
S1-3 他者のために祈る
前節で、自分を迫害する敵のために祈れという言葉は矛盾ではなく、本当の自分を分割させて他者の仮面を被らせて敵視することでキリストを幽閉しているというのが実体なのだから、本当の自分である神の子を解放するために祈りなさいということを言っている、つまり、祈りは自分自身のためのものだということが示されました。この理屈なので、本当の自分である神の子のためになるとしても、方法としては、神の子が自分を分裂させて個...

T31-3 自らを咎める者
今回は、テキスト第三十一章から、自らを咎める者という一節をご紹介します。他者を咎めようとするのは、自責の念を抱く者だけです。罪という時限爆弾を抱えていると思うと、自分が手元に爆弾を抱えていることに耐えられず、他者に投げつけて楽になろうという衝動に駆られます。このような投影が非難の根拠だとすると、私たちは決して他者の罪を理由に彼を憎むわけではなく、ただ自分自身の罪のゆえに彼を憎むという心理作用が無意...

レッスン278「もし私が束縛されているなら、私の父は自由ではないことになる」
レッスン278です。「もし私が束縛されているなら、私の父は自由ではないことになる」が今日のテーマです。まず、キリストってなに?をご覧ください。昨日のレッスン277のエッセイで述べたように、天国に行き渡る「自分の拡張するものが自分の現実となる」という神の法は、この世界では「自分が拡張または投影するものは自分にとっての現実となる」という形で作用し、「自分の兄弟に与えるものは自分のものとなる」という愛の...

レッスン192「私には、神が私に果たさせようとする役目がある」
レッスン192です。「私には、神が私に果たさせようとする役目がある」が今日のレッスンです。私たちの本質である神の子には、天国においては、神の名において創造するという役目があります。けれど、光の拡張が遮られて、闇の中で罪悪感の生み出す恐怖の暗雲をスクリーンにして幻が投影(誤創造)されるこの世界では、創造はなしえないので、私たちは、この世界に即した役目を担います。それは赦しです。本レッスンでは、他者を...