
T27-2 癒されることへの恐怖
今回はテキスト第二十七章から「癒しに対する恐れ」という一節をご紹介します。本節の9.のあとの10.〜12.は、Original Edition以降FIP 1st Editionまでは削除されており、2nd Editionで戻されているもので、公開されている媒体によっては削除されたままのものや[ ]でUrtextを引用するものがあります。本稿では、[ ]で引用しています。「8. The "cost" of your serenity is his. あなたが安息を得るために支払う『代価...

T25-8 愛に戻される正義
今回は、テキスト第二十五章から「愛に戻される正義」という一節をご紹介します。M19 正義とは何かを参考に読んでみてください。正義とは誤りを正す剣であり、愛に奉仕するしもべであり、道具です。正義自体は主人、目的にはなりえません。道具は何のために用いるかによって人を生かすことにも殺すことにもなります。この世界では、正義は、犯された罪、不正に対する憎悪に奉仕するために、処罰して正す武器であり、復讐と同義です...

T25-7 救いの基盤
今回はテキスト第二十五章から「救済の礎石」という一節をご紹介します。ほかの箇所でもたまに触れられていますが、本節も含めて、コースでは、実は、この世界は地獄だということがちょこちょこと小出しに示されます。天国と同じように地獄もこの世とは別にあると思っている私たちからすると、ドキッとする指摘です。ですが、異世界のこととして語られる地獄絵図が、いくらでもこの世界で展開されていることを想えば、地獄がこの世...

T22-5 弱さと防衛
今回はテキスト第二十二章から弱さと防衛という一節をご紹介します。真理と幻想は対立しません。なぜなら、真理は実在するけれど、幻想は実在しない影でしかないからです。影は形を持ち、見せかけだけは持っているので、虚無とは異なるように見えはしても、本質は、実在の不在であり、無でしかありません。したがって、真理は無である幻想から自らを防衛する必要はありません。真理は首尾一貫して一なるものです。一なるものとは、...

レッスン343「私は、神の慈悲と平安を見出すために犠牲を払うことを求められてはいない」
レッスン343です。「私は、神の慈悲と平安を見出すために犠牲を払うことを求められてはいない」が今日のレッスンです。まず、奇跡ってなに?をご覧ください。M13 犠牲の真の意味とは?、T15-7 必要のない犠牲、レッスン323「私は喜んで、恐れを『犠牲』にする」が参考になると思います。神の子がすべてでありすべてを持っているというのが真理であり、すべてのうちの砂粒のようにごく小さな一部が自分だという錯覚から真理を...

レッスン323「私は喜んで、恐れを『犠牲』にする」
レッスン323です。「私は喜んで、恐れを『犠牲』にする」が今日のレッスンです。まず、創造ってなに?をご覧ください。愛と恐れは対概念ですが、愛のみが実在し、恐れは愛の不在に名前をつけた影にすぎず、実在しないということは何度も繰り返し述べてきました。この世界は、壮大な影遊びの場です。みんなで実在しない概念を着想しては物質化して偶像崇拝してという具合に、影絵や影踏みをする遊びに没頭しています。アバター各...

T15-10 再生のときは今
テキスト第十五章から「再生の時」をご紹介します。5. 「When you are willing to regard them, not as separate, but as different manifestations of the same idea, and one you do not want, they go together. しかし、そんな恐れのとるさまざまな姿は別々のものではなく、単に同一の想念が異なった形で現われているだけで、その想念を自分が望まないものだとみなす気になったなら、それらの多様な恐れの姿はすべて一緒に消...

T12-4 終わりのない探求
今回は、テキストから、探求と発見という一節をご紹介します。自分の外を探さないが参考になると思います。奇跡のコースに出会うまでは、「愛」という言葉に対して、空々しいイメージを抱いたり、素直に受け入れられない反発を感じたりしていたという人も多いでしょう。愛とはひとつである実在の状態そのものであり、ひとつに結びつこうとする作用であり、実在するのは、一者である神の大いなる愛だけです。分離幻想によって生じた...

M13 犠牲の真の意味とは?
今回は、マニュアル第13節の「犠牲の真の意味とは?」をご紹介します。本節では、身体が自分だと信じて本当の自分が神の子であることを忘れることは真の犠牲であり自己処罰であるという説明に続けて次のように述べられます。3.「Now has the mind condemned itself to seek without finding; to be forever dissatisfied and discontented; to know not what it really wants to find. いまや心は、見つからないまま探し続ける...

レッスン37「私の神聖さが世界を祝福する」
レッスン37です。今日のレッスンは「私の神聖さが世界を祝福する」です。分離の幻想であるこの世界をエゴを通して見るかぎり、自分を身体というアバターと同一視して、自分と競い合う他の身体たちと限られた資源を奪い合う犠牲と代償の世界を知覚することになります。「7つの習慣」でいう「欠乏マインド」です。聖なるヴィジョンを通して見るなら、「はたらく細胞」の体内のいろんな細胞たち同士のように、他者は、自分と別の存...