
T18-8 小さな庭園
泡それ自体が泡にとどまるかぎり、見かけ上は分離しています。にもかかわらず、泡が水以外の何でありうるでしょうか?そして、泡が弾けたとき、それはどこに行くのでしょうか?それは海に帰るのです。ラメッシ・S・バルセカール今回はテキスト第十八章から「小さな庭園」という一節をご紹介します。身体は、本来無限なものである愛に制限を課すために生み出された柵であり、エゴは、天国全体からただ柵で囲んで断片化しただけのこ...

T18-1 現実の代用
もし人が自分の道から逸れたとしたら、その人にはありとあらゆる困難が襲い掛かり、人生は生存を賭けた戦いの連続に変わる。魂にとってそれは本当の悲劇である。ヴァジム・ゼランド今回はテキスト第十八章から「現実の代用」という一節をご紹介します。分離の錯覚という原初の誤りによって、偽りの世界が出現して、神の子と真理の間を遮って張られるスクリーンとなり、そのスクリーンに誤りが投影されて、すべてがあべこべに逆転し...

T18-4 ささやかな意欲
人は自分自身になりさえすればいいのだ。これが、わたしの基本的なメッセージだよ。自分をあるがままに認めた瞬間、すべての重荷、山のように見えた重荷が、嘘のように消えてしまうのだ。すると人生が喜びそのものになり、光のお祭りになるのだよ。Osho和尚 バグワン・シュリ・ラジニーシ今回は、テキスト第十八章から「ささやかな意欲」という一節をご紹介します。私たちは、今の自分の至らなさ加減にがっかりして、いつでも自分...

T18-3 夢の中の光
人の魂は主のともし火である。旧約聖書「箴言」第20章27節今回はテキスト第十八章から、夢の中の光という一節をご紹介します。生命、愛、一体性、真理といった実在のみからなる天国に対して、実在しない死や恐れ、分離や虚構を体験するには、真理の光に背を向けて夢の世界に入り込んで正気を失うしか方法はありません。これまでの私たちの目標は、自分が永遠に真理から隠れていられるほどの究極の暗闇を求めることでした。そも...

T18-9 ふたつの世界
ふたつの世界があるように見えるでしょうが、実際はひとつだけです。恐怖心は愛の不在に過ぎません。欠乏は豊かさの不在にすぎません。不平不満は感謝の不在にすぎません。もともと豊かさの中に存在していなかったものだけが欠乏するのです。そもそも存在しなければ、不在になったと言っても意味がないではありませんか。これは隠れんぼのゲームに似ています。誰かがまず隠れます。誰でしょう?あなたでしょうか、私でしょうか。も...

T18-2 夢の基盤
世界に関する私たちの認識というのはすべて、ある意味で自己認識である。アラン・ワッツ今回は、テキスト第十八章から「夢の基盤」という一節をご紹介します。T18-5 幸せな夢T27-8 夢の主人公T27-7 夢を夢見る者が参考になると思います。これまでさんざんダメ出しされてきた特別な関係にようやく光が当たりはじめます。「7. Your special relationship will be a means for undoing guilt in everyone blessed through your holy r...

T18-5 幸せな夢
」宇宙は神の身体ですから、神の意識は、宇宙の隅々まで浸透しています。これがキリスト意識と呼ばれるものです。ちょうど、われわれが自分の身体全体を意識しているように、神は、ご自分の身体である宇宙の中でわれわれがしていることをすべてご存じです。パラマハンサ・ヨガナンダ(「人間の永遠の探求」より)テキスト第十八章から、幸せな夢という一節をご紹介します。ウィキペディアから引用します。「幸福な夢またはハッピー...

T18-7 何もしなくていい
Try something different – surrender.ちょっと違ったふうにやってごらん。がんばらずに降参するんだ。Rumiルーミー あなたの救済のために、あなたは何ひとつすることはできません。つまり、あなたが何やかやをすれば、それはすべて、そのにあるmのを発見する邪魔になるのです。救済はもうそこにあります。あなたはもう救われているのです。私から、あるいは兄弟から、あるいは何処かの境界やシナゴーグから、救済を買い取る必要...

T18-6 身体という牢獄
だれいま私の目で見ているのはだれ?いま私の口で話しているのはだれ?魂っていったい何?どうしても問うことをやめられないその答えを一口でも味わえたら酔っぱらいの監獄からすぐに出所できるのに私がここまで来たのは自分の力ではありません自分の力では、私はここから離れることさえできませんここまで連れてきてくれた誰かが家に連れて帰るしかありませんルーミー今回は、テキスト 第十八章 六 「身体を越えて」という一節...