン13「意味のない世界が恐れを生み出している」

レッスン13です。今日のテーマは「意味のない世界が恐れを生み出している」です。...
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レッスン14「神は、無意味な世界など創造しなかった」

今日はレッスン14です。ワークブックのレッスンでは、日中に、数回の実習をすることを指示されます。ですが、日中の実習のために、分厚い本を持ち歩くというのは大変です。そういう意味では、電子媒体で、スマートフォンなどで、読めると実習もやりやすいと思います。このブログも、そのように活用していただけたら嬉しいです。...
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M5 「癒し」の仕組みとは?

今回は、教師のためのマニュアルから第5節「どのように癒しは達成されるのか」をご紹介します。奇跡のコースでは、癒しのことを、分離幻想を解消し、神の子の完全性を回復するという贖罪と同様の意味を持つ概念として用いており、病気や疲労からの回復だけの意味に限定して用いてはいませんが、この一節では、特に病気との対比によって癒しの意味を説明していきます。この一節には、受け止め方によっては、病気で苦まれている方々...
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レッスン15「私が思うことは、私の作り出したイメージだ」

レッスン15です。今日のテーマは「私が思うことは、私の作り出したイメージだ」です。“My thoughts”「私が思うこと」、「私の思い」というと、何か記憶を想起して思い浮かべたり、考えたりすることのように、頭の中だけで自己完結する思いのように読めますが、このレッスンでいう「思い」はどちらかというと、心の表象作用、すなわち、外にある対象物を五官で感知して、その像を心のスクリーン上に映し出す作用をイメージしても...
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M6 癒しが起こらない!どうして?

今回は、前回に引き続いて、教師のためのマニュアルから、第6節の「癒しが起こるのは確かだろうか?」をご紹介します。第6節で出てきたように、癒しが起こるのは本人の決断によるのであり、本人こそが癒し主だということでした。今回は、この癒し主の思いによって癒しが時を待たねばならない場面がありうることについて触れられます。究極的には自分である他者としての兄弟に対する基本的なスタンスが示されています。成果がすぐ...
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M7 本当に癒しが起こるのか不安で仕方がない!

今回は、教師のためのマニュアルから、癒しシリーズの続きで、第7節「癒しは繰り返されるべきか」をご紹介します。神の教師が癒しの成果について、疑いを持ってしまって、はたして本当に癒しが達成されるのかと、あれこれ心配をする間違いについて述べられます。癒しの成果に疑問を抱くことは、失敗することのありえない聖霊を信頼する気持ちがぐらついて、愛ではなく、怖れ、さらには憎しみによって、癒しに対して攻撃をすること...
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レッスン16「私には中立な思いは何ひとつない」

レッスン16です。今日のテーマは「私には中立な思いは何ひとつない。」というものです。私たちは、心の中で思うだけであれば、外の世界に何の影響も及ばないと考えています。自分の心とは切り離された外界で起こることは、自分の思いとは関わりなく起こり、自分に降りかかってくると考えています。だから、行動では示さなくても、好意や憎しみに色づけられた多様ないろんな強さの思いを抱きます。しかし、投影によって映し出され...
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レッスン17「私は、何ひとつ中立なものを見ていない」

レッスン17です。今日のテーマは、「私は、何ひとつ中立なものを見ていない」です。レッスンでは、私たちが中立なものを見ていないのは、私たちが中立な思いを持っていないからだと言います。つまり、思いが先にあるせいで、中立な物を見ないようになるのであって、外にあるものが中立でないから、中立でないように見えるのではないということです。...
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すべてを忘れなさい(アシュターヴァクラ・ギーター)

アシュターヴァクラ・ギーターからの一節をご紹介します。「すべてを忘れなさい」という題です。私たちは、霊的探求においても、学校のテストの準備のように、外から知識を仕入れてはそれを覚え込まなければならないという発想をしてしまいがちです。ですが、真理というものは、外の世界のどこか遠くを探さなければ見つからないものではなく、すでに自分の中にあって、それを忘れてしまっているだけのもののようです。探求は、この...
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レッスン18「私が見ることの結果を体験するのは私だけではない」

レッスン18です。今日のテーマは「私が見ることの結果を体験するのは私だけではない。」というものです。...
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M21 癒しにおける言葉の意味とは?

教師のためのマニュアルから、第21節をご紹介します。癒しにおける言葉の役割についての説明です。癒しを引き起こす要因は祈りであるので、内容的には、祈りにおける言葉の意味の説明にもなっています。この一節では、コースはこう言っているとして、引用されることの多い「They are thus twice removed from reality.したがって、言葉は、現実から二重に引き離されているのです。」との一文が出てきます。言葉と心の中での祈り...
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レッスン19「私の思うことの結果を体験するのは、私だけではない」

レッスン19です。今日のテーマは「私の思うことの結果を体験するのは、私だけではない」です。このブログを読んでくださっているみなさんのうち、ワークブックを実践されている方は、どれくらいいらっしゃるでしょうか?ブログ記事の中でも、読み物としては、ワークブックのレッスンは一見、面白みに欠けるのは確かだと思います(もっとも、それは、レッスンを実際にやってみていないからで、実践してみると自分の心が変わる感覚...
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M1 神の教師とは誰のことなのか?

