唯物論、無神論の人々が、たとえどのように善い人であっても、その人々は、常に肉体人間としての相対観で人生をみていますので、お互いの利害、これは個人社会人類の別なく、相対する利害の前では、どうしても争いの想念行為で結末をつけねばならなくなります。なぜかといえば、この人々にとっては調和し得る中心点がないからです。いいかえれば、相対したものを調和させる絶対者がいないのですから、お互いがお互いの力の争いによ...