
S1-4 他者とともに祈る
他者を敵視した状態での祈りの段階にとどまる間は、祈りが共有されることはありえません。というのも、敵同士になるには、両者が目的を異にしている必要があるからです。各自が望むことが異なることが両者が衝突し、敵対することを可能にします。この段階から次の段階に進むために必要な心構えの変化は、私たちはひとりきりではなく一緒に進むのだと考えるようになることです。そうなると、それまでは自分の利益のために祈っていた...

T7-4 真理の認識としての癒し
今回は、第7章から「真理の認識としての癒し」をご紹介します。M5 「癒し」の仕組みとは?、S3-2 偽りの癒し 対 真の癒し 0が参考になると思います。天国では神の法が行き渡り、自分の拡張するものが自分の現実となります。神の子はすべてでありすべてを持っているので、神の子が拡張するのは自分自身であり、拡張したものは実在し、神の子にとって自分であり自分が持っているものだとわかります。この法がこの世界では、自分...

T11-1 父性という贈り物
今回はテキスト第十一章から「父性という贈り物」という一節をご紹介します。"Fatherhood"「父性」は、奇跡のコースの重要概念のひとつです。父性には、父親であること、父親として子供に対して果たすべきと期待される役割という意味合いがあります。父性に関連するテーマとしては、権威問題(T3-6 価値判断と権威問題)があります。父性は、神の創造のプロセスを表現するものです。創造は、光の拡張であり、光源は自らと同質の純...

T15-11 犠牲の終わりとしてのクリスマス
今回は、「犠牲の終わりとしてのクリスマス」という一節をご紹介します。8.「Let us join in celebrating peace by demanding no sacrifice of anyone, for so you offer me the love I offer you. 誰からも一切の犠牲を要求することなく、私たちで一緒に平安を祝いましょう。なぜなら、そうすることで、あなたは私が差し延べる愛を私に差し延べてくれることになるからです。 What can be more joyous than to perceive we are d...

T23-1 相容れない信念
今回はテキスト第二十三章から「相容れない信念」という一節をご紹介します。本節の3.では、神とエゴ、私たちとエゴが出会うことは絶対に不可能だということが述べられます。私たちは、自分が身体に宿っているエゴであると信じています。つまり、私たちは、自分をエゴと同一視する状態にあり、仮に自分がエゴと別だとしても、少なくとも自分がエゴと同盟関係を結んでいるのは確かだと思っているので、私たちがエゴと出会うのは絶...

T14-9 神聖さの反映
今回は、テキスト第十四章から「神聖さの反映」という一節をご紹介します。冒頭の文章が救済の本質を要約しています。「1. The Atonement does not make holy. 贖罪があなたを神聖にするわけではありません。 You were created holy. あなたはもともと神聖に創造されているからです。 It merely brings unholiness to holiness; or what you made to what you are. 贖罪は単に、あなたが作り出した幻想を本当のあなたという真...

T12-8 愛の魅力
Your task is not to seek for love, but merely to seek and find all the barriers whin yourself that you have built against it.あなたがなすべきことは、愛を探し求めることではなく、愛に逆らって自分の中に作り出したすべての障壁を探し出すことです。What you seek is seeking you.あなたが探し求めているものは、あなたを探しているものなのです。~ Jalāl al-Dīn Muḥammad Rūmī ジャラール・ウッディーン・ルー...

T26-3 国境地帯
今回はテキスト第二十六章から、国境地帯という一節をご紹介します。この世界と天国との間には、天国の門を少し越えたあたりに、想念の国境地帯が存在します。この国境地帯の別名は、"the Real world"、「真の世界」です。そこは場所ではありませんが、この国境地帯でさまざまな思いが一堂に会し、相容れない価値観同士が出会い、すべての幻想が真理の傍に置かれて、そこですべての幻想は偽りとして裁かれ、一つひとつの思いは清ら...

レッスン305「キリストが私たちに授けてくれる平安が存在する」
レッスン305です。「キリストが私たちに授けてくれる平安が存在する」が今日のテーマです。まず、キリストの再臨とは何かをご覧ください。私たちは、知覚を用いて比較し、価値判断して裁くことによって、自他分離の錯覚を維持し、恐怖と非難、攻撃の応酬を生み出します。キリストのヴィジョンだけを用いるなら、すべては等しい価値を持つものと見えます。つまり、人体内のさまざまな細胞や臓器がそれぞれ異なる姿で異なる機能を...