今回は、教師のためのマニュアルから、神の教師は誰のことなのかというテーマについての一節をご紹介します。結論は、自分でそうなると決めた人であれば、誰でも神の教師になるということです。ただし、単なる自称「神の教師」ではなく、ただひとつの要件があるといいます。それは、次のようなものです。「His qualifications consist solely in this; somehow, somewhere he has made a deliberate choice in which he did not se...
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レッスン20「私は見ることに決める」

レッスン20です。今日のテーマは「私は見ることに決める」です。今日から、レッスンを実習する時間についての規律がこれまでよりも明確に定められるようになってきます。スマホのリマインダー・アプリなどを使って、指定された時間にポケットでアラーム機能で知らせてくれるように設定するなどするとやりやすいかもしれません。iPhoneを使っている方には、ACIM REMINDERがおススメです。その日のレッスンの指示するインターバル...
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レッスン21「私は、物事を違ったように見ることに決める」

レッスン21です。今日のテーマは「私は、物事を違ったように見ることに決める」です。冒頭の実習時間の指示のところが少しわかりにくいと思います。「This time, however, specific mind-searching periods are necessary, in addition to applying the idea to particular situations as they may arise. とはいえ、今回は、特定の状況が起こるたびに、今日の考えをあてはめることに加えて、具体的に心の中を検索する時間を設け...
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M22 癒しと贖罪は別のもの?

マニュアルから癒しに関連する最後の一節をご紹介します。癒しと贖罪の関係についての一節です。言葉のイメージとしては、癒しと贖罪は違うもののように感じますが、結論としては、癒しと贖罪は同じものだということです。赦すことが癒すことになると。そして、癒しは、誰が癒しを必要としているのか、それを神の教師が気づく結果として起こるということです。その誰かというのは、目の前の病人として見えているその人ではなく、教...
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レッスン22「私が見ているのは、復讐のひとつの形だ」

レッスン22です。今日のテーマは「私が見ているのは、復讐のひとつの形だ」です。...
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M2 生徒とは誰か

今回は、教師のためのマニュアルから第2節の生徒とは誰かについてをご紹介します。「God's Teacher speaks to any two who join together for learning purposes. 神の大いなる教師は、学ぶ目的のために一緒に結び付いているどのような二人に対してであっても、語りかけます。」の「God's Teacher」(Tが大文字)は聖霊のことを、「two who join together for learning purposes」は神の教師と生徒を指しています。...
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レッスン23「攻撃的な思いを放棄することによって、私は自分の見ている世界から逃れることができる」

レッスン23です。今日のテーマは「攻撃的な思いを放棄することによって、私は自分の見ている世界から逃れることができる」です。...
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M3 教えることの段階とは?

マニュアルから第3節をご紹介します。教えのレベルとして、3つの段階が説明されています。1番目のレベルは、もっとも素朴なもので、電車で誰かの足を踏んでしまったというような出会いです。2番目のレベルは、教えることによって学ぶという関係がある程度の期間継続する場合です。3番目のレベルは、一生続く関係です。そして、このレベルについても、奇跡に序列がないのと同じく、程度差はなく、教えにレベルがあるという概念...
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レッスン24「私は、自分の最善の利益を知覚していない」

レッスン24です。今日のテーマは「私は、自分の最善の利益を知覚していない」です。解決を要する状況において、自分にとってどのような解決が最善か、私たちはわかっているようでいて、実はわかっていません。今回のレッスンのテーマには、「価値判断の重圧から解放されるには?」が参考になると思いますので、読んでみていただければと思います。...
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レッスン25「私は、何であれ物事が何のためにあるのかわかっていない」

レッスン25です。今日のテーマは「私は、何であれ物事が何のためにあるのかわかっていない」です。昨日のレッスンの自分にとっての最善の利益を知覚していないというテーマの続きです。現在のところ、エゴの観点から私たちが世界に割り当てている「個人的な」利益のせいで、私たちには、世界や世界の中の物事が何のためにあるのかわからなくなってしまっているということです。そこで、自分がエゴと一体化してしまっているせいで...
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M26 直接、神に到達することはできるのか?

今回は、マニュアルから神への到達についての一節をご紹介します。マニュアルの紹介もだいぶ進んで、残すところ、あと数節だけになってきました。この節では、「神の教師たちの教師」について触れられています。彼らは、もはや目に見える存在ではないけれど、必要に応じて姿を表したり、言葉を伝えたりしてくれるということです。当然、イェシュアもそのような存在のひとりです。私たちのすべての存在のことを彼らは気づいており、...
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「スピリット・ジャンキー―ミラクルワーカーとして生きる」 ガブリエル・バーンステイン

スピリット・ジャンキー―ミラクルワーカーとして生きる(2013/07/13)ガブリエル・バーンスティン商品詳細を見る新刊案内(7月13日) スピリット・ジャンキー―ミラクルワーカーとして生きる [単行本(ソフトカバー)]ガブリエル・バーンスティン (著), 香咲 弥須子 (翻訳), ティケリー裕子 (翻訳) ワークブックのシリーズの香咲さんたちの訳ということなので、期待できます。米アマゾンでKindle版とAudibleでの朗読音声が出てます...
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レッスン26「私の攻撃的な思いが、私の傷つきようのない性質を攻撃している」

レッスン26です。今日のテーマは、「私の攻撃的な思いが、私の傷つきようのない性質を攻撃している。」です。今日のレッスンは、私たちが攻撃によって傷つきうる存在なのか、それとも、攻撃によっても傷つきようのない存在なのかを決めるのは、私たち自身の思いの結果であるということを理解することを目標にします。他者を攻撃することが可能であると信じると、自分を通して影響を及ぼせるものは、逆に、自分に対しても影響を及...
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