
T31-1 容易な救済
今回はテキスト第三十一章から「救済の容易さ」という一節をご紹介します。救済が容易であることの根拠は、救済がすでに達成されて完了しているからだということです。つまり、すでに成し遂げられているので、これから成功するかどうかもわからず何の保証もないところから挑戦するのとは違う、すでに完了しているのだから、容易も困難もないということです。私たちが救済に関して現に信じているのが、このような不可能に挑戦するこ...

T17-7 信頼を呼び起こす
今回はテキスト第十七章から「信頼を呼び起こす」という一節をご紹介します。信頼は真理と直結し、不信は幻想と直結することが語られます。信頼-真理不信ー幻想信じようが信じまいが真理は真理のままです。だから、不信には真理を損なうことはできません。ただし、真理を認めないために不信を用いるなら、不信は信頼を打ち砕いてしまいます。そこで、不信が差し出すものが幻想であると見極めて、不信を真理を否認するために用いな...

T31-2 キリストと歩む
今回はテキスト第三十一章から「キリストとともに歩む」という一節をご紹介します。私たちには、他者との間で、自分が先導者になるか追随者になるかという選択肢しか見えていません。しかし、この選択肢は、お互いに足を引っ張り合い責任をなすりつけ合うだけで、神の下に至る旅路の目的からすれば、意味のない偽りの選択肢です。真の選択肢は、生命か死か、統合か分離か、聖霊かエゴか、愛か恐れか、という実在と実在の不在の間に...

レッスン357「真理は、私たちが神に求める一つひとつの呼びかけに答えてくれます。真理は、最初は奇跡をもって応え、それから、真理そのものとなるために私たちの許へと戻ってきます」
レッスン357です。「真理は、私たちが神に求める一つひとつの呼びかけに答えてくれます。真理は、最初は奇跡をもって応え、それから、真理そのものとなるために私たちの許へと戻ってきます」が今日のレッスンです。まず、私とは何かをご覧ください。「What you project or extend is real for you. あなたが投影したり拡張したりするものは、あなたにとっての現実となります。 This is an immutable law of the mind in this ...

レッスン356「病気は罪の別名にほかならない。癒しは神の別名にほかならない。したがって、奇跡とは神に呼びかけることだ」
レッスン356です。「病気は罪の別名にほかならない。癒しは神の別名にほかならない。したがって、奇跡とは神に呼びかけることだ」が今日のレッスンです。まず、私とは何かをご覧ください。T26-7 癒しの法則が参考になると思います。実在するのは愛のみであり、愛の対概念は愛の不在に名前をつけた恐れです。実在する一者である大いなる愛を多様な側面から見ることで、切り取り方によって多様な側面があり、その切り口次第で、神...

レッスン327「私はただ呼びかけさえすればよい。そうすれば、あなたが私に答えてくれるでしょう」
レッスン327です。「私はただ呼びかけさえすればよい。そうすれば、あなたが私に答えてくれるでしょう」が今日のレッスンです。まず、創造ってなに?をご覧ください。今日のレッスンでは、私たちは何の根拠もなしに救済を受け入れるように求められているわけではなく、自分の体験から神の導きが真実だと学んで信頼すればよいのだということが語られます。机上の空論の理論的な根拠づけよりも、実体験による確信が最も確かな信頼...

レッスン232「わが父よ、一日中、私の心の中にいてください」
レッスン232です。「わが父よ、一日中、私の心の中にいてください」が今日のテーマです。まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。私たちの本質である神の子は神とひとつであり、私たちは神の大いなる思いとして神の中にいます。したがって、そもそも本当の私たちには、神と異なる思いを心に抱くことなど不可能です。けれど、私たちは、エゴに従って個別の心が神とは違う意志を抱いて異なる思考をしている...