
S1-5 はしごの終わり
はたらく細胞の世界観で見ると、身体の内部世界のひとつの細胞が自分独自の利益追求を考えず、私心のない状態にあることが身体全体が健康で自然な状態であることがよくわかります。これに対して、身体全体の一部の個である器官や細胞が「私」という自意識を抱く状態は、癌細胞に類する不健康な状態です。神の子についても、全体の一部が自分が残りから分離した「私」という自意識を持つ状態は、エゴという狂気に憑りつかれた不健康...

T31-6 汝の意図するところをなせ
今回はテキスト第三十一章から「霊を認識する」という一節をご紹介します。私たちは、肉体であるか霊であるか、そのいずれかです。「3. Salvation does not ask that you behold the spirit and perceive the body not. 救済は、あなたが霊を見て身体を知覚しないようになることを求めているわけではありません。 It merely asks that this should be your choice. 救済は、ただあなたが霊を見て身体を知覚しないようにすると選...

T15-6 神聖な瞬間と神の法
今回はテキスト第十五章から神聖な瞬間と神の法という一節をご紹介します。T7-2 神の法、レッスン344「今日、私は愛の法を学ぶ。それは、私が自分の兄弟に与えるものは自分に対する私からの贈り物だということだ」を参考にしてください。この世界では、「自分の拡張するものが自分にとっての現実となる」という神の法は、「自分の投影するものを自分は信じる」というエゴの法則に変容しています。投影とは、光を透過する部分と...

T25-Intro, 1 真理への絆
今回は、テキスト第二十五章の序文と真理への絆という一節をご紹介します。Introduction 2.「The son of man is not the risen Christ. 人の子が、よみがえったキリストであるわけではありません。 Yet does the Son of God abide exactly where he is, and walks with him within his holiness, as plain to see as is his specialness set forth within his body. しかし、神の子は人の子がいるまさにその場所に留まっており...

T19-4Di 平安への障害4−2
テキスト第19章4節平安への障害から、今回は、第四の障害である「神への恐れ」の続きの「ヴェールをあげる」をご紹介します。今回は、キリストの顔の前にかけられたヴェールをあげることについて語られます。私たちがこのヴェールをあげる際には、私たちはひとりだけでなすのではなく、兄弟と一緒になすのだということです。救済はひとりきりではなしえず、他者との関係の中での助け合いを通じてしかなしえないという救いの公式...

T19-4D 平安への障害4
テキスト第十九章 第四節 平安への障害の続きです。今回は第四の障害である「神への恐れ」です。死への恐怖が去ると、平安は、最後の障害に直面することになります。それは、キリストの顔の前にヴェールのようにかかっている神への恐怖です。神への恐れこそが究極の障害であり、罪悪感の魅力も苦痛の魅力も死の魅力も、神への恐れが決して除去されないようにするためのものであり、エゴや死は自分がキリストと心をひとつに結び付...

T22-4 分かれ道にぶつかった。どう進む?
旅が進み、真理と幻想が大きく分岐する分かれ道を選ぶときがやってきます。これまでは、エゴ・カーナビが欠乏への恐怖心や身体の快楽からくる刹那的な欲求でコロコロ変わる目的地を設定して、あっちへ行きこっちへ行きの繰り返しでした。それはそれで苦しくもあり楽しいもので、この二元世界の味わいでもあるのでしょう。とことんエゴ・ナビに従って波乱万丈のドライブを楽しんでよいと思います。もっとも、無限にバリエーションが...

レッスン95「私はひとつの大いなる自己であり、私の創造主とひとつに結ばれている」
レッスン95です。今日のテーマは、「私はひとつの大いなる自己であり、私の創造主とひとつに結ばれている」です。このところ、レッスンが長くて、こってりしているし、1時間ごとに5分間を割くというハードなスケジュールなので、少しワークブックへの取り組みがめんどくさくなってきたというのが正直な気持ちだという方もいらっしゃると思います。今日のレッスンでは、レッスンの課題をこなせないことがあっても、そのことを気...