T28-1 現在の記憶
今回はテキスト第二十八章から「現在の記憶」という一節をご紹介します。本節では、「記憶力」の別の使い方が述べられます。この世界では、記憶力は、過去の物事に関する認知を想起して、それがまるで今起こっていて、依然としてそこに見えるものとして存在するかのように知覚することとして捉えられています。記憶力は知覚力と同じく、神が創造に際して子に授けてくれたものに置き換えようとして、私たちが作り出した能力のひとつ...

レッスン290「私に見えるのは自分が今幸福であることだけだ」
レッスン290です。「私に見えるのは自分が今幸福であることだけだ」が今日のテーマです。まず、聖霊とは何かをご覧ください。人は誰しも人生のある時期、何かにハマってしまうものです。ずっとハマりっぱなしの人もいます。パチンコにハマる人、不倫する人、違法薬物に依存する人、ギャンブルや過食、拒食、犯罪を繰り返す人、このような否定的な悪いとされることだけでなく、勉強大好き、筋トレ大好き、自己啓発大好き、SNS中...

レッスン272「どうして幻が神の子を満足させられるだろうか」
レッスン272です。「どうして幻が神の子を満足させられるだろうか」が今日のテーマです。まず、キリストとは何かをご覧ください。アバターである私たちはエゴに支配されているので、自分の欲望を満たしさえしてくれるなら、幻でも十分お腹いっぱいになれるように思います。というよりも、真理なんかよりも、自分が思う存分美しく、力強く豊かで、他者から賛美されて、やりたい放題できる権力も得られるのであれば、そっちのほう...

レッスン250「私が自分自身を限られた存在とみなしませんように」
レッスン250です。「私が自分自身を限られた存在とみなしませんように」が今日のテーマです。まず、世界とは何かをご覧ください。レッスン248では、私たちが自分だと思っている人間はこの世界でのアバターでしかなく、本当の自分ではないということを考えました。自分だと思っているアバターとしての人間、コースで言う人の子が自分ではないとして、そうだとしたら、本当の自分とは何なのか?という問いに対する答え、それが...

レッスン230「今、私は神の平安を求め、そして、見出す」
レッスン230です。「今、私は神の平安を求め、そして、見出す」が今日のテーマです。レッスンに入る前に、特別解説1「赦しとは何か」をまずご覧ください。奇跡のコースは、コース=学習課程という名前を持ってはいますが、この世界での学びとはまったく違う学びについて教えています。この世界では、無能力で何もできず、何も持っていない未成熟な者が自分の外から有益な情報を獲得して自分の中に取り込んで、体系的に自分のス...

T18-2 夢の基盤
今回は、テキスト第十八章から「夢の基盤」という一節をご紹介します。T18-5 幸せな夢T27-8 夢の主人公T27-7 夢を夢見る者が参考になると思います。これまでさんざんダメ出しされてきた特別な関係にようやく光が当たりはじめます。「7. Your special relationship will be a means for undoing guilt in everyone blessed through your holy relationship. あなたの特別な関係は、あなたの神聖な関係を通して祝福を受けるすべての...

レッスン195「愛こそが、私が感謝しながら歩む道だ」
レッスン195です。「愛こそが、私が感謝しながら歩む道だ」が今日のテーマです。レッスンの冒頭から、世界を誤解する者にとって感謝することを学ぶのは困難な課題であり、彼らにできるは、他者が自分よりも苦境にあるのを見て、それと比較して自分は他人よりもましだと思って満足することくらいだということが語られます。自分よりも恵まれない他者に想いを馳せて足ることを知り謙虚な気持ちを忘れないということはエゴとしての...

レッスン186「世界の救済は、私にかかっている」
レッスン186です。「世界の救済は、私にかかっている」が今日のテーマです。今日のテーマは、インパクトがあるのではないでしょうか?世界の救いが私にかかっているだって?それは、私が救世主だってことを意味するではないか?本気でこんなことを信じるなんて傲慢にもほどがある、狂気の沙汰の誇大妄想でしかない!と感じていませんか?ですが、このように叫んでいるのはエゴの声です。自己卑下するエゴが、神が与えた役目を、...

T11-7 現実の条件
テキストから、「現実の条件」という一節をご紹介します。私たちは、自分が現実だと思っているこの世界ではない神の「現実」、つまり、神の王国である天国は、自分のいる世界とは遠くかけ離れた「場所」であるようにイメージします。少なくとも、この世界は幻想だというのだから、この世界にいるかぎりは垣間見ることすらできない異世界で、自分が人間として生きているうちは到底到達することのできない場所だと信じています。少な...

レッスン139「私は、自分自身のために贖罪を受け入れることにする」
レッスン139です。「私は、自分自身のために贖罪を受け入れることにする」が今日のテーマです。「I will accept Atonement for myself.私は、自分自身のために贖罪を受け入れることにする。」"for oneself"は、自分のために、自分で、独力で等の意味です。神の子は、分離幻想の世界の中に私たち人間という自己像をでっちあげて、それに自己同一化して、アバターを自分だと誤信しています。世界という分離幻想を存続させているの...

レッスン106「私が心静かに、真理に耳を澄ませられますように」
レッスン106です。今日のテーマは、「私が心静かに、真理に耳を澄ませられますように」です。今日は、昨日に引き続いて欠乏マインドの修正のレッスン、与えることは失うことにつながるというこの世界の常識、根深くこびりついている誤った信念を否認するレッスンです。聖霊のサポートは無尽蔵!でも、頼まなきゃ受けられませんでも述べましたが、想念は分かち合うほど価値を高め、与えた人にも受け取った人にもメリットをもたら...

レッスン50「私は神の大いなる愛に支えられている」
レッスン50です。今日のテーマは「私は神の大いなる愛に支えられている」です。エゴの観点では、この世界で自分の支えになるのは、薬やお金、影響力ある人脈、地位、名声、人気といった偶像です。これに対して、聖霊の観点では、自らの中に神の愛があると信頼することが支えとなります。リアル世界の肉体を衰弱させて命を縮めてまで、ネットゲーム内でアバターが身につけたり手に入れたりする衣服や武器、道具、お金を増大させる...

M-Intro 教師のためのマニュアル 序文
今回は、教師のためのマニュアルの序文をご紹介します。この世界の常識では、教育とは、教師が一方的に生徒に教えを授けるものであって、教師のほうが優れていて、劣っている生徒を引き上げてやる関係性として考えられています。これに対して、マニュアルは、このような世界の常識は、本当の役割とは逆になっているといいます。この点は、すでに「神の教師とは誰のことなのか」「生徒とは誰か」において、教えることで学ぶ教師の生...

レッスン18「私が見ることの結果を体験するのは私だけではない」
レッスン18です。「私が見ることの結果を体験するのは私だけではない」が今日のテーマです。個人が見ることの結果を体験するのがその個人だけではない、という仕組みが、小説や映画等の物語の主人公にあてはまることは簡単にわかります。物語の主人公である架空の人物当人は、まさか自分の体験していることが異世界にいる私たちのような多くの読者や鑑賞者によって追体験されているなどとは、露ほども思うことなく、自覚なしに自...

レッスン16「私が抱く思考はまったく中立なものではない」
レッスン16です。今日のテーマは「私が抱く思考はまったく中立なものではない」というものです。私たちは、心の中で思うだけであれば、どんなことを思おうと、外の世界に何の影響も及ぼすことはないと考えています。自分の心とは切り離された外界で起こることは、自分の思考とは無関係に起こって自分に降りかかってくるものだと考えています。だから、行動に出さなければ関係ないとばかりに、私たちは内心の自由をフル活用して、...

レッスン14「神は、無意味な世界を創造しなかった」
今日はレッスン14です。ワークブックのレッスンでは、日中に、数回の実習をすることを指示されます。そして、この実習こそがレッスンの本質であり、その日のレッスンの箇所の本の文章を読むことがレッスンをしたことになるわけではないということはとことん自覚しておく必要があります。とはいえ、文章の指示を見ずに日中にレッスンの指示どおりに実習するのは困難なので、つねに座右にその日のレッスンの文章を携えて読める状態...