
T30-5 唯一の目的
今回はテキスト第三十章から「唯一の目的」という一節をご紹介します。唯一の目的とは、世界の目的についてのものです。世界という幻想は、分離が実在することを証明するために、神の子に分離という罪について罪悪感を抱かせ、神からの処罰への恐怖で満たして、偶像崇拝へと追いやり、不平不満から非難と攻撃の応酬のループが継続するようにするための仕組みとして生み出されました。ですから、エゴに従う場合の世界の目的は、分離...

T25-2 闇からの救い主
今回は、テキスト第二十五章から、闇からの救い主という一節をご紹介します。本節は、T17-4 ふたつの絵での絵と額縁のお話を前提にしていますので、「ふたつの絵」をまず再読していただければと思います。兄弟の身体という額縁は絵を覆い隠してしまいますが、身体という額縁の中に、神がはめた傑作を見ようとするなら、それまで身体という額縁に気を取られていたときには神の子の拙劣な似顔絵であるエゴという小さな絵のかかってい...

レッスン286「天国の静けさが今日、私の心を満たす」
レッスン286です。「天国の静けさが今日、私の心を満たす」が今日のテーマです。まず、聖霊とは何かをご覧ください。神の中にはいかなる葛藤も問題もなくただ平安のみが行き渡っているのだとすれば、そして、私たちの本質が神の中に永遠にいる神の子なのだとすれば、私たちが平安な状態にないのは、私たちが自分が神の子であることを忘れて、幻想の中の小さな生き物になりきって自分の力で物事をコントロールして生き延びなけれ...

レッスン251「私に必要なのはただ真理だけだ」
レッスン251です。「私に必要なのはただ真理だけだ」が今日のテーマです。まず、罪とは何かをご覧ください。私たちはさまざまな物事を欲して苦心して追い求め、ようやく望みを実現しても、思っていたような満足は得られず、今度こそ間違いなく幸せになれるはずだと期待して、また別の物事を追い求めます。何かを得ようと望むには、自分がその対象物とは別の分離した存在であることを前提に、自分の支配下にその対象物がないとい...

レッスン245「父よ、あなたの平安が私とともにあるので、私は安全です」
レッスン245です。「父よ、あなたの平安が私とともにあるので、私は安全です」が今日のテーマです。まず、世界とは何かをご覧ください。今日のテーマは昨日のレッスン「私は、世界のどこにいようとも危険にさらされることはない」の延長です。自分の本来の居場所で自分が神とともにいるという自覚は、この世界でのエゴ・身体というアバターを神の平安を兄弟たちに運び届けるための乗り物として位置づけます。ビデオゲーム世界の...

レッスン122「赦しは、私の欲するすべてを差し延べてくれる」
レッスン122です。今日のテーマは「赦しは、私の欲するすべてを差し延べてくれる」です。「3. Forgiveness lets the veil be lifted up that hides the face of Christ from those who look with unforgiving eyes upon the world. 赦しは、赦さない目でこの世界を見ている者たちから、キリストの顔を隠しているヴェールを取り去ってくれます。 It lets you recognize the Son of God, and clears your memory of all dead th...

T29-7 自分の外を探さない
今回は、テキストから、自分自身の外を探求してはならないということを解説する一節をご紹介します。汝自身を知れで触れたように、テキストは、自分自身を知るためには自分の中だけを探すのではなく、他者との出会いを神聖な出会い(T8-3)として、自分がエゴに従っているのか、聖霊に従っているのか、他者を鏡として気づくことが必要だとも言っています。自分の中でだけ探しちゃダメだといいながら、自分の外を探してはならないと...