
T25-8 愛に戻される正義
今回は、テキスト第二十五章から「愛に戻される正義」という一節をご紹介します。M19 正義とは何かを参考に読んでみてください。正義とは誤りを正す剣であり、愛に奉仕するしもべであり、道具です。正義自体は主人、目的にはなりえません。道具は何のために用いるかによって人を生かすことにも殺すことにもなります。この世界では、正義は、犯された罪、不正に対する憎悪に奉仕するために、処罰して正す武器であり、復讐と同義です...

T25-7 救いの基盤
今回はテキスト第二十五章から「救済の礎石」という一節をご紹介します。ほかの箇所でもたまに触れられていますが、本節も含めて、コースでは、実は、この世界は地獄だということがちょこちょこと小出しに示されます。天国と同じように地獄もこの世とは別にあると思っている私たちからすると、ドキッとする指摘です。ですが、異世界のこととして語られる地獄絵図が、いくらでもこの世界で展開されていることを想えば、地獄がこの世...

T14-9 神聖さの反映
今回は、テキスト第十四章から「神聖さの反映」という一節をご紹介します。冒頭の文章が救済の本質を要約しています。「1. The Atonement does not make holy. 贖罪があなたを神聖にするわけではありません。 You were created holy. あなたはもともと神聖に創造されているからです。 It merely brings unholiness to holiness; or what you made to what you are. 贖罪は単に、あなたが作り出した幻想を本当のあなたという真...

T21-6 理性 対 狂気
今回はテキスト第二十一章から「理性 対 狂気」という一節をご紹介します。理性は聖霊の用いる手段であり、主語として理性が用いられている箇所は、理性を聖霊と置き換えて読んでかまいません。他方、狂気はエゴの手段であり、エゴは狂気そのものです。解離性同一性障害を患って、無数の副人格たちが、身体を所有する主人格の座を巡って争いを繰り広げていたり、はたらく細胞の細胞たちがばらばらに自分独自の権利を主張しはじめて...

レッスン342「私は赦しがすべての物事に差し延べられるようにする。というのも、そうすることで、赦しは私に与えられることになるからだ」
レッスン342です。「私は赦しがすべての物事に差し延べられるようにする。というのも、そうすることで、赦しは私に与えられることになるからだ」が今日のレッスンです。まず、奇跡ってなに?をご覧ください。神の子はすべてであると同時にすべてを持っています。このように、王国の実在と所有が一致する状態(T7-3 神の王国の本当の姿とは)から、神の子は分離幻想によってエゴ・身体が自分だという錯覚を抱いて、全宇宙の中の...

レッスン331「私の意志はあなたの意志なのですから、いかなる葛藤も存在しません」
レッスン331です。「私の意志はあなたの意志なのですから、いかなる葛藤も存在しません」が今日のレッスンです。まず、特別解説エゴってなに?をご覧ください。この世界では、天国に実在する生命、愛、真理、平安などが反映されるに伴い、影が生じて、実在の不在である、死、恐れ、虚偽、葛藤という対極が存在するように見えることになるということをこれまで何度も述べてきました。光の不在である影や闇が実在性を持たないこと...

W2ST-10.最後の審判ってなに?
今回は「最後の審判とは何か」です。参考に、「最後の審判」って恐ろしいものなの?をご覧ください。最後の審判は、この世界で知覚することが終わって最後に下される裁きです。「5. This is God's Final Judgment: "You are still My holy Son, forever innocent, forever loving and forever loved, as limitless as your Creator, and completely changeless and forever pure. Therefore awaken and return to Me. I am your Fa...

レッスン296「今日、聖霊が私を通して語る」
レッスン296です。「今日、聖霊が私を通して語る」が今日のテーマです。まず、真の世界とは何かをご覧ください。「I would be savior to the world I made. 私は、自分で作り出したこの世界の救い主となるつもりです。 For having damned it I would set it free, that I may find escape, and hear the Word Your holy Voice will speak to me today. この世界を呪縛してきたがゆえに、私はこの世界を解放したいのです。そ...

レッスン272「どうして幻が神の子を満足させられるだろうか」
レッスン272です。「どうして幻が神の子を満足させられるだろうか」が今日のテーマです。まず、キリストとは何かをご覧ください。アバターである私たちはエゴに支配されているので、自分の欲望を満たしさえしてくれるなら、幻でも十分お腹いっぱいになれるように思います。というよりも、真理なんかよりも、自分が思う存分美しく、力強く豊かで、他者から賛美されて、やりたい放題できる権力も得られるのであれば、そっちのほう...

レッスン200「神の平安以外の平安など存在しない」
レッスン200です。「神の平安以外の平安など存在しない」が今日のテーマです。残念なお知らせがあります(笑)。6.「It is only hell where it is needed, and where it must serve a mighty function. 赦しが必要とされるのは、地獄においてのみです。そして、地獄では、赦しは偉大な役割を果たすに違いありません。」ほかの箇所でもちょこちょこ匂わせる感じで出てきますが、このレッスンでは、私たちの住むこの世界が地獄...

レッスン190「私は、苦痛の代わりに神の喜びを選択する」
レッスン190です。「私は、苦痛の代わりに神の喜びを選択する」が今日のテーマです。このテーマを見て、苦痛よりも喜びを選ぶ、そんなの当たり前じゃないか?と誰もが思うはずです。生きるうえで苦痛は避けることができないものなのであって、自分ですき好んで苦痛を選んでいるわけじゃないと。T7-10 苦しいのが気持ちいいってどういうこと?が参考になると思います。エゴという錯覚が本来ありもしない苦痛を生み出します。人体...

レッスン138「天国は、私が下すべき決断だ」
レッスン138です。「天国は、私が下すべき決断だ」が今日のテーマです。天国で通用する法も、地獄にはそのままの形では行き渡りません(T25-3 知覚と選択)。郷に入っては郷に従え里に入りては里に従う所の法に矢は立たぬと、一般的な通則も、具体的なローカル・ルールに従っている地域や人々にはそのままでは通用しません。2. 「Yet what is true in God's creation cannot enter here until it is reflected in some form the...

レッスン131「真理に到達しようとして失敗することは誰にもできない」
レッスン131です。「真理に到達しようとして失敗することは誰にもできない」が今日のテーマです。「5. No one remains in hell, for no one can abandon his Creator, nor affect His perfect, timeless and unchanging Love. 誰もずっと地獄に居残ることはありません。というのも、誰も自らの大いなる創造主を捨て去ることなどできないし、神の完璧で時間を超えた不変の大いなる愛を変えることもできないからです。 You will...

レッスン130「ふたつの世界を見ることは不可能だ」
レッスン130です。今日のテーマは「ふたつの世界を見ることは不可能だ」です。T18-9 ふたつの世界が参考になると思いますので、御覧ください。「The real and the unreal are all there are to choose between, and nothing more than these. 選べるのは実在するものと実在しないものだけであり、これ以外には何も選べません。6. Today we will attempt no compromise where none is possible. 今日、私たちは、妥協の余地の...

レッスン122「赦しは、私の欲するすべてを差し延べてくれる」
レッスン122です。今日のテーマは「赦しは、私の欲するすべてを差し延べてくれる」です。「3. Forgiveness lets the veil be lifted up that hides the face of Christ from those who look with unforgiving eyes upon the world. 赦しは、赦さない目でこの世界を見ている者たちから、キリストの顔を隠しているヴェールを取り去ってくれます。 It lets you recognize the Son of God, and clears your memory of all dead th...

レッスン121「赦しこそが幸せの鍵だ」
さあ、復習期間が終わって、今日からまた新たな取り組みが始まります。レッスン121です。「赦しこそが幸せの鍵だ」が今日のテーマです。今日のレッスンでは、具体的な赦しの実践法について述べられます。自分の嫌いな人物と自分が友人だと思っている人物に登場してもらい、嫌いな人物の醜く見えている姿が光り輝くまでのプロセスを知覚し、その人の周囲に見えるようになったその光を今度は友人の方に移し、友がそれ以上の存在、...

T21-Intro 世界を変える
テキスト 第二十一章 理性と知覚の序論をご紹介します。以前にchange the worldで、この序文を紹介していますが、英文つきでの再掲載です。この節では、この世界は、自分の心の内面を投影した幻想を知覚することでしかなく、私たちは、自分の思うような世界を知覚しているということが述べられます。だから、地獄のような世界が見えているとすれば、それは自分がエゴに従って、自分や他者や世界を罪深いものとして攻撃して神の子...

W2ST-5.身体ってなに?
今回は、ワークブックのパート2から、「身体とは何か」をご紹介します。私たちは本気で、自分のことを身体であると思っています。身体こそが実在するもので、心の働きは、身体の脳が機能して生じる生理反応にすぎず、身体と心を比べれば、客観性のある身体のほうこそが本物だと信じています。このような唯物論は、知覚できる物質的存在こそが確固たる不動のものだという素朴な信念に依拠しています。でも、知覚自体が錯覚を見るた...

C3 赦しとキリストの顔
今回は、用語解説から、「赦し-キリストの顔」をご紹介します。赦しってなに?レッスン269「私の視覚は、キリストの顔を見るようになる」T19-4D 平安への障害4T19-4Di 平安への障害4−2が参考になると思います。...

レッスン89「レッスン77と78の復習」
レッスン89です。今日のテーマは次のふたつです。[77] "I am entitled to miracles."「私は奇跡を受け取る資格がある」[78] "Let miracles replace all grievances."「奇跡がすべての不平不満に取って代わりますように」[序文]1.前回の復習期間後のレッスンについて毎日ふたつずつの考えを復習します。毎日の前半は、その二つのうちの一つの考えに、その日の後半は、もう一つの考えに当てます。1日のうち、1回の長い実習時間と...

C2 エゴ ー 奇跡
用語解説から、「エゴー奇跡」をご紹介します。エゴは狂気の産物で幻想でしかない無なので、定義する必要もなければ、定義しようもないということが語られます。エゴは、すべての幻想と同じく、実在の不在に名前を付けた影でしかありません。ひとつの実在である愛をいろんな側面から見て、それを生命、平安、真理、知識等と呼びますが、主体的な側面からみると、実在するのは一なる霊である大いなる自己となります。この大いなる自...

レッスン76「私は、ただ神の法の下にある」
レッスン76です。今日のテーマは「私は、ただ神の法の下にある」です。私たちは、小難しい法律や法典は嫌いでも、引き寄せの法則をはじめとする魔術的な「法則」は大好きです。この世界で、私たちが救われようとして信奉する「法則」は、身体を保護することに役立ちそうな法則です。このような法則によって、私たちは、雁字搦めになり、救済がありもしない場所で、それを探す羽目になります。このレッスンでは、身体の苦しみは、...

レッスン63「私の赦しを通じて、世界の光がすべての心に平安をもたらす」
レッスン63です。今日のテーマは「私の赦しを通じて、世界の光がすべての心に平安をもたらす」です。4.「Remember that God's Son looks to you for his salvation. 神の子は自分の救いのために、あなたを頼みにしていることを忘れないでください。 And Who but your Self must be His Son? そして、あなたの真の自己以外のほかの誰が神の子だというのでしょうか。」奇跡のコースが私たちに学ばせようとしている(正確には...

M11 世界平和は実現できる?
今回はマニュアル第11節の「どのようにしてこの世界で平安が可能となるか」をご紹介します。この問いへの答えは、エゴの価値判断による裁きを放棄して、神の裁きである聖霊の価値判断に取って代らせることによって可能となるということです。ひとつ前のM10 価値判断の重圧から解放されるには?やコントロールを手放す(無条件の愛―キリスト意識を鏡として)を読んでみてください。「4. Peace is impossible to those who look on...

M-Intro 教師のためのマニュアル 序文
今回は、教師のためのマニュアルの序文をご紹介します。この世界の常識では、教育とは、教師が一方的に生徒に教えを授けるものであって、教師のほうが優れていて、劣っている生徒を引き上げてやる関係性として考えられています。これに対して、マニュアルは、このような世界の常識は、本当の役割とは逆になっているといいます。この点は、すでに「神の教師とは誰のことなのか」「生徒とは誰か」において、教えることで学ぶ教師の生...