
T8-6 神の宝物
今回はテキスト第八章から「神の宝物」という一節をご紹介します。神の宝物は、もちろん神の子です。本節では、有名な放蕩息子の喩え話が出てきます。ルカによる福音書 - 15章11~このお話では、放蕩息子は、好き放題に放蕩のかぎりを尽くし、裕福な境遇から下賤な窮境に身をやつして、罪を犯した自分は立派な父の前に顔を出す価値もないと自己を卑下するまでに至りますが、どうしようもなくなって、なんとか父のもとに帰って卑し...

T25-9 天国の正義
今回は、テキスト第二十五章から「天国の正義」という一節をご紹介します。たまにスティーブン・R・コヴィー先生の本の用語を引用していますが、本節では、「7つの習慣」の”win-win or no deal””や「第三の案」という考え方に馴染む観点が出てきます。「3. Be certain any answer to a problem the Holy Spirit solves will always be one in which no one loses. 聖霊が問題を解決するために出す答えはつねに、誰ひとり損をしな...

レッスン355「私が神の言葉を受け入れるとき、すべての平安と喜びが果てることはないし、私が与える奇跡のすべてが尽きることもない。それがどうして今日であってならないのだろうか」
レッスン355です。「私が神の言葉を受け入れるとき、すべての平安と喜びが果てることはないし、私が与える奇跡のすべてが尽きることもない。それがどうして今日であってならないのだろうか」が今日のレッスンです。まず、私とは何かをご覧ください。ワークブックでは、今日のレッスンと同じように、つねに救済が「今日」達成されると語ってきました。救済はすでに成就しており、私たちは記録媒体に保管されている動画ファイルを...

レッスン344「今日、私は愛の法を学ぶ。それは、私が自分の兄弟に与えるものは自分に対する私からの贈り物だということだ」
レッスン344です。「今日、私は愛の法を学ぶ。それは、私が自分の兄弟に与えるものは自分に対する私からの贈り物だということだ」が今日のレッスンです。まず、奇跡ってなに?をご覧ください。エゴの法則では、自他分離を前提とするので、「私が与えることによって兄弟が私から受け取る贈り物を私は失う」ということになります。これが錯覚であることは、これまでのレッスンで何度も繰り返してきたので、十分理屈ではわかってい...

レッスン334「今日こそ私は、赦しが与えてくれる贈り物を手に入れる」
レッスン334です。今日のレッスンは「今日こそ私は、赦しが与えてくれる贈り物を手に入れる」です。まず、エゴってなに?をご覧ください。1.「Illusions are all vain, and dreams are gone even while they are woven out of thoughts that rest on false perceptions. 幻想はすべて空疎なものであり、間違った知覚に基づく思考から夢が紡ぎ出されるまさにその合間にすら、夢は消え去ってしまいます。 Let me not accept s...

レッスン316「私が自分の兄弟たちに与える贈り物はすべて、私のものだ」
レッスン316です。「私が自分の兄弟たちに与える贈り物はすべて、私のものだ」が今日のレッスンです。まず、最後の審判とは何かをご覧ください。冒頭の一文「As every gift my brothers give is mine, so every gift I give belongs to me. 私の兄弟たちが与える贈り物はすべて私のものなのだから、私が与えるすべての贈り物は私のものだ。」は、ジャイアンの名言「お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの」に通じる真理で...

レッスン315「私の兄弟たちが与える贈り物はすべて、私のものだ」
レッスン315です。「私の兄弟たちが与える贈り物はすべて、私のものだ」が今日のレッスンです。まず、最後の審判とは何かをご覧ください。今日のテーマほど、「はたらく細胞」の観点が威力を発揮するテーマはないでしょう。エゴと自己同一化したままの意識で素朴に考えると、自分以外のところで他者が他者に施しをしたところで、「よかったね」という感想は持つかもしれないとしても、自分にとっては何の関わりもないことでどう...

レッスン287「わが父よ、あなたこそ私の目的地です。ただあなただけが」
レッスン287です。「わが父よ、あなたこそ私の目的地です。ただあなただけが」が今日のテーマです。まず、聖霊とは何かをご覧ください。本当の自分が誰だかわからなくなって、自分で作り出した夢の世界の中の生物が自分自身だと信じ込み、そんな偽物の自分の抱く欲望や恐怖に突き動かされて右往左往しているのが私たちです。私たちはどうしても気づけばエゴに意識を乗っ取られて、神ではなく幻想世界の偶像を追い求めてしまって...