
S2-Intro 赦し 序文
この序文では、祈りの姉妹である赦しについて語られます。赦しと祈りの両者は固く結ばれる姉妹関係にあり、赦しの伴わない祈りは少しも階梯を昇ることはできませんが、赦しを伴うなら、赦しは、祈りが神の下にまで上昇するのを強力に支援し、その上昇速度を増してくれます。したがって、幻想の終わりは、祈りと赦しの両者と一緒に訪れることになります。もっとも、両者の間には、梯子を昇り終えたら、祈りは神と愛と感謝を交わす本...

S1-1 真の祈り
一般的に、祈りは、いわゆるアファメーション、つまり、願望達成を祈願して肯定的な言葉を内心で繰り返して自己暗示するような心理的な活動というイメージで捉えられがちです。これに対して、本節では冒頭から、祈りは神に到達するための道であって嘆願や要求ではなく、祈りは何かを求めることではない、このことを理解しないかぎり祈りが効果を発揮することはないといいます。常識的な祈りのイメージを持ったままでいると、少し驚...

T25-2 闇からの救い主
今回は、テキスト第二十五章から、闇からの救い主という一節をご紹介します。本節は、T17-4 ふたつの絵での絵と額縁のお話を前提にしていますので、「ふたつの絵」をまず再読していただければと思います。兄弟の身体という額縁は絵を覆い隠してしまいますが、身体という額縁の中に、神がはめた傑作を見ようとするなら、それまで身体という額縁に気を取られていたときには神の子の拙劣な似顔絵であるエゴという小さな絵のかかってい...

レッスン340「今日、私は苦悩から自由になれる」
レッスン340です。「今日、私は苦悩から自由になれる」が今日のレッスンです。まず、エゴってなに?をご覧ください。昨日までのレッスンで、私たちは自分で自分を磔にして自分を束縛しているだけで、私たちが自縄自縛から脱して自由になるために必要なのは、私たちがこの仕組みを理解して正しく思考することだけだということを理解しました。自分では縛られていると思い込んでいたけれど、実は縛られておらず、自由なままだった...

レッスン315「私の兄弟たちが与える贈り物はすべて、私のものだ」
レッスン315です。「私の兄弟たちが与える贈り物はすべて、私のものだ」が今日のレッスンです。まず、最後の審判とは何かをご覧ください。今日のテーマほど、「はたらく細胞」の観点が威力を発揮するテーマはないでしょう。エゴと自己同一化したままの意識で素朴に考えると、自分以外のところで他者が他者に施しをしたところで、「よかったね」という感想は持つかもしれないとしても、自分にとっては何の関わりもないことでどう...

レッスン310「今日、私は、恐れることなく愛の中で過ごす」
レッスン310です。「今日、私は、恐れることなく愛の中で過ごす」が今日のテーマです。まず、キリストの再臨とは何かをご覧ください。「1. This day, my Father, would I spend with You, as You have chosen all my days should be. わが父よ、今日、私はあなたとともに過ごすつもりです。というのも、あなたはすべての日々を私があなたとともに過ごす日となるよう選んでくれているからです。 And what I will experience ...

レッスン298「父よ、私はあなたを、そしてあなたの子を愛しています」
レッスン298です。「父よ、私はあなたを、そしてあなたの子を愛しています」が今日のテーマです。まず、真の世界とは何かをご覧ください。レッスン123「私は、父が私に与えてくれた贈り物について父に感謝する」、レッスン195「愛こそが、私が感謝しながら歩む道だ」、レッスン197「私が得られるのは、ただ私の感謝だけだ」が参考になると思います。感謝を意味する"appreciate"と”gratitude"のニュアンスの違いとして...

レッスン292「すべての物事に幸福な結末が訪れるのは間違いない」
レッスン292です。「すべての物事に幸福な結末が訪れるのは間違いない」が今日のテーマです。まず、真の世界とは何かをご覧ください。私たちは、どうしても自分の力で独立して人生を切り開いて目標を達成したいという思いに駆られます。それほど自分の思い通りに生きたい、自分の人生、生き方を自分で決定したいという欲求は強いものです。この欲求は、私たちの本質である生命、神の子の自由意志の発露であり、決して無意義なも...

レッスン251「私に必要なのはただ真理だけだ」
レッスン251です。「私に必要なのはただ真理だけだ」が今日のテーマです。まず、罪とは何かをご覧ください。私たちはさまざまな物事を欲して苦心して追い求め、ようやく望みを実現しても、思っていたような満足は得られず、今度こそ間違いなく幸せになれるはずだと期待して、また別の物事を追い求めます。何かを得ようと望むには、自分がその対象物とは別の分離した存在であることを前提に、自分の支配下にその対象物がないとい...

レッスン232「わが父よ、一日中、私の心の中にいてください」
レッスン232です。「わが父よ、一日中、私の心の中にいてください」が今日のテーマです。まず、救済とは何かに目を通してから、レッスンに入りましょう。私たちの本質である神の子は神とひとつであり、私たちは神の大いなる思いとして神の中にいます。したがって、そもそも本当の私たちには、神と異なる思いを心に抱くことなど不可能です。けれど、私たちは、エゴに従って個別の心が神とは違う意志を抱いて異なる思考をしている...

レッスン217(レッスン197の復習)
レッスン217です。今日は、レッスン197の復習です。【序文】1.これからの復習では、私たちは毎日ひとつの考えだけを取りあげて、その考えをできるだけ頻繁に実践します。朝と夜に15分以上の時間を捧げるほかに、1日を通して1時間ごとにその日の考えを思い出すだけでなく、それらの合間にもできるかぎり、その考えを用いるようにしてください。これらの考えのうちの一つひとつだけでも、もしそれを真に学ぶことができたな...

レッスン215(レッスン195の復習)
レッスン215です。今日は、レッスン195の復習です。今日は、「スピリチュアルズ」(橘玲著)をご紹介します。【序文】1.これからの復習では、私たちは毎日ひとつの考えだけを取りあげて、その考えをできるだけ頻繁に実践します。朝と夜に15分以上の時間を捧げるほかに、1日を通して1時間ごとにその日の考えを思い出すだけでなく、それらの合間にもできるかぎり、その考えを用いるようにしてください。これらの考えのうち...

レッスン197「私には自分からの感謝を得ることしかできない」
レッスン197です。「私には自分からの感謝を得ることしかできない」が今日のテーマです。「It can be but my gratitude I earn. 私には自分からの感謝を得ることしかできない。」昨日のレッスン196「It can be but myself I crucify. 私には自分自身を磔にすることしかできない。」の裏返しの表現です。冒頭で、私たちは、惜しみない賛辞を受けながら自分からの贈り物が受け入れてもらえるのでなければ、優しさと許しを与える...

レッスン195「愛こそが、私が感謝しながら歩む道だ」
レッスン195です。「愛こそが、私が感謝しながら歩む道だ」が今日のテーマです。レッスンの冒頭から、世界を誤解する者にとって感謝することを学ぶのは困難な課題であり、彼らにできるは、他者が自分よりも苦境にあるのを見て、それと比較して自分は他人よりもましだと思って満足することくらいだということが語られます。自分よりも恵まれない他者に想いを馳せて足ることを知り謙虚な気持ちを忘れないということはエゴとしての...

レッスン142「レッスン123と124の復習」
レッスン142です。今日は、レッスン121と122の復習です。今日は、小説「リプレイ」をご紹介します。ウィキのあらすじ「経済的に成功していないラジオ局ディレクターのジェフ・ウィンストンは、43歳(1988年)で心臓発作による突然死を迎える。しかし、次に目を覚ますと18歳(1963年)の時点に遡っており、新しく人生をやり直すことになる。ジェフは「未来の記憶」を存分に利用し、やり直しの人生(リプレイ)を謳歌するが...

T6-intro,1 キリストの十字架刑の真の意味とは?
今回は、テキストから、第六章 愛のレッスンの序論と第一節 キリストの磔刑とそのメッセージをご紹介します。本節では、攻撃が狂気の沙汰である仕組みが解明されます。よく韓ドラの復讐劇とかで、幼いころに死別した親の仇だと信じて復讐しようとしていた敵が実は、恋しい親だったことに復讐を遂げる直前に気づいて自分はなんということをしていたのだと悔いて、復讐を達成しなかったことを神に感謝したり、あるいは、実際に復讐...

レッスン128「私の見るこの世界には、私の望むものは何もない」
レッスン128です。「私の見るこの世界には、私の望むものは何もない」が今日のテーマです。このように言いきるのは簡単なことではありません。そもそも、私たちにはこの世界こそが現実であるとしか思えないし、不幸や苦痛もたくさんあるかもしれないけれど、その反対の幸福や快楽もたくさんあって、自分はまだまだそれらのすべてを味わい尽くせてなどいない!望むものは山ほどあるというのに、そんな仙人みたいなこと言ってられ...

レッスン123「私は、父が私に与えてくれた贈り物について父に感謝する」
レッスン123です。今日のテーマは、「私は、父が私に与えてくれた贈り物について父に感謝する」です。私たちは、感謝する能力を衰えさせてしまっていて、そのせいで神の真価を正しく評価できなくなっているので、改めて退化してしまっている感謝する能力を発達させなければならないということがテキストで語られます。「17. I do not need gratitude, but you need to develop your weakened ability to be grateful, or you ca...

T31-8 終着
テキスト第31章の最後の節「もう一度選びなさい」です。レッスン110で、次のように、テキストからの引用がなされていました。「For your five minute practice periods, begin with this quotation from the text: 5分間の実習時間を、テキストからの次の引用で始めてください。"I am as God created me. His Son can suffer nothing. And I am His Son."『私は神に創造されたままの私だ。神の子は苦しむことなどできない。...

M29 聖霊に任せきる
教師のためのマニュアルの第29節の「そのほかのことについて」です。自分のコントロールを手放して聖霊に全託するということが語られます。コントロールを手放す(無条件の愛―キリスト意識を鏡として)、M10 価値判断の重圧から解放されるには?を参考にしてください。4. 「To say, "Of myself I can do nothing" is to gain all power. 『自分だけでは、私は何もできない』と言うことは、すべての力を手に入れることです。 A...

M4-5 神の教師の特性5(喜び)
今回は、神の教師の特性の5つ目です。「喜び」です。喜びはひとつ前の神の教師の特性である優しさの帰結です。優しさのところで出てきたように、神の教師たちは正気を取り戻しているので、自分が危害から免れていることを自覚しています。すなわち、世界が幻想で自分は天国にずっといる神のひとり子だというのが真実であり、テレビゲーム世界の中で動き回るアバターがどれほど危険な目に遭おうが画面の前でゲームをプレイしている...