
S1-1 真の祈り
一般的に、祈りは、いわゆるアファメーション、つまり、願望達成を祈願して肯定的な言葉を内心で繰り返して自己暗示するような心理的な活動というイメージで捉えられがちです。これに対して、本節では冒頭から、祈りは神に到達するための道であって嘆願や要求ではなく、祈りは何かを求めることではない、このことを理解しないかぎり祈りが効果を発揮することはないといいます。常識的な祈りのイメージを持ったままでいると、少し驚...

T31-4 真の選択肢
今回はテキスト代三十一章から「真の選択肢」という一節をご紹介します。この世界の中で提示される選択肢、この世界の道、これらはすべて幻想であり、どの選択肢を選びどの道を進もうと、失望と死に辿りつくことしかできません。というのも、世界は、私たち分離した自己にさまざまな問題を抱えさせて、幻想の迷路の中で右往左往させて真の目的地にたどり着かないように留め置くために作り出されたものだからです。どの道を選ぼうが...

T30-Intro,1 新たなる旅立ち
今回はテキスト第三十章から「新たなる始まり」という一節をご紹介します。さあ、テキストも第30章に入り、いよいよ大詰めに差し掛かってきました。序論と第1節では、これからのカリキュラムが新たな始まりとなることが述べられます。これまでに学んできたことは、今のところはまだ、自分にとっての思考のルールとなるまでは血肉化してはおらず、単なる観念にとどまっているので、これからのステップで、習慣化して思考ルールと...

T27-5 癒しの手本
今回はテキスト第二十七章から「癒しの実例」という一節をご紹介します。本節では、神聖な瞬間とこの世界の関係性について、つぎのように語られます。「6. Come to the holy instant and be healed, for nothing that is there received is left behind on your returning to the world. 神聖な瞬間に来て癒されるがよいでしょう。というのは、あなたがこの世界に戻るに際して、あなたはそこで受け取ったものを何ひとつ残さず持ち...

T26-2 多様な形態へのたったひとつの修正
今回は、テキスト第二十六章から「多様な形態、たったひとつの修正」という一節をご紹介します。今回のテーマは「問題の解決」です。聖霊の解決の仕方は、知覚の仕方の誤りを修正するというやり方です。エゴは、間違って知覚したものを基盤にして、その土俵の上で解決を探そうとします。土台そのものが誤っているので、決して真の解決にはたどり着きません。これに対して、聖霊のやり方は、「問題」は知覚の仕方が間違っていたため...

T17-7 信頼を呼び起こす
今回はテキスト第十七章から「信頼を呼び起こす」という一節をご紹介します。信頼は真理と直結し、不信は幻想と直結することが語られます。信頼-真理不信ー幻想信じようが信じまいが真理は真理のままです。だから、不信には真理を損なうことはできません。ただし、真理を認めないために不信を用いるなら、不信は信頼を打ち砕いてしまいます。そこで、不信が差し出すものが幻想であると見極めて、不信を真理を否認するために用いな...

T27-4 静かな答え
今回はテキスト第二十七章から「静かな答え」という一節をご紹介します。本節では、すべての問題に対する答えは神聖な瞬間の中にあることが述べられます。この世界の問題はすべて分離幻想を根源に生まれます。そして、分離幻想に対する唯一の答えは、神の大いなる答えだけです。しかし、この世界は、分離幻想を維持するためにあるので、この世界の中でいかなる問題や疑問を抱いて解決策となる答えを探そうとも、真の答えからはぐら...

T25-9 天国の正義
今回は、テキスト第二十五章から「天国の正義」という一節をご紹介します。たまにスティーブン・R・コヴィー先生の本の用語を引用していますが、本節では、「7つの習慣」の”win-win or no deal””や「第三の案」という考え方に馴染む観点が出てきます。「3. Be certain any answer to a problem the Holy Spirit solves will always be one in which no one loses. 聖霊が問題を解決するために出す答えはつねに、誰ひとり損をしな...

ワークブック・エピローグ
ワークブックのエピローグです。お疲れさまでした!1日1レッスンの原則をちゃんと守ってこられた方はもちろん、まとめ読みをした方も、得るところはあったはずです。奇跡のコースは、1回読了したらそれでお終いという本ではありません。ワークブックをやり遂げたみなさんなら、多少は実感されていると思いますが、コースの思考体系は、この世界の物事、問題を快刀乱麻を断つがごとくにバッサバッサと解決してしまう痛快さを備え...

レッスン356「病気は罪の別名にほかならない。癒しは神の別名にほかならない。したがって、奇跡とは神に呼びかけることだ」
レッスン356です。「病気は罪の別名にほかならない。癒しは神の別名にほかならない。したがって、奇跡とは神に呼びかけることだ」が今日のレッスンです。まず、私とは何かをご覧ください。T26-7 癒しの法則が参考になると思います。実在するのは愛のみであり、愛の対概念は愛の不在に名前をつけた恐れです。実在する一者である大いなる愛を多様な側面から見ることで、切り取り方によって多様な側面があり、その切り口次第で、神...

レッスン345「私は今日、奇跡だけを与えることにする。というのも、私はその奇跡を自分の許へと戻してもらうつもりだからだ」
レッスン345です。「私は今日、奇跡だけを与えることにする。というのも、私はその奇跡を自分の許へと戻してもらうつもりだからだ」が今日のレッスンです。まず、奇跡ってなに?をご覧ください。昨日のレッスンの愛の法によって、私たちが兄弟に与えるものは自分自身への贈り物となります。今日のレッスンは、この与えるものとして、奇跡だけを与えられるようにとの祈りです。「私はその奇跡を自分の許へと戻してもらうつもりだ...

レッスン135「もし私が自分自身を防衛しようとするなら、私は攻撃されることになる」
レッスン135です。「もし私が自分自身を防衛しようとするなら、私は攻撃されることになる」が今日のテーマです。「1. Who would defend himself unless he thought he were attacked, that the attack were real, and that his own defense could save himself? 自分が攻撃されたのであり、その攻撃は現実のことであり、そして、自分が防衛することで自分自身を助けられると思わないかぎり、誰が自分を守ろうとするでしょうか...

T2-7 原因と結果
テキスト第二章から、原因と結果についての一節をご紹介します。前節で、イェシュアは、些末な事柄はすべて、イェシュアが自らのコントロール下に引き取ってくれ、重要なことについては私たちを指導してくれる、私たちが恐怖を抱くことは、イェシュアにコントロールを委ねるのを困難にしてしまう、私たちはイェシュアの力によって自分を恐怖から解放してもらうことはできず、私たちが自分で恐れをコントロールする必要があり、コン...

レッスン96「救済は、私のひとつの大いなる自己からやってくる」
レッスン96です。「救済は、私のひとつの大いなる自己からやってくる」が今日のテーマです。心と身体は両立せず、心のみが実在し、私たちの本質である大いなる霊が自らの大いなる自己を表現するための手段として用いる媒体が心だということが述べられます。したがって、身体ではなく、霊に奉仕するときにのみ、心は本来の役割を果たして平安と幸せに至るということです。「3. Problems that have no meaning cannot be resolved ...

レッスン90「レッスン79と80の復習」
レッスン90です。今日のテーマは次のふたつです。[79] "Let me recognize the problem so it can be solved."「問題を解決できるように、私に問題を認識させてください」[80] "Let me recognize my problems have been solved."「私の問題はすでに解決されていると認識させてください」[序文]1.前回の復習期間後のレッスンについて毎日ふたつずつの考えを復習します。毎日の前半は、その二つのうちの一つの考えに、その日の後半...

レッスン80「私の問題はすでに解決済みであると私が気づけますように」
レッスン80です。「私の問題はすでに解決済みであると私が気づけますように」が今日のテーマです。昨日のレッスンから、文章の時制のことが気になっているという方もいらっしゃるかもしれません。問題は「すでに」解決されている、救済は「すでに」完了しているというふうにです。コースでは、すでに永遠においては神の子の救済は完了しているといいます。私たちは、恐怖映画や小説をハラハラドキドキしながら観たり読んだりしま...

レッスン79「問題を解決できるように、私に問題を認識させてください」
レッスン79です。今日のテーマは「問題を解決できるように、私に問題を認識させてください」です。今日のレッスンは、分離という問題は本当はすでに解決しているのに、私たちが問題が解決されていることに気づいておらず、問題が認識されていないために、解決法も認識されていないと言います。「1. A problem cannot be solved if you do not know what it is. もしあなたに問題が何なのかわかっていないなら、問題が解決され...

M16 一日の過ごし方
今回は、教師のためのマニュアルの第16節の「神の教師は1日をどのように過ごすべきか」をご紹介します。魔術にはどう対処すべきかが参考になると思います。神の教師の歩む旅路にはさまざまな誘惑が待ち受けているので、彼は、一日を通して自分が加護を受けていることを思い出す必要があり、とりわけ外部の物事に自分の心を奪われてしまうような時間が続く間、自分が守られていると思い出して誘惑を退ける方法は、魔術を避けるこ...

レッスン47「神こそが力だ。神の力強さを私は信頼する」
レッスン47です。今日のテーマは「神こそが力だ。神の力強さを私は信頼する」です。真の自信は、自分自身を信じることではなく、神を信じることで授かるということが語られます。私たちは、この世界に処するに際して自分として操縦するロボット、アバターであるエゴ・身体という機械人形のスペックの高さによって自信を強めたり弱めたりします。もちろん、エゴの観点で見れば、これは当然で正しいことです。私たちの多くは、完璧...

レッスン38「私の神聖さにできないことなど何もない」
レッスン38です。今日のテーマは「私の神聖さにできないことなど何もない」です。自分を人間とみなして、自分のことをこの世界に閉じ込められた羊の群れのように捉える感覚に囚われているかぎり、今日のテーマは虚しく響くだけに終わります。しかし、人間としての私たちが架空の世界の中で遊ぶためのアバターであるとすれば、本当の私たちはアバターを操縦しているアバター以外の存在であることになるので、この考えの理屈、仕組